Carpe Noctem #15  1999.3 原文
アーティストの心をかきたてる炎

By Carnell

俳優というのは、類いまれな人種である。人格を形成するすべてのものを取り払い、まったく違う誰かになりきるのだから。時には純粋で高潔、またある時は、これ以上ないほどの悪の権化に。とてもタフな仕事だと言えるだろう。すべてを変えてしまったり、エッセンスだけを取りだして誰かに投影してみたり、時には人でないものにも。うまくやってのけることができる人は、ごくわずか。セレブへの危険な道を何事もなく進んだり、正気を維持したりすることよりも、難しいことなのかもしれない。

これらすべてをやってのけ、さらに上を行く一人がヴィゴ・モーテンセンである。ソフトな語り口の彼は、『刑事ジョン・ブック 目撃者』『カリートの道』『クリムゾン・タイド』『プロフェシー』『ある貴婦人の肖像』『GIジェーン』『ダイヤルM』に出演。また、物議をかもしているヒッチコックのリメイク『サイコ』が近日公開となる。

ヴィゴは、驚くほど幅の広いアーティストである。彼のアートに関する知識は、的をしぼる必要がないほど深い。素晴らしい写真家であり、詩人であり、画家でもある。これらのアートへ向ける力が、ヴィゴ・モーテンセンという人物を形作る大きなパズルのピースなのである。そして現在、彼の絵画の最新作がロスアンゼルスのトラック16ギャラリーで展示されており、ユニークな視点で独自の世界を作り上げている。

Q: 『刑事ジョン・ブック 目撃者』が最初の映画出演になるのかな?

そう。僕のシーンがカットされなかった最初の映画だね。実際には、『目撃者』の前に3本の映画に出ているんだ。ちょい役で、全部カットされちゃったんだけど。いい監督の作品だったんだけどね。ジョナサン・デミやウディ・アレン・・・。

Q: ああ、あの監督たちか。

でも、いい経験になったよ。たとえワン・シーンでもね。映画っていうのは、どんなにきっちりとした演出でも、すべてのシーンを撮り終えた後、台本の一部を編集し直したりすることがあるんだ。監督としては、ベストだと思える状況で撮影して、それを活かそうとする。で、その後、そのシーンが必要ないことに気づくんだ。最初にやらなければならないことは、ストーリーから何を削り、何を活かすか決定することなんだよね。僕は、詩を書く時に同じことをやっているから、製作側がやっていることが理解できるし、寛容にもなってきた。自分が書いたものを見直す時は、いつも「あと、どこを削ることができる? これで大丈夫か?」って確認するんだ。それでも、何年か経って、その詩を読んでみると「まだ2語も削れるじゃないか」ってことになる。

Q: ミュージシャンの心得みたいなものを、誰かから聞いたことがあるんだけど、曰く「大切なのは弾いた音じゃなく、弾かない音だ」って。

そうだね。

Q: あなたの出演作リストを見ているんだけど、レニー・ハーリンの『プリズン』について。

ワイオミングのローリングスというところで撮影したんだ。

Q: どうだった? えーと、作品として楽しんだ?

低予算のホラーもどきって感じの作品かな。キャストはニューヨークの舞台俳優たち。この種の作品に経験豊富な、いい役者ばかりだった。やるべきことがわかっている人たちに囲まれているっていうのはいいよ。楽しんで仕事ができた。まあ、ストーリーはあんな感じで・・・安っぽいホラー映画だったんだけど。でも、レニー・ハーリンは、しっかりと自分流の映像スタイルを持っていたよ。それ以外に、この時期の映画として際立ったものはないかもね。ロケは好きだったよ。ワイオミングはよかった。

Q: もうひとつ興味深いのは『悪魔のいけにえ』・・・。

(笑)あれは面白かったよ。何度検閲をかけられたかわからないけど。一般の人たちって、レーティングボードが公的な、責任のあるものだと思っているみたいなんだよね。違うんだよ。なんて言うか、あれは単に、でき上がったものに対して、確実なコードを決める集団ってことなんだ。もし、あの映画が大きなスタジオで製作されたものだったら、また評価は違っていたと思うよ。

Q: その通りだね。僕はてっきり・・・。

とにかく、X評価を得るために、たくさんのシーンをカットして、最終的にはたったの70分という上演時間になってしまった。残念なことに、ほとんどの本当に面白いジョークが、ぞっとするような流血シーンとつながってたんだ。面白くてくだらないシーンが、たくさんあったんだけどなあ。

Q: きっと、アメリカ映画協会のお歴々がテーブルについて、議題は『悪魔のいけにえ』の続編だってわかった途端、「さあ、ハサミを用意して、カットするぞ」とでも言ったんじゃないかな。

まあ、そんなところだろうね。『ハロウィン』とか、その種の映画では、よくあることなんじゃないかな。僕はそんなに気にしてないけど。そう、僕にとっては、これは単なる仕事であって、ベストを尽くして楽しもうとしているだけだから。

Q: スペンサー・トレイシーの名言を借りれば、セットの家具にぶつかるなってことかな。(訳注:俳優のスペンサー・トレイシーが、助言を求めた若手に言った俳優の心得。「自分のセリフを憶えたら、あとはセットの家具にぶつからないようにすりゃいいのさ」って感じの言葉です)ところで、僕が好きな作品のひとつが『柔らかい殻』なんだけど。あれは素晴らしい映画だったね。

そう、面白かっただろ? フィリップ・リドリーはいい作家だよ。ハリウッドが何度もアプローチしたらしい。彼の作品にはもう一本出てるんだ。ヨーロッパと日本で公開されたカルト・ムービーなんだけど。アメリカでは、何か契約上の問題で公開されなかったらしい。どんな契約だったのか知らないけど、出演者のひとりの契約に関することみたいだね。まあ、それはともかく、ビデオでは発売されるよ。タイトルは『聖なる狂気』っていうんだ。映像も、とても面白い。知ってるかな、フィリップ・リドリーは、その後も作家活動は続けていて、イギリスの舞台で上演されたりしている。『The Pitchfork Disney』という作品は、ワシントンでも上演されたんだ。こういうふうに、何かを作り続けてる彼には、とても興味を持ってるよ。独創的っていうのかな。

Q: 映画産業が求めているのは、喜んでケツを並べて、何か変わったことをする奴らだと思うんだ。そうじゃないと、巨大な予算を使ったハリボテみたいな作品になっちゃうからね。

わかるよ。そのテの作品に、出たことあるし。

Q: (笑)

だって、生きていくためにはお金が必要なときもあるだろ。

Q: 食わなきゃ生きていけないしね。

Q: 『インディアン・ランナー』はどうだった?

ショーン・ペンの初監督作品だね。彼はこの作品のために、本当によく勉強して、準備をしたと思うよ。初めての経験なんだから、あまりこき下ろさないでほしいな。監督として、練習の場だったんだと思うよ。僕も、彼と一緒に学校へ行ってるようなものだった。この作品以前にも、もちろんたくさん学ぶことはあったけど、この映画を撮っている間にも、多くを学んだよ。わかるかい? 特別な機会だったんだ。それまでずっと端役だったからね。重要な役なんて、やったことがなかったんだ。あ、『プリズン』は数に入れないでくれよ。あれは主役だったけど、映画を見に来てくれる人のレーダーに、ようやくひっかかる程度のものだから。それはともかく、『インディアン・ランナー』は、いろんな受取方のできるストーリーだった。芸術肌のインディペンデント・ムービーっていう評価だったんじゃないかな。54〜55日かけて撮影したんだ。これって、かなり長いだろ? 2ヶ月間、よくやったよ。撮影クルーも、いい仕事をしていた。とてもいい役者を揃えた標準的な映画ってとこかな。

そういえば、亡くなったサンディ・デニスも出ていたんだよ。彼女の最後の作品になってしまった。彼女は素晴らしかったよ。いつまでも色あせない。一緒に映画に出ることができて、本当に光栄だと思ってる。そう、素晴らしい機会だった。映画としては、成功したとは言いがたいけどね。プロデューサーたちは、きっと、長く映画館で上映するよりも、口コミで評判を広げようとしたんじゃないかな。幸せなことに、今は色々な公開方法があるからね。ケーブルTVやビデオなんかが。たくさんの人たちが、この映画のことを知っている。お金には結びつかなくてもね。たくさんの人たちがパトリシア・アークエットに好感を持つ。この作品でいい仕事をして、その後も活躍してるってことにね。デビッド・モースもよかったよね。チャールズ・ブロンソンがああいう役柄っていうのも、興味深いだろ?

この映画で、本当にいい機会をもらったと思ってるよ。学ぶ機会が多かった。あの当時、みんなに「うわー、ついにやったじゃないか! 次の作品への道が開けるぞ」って言われたよ。実際には、そうはならなかったんだけど。とにかく、僕はこの作品に出たことで何かを学んだ。『インディアン・ランナー』は、数少ない芸術的な作品だと思うよ。

Q: 『クリムゾン・タイド』はどうだった? 撮影当日の朝になって、周りを見たらビックリって感じかな?

ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンが議論を交わすシーンがあるんだけど、見ていて面白かったよ。二人が懸命に取り組んでいるのを、間近で見られるんだ。スポーツ・イベントを最前列で見てるって感じかな。この映画は、僕が当時住んでいたところの近くで撮影していたから、オフの日も出かけて行って、かぶりつきで見ていたな。まるで「無料演劇教室」って感じ。こんな機会は二度とないからね。自分が必要とされていない時でも、そのへんをウロウロしたりして。だって、すごいことなんだよ。ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンなんだから。ジーン・ハックマンは、長い役者歴の中で、あらゆる役柄をこなしているよね。

Q: 最近、友人と話していたんだ。ジーン・ハックマンの出演作で駄作は何かって。とうとう見つけられなかった。

彼はいつでも素晴らしいよ。どんな映画だろうと、関係ないんだ。彼のような役者は、そういない。どんな題材の映画に出ても、必ず良さを発揮してるんだからね。

Q: 『プロフェシー』のグレゴリー・ワイデン監督に、公開当時、インタビューしたんだ。その時、あなたにもインタビューしたかったんだけどね。いわゆる悪魔を演じているわけだよね? 出演時間は多くないけど、なんて言うか、とてもしなやかで、威圧感をうまく出してたよね。どうやって、あの役になりきったのかな? サタンを演じるなんて、不可解極まると思うんだ。手配写真があるわけじゃないし、大げさな身振りとかもできないし。

そう、不思議だったね。パズルみたいに複雑だった。どんな役柄でも、パズルみたいなものなんだけど、これは過去にやったどの役とも違っていたね。いつもは、論理的に、どこで生まれて、両親はどんな人で、子供時代はどう過ごして、どんな食べ物が好きで、歯磨きには何を使って・・・って具合に役作りをしていくんだ。とても楽しい作業なんだよ。まあ、こんな作業が必要ない人もいるんだろうけどね、楽しいよ。歯医者の待合室でナーバスにならないように雑誌を読むようなものかな。映画の撮影が終わるまで、僕はずっと、演じるキャラクターがどんな顔をしているのか、どんな過去を持っているのかを考え続けてる。今起こっていることについて、彼ならどう感じるだろうかってね。わかるだろ? 本当に面白いんだ。これが演技を楽しむってことなんだと思うよ。今までの経験から言うと、これがいい仕事に結びつく。とてもリラックスできるしね。

ただ、この『プロフェシー』での役柄(ルシファー)は、サンタクロースを演じるようなものだからね。ありふれた見方をすれば、地獄はきっと暑いんだろうとか。それ以外に何を知ってる? もちろん、聖書にはそのあたりのことは書かれているし、悪魔的なことを知ろうと思えば、世界中に関連書籍はあるだろう。力としての悪は、その存在を信じるかどうかについて議論したり、考えたりすることはできる。でも、形として存在するものとして、過去を持っていて・・・となると話は別だ。僕は結局、うまくつかめなくてね。でも、それが逆に興味深いと思えてきたんだ。だから、僕がつかめた、ギリギリの線で行くことにした。少なくとも、この作品の中では、ルシファーは人間に近い行動を取っているし。僕が一番際立って感じたのは「嫉妬」という感情だった。これって、すごく人間的だろ? 何にも惑わされず、望んだことは何でもできる力を持っていて、姿形を変えたり、完全に消えたり、他人の頭の中に入り込んだりもできる。普通の人間が感じるようなジレンマに陥ることもない。こんな役を演じるとしたら、何でもあり。自由なんだ。叫んだり、わめいたり、威張ったりする必要もない。そういう立場に立ってみれば、わかるよ(笑)。何も証明することなんてないんだ。必要なのは信じること。その瞬間、映画の中で自分ができることはやったんだってね。つまり、心のスイッチを切り替える必要があるってことかな。役をもらって、台本をめくると、やりたいようにやって、言いたいことを言って、人の考えが読めて、誰が何を言おうが、やろうがお構いなし・・・そんな役だって書いてある(笑)。ね? 役作りで大騒ぎする必要なんてないんだ。

Q: その通りだね。でも、強大な圧力もつきものじゃない?

ばかげていると思うことも、いくつかあったよ。面白いと思っていたシーンが、ささいな理由でカットされたり。どうも気に入らないとか、スピード感を出したいとか、そんな理由で。製作側の人間は、あまり僕らにハメをはずしてもらいたくないらしい。「君が演じているのは悪魔なんだよ。それはないだろう?」って。僕は「何を言ってるんだよ。僕はやりたいようにやるよ」って言い返すけどね。その時つけ加えた演技で、みんな笑ってたのにな。それにしても、クリストファー・ウォーケンはクソ面白かったよ。ジーン・ハックマンと同じように、どんな作品でも興味深い演技を見せてくれる役者なんだ。どんなシーンに放り込んでも、面白いことが起きるって感じ。彼がいるってだけでね。とにかく、馬鹿げたこともあったけど、それはどうでもいいんだ。彼ら(製作会社)の映画だからね。でも、たくさん得るものはあったよ。クリスとのシーンは、特に思い出深いな。

Q: 『G.I.ジェーン』のことも聞かせてくれよ。作品がああいった受け止められ方をして、どう感じた? 女性復権の象徴だと言われたり、一方ではフェミニストたちに叩かれたり。

評判を直接聞いたり、インタビューで聞かれたりしたこと以外、あまり知らないんだ。でも、ほとんどの批判的な記事はデミ・ムーアを標的にしていて、彼女の人格やマスコミが作り上げたイメージを重視して書かれたんじゃないかな。彼女が作品の中で実際にやったことや、作品の中身じゃなくてね。そんな感じを受けたけど。正確にはどうだかわからない。

Q: 最近、HBOで放送されたんだよ。で、僕はこの映画をちゃんと見たのは初めてだった。いろんな記事を読んでいたから、先入観があったんだ。でも、落ち着いて座って、しっかり観たら、すごくいい映画だったんでびっくりしたんだよ。リドリー・スコット・・・彼はうまくやってのけたね。

大きな製作会社の映画には、よくあることだね。リドリーは、いい形で編集したし、デミはいい仕事をしたと思う。僕らは、リアルな表現にギリギリまで近づいて、そこをうまくすり抜けながら、味付けをしていった。それが、気に入らないって人たちが、デミに集中砲火を浴びせたんだね。予想外だったよ。

Q: あなたは、デミ・ムーアから「Suck my dick!」と言われた男として、歴史に名前を刻んだね。

ああ、その通りだ(笑)。

Q: それじゃ、別の作品の話に移ろう。『ダイヤルM』を観たよ。あなたの絵が登場してたよね?

そうだね。

Q: どうだった? マイケル・ダグラスやグィネス・パルトロウといった頂点の人たちと共演して。それに、自分の作品をアトリエにずらっと並べることもできたんだよね。

自分の作品を出すことができるなんて、本当にびっくりしたんだ。撮影開始まで時間がなくてね。ぽろっと、「僕が自分で描くっていうのはどうだろう」って言っちゃったんだ。小さいサンプルをいくつか見せたら、「もうちょっと大きければいいね」って言われた。で、僕は「オーケー!」って。例えば就職試験なんかでさ、「中国語は話せますか? 話せるんなら、仕事をあげましょう」って言われたら、当然「もちろん話せます」って答えるだろ? それが例えば水上スキーなんかでも。もう、しゃかりきになって、中国語をマスターするよね? えーと、ちょっと話が極端だったかな・・・。僕は絵を描くのが好きだからね。今回、僕の絵を使ったっていうのは、その方が演じる上でイメージが湧きやすいと判断されたからだね。助かったよ。

Q: そうそう、興味を引かれたのはそこなんだよ。あなたの作品の強烈なインパクトが、演じるキャラクターを言葉が出ないくらい危険に見せていた。もし、あなたの作品が、大きな瞳の子供たちや、うさぎの絵だったりしたら、決まったイメージしか与えられない。でも、あなたは暗くて激しい感情を絵にぶつけている。だからこそ、あのキャラクターを、型にはまらない、色々な要素を持った人物にすることができたんじゃないかな。

うーん、そう思ってくれたんなら、良かった。画面に映ったのがどの作品だったのか、ひとつふたつしか思い浮かばないんだ。だから、君が見たのがどの絵だったのかわからないけど。とにかく、大変だったんだよ。ロフト中を、40くらいの作品で埋め尽くさなくちゃならなかったんだから。場面に合った作品がフィーチャーされたはずだよ。駆け出しのアーティストが描いた作品らしく見えるかどうか、気になったな。この作品で彼の才能が認められれば、道が開けて「ただの絵」じゃなくなるっていうね。僕は架空のアーティストを演じていたから、スクリーンに登場するのは馴染みのない作品じゃなきゃいけなかったんだ。クールに見えていれば、成功だな。

Q: もうひとつ最後に、『サイコ』のことだけど。今、たくさんの記事が露出しているね。いい評価から、悪いのまで。このところ、流れが変わって、擁護派が増えているって話だけど。

この映画に、これだけの興味を持ってもらえるっていうのは、嬉しい驚きだよ。11月から12月にかけては、オスカー・レースの真っ只中で、『サイコ』がどうなるか注目しているんだろう。僕は、若いホラー好きの人たちに、どう受け止められているかが気になるね。映画のタイトルは『サイコ』で、最近の作品だって聞いたら、ハンマーで誰かが殺される話だと思うんじゃないかな?

Q: (笑)そう思うだろうね。ウィリアム・ラスティングって知ってるかな? 70年代に『マニアック』っていう映画を監督しているんだけど。頭の皮を剥いだり、顔に向けてショット・ガンをぶっ放したりしていた。

ああ、知ってるよ。(訳注:ウィリアム・ラスティングは、『ガンヒート』の原案を書いた人でした)

Q: そんな感じの作品だと思われるかもね。

血みどろのなんとか、とかね。もちろん、『サイコ』はそんな作品じゃないよ。

Q: 面白い作品だよね。ヒッチコック版を劇場で見たのは、僕が13歳の頃だったんだけど、くぎ付けになったな。主役の彼は、望んでそうなったわけじゃないのに、どんどんエスカレートしていくんだよね。最近、ジョン・カーペンターの新作『ヴァンパイア』を観に行ったら、リメイク版『サイコ』の予告編を流していたよ。オリジナルを見たことのある若いやつと一緒だったんだけど、予告の作り方が悪いって怒ってたな。違う方向にもって行ってるって。ガス・ヴァン・サントは、ずっとこの映画が作りたくて、すごく熱を入れてたのに。

それは聞いていた。でも、みんな文句を言うのに疲れちゃったんじゃないかな。僕は気に入らないね。さんざん文句を言っておいて、「で、本当はどんな映画なんだい?」って聞かれると、考え込んじゃうんだ。「あれ? そういえば、まだ観てなかったな。じゃ、これから観に行こうか」なんてね。

Q: そろそろこのパートの締めくくりに入ろうかな。次の作品はどんなものになる?

「ザ・ブラウスマン」って呼ばれている作品なんだけど、たぶんタイトルは変わるよ。「オーバー・ザ・ムーン」みたいな感じに。(訳注:ご存知のように、アメリカでのタイトルは『A Walk on the Moon』。日本では『オーバー・ザ・ムーン』でしたね)1969年のキャッツキルが舞台なんだけど、面白い話だよ。ダイアン・レインが主役で、本当に素敵に演じている。ミラマックスが配給。再編集するつもりだとは思うけど、ミラマックスがこの作品を買ったのは、反響がすごかったからだと思うよ。最終的に作品がどんな形に仕上がるか、ビジネスとしてどんな人たちが加わるのか、僕は知らないけどね。とにかく、4月には公開になると思う。

それから、スペイン映画で『My Brother’s Gun』っていう作品があるんだけど、ヨーロッパで公開されて、映画祭でもいいところまでいったんだ。アメリカで公開されるかどうかは、わからない。公開されたら嬉しいんだけどね。最終的に、ビデオにはなると思うよ。小説家が初めて監督した作品なんだ。でっかい成功を収めた小説家がいる。彼は世界を旅してまわって、たくさんの作品を執筆した。もちろん、印税もついてくる。ある人から、自分の作品を映画にしないかって話が持ち込まれる。元々のタイトルは『Fallen from the Sky』だったかな。小説家は言う、「いやだよ。作品がめちゃくちゃにされちまう。そんなのは、絶対にいやだ」。彼らはねばる。そして最後に、「よし、それじゃ、君が監督するのはどうだい? 映画、好きだろ? 棚にいっぱい、ビデオをコレクションしてるじゃないか。映画通だしね」。小説家は答える。「無理だよ。どうやって作るかなんて、知らないし」。彼らは続ける。「大丈夫だよ。いくらでも手伝う。何が必要だい?」。小説家は「僕が組みたいのは、この撮影監督と・・・」とリクエストを出し、チープで愉快な話を作り上げたんだ。信じないかもしれないけど、本当にクールな作品になったんだよ。

Q: アーティストとしての話を聞きたいんだけど。まず、どんなアーティストに心を奪われる?

ちょっと恥ずかしいだけどね。夢中になっていると言えるアーティストはいないかな。たまたま手にした本が、素晴らしい内容で気に入ったっていうのはある。フランツ・クラインという名前のアーティストの追想集だったんだけど。聞いたことある?

Q: 知らないな。

40年代から50年代の、ニューヨークの学校出身で、ジャクソン・ポラックと同世代になるね。彼の作品をいくつか見たけど・・・。本当に、僕はあまりよく知らないんだ。アートについては、調べ始めたばかりなんだよ。ほら、例えば自転車レースを始めようとすると、最初に興味が行くのは、今のレーサーよりも過去のレーサーだったりするだろ? わかるかな? 最初は、美術館に行くのも楽しめるんだ。ある程度までは。でも、一通りみると、飽きてくる。また少しすると、歩き回って、突然「おいおい!あの絵と写真を見ろよ!」とか叫んじゃう。そういう行儀の悪いことをしちゃうんだよね。もし今、僕がニューヨークとか、どこか大きな都市にいて、時間があったら、地元に密着した作品を見に行くよ。中古ショップで掘り出し物を見つけるの、好きなんだ。素敵な絵なんかをね。誰も知らないような作家の。作品を見る機会がなかったり、見ても何も感じなかったり、とにかく嫌いだったりっていうアーティストもいるわけで、それはそれで、いいと思うんだ。君は誰が好き?

Q: 僕? 個人的に? カラヴァッジオ、ムンク、クリムトなんかが好きかな。

うーん。僕もムンクは好きだよ。彼の作品を見ると、行儀悪く叫びたくなるよね。作品全部好きだ。ノルウェーで見たんだけど。

Q: リアリストも好きだよ。

ついこの間、イタリアで、ウフィッツィ美術館に行ったよ。ルネッサンスの美術作品が揃っていた。驚異的だったよ。人類のすべてがそこにあるんだ。肉体ってことではなくて。すべての色彩がそこにある。違ったものの見方ができるね。

Q: わかる。最近の作品とは違うよね。僕は、長年のコミック・ブックのファンなんだけど、なかなかいいものもあるんだよ。堂々とアートとは言いがたいけど。

うちの息子が大好きだよ。彼は絵を描くのが好きみたいだ。

僕は、もっと勉強したいと思ってる。映画についてや、俳優業でも同じだけど。特定の誰かについてっていうわけじゃなくて・・・。好きな絵についてとか、魅かれるアート作品についてとか。もっと物事について深く考えるようになれば、システマティックになれるような気がするんだ。「さあ、あれとこれ、どっちが好き?」って自分に問い掛けたら、ある種のパターンが見えてくるような。

Q: 写真と油絵、両方やってるんだよね?

そう。アクリルとオイル。ミックス・メディアだね。

Q: 自分の欲求を満たす、唯一の手段なのかな? ただ触感を楽しんでる?

塗るのもくっつけるのも好きなんだ。ジェル、好きだよ。わかる? アクリル・ジェルね。それを使って遊ぶんだ。どんなものが出来上がるか、見るのは楽しいよ。オイルをアクリルと水をミックスするとね、予想もしなかったような作品に仕上がることがあるんだ。身体じゅうを絵の具だらけにして、いったい何が起こるのか、見るのが好きなんだ。単純に、楽しい。過去に一度も試したことのない組み合わせで、突発的に何かをコーティングしてみたり。直感で、何をやるか決めるんだ。質感を変えたり、化学的に何かを変化させてみたり。色合いを、いろんな方法で変えてみたり。色々とね・・・。

Q: とてもよくわかる。

だろ? 好きな絵の具を、何箱も持ってるんだ。ロビーっていう、テキサスのオースティンから来ている友達がいてね、奴が5〜6色の絵の具をくれたんだ。早速、小さな作品を作ってみた。『ダイヤルM』よりも前のことだよ。ちらしやら、小さなデッサンやら、絵なんかを作ってたな。その絵の具の質感が好きでね。すごく早く乾くんだ。指で直接描いたりする時の感じも良かった。面白いことに、その絵の具って、80セントか90セントくらいしかしないんだ。普通のアートショップで同じようなオイル・スティックを買ったら、15ドルから20ドル、30ドルくらいはするかもしれない。同じような仕上がりになるのにね。それだけ値段が違うんだ。ライブストック・マーカーとか、ウェザー・プルーフ・マーカーと同じような性質を持ってる。すごく使い勝手がいいよ。たまたま、もらったものが使えるものだと、嬉しいよね。

僕は普通、家にあるものを何でも作品に使っちゃうんだ。何かを作ろうと思いついたら、たとえ夜中でも始めたくなる。でも、夜中にアート・ストアは開いてないんだよね。具体的にどういう作品にしたいか、朝までゆっくり考えて、それから必要なものを揃えに行けばいいのかもしれないけど、僕はまず、家の中にあるものを使うんだ。ありきたりじゃないものをね。

Q: パンケーキの上のバターは、何に似ているでしょう、って感じ?

そうそう!(笑)レモンジュースだよね。(訳注:たぶん、なぞなぞみたいなものだと思うんだけど、見た目が似ているってことかな?)僕の家は、ここ1年半くらいで、道具置き場のようになっちゃった。家具を動かしたら、脱ぎ散らかした服があちこちに・・・。まあ、絵の具や他の道具は箱にいっぱい揃ってるから、何か作りたいと思ったら、すぐに取り掛かれるよ。

Q: ギャラリーで個展もやるんだよね?

そうなんだ。とてもいいギャラリーなんだよ。幸せなことに、そこで個展ができるんだ。サンタモニカの「トラック16」っていうギャラリー。すごく楽しみにしている。11月19日から1月9日までなんだ。もうちょっと、作品を作る時間があればよかったんだけど、まあ、現時点でも充分な作品の数が揃ってるから。写真とか、新作もたくさん展示されるよ。

Q: 作品は、どんなふうにして生まれるのかな? 映画の仕事の結果として?

見たことがあるかどうかわからないけど、以前にも何度か写真展はやってるんだ。見に来てくれた人は、僕の作品に興味を持ってくれたんじゃないかな。僕が並べた絵や写真を見に、わざわざ足を運んでくれたんだよ。気に入ってくれたと思いたいな。

Q: あなたは俳優で、役に感情移入したりするよね。アートは、人間を演じる上で(『プロフェシー』では人間じゃないけど)役立つと思う? 演技のクオリティとアートのクオリティは一致するのかな?

絵を描くことがって意味? わからないな。よくわからない。演技の妨げにはならないと思うけどね。演じるっていうことは、自分のパーソナリティを超えるってことだよね。どんな人物を演じるのか、深く掘り下げたり。僕は演じるキャラクターを知ることが好きで、それは “演じる” ということとはちょっと違うかもしれない。そのキャラクターのことを好きかどうかとか、共感できるかは、あまり関係ないんだ。一年前からハマったペインティングに関しては、多少なりとも本気で取り組んでいるよ。今もまだ続けていられるのは、まだ自分のやっていることを、すべてつかめていないからかもしれない。もしも、立ち止まって、いやっていうほど考えたら、何もやる気が起きないかもね。僕は作品を作り、自分の失敗を認めたり、いろんな人からの批評なんかを素直に聞かなくちゃいけなんだ。ただ、作品を作って発表する。“ゼロからのスタート” とか、“考えるよりもまず飛び込む” とか、そんなぜいたくなもんじゃないんだ。たぶん、それは演技の助けにはなるんだろうけど。まあ、とにかくあまり深刻にならないで、うーん、よくわからないけど、できることをやって、進んで行くってことかな。

Q: “芸術” が行き過ぎだと思うことってある? 何年か前に、ロバート・メイプルソープの作品が “芸術” かどうか、物議をかもしたことがあったよね。あれは行き過ぎだと思った? それとも・・・。

いいや。っていうか、なぜそんなことが問題になるのかな? “行き過ぎ” っていうのは、例えば町で誰かをとっつかまえて、拳銃をつきつけて、無理やりギャラリーや劇場に連れて行って、くだらない絵や自分の子供の写真を見せて苦しめるってことだと思うよ。アーティストに限らず、誰でもそうだけど、問題は、自分のくだらない作品を公開できるかどうかだよ。TVは、自分の家に置くかどうか、選択できるものだよね? 僕は持っていないよ。だって、自分の子供がどんな番組を見るか、どうやって把握する? コマーシャルがあって、番組があって。ティーンエイジャーになれば、隠れてくだらない番組を見始めるよ。難しい問題だと思うけど、小さい頃に、どれだけ一緒にいる時間を作って、話をするかって重要だろ。理想を言えば、親は、子供がある程度大きくなるまで、TVを見せるべきじゃないんだ。もっとアクティブなことに触れさせた方がいい。アートにしたってそうだ。くだらないものを見せたいと思った時だけ、“行き過ぎ” も可能。まあ、「何を言ってるんだい、服を脱いで裸で歩き回って、渋滞を引き起こすのもパフォーマンスだよ」って言う奴もいるだろうけど。それもひとつの意見だけどね。よくわからないな。

Q: そういう意見を主張するのって、イヤな奴と紙一重なんだけどね。さて。とにかく、ギャラリーでの個展が始まるね。1月まで続くんだよね。

そう。もし、たくさんの人が興味を持ってくれるようなら、ニューヨークでもやる予定だよ。どうなるかわからないけどね。

Q: なるほど。普段は、俳優の仕事をして稼いで・・・。

まあ、この個展で作品が全部売れたりしない限りはね。アートだけで飯を食っていけるかどうかなんて、誰もわからないよ。そうはならないと思うから、早く次の仕事を見つけなきゃならないんだ(笑)。

Q: これだけ期待されている役者が、今までに何度「この先、食べていけるかどうかわからない」って言った?

役者の仕事を始めた頃から、ずっと疑問に思ってるよ。そりゃ、「この先もずっと、食っていける」って思えたらいいけどね。普通に生きていれば、誰もそんな確信は持てないだろ? もしかしたら、「あなたはもうすぐ足を骨折するでしょう。精神的に落ち込んで、“期待されるようにはできません” と宣言せざるをえない。いじわるしたり、されたりもする。恐ろしいものを見ることもあるし、死に至る病にかかることも・・・」なんて言われるかもしれないよ。それでもやりたいかって聞かれたら、世界で一番ラッキーで、守られている人物でも、まずそんなことには巻き込まれたくないって思うよね。「しり込みしてるわけじゃない」なんて言いながら(冷笑)、ビクビクしたりして。

演技をすることには、ついてまわることがたくさんある。例えば、たくさんの歩み寄り、大小に関わらず恥ずかしいこと、フラストレーションや自己嫌悪・・・。僕だって、喜んで続けていけるかどうか、わからない。ただ、興味のあることのひとつってだけで。やってみたら、それが一人歩きし始めたって感じかな。やるべきことを教えてくれるんだ。いい役や、いい作品かどうかに関わらず。素晴らしい人たちと仕事をすることで、何かを得られるし、次の作品への足がかりにもなる。そうこうしてるうちに、どうだい! こんなに長い間、この仕事を続けている。もし、お金だけの問題だったら、続けられなかっただろうね。最初のうちは、部屋代を払うのもままならなかったんだから。

Q: じゃあ、最後に。20年後、あなたは “画家でもあった俳優” として、“俳優でもあった画家” として、どちらで名前を残しているかな?

わからないよ・・・えーと、そんなこと、どうでもいいじゃないか!(笑)

Q: (笑)

いつも正直でありたいと思うよ。アーティストでいる時も、役者でいる時も、詩人、写真家、画家でいる時も、自分らしくいられれば、それでいい。たとえば、小石を積み上げただけでも、やり遂げれば、それはアートだよね。アーティストに必要なことは、アーティストであるってこと。ただそれだけだよ。演技だけやっていても、アーティストだし。自分自身に対して、挑戦は続けたいと思うよ。20年後、絵を描いていたとして、その作品を見て「これで幸せなのか? これが最高か?」と自分に問い掛けることができれば。極端に言えば、ピカソがそのへんのナプキンにいたずら書きしたとしても、何億円もの値段がつくだろ? でも、それで彼は、自分の価値が上がったと思うだろうか? それが本当に彼の望んだことなんだろうか? 僕はね、今やっていることを続けていれば、おのずと将来が見えてくる、そんなふうに思いたいな。

translated by chica