US Magazine  1997.9 原文
バーから叩き出された男

By Steve Pond

司令:デミ・ムーアを(『G.Iジェーン』のスクリーン上で)叩きのめせば、評価が上がるということを証明した俳優と会見せよ。

俺たちは、バーから叩き出された。

この一文で、きっと興味をそそられるに違いない。たぶん、俺たちは飲みすぎて、少しばかり喧嘩早く、何かやってはならないことをしてしまったのだろう。そして、その内の一人が、映画スター(もしくは、ここ最近、映画スターとしての頭角を現してきた俳優)だと判明した途端、この話は、にわかにスキャンダラスな匂いを漂わせ始める。もう一度言おう。ヴィゴ・モーテンセンと俺は、バーから叩き出されたのだ。

まずは、退屈な話から始めよう。知っての通り、モーテンセン(ファーストネームは “ヴィーゴ” と発音する)は、『G.Iジェーン』でデミ・ムーアと共演し、『クリムゾン・タイド』や『ある貴婦人の肖像』、そしてタイトルを聞いたこともないような作品で脇役を演じている。おまけに、詩人や写真家としても名を成している。その男が、どういうわけか、灰色の髪をしたバーテンダーの気に障ることをしてしまったらしい。(その日までは)お気に入りの溜まり場だった、ハリウッドのサンセット大通りにある、暗くて小さなバーで。モーテンセンは、普通に店に入り、ビールを注文し、そのバーテンダーに尋ねた。頭上にあるテレビから、騒々しい音を響かせているメロドラマを見ているのか、と。「俺が好きで見ているんだ」とバーテンダーは答え、テレビのボリュームを上げた。

俺が店に入った時、モーテンセンはビールのお代わりを頼んだところだった。「もし、手が空いていたら」と言い添えて。その途端、バーテンダーはキレて叫んだ。「もう、いい! お前の、その胸くそ悪い態度には我慢できない。とっとと出ていけ!」。バーテンダーは、ビールの代金をモーテンセンに投げつけ、モーテンセンはそれを投げ返し、バーテンダーは警察を呼んだ。で、俺たちはその場を離れた。

偶然にも、この事件が起こった場所から俺の部屋の玄関までは、半ブロックほどしか離れていなかった。そこで俺は、冷蔵庫から何本かビールを取り出し、玄関前のポーチでインタビューを行なうことにした。先刻の事件を検証していて、なかなかインタビューは始められなかったのだが。「なんだか、金でもかすめ取ったみたいな気分だよ」とモーテンセンは言った。「普通、バーから叩き出されるなんていうのはさ、もっと、こう、何か・・・面白いことをやっちまった時だよなあ」。

モーテンセンは、汚いクッションの上に座っていた。俺が避けてくれと言っても聞かないのだ。「俺の車みたいな感じだよ」と彼は言う。この男は俺の猫をなで、荷物を配達に来た男に挨拶をし、部屋の掃除をしてくれる女性にスペイン語で話しかける。そして、自分の写真展と、自作の詩と音楽で構成された『One Less Thing to Worry About』というアルバムのリリース記念パーティの案内を手渡してくれた。俺は断定する。こいつは最高の飲み友達であり―さっきの事件は別として―決してバーから叩き出されるような男ではない。熱い男である(その頬骨と青い瞳は、“彫りが深い” とか “鋭い視線” とかの常套句で表現されがちだが)。しかし、驚くほど優しい口調で話し、芸術家肌だが思い上がったところなどないのだ。

「傑出していた資質は、彼の静けさなんだ」と、『G.Iジェーン』で彼をキャスティングしたリドリー・スコットは言う。役柄は、デミ・ムーアを含むSEALの候補生たちの生活を、悲惨なものにしてしまう海軍の教官である。 「もの静かで品がある。役柄にぴったりだったよ。いくつか出演作を見ていて、その資質に気づいたんだ。彼は、実生活でも同じ雰囲気を出していたよ」

リドリー・スコットは、モーテンセンをキャスティングする前に、弟のトニーと話したのだという。トニーは『クリムゾン・タイド』の監督で、「みんな、ヴィゴに恋するよ」とコメントしている。リドリーは、『G.Iジェーン』がモーテンセンのキャリアにおいて、驚くべき成果を収めるはずだと思っている。「まあ、彼次第だよ」と、リドリーはつけ加えた。「大作の主役になる力は持っているんだ。どんな役をオファーされるかによって、熱の入れ方は変わってくると思うけど」。

モーテンセンにしてみれば、スターダムに近づいているなどという予言は、まったく興味がないことらしい。「長いこと、この業界にいるからね。本当に、そういう話は当てにしていないんだ」と、38歳の役者は言う。「個人的には、『G.Iジェーン』はいい映画だと思うよ―期待に応えられる仕事はできたと思う。商業的にも、いい方向に向かうだろうし、世間にも認められるんじゃないかな。でも、結果がどうなるか、誰にもわからないだろ? 今までとは絶対に違う映画だと思っても、結局、何も変わらないってこともあるからね」

幸い、モーテンセンには心の拠りどころがある。「書くということは、演じることよりも、安定した満足を得られるものなんだ。なぜって、妥協する必要がないからね」と、2冊目の詩集を仕上げたばかりの彼が言う(心配するな。彼の詩は、他の多くの映画スターが書くものよりも、ずっと真剣で現実的なものだ)。「仕事を始めるのに、他の誰かを待つ必要がないし、それに、編集の段階で台無しにしようが、それは俺だけの責任なんだ」

モーテンセンは、子供時代をニューヨークで過ごしている。演じるより前に、書くことに興味を覚えた。しかし、ある芝居のオーディションをきっかけに、彼はマンハッタンで演技の勉強を始めることになった。そして、すぐに演技指導の教師から、目をかけられるようになり、演技に夢中になっていった。彼の映画デビューは(ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』やジョナサン・デミの『Swing Shift』で出演シーンがカットされた後)、アーミッシュの青年を演じた『刑事ジョン・ブック―目撃者』(1985年)である。その後、お決まりの道として、小さな作品に出続けていた。その中には、好評を得たショーン・ペンの監督デビュー作『インディアン・ランナー』(1991年)や、口のうまい悪魔という気味の悪い役を演じた『プロフェシー』も含まれている。

ゆっくりとではあるが、モーテンセンはハリウッドの主流と言える映画に出演し始めた。「コンビネーションなんだよ」と、彼は多くの予算をかけた作品への、ゆるやかな動きについて説明する。「ひとつが終わると、また次って具合に―言い訳じゃなくて、事実なんだけど。重なってくる時もあるね。そういう大作に一度も出なければ、その後も関わることはないだろうと思うんだ。『クリムゾン・タイド』に出なければ、『デイライト』や『G.Iジェーン』に出演することもなかっただろうね。俺は、選択権が欲しいと思ってる。本当だよ。それを使うかどうかに関わらず」

そして今、モーテンセンは選択権を駆使している。もうすぐ公開となる『My Brother’s Gun』(スペインで撮影され、セリフはすべてスペイン語)のような小さな作品や、『G.Iジェーン』のような大作で。『G.Iジェーン』では、彼は監督に、自分の演じる役の “女嫌い” という部分を少し抑え、誰にでも平等に “残忍” であるということを強調しようと働きかけた。「彼は、ものすごく、役作りに熱を入れていたよ」と、リドリー・スコットは言う。「しょっちゅう、質問や意見や提案を持ってきた。ひとつとして、私をうんざりさせるようなものはなかったよ」。

モーテンセンの最初のシーンは、彼の演じるキャラクターが、40人ほどのSEAL候補生に向かって演説をするというものだった。スコットは、普通の教官が行なう演説よりも、少し変わったものを求めていた。そこで、モーテンセンはD.H.ローレンスの詩(“I never saw a wild thing sorry for itself...”)をシーンに取り入れた。この詩によって、この人物の、含蓄があって魅力的な部分が強調されたと監督は言う。そして、次のシーンでの暴力的な行動が、より恐ろしく映り、観客をくぎ付けにしてしまうのだと。この詩は、実際、作品の重要な部分となった。キーとなるシーンで、モーテンセンが演じる人物は、デミ・ムーアの演ずる人物に一冊の本を渡す。撮影で使われたのは、モーテンセン自身が読み込んで折り目をつけた詩集である。

モーテンセンは、また、ロックバンド “Auntie Christ” の曲も、映画製作者たちに紹介している(訳注:タイトルは『The Future Is A War』。サントラに収録)。“Auntie Christ” は、彼の元妻イクシーン・セルヴェンカ(一時代を作ったパンク・バンドXの元メンバー)をボーカリストとしてフィーチャーした新しいバンドである。モーテンセンは、この “Auntie Christ” のニューアルバム『Life Could Be a Dream』について(「驚くほどすごい、パンクロック・アルバムだ」)、セルヴェンカについて(「たくさんの若いバンドが、彼女が作り上げたものを手本にしているんだ」)、そして9歳になる彼らの息子ヘンリーについて、熱心に語る。モーテンセンとセルヴェンカは、1987年の低予算映画『TVサルベーション!』で出会い、即座に意気投合した。「彼は、自分の書いた詩を、冷蔵庫に保管してるのよ」と、セルヴェンカは言う。「彼のそういうところが、ずっと私を惹き付けるのね。お金にしか興味がないとか、大衆からぼったくろうとか、そんなことばかり考えているムカツク奴ら―そういう奴らはアーティストとは呼べないけど―がいる中で、彼は本当に誠実なアーティストなの」。彼らの結婚は終わりを迎えたが、まだとても親しい間柄は続いている。「今、結婚はしていないけど、同じ家族の一員なの」と、セルヴェンカは言う。モーテンセンが言い添えた。「俺たちは、たくさんのことを一緒にやってるよ。3人でね。映画に行ったり、旅行に出かけたり・・・何か特別なことを考えてるわけじゃなくて、そう、ヘンリーのために、そうするべきだと思うんだ。それだけで、理由としては充分だろ? まあ、そうしたいから、やってるだけなんだけどね」

おそらく、『G.Iジェーン』はヘンリーの父親をスターにするだろう。モーテンセンの次の作品となる『オーバー・ザ・ムーン』でも、同じように注目を集めるかもしれない。この作品では、彼は旅するセールスマンを演じ、1969年の狂乱の夏、キャッツキルの主婦を惑わせるのだ。しかし、この2本の作品は、彼に何ももたらさない可能性もある。どちらにしても、モーテンセンは、あまり気にかけないだろうが。いい役のオファーがあれば、それを受けるだろうし、もし来なければ、詩を書き、写真を撮り、家族と旅行をするのだろう。いつでも、静かに。

しかし、話がクレイジーな老バーテンダーの注意を引き付けてしまった時のこととなると、もちろん、静かではいられない。「まだ、あのバーでのことを考えてるんだ」と、何時間も経って、ポーチの階段を降りようとしている時にモーテンセンは言った。「頭のどこかで、あんなふうに終わらせちゃいけないって思ってる。明日、違う服を着て、店に行ってみようかな。たぶん、あのバーテンダーは忘れているだろうけどね・・・」

translated by chica