RECENT FORGERIES
宝の島: ヴィゴ・モーテンセンとの雑談

クリスティーン・マッケーナ

ヴィゴ・モーテンセンは質素な郊外の家に住んでいる。彼の家にはある秘密が隠されている。その秘密は、玄関を一歩入るとすぐにそこに現れる。モーテンセンはアーティストであり、少し取りつかれている。彼の家は、完成品か制作途中かを問わず、彼の作品ですべて占領されているのだ。ダンボールに入っているものもあれば、そのまま積まれているものもある。壁にはさらに沢山のアートがサロン・スタイル(*1)で掛けられている。この家はアートで何層にもなっている。そのため、モーテンセンがゲストに飲み物をだす時には、まず冷蔵庫に立てかけてある何枚もの大きな絵から冷蔵庫を解放しないといけないのだ。

写真、絵、コラージュ(*2)、アセンブリッジ(*3)、彫刻、スケッチに混ざってあるのは、詩や短い物語が書かれたノートや、アーティストが街で見つけたガラクタだ。モーテンセンはガラクタ屋の心を持っている。彼が救い出した古いサインや木々、壊れたおもちゃは、作品に取り込まれるかどうか分からないが、彼はいざという時のために手元に置いておきたいのだ。この家は尽きることのない肥料を提供する巨大な堆肥の山のようだ。モーテンセンの暮らしぶりを見れば、彼がどうやってそんなに沢山のアートを生み出すかを理解できるようになる。まるで絵の具箱の中に住んでいるようなのだ。

「ガレージはここにあるのよりもっと大きな絵でいっぱいなんだ。」と、窓ガラスを割ってしまったことを認める子供のような口調でモーテンセンは告白する。このような状態になっているにも関わらず、彼は作品を売ることには消極的だ。愛着を覚えてしまい、家から出て行って欲しくないのだ。

“Recent Forgeries” の作品は、モーテンセンがこの20年に渡って積み上げてきた、大量のアーカイブから選び出されたものだ。熟練した詩人であり、平行して俳優としてのキャリアをもつモーテンセンは、独学だ。この中で、彼の作品は外界のアートとつながりを持つ。

「20世紀の画家についてそんなに知らないんだ。」とモーテンセンは言う。彼は頭で考えてものを作るというアプローチより、むしろ直感と本能で仕事をする。「僕が育った環境のせいなんだ。誰かがルールを教えてくれた時はしばらくそのやり方でやってみるけど、結局はいつも自分にこう問いただすことになるんだよ。なんでこのやり方でなきゃいけないんだ、ってね。」

1958年にマンハッタンに生まれたモーテンセンは、3人兄弟の長男だ。母はアメリカ人、父はデンマーク人で、彼が子供の頃、一家は頻繁に引越しをした。

「僕たち兄弟は子供の頃たくさん絵を描いたんだけど、それを母がとっておいてくれたんだ。最近見つけたこの絵を見てよ。」と彼は言い、何個か箱の中を引っかき回し、驚くほど洗練された、赤と緑で描かれた抽象画を取り出した。「7歳の時に描いたんだ。先生が何て書いたか見てよ。 “とてもひどい!” だって。今でもこんな絵が描けたらいいのにね。」 彼は熱心にその絵を観察しながら、そう付け加えた。

1976年にニューヨークのウォータータウンにある高校を卒業したが、モーテンセンは高校にいる間から写真を撮り始めていた。「70年代後半にはとても沢山の写真を撮っていたよ。あの頃は常にカメラを持ち歩いていないとすごく不安になってね・・・。少し手に負えないような状態になったんだ。」 彼は当時のことをそう語る。「いつも何か撮るべき事が起こってるような気がしたんだ。最後には少し人生からかけ離れたように感じはじめたんだ。実は最近のが沢山写真を撮っているんだけど、今は主に色について考えているんだ。構成は自然と上手くいくんじゃないかと思ってるんだよ。これだけ長いことやってるからね。以前よりずっと自由でリラックスしたやり方だよ。」

モーテンセンの長年にわたる撮影の成果は、彼の家の中の至るところで見ることができる。文字通り何千枚もの写真があるのだ。額に入っているもの、入っていないもの、それらは特に決まった順番もなく散らばっている。無造作に選ばれた写真の束を見てみると、モーテンセンの写真 — 郊外の家の裏庭、スペインの闘牛、中西部の小さな教会で花婿を祭壇に残して階段をかけおりる花嫁、憂鬱な象、デンマークの農場 — に吹き込まれた叙情性に驚くだろう。それらのイメージは柔らかく、不思議なくらいに純潔だ。モーテンセンの写真には、暴力的なものや露骨に性的なものがほとんどない。

異種の要素の階層化が中心となっている彼の絵は、もう少しエッジを持っている。例えば、古いドアに糊付けされた模様つきの壁紙の断片に絵が描かれ、その絵の上にテキストがかすかに走り書きされる、という具合だ。モーテンセンがしばしば好む大きなスケールは、この罪深い素材の混在が持つ攻撃性を強める。

「誰にも影響されていない、なんて言うほど僕は傲慢じゃないよ。だけど、僕のやり方は、ただ世の中にいて見るということで形作られているんだ。」と彼は言う。「グッゲンハイムで行われたローシェンバーグ(*4)の回顧展を含めて、秋にニューヨークでいくつかアート・ショーを見たんだ。中には、“どうしよう、自分の作品とまったく同じだよ” って思わせるものもあったよ。人は僕が盗作してるって思うかもしれないね。」

「大抵のことはもう既にやられていて、新しいものなんてほとんどないんだ。」 彼はこう結論付ける。「だからってやめちゃいけないんだ。残骸の中をただ突つき回すという行為自体に価値があるんだから。作るという行為に意味があるんだよ。たとえ自分以外の誰も興味を示さないものを作ったとしてもね。ものを作るというのは見つけ出す手段なんだ。」

[参考]
*1: サロン・スタイル
20世紀初頭までは、アート作品は “salon-style” という方法で展示されていました。現在の美術館のように、壁1列に絵を並べるような展示方法ではなく、床から天井まで壁面いっぱいに絵を並べる方法です。

*2: コラージュ
新聞や壁紙、印刷された文字やイラスト、写真、布など基本的に平面のエレメントをくっつけることによって作成された絵やデザインのこと。

*3: アセンブリッジ
ファウンド・オブジェクト(アートに使われるように意図されたものでないオブジェクト)や、紙、木、布などの様々な素材で立体的に作られたもの。

*4: ローシェンバーグ
アメリカでポップアーティストの一人に分類される人。ローシェンバーグの作品例回顧展についての記事を参考にしてください。

Special Thanks: えり子さん

translated by yoyo