en hueco en el sol

[訳注] スペイン語の原文、および、Viggo Fan Base の jeeronie が英訳したものをもとに訳しています。「写真とヴィゴについて...」には、多少の誤訳が含まれるかもしれません。 予めご了承ください。

ヴィゴについて...

1958年にマンハッタンに生まれたヴィゴ・モーテンセンは、3人兄弟の長男です。キューバでも、おそらく世界中のどこでも、ヴィゴ・モーテンセンが誰なのか、誰もはっきりとは知りません。しかしながら、彼自身のもっとも本質的で奥深くにあるものは、専門家であるなしに関わらず、数え切れないほど沢山の好奇の目にさらされてきました。今まで何冊か出版された本では、モーテンセンの内面、つまり、彼のファンタジー、彼の夢、彼の経験を人々に見せています。今の私のように、これまで多くの人が、彼について、彼の詩、絵、または、写真について書いていますが、誰も彼を知りません。私たちが彼を知る唯一の機会は、今、彼の作品に向かっているこの瞬間だけなのです。1分後には、そして明日には、他の人と同様、彼はまったくの別人になっているでしょう。私たちが知ることができるのは、彼について言われたことだけなのです。今日、彼の写真の中に、おそらく最も抽象的な写真を通して、私たちは彼という人を見ることができるでしょう。

写真について...

一見 “何も起こっていない” 抽象写真を見ている時、私たちは常に、すべてのアクション、すべてのメッセージを潜在的に含んでいるイメージを見ているのです。私たちは、解釈しようとするたゆみない熱意に駆り立てられ、これらのイメージをストーリーにあてはめようとし、そのイメージが隠しているもの、私たちのファンタジーを告白させようとします。これらのイメージをとらえた写真家の経験は、ほんの少しのヒントがあれば、私たちの中にあふてきます。こうして、この曖昧な言語を通して、コミュニケーションは完璧なものになります。言葉は必要ありません。なぜなら、イメージがそこにあるからです。そして何も説明する必要はありません。なぜなら、直接その美しさ — 目は理解しないがその虜になり、その奥にある脳を罠に陥れる — を通してすべてが語られているからです。

写真とヴィゴについて...

どの写真も、それ自体が足跡になっています。写真に撮られた出来事ではなく、その特定の出来事に向けられた目の足跡であり、それはサインやシンボルになり、ついには言語を予期させるものになります。その言語は、その透明さの文字通りの解釈で説得しようとはしませんが、その簡素さの裏に、記憶の一片のように計り知れない深さを隠しています。

それぞれの認識可能なイメージに隠された、言葉による表現内容を減らすことで、抽象主義に到達する人がいます。いかなる言語の表現内容も明確に述べられたストーリーも含まないスタイルに達するまで、抽象的なイメージと結びついている、純粋な表現形式の美しさ、非表現性に特有の完璧さ、瞑想の静けさを探し求めるのです。逆説的に言えば、非表現性の下に潜む言葉の解釈の重さからイメージを解放しようとした人と、直接的で繊細な表現を求めることで達成した人と、両者とも同じ不確かな形式上の結果に到達するのです。

現実という強い匂いを常に伴っている写真は、ヴィゴによるこれらの作品の中で、疑念と憶測、コミュニケートしようとする意思、長く数え切れないストーリー(私たちは知ることができませんが、推測するのをやめることもできません)で満ち溢れていることを私たちに見せてくれます。

私たちは主に青で構成されているイメージに直面するのをやめ、私たちの視線は時間の経過で織りなった壁の表面を流れ抜けます。水平だった飛行機の翼はゆっくりと回転し、垂直になるまで曲線を描いていきます。どのくらい時間が経ったのでしょうか?光は何度同じ表面を照らしたのでしょうか?どのくらい沢山の人生がそれを、その周りを、その中を通り過ぎていったのでしょうか?経験は、私たちの記憶の中で、おそらく古い図書館のように、棚から棚へ、イメージ、音、感覚の断片として蓄えられます。それらの断片は意味を成し得るものかもしれません。そして同時に、バラバラになったパズルのピースのように、ノスタルジーを思い起こさせるものでもあります。

これらのものが、私たちのヴィゴに対するイメージを作りあげているのかもしれません。私たちは彼の世界、彼の写真をかいま見、最後にもう一度それらを眺め、そして少なくとも、この “hole in the sun” にかかる光に対して見えるものを理解することができるのです。私たちが戻ってきた時、私たちは彼を知っていると信じ、友人の人生を話すかのように、彼のストーリー(私たちのストーリー)を話すでしょう。

Nelson Ramirez de Arellano
The Fototeca de Cuba, La Habana プリンシパル・スペシャリスト

ハバナに行き、Fototeca で私の写真展を開くことができ、たいへん光栄です。私は長い間、キューバという国、そして、キューバの人々を知りたいと思っていました。

国境や国歌、イデオロギー、その他どんな手段やシンボルも、人間を分離する目的で使われるものは、私はあまり信用しません。私が関心があるのは、考えや感情、言葉やイメージを自由に表現し、交換できるということです。私はそのためにキューバに行きます。私たちの好奇心、そしてこの人生を通して受け取った印象を共有し比較したいという自然な欲求を自由にしてあげることは、絶対に必要だと心から信じて。私たちには相違点よりももっと沢山の共通点があります。招待していただき、学ぶ機会を与えてくれたことに感謝します。それでは、いってみましょう!

ヴィゴ・モーテンセン
2003年5月1日

translated by yoyo