M/S  2001.8 原文
ハリウッド出身のヴィゴ

プレス・エージェントは不安になっていた。「ヴィゴは、山の中の公園で君と会うって言ってたけど、見つけられると思う?」 もちろん、大丈夫だろう。「いや、彼は携帯電話を持ち歩くような人じゃないんだよ。携帯を持ってすらいないんだ・・・。」 それは明らかに、ハリウッドでは脈がない状態で走っているのと同じことを意味する。しかし奇跡が起こり、何の問題もなくビバリー・ヒルズのツリーピープル公園で落ち合うことができた。デンマーク語で挨拶を交わし、ユーカリの木の下のカラカラに乾いたグラウンドに腰を下ろした。そこからは、セルロイドとシリコンで作られた素晴らしい景色 — スタジオシティとバーバンク市、映画業界の帳簿係がいる高層ビル、山の斜面の白いヤシの木、そしてパパラッチに取り囲まれたスターが住む大豪邸 — を眺めることができた。

時折、ジョギングをしている人たちが通り過ぎる。中には振り返って、もう一度戻ってくる人もいる。女性が一緒に走っている人にささやいた。「ちょっと!ヴィゴ・モーテンセンよ!」 そう、そうなのだよ、ヴィゴ・モーテンセンなのだ。『クリムゾン・タイド』のウェップス大尉、『G.I.ジェーン』のウルゲイル軍曹、『ダイヤルM』のデイヴィッド・ショー、30以上もの映画に出演し、マイケル・ダグラス、アル・パチーノ、デミ・ムーア、デンゼル・ワシントン、ジーン・ハックマン、ニコール・キッドマン、そして、グウィネス・パルトロウと共演。半分デンマークの血を引く、完全にデンマーク語を話す、ゴシップの犠牲者、A-リスト、そして現在は、『ロード・オブ・ザ・リング』のメイン・キャラクターの1人、アラゴルン。そのヴィゴ・モーテンセンなのだ。

デンマーク系アメリカ人俳優は成功した、と結論付けても良いだろう。しかし、誰もが知っている通り、人の成功は幸運の合計ではなく、それをどのように取り扱うかということで示される。エルヴィス・プレスリーは成功した。マリリン・モンローもカート・コベインも成功した。しかし、それがどうなったというのだ?ヴィゴ・モーテンセンの成功は、全く違うものだ。ネオンに輝き、メガホンで話されるものではない。それは、静かで、謙虚な成功だ。インタビュー中に、ヴィゴのエゴを少しだけでも引き出してみたいという衝動に駆られることがあった。

「うーん、僕はビッグ・スターじゃないし、それほど有名じゃないよ。」 そう彼は何度か言った。インターネット上に彼のファン・サイトは沢山あるし、ビッグ・スターやトップ・スターと共演している。ワシントンの僕の隣人の女性は、彼を超セクシーだと言っている・・・。「彼女そう言ったの?」 ヴィゴ・モーテンセンは驚いてそう聞いた。「彼女は優しいね。そうだね、もしかしたら有名なのかも。少しだけね。だけど、トム・クルーズやブラッド・ピットといったクラスじゃないよ。」 彼はそう主張する。

シカゴ・サン・タイムズの映画ジャーナリスト、シンディ・パールマンも同様の謙虚さに出くわした。1998年の『ダイヤルM』のプレミアの前に、彼女はヴィゴ・モーテンセンのプロファイルを書こうとした。彼女もこの俳優にインタビューをしたが、彼の言っていることを聞くのがやっとだった。「彼はとっても魅力的な人だけど、もう少し大きな声で話してよ!」 彼女は新聞にそう書いた。「見たところ、ヴィゴ・モーテンセンには、ハリウッドのエゴというものが全く存在していない。」 記事はこう締めくくられた。彼女は、共演者のマイケル・ダグラスとグウィネス・パルトロウにも、彼らがモーテンセンをどう思うかたずねたみた。しかし、結果は同じだった。「彼は性格俳優だよ。」とダグラスは言う。「叫ばなければいけない状況になれば、大声も出すさ。『G.I.ジェーン』を見に行けば分かるよ。彼は卓越した俳優だけど、シャイな俳優だよ。」 パルトロウもこう続く。「ヴィゴは本物のアーティストよ。アートを作るために生きているの。そして、それに夢中になってるわ。話すためじゃないの。」

そんな金曜の午後のツリーピープル公園にも、彼の大きなエゴやグラマラスな魅力というものはなかった。彼は、ジーンズに、ほこりのついた黒いブーツ、それに色落ちした白と黒のシャツを着ていた。顔にはメイクをしたような形跡はなく、無精ひげは今朝も生き延びたもようだ。黄土色の髪は肩の長さで、勇敢な王子様のような容貌だ。細身だが、たくましく、平均的な身長だが、平均以上の肉体的な魅力を持っている。後ろでボディガードがうろついていることもなく、小型トラックを自分で運転してやってきたのだ。

ヴィゴ・モーテンセンがこの街に溶け込んでいないという考えは、あながち外れていないようだ。同時に、彼はハリウッドには向いていなく、本当にハリウッドには興味がないのだ。彼自身も認めている。少しの間、皆のように、ビバリーヒルズの大邸宅に住んでみたが、すぐにロサンゼルスの新区、ベニスに引っ越したのだ。そして、彼はできる限り、アイダホ北部の山中にあるコテージで過ごすようにしている。

「アイダホのきれいな空気の中で2、3週間過ごした後に戻ってくると、LAを味わうことができるんだ。街の味を感じることができるなんて、最悪だよ。」と彼は言う。しかし、彼がエンジョイしないのは、何も街だけではない。明らかに、映画人生の大部分についても同じことが言えそうだ。ヴィゴ・モーテンセンが、授賞式や映画イベントに出席することはめったにない。今晩、彼は『地獄の黙示録 特別完全版』のオープニングに出席するが、それはあくまでも、彼の息子ヘンリーが行きたがっているからだ。「レセプションや表面上だけの軽薄なこと、それに毎週末行われるような映画の授賞式に出ることで、人生を無駄にしたくないんだ。ああいったアワードは、いろんな意味で業界全体をダメにしているしね。人生にはもっと大切なことがあるんだよ。息子に、自然、アート、旅行。そういうことに時間を使いたいんだ。」

ヴィゴ・モーテンセンはバックパックに手を突っ込み、チーズ、キウイ、オレンジ、ビスケット、モンタナのミネラルウォーター、ニュージーランドのワイン、それに ヴァルビーのビール(*1)を取り出した。ついに僕たちは、インタビューをしているスケーエンの絵(*2)のようになってしまった。デンマークのチーズに、デンマークのビール、デンマークの話、リングステッド(*3)出身の叔父にちなんで名づけれた息子に、年に数回の帰省。モーテンセンとデンマークとは何なのだろうか?

デンマークの地図 「人生を通じて、信じられないくらい様々な所に行ったんだ。子供の頃は、5つか6つの国に住んでいたよ。デンマークにアメリカ、アルゼンチンにエジプト、そして大人になってからは、自分で地球の半分を旅行したんだ。映画の仕事は放浪の仕事だからね。この2年間は、『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影でニュージーランドにいたけど、別の時には、1週間に5都市にいたこともある。頭の中のどこかに、腰を落ち着ける場所、家と呼べる場所を持っていないといけないんだ。僕にとっては、それはデンマークなんだ。」

デンマークを考える時、何を思うのか?
「美しい風景を思い起こすね。それに、自分が自分でいられる場所、家族に会える場所、いとこが僕のことを “リングステッドのヴィゴ” って思っていて、他の皆をからかうように、僕のことをからかうんだ。からかうことは、明らかにデンマーク流のフレンドシップの表現だからね。そういう意味で、デンマークは僕にとってすごく大切なんだ。」

ヴィゴ・モーテンセンとデンマークとのつながりは、コペンハーゲンの新聞がかつて報道したように、エキゾチックに見せようとしてでっち上げられたものではない。本当に事実なのだ。

ヴィゴの父は、同様にヴィゴ・モーテンセンという名前なのだが、ミッド・シーランド(*4)の農場を営む一家の出身だ。オスロへ向かう旅の途中、彼は将来の妻、アメリカの女神と出会う。2人はアメリカに渡り、そこでヴィゴが生まれた。エコノミストという父親の仕事がら、一家は世界中を旅することになるが、毎年夏には、ヴィゴと2人の兄弟はデンマークに帰省した。大人になると、彼はデンマークに戻って何度か住んでみた。中でも、コペンハーゲンで大工やトラックの運転手として働いたり、Jan Hurtigkarl's(*5)でウェイターとして、そして短い期間、エスビヤオ港でトラックの運転手をして生計を立てていた。

エスビヤオで? 「ガールフレンドがいて、すごく良い子だったんだけど、彼女の近くにいたかったんだ。彼女は Outrup に住んでいたんだ。」 Outrupに? 「そう、Outrup。当時、あの街はスピードウェイ・センターで知られていたんだ。結構大きかったよ。」 スピードウェイについて長い議論を始めたが、2人ともそのことについて何も知らないという事実により妨げられた。そして、オーレ・オルセン(スピードウェイで何度もワールド・チャンピオンに輝いたデンマーク人)がどうなったかという質問でその会話は終わった。

「もっとチーズを食べなよ。」 ヴィゴはそう言い、僕たちは喜んで話題を変えた。新しい話題は、映画と、映画産業の現状についてだ。(ここで、ヴィゴとのインタビューとは関係のない話 — この夏の映画が精彩を欠いているという話、ロード・オブ・ザ・リングの製作費の話、それから、ニュー・ラインがその成功にどれだけ依存しているかという、よく知っている話が書かれる。)

撮影は終了した。そして、その映画は、新しい『スター・ウォーズ』になるという呼び声が高い。実際、今ハリウッドで一番聞かれる比較だ。ヴィゴ・モーテンセンは、その狭間にさまよう自分を見つける。

やるべき事はすべてやって、ニュージーランドでの撮影にすべてを注ぎ込んで、そこで約2年間を過ごした。そして、すべては今、ピーター・ジャクソンの手中にあるのだ。それをどう思うのか? 「最悪だよ。」 ヴィゴ・モーテンセンはそう言って笑った。「いや、ピーターは素晴らしい監督だよ。彼には絶対の自信を持っているし、彼は最高のものを作り上げるだろうと確信しているよ。」 少なくとも、編集前の素材は大丈夫だろう。「時には辛い経験だったよ。さっきも言ったように、撮影はニュージーランドで行われたんだ。元々1年ちょいの予定で、休みも取れて、3ヶ月に1度は家に帰れるはずだったんだ。だけど、もう分かってるとは思うけど、そんなふうには行かなかったんだよ。撮影は18ヶ月続いて、休みはなかったんだ。毎日撮影で、昼休みも45分だけ。それで、また働きだすんだ。」

俳優たちはその間ずっと、何もかもから離れたハリウッド・キャンプで一緒に過ごした。ニュージーランド出身の俳優でさえ、ホームシックになったという。なぜなら、彼らもまた、家に帰れなかったからだ。そんなに長い間一緒にいて、どうやって不機嫌にならずに過ごしたのか?
「その中で最善を尽くすしかないのさ。昼休みには釣りざおを持って、パンの塊とバターをポケットに入れて、ほんの少しの間1人になれるよう湖に行ったりしたよ。何日かオフがある時は、1人で山を散策したり。だけど、全体として見れば、上手く行ったと思うよ。チームの皆が一緒になって良く働いたからね。なだめないといけない大きなエゴもなかったし。この映画には大スターがいないからね。僕たち、普通の俳優だけなんだ。」

しかし、撮影後に、最終的な結果が期待していたものと違うことがなかったか? 監督が編集段階で自分の役をどう扱うか、失望したことはなかったか?
「もちろん、あるよ。毎回がっかりするんだ。俳優なら皆、そうだと思うよ。でもそれは、僕たちが受け入れないといけないことなんだ。最初の3つの映画、中でも、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』と、ジョナサン・デミの『スウィング・シフト』では、僕のシーンはカットされたんだ。友達や家族を映画館に無理矢理連れて行って、“見ててごらん”って言ったのに、実際には編集室の床で終わっていたなんてのは、少し恥ずかしいよね。だから、どこのシーンに注目するかを前もって教えるのは、止めたんだ。ちゃんと入ってるか分からないからね。」

『ロード・オブ・ザ・リング』がヒット作になるだろうという、メディアの噂をどう思うか?
「予測にはいつも、十分気をつけるようにしているんだ。ある映画が間違いなくヒットする、そして別の映画はヒットしない、と思っていても、まったく反対の結果になることもあるからね。難しいよ。だけど、間違いなく可能性はあるよ。今の映画の問題は、才能が欠如しているってことではないんだ。映画会社がオーディエンスを見下しているところが問題なんだよ。彼らはオーディエンスに、カートゥーンのファンタジー、現実の風刺漫画を提供しているんだ。オーディエンスは、彼らが考えるよりもっと賢いよ。ピーター・ジャクソンはそのことを知ってるんだ。たとえば、『地獄の黙示録』みたいな映画が、なんでそんなにインパクトがあるのか? なぜなら、何層にも働きかけて、映画を見た人に何かを考えさせるからなんだ。期待していた映画も含めて、この夏の映画を沢山見たけど、しばしば期待はずれだったよ。どの映画かって名前は出さないけど、見るに値するものは本当になかったよ。」

『ロード・オブ・ザ・リング』は、もっとマシな映画になる?
「そう思うよ。複数のストーリーラインに、質の高いダイアログ、時にはエルフ語のような言語も出てくるんだ。それに、特殊効果を使うことだけを目的にした特殊効果はないんだ。オーディエンスは期待していいと思うよ。」

もし、『ロード・オブ・ザ・リング』が現代の “70年代のスター・ウォーズ” になるのであれば、ニュー・ラインが必要としていたヒット作になるだけでなく、ヴィゴ・モーテンセンのキャリアにとってもまた、一時的なクライマックスになるであろう。彼の俳優としてのキャリアを説明しようとするのは、中東の旧地区への入り口を見つけるようなものだ。正しい道にいると思っても、すぐにスパイスとラクダ商人がいる行き止まりに来てしまう。

このデンマーク系アメリカ人が本当にブレイクしたのは、俳優としてみれば随分年をとってからだ。しかし、ヴィゴ・モーテンセンは、ハイウェイよりはむしろ、途中で花を摘めるマーガレットの道(*6)を選ぶ。なぜなら、彼はお金や名声のために俳優になったのではないからだ。彼はそう主張する。彼は好奇心から俳優になった。若い頃の彼に非常に大きな印象を与えた3つの傑作、『ヴェニスに死す』、『ディア・ハンター』、そして、バーグマンの『秋のソナタ』によって駆り立てられたのだ。高校卒業後、彼はマンハッタンに引越し、自分の基盤を築こうとした。

彼の演じた役が初めて編集作業を生き抜いたのは、1985年の『刑事ジョン・ブック 目撃者』だった。彼は、アレクサンダー・ゴドノフの弟を演じた。1987年には、アングラ映画『TVサルベーション!』に出演し、その間に、その世界では有名なパンク・ロックの歌手、エクシーン・セルヴェンカと出会った。2人は結婚し、ヘンリーが生まれると、アイダホ北部の山中にあるコテージに引っ越した。その後何年かは、ヴィゴ・モーテンセンにとって、仕事的にはパッとしない時期であった。アイダホにはお金を稼ぐような仕事はなく、オファーを受けた映画の撮影をするため、彼はニューヨークやロサンゼルスに通勤した。『想い出のジュエル』や『ガン・ヒート/野獣の標的』といった、マイナーな映画に出演した。そして、信じないかもしれないが・・・『悪魔のいけにえ3』にも! この話題になると、ヴィゴ・モーテンセンは幾分ひるみ、唇をかんだ。

オリジナルの『悪魔のいけにえ』の残忍さには、先駆者的で、ある種のアートと言えるものがたしかにある。しかし、パート3は・・・?
「LAにいる友達を訪ねていて、彼が3作目に出演することになっていたんだ。“俳優が必要なんだ。君にちょうどいいんじゃない?” って言うから、やってみようと思ったんだよ。オリジナルの『悪魔のいけにえ』を見たことがあって、そういった映画にも関わらず、何かあると思ったんだ。パート3にも同じ何かがあることを期待してたけど、映画会社が怖気づいて、恐ろしいシーンのほとんどをカットしちゃったんだ。それで、何だかつじつまの合わない映画になったんだ。」

今、あのような映画に出演する?
「いいや。あの手の映画が “バイオレンス美学” だって言う人がいるって聞いたけど、僕にとっては、暴力に美学なんて存在しないんだ。暴力は暴力だし、そういった映画が若い人にもたらす影響を心配するよ。映画に夢中になりすぎて、クレイジーな考えを抱く人がいるからね。」

初期の頃のエージェントが、売り出すために名前を変えるよう、あなたを説得しようとしたっていう話を聞いたけど。
「それは本当だよ。最初の頃は、みんな僕の名前を変えようと異様なまでに必死だったんだ。“ヴィゴ・モーテンセンなんて、長すぎだし、奇妙すぎる” って言うんだよ。冗談で “ヴィック・モートン(Vic Morton)” に変えるよう提案したんだ。40年代のフィルム・ノワールの探偵みたいに聞こえるだろう? 『私立探偵ヴィック・モートン』 みたいな・・・。だけど、僕の名前はヴィゴ・モーテンセンで、僕はヴィゴ・モーテンセンなんだ。だから、ハリウッドには受け入れてもらわないと。」

そして、ハリウッドは受け入れた。

彼が出演した31本の映画の興行収入の合計は、ちょうど4億ドルになる。最大のヒットは、1995年の『クリムゾン・タイド』で、ヴィゴ・モーテンセンの名を本物にした。この映画で、彼は、潜水艦で唯一核ミサイルのコードを知っている男、ピーター・ウェップス・インス大尉を演じた。彼は、ミサイルを発射しようとするジーン・ハックマンと、それに反対するデンゼル・ワシントンとの板ばさみになる。誠実なウェップスの中に、精神的なドラマのすべてを見ることができる。「見事な演技」と批評家の意見は一致した。

『クリムゾン・タイド』の成功後、ヴィゴ・モーテンセンのキャリアは、より商業映画志向になっていった。シルベスター・スタローン主演の『デイライト』、デミ・ムーア主演の『G.I.ジェーン』、それにマイケル・ダグラス主演の『ダイヤルM』といった具合だ。モーテンセンは、とてもデンマーク人らしく、“商業的” という言葉を聞くと少し自己防衛的になり、理由を説明したい衝動に駆られるらしい。

「インディペンデントで、芸術的な映画の問題は、それで生活することができないってことなんだ。ある段階で、僕には養わなければいけない家族があることに気付いたんだ。どんなに意図が良くても、独りよがりで無視される映画で芝居をしていても仕方がなかったんだ。だから、『デイライト』のオファーを受けることにしたんだ。」

アメリカの批評家の意見によれば、自己防衛する理由なんて本当に何もないのだ。『デイライト』は、伝統的な立派なパニック映画で、シルベスター・スタローンをもってしても台無しにすることができなかったのだから。そして『G.I.ジェーン』では、ヴィゴ・モーテンセンの白熱の演技のおかげで、オーディエンスはいろんな意味でデミ・ムーアに同情せざるを得なかった。『ダイヤルM』では、ダグラスとパルトロウが出演していたにも関わらず、実際には彼がスターだった。

ヴァニティ・フェア誌のA-リストに、ヴィゴ・モーテンセンが名を連ねるのには理由がある。雑誌は彼を “シーン泥棒” と呼ぶ。昨年、映画ジャーナリストのエイミー・ロングスドーフは、「ヴィゴ・モーテンセンはスーパースターになり得る素材だ。そしてもちろん、最近の映画で色々なレベルのヌードシーンを見せるのは悪いことではない。」と結論付けた。近頃、沢山のヌード、または、セミヌードのシーンがある。そして、沢山ある彼のファンサイトを訪れてみれば、彼がセックス・シンボルとして君臨しているのは一目瞭然だ。

セックス・シンボルであることは、何を意味するのか? 「全部の映画でズボンを脱がないといけないってことだよ。」 彼は僕に笑い返した。「映画でヌードシーンをやるのは構わないよ。嫌だって言う俳優がいるとしたら・・・それは嘘をついてるのさ。だって、仕事なんだから。しかも、楽しい部類に入る仕事じゃないか。」

『ダイヤルM』で、グウィネス・パルトロウを落ち着かせるため、シーンの前にセレナーデを歌ったっていう話は本当? 「なんで知ってるの?」 彼女が教えてくれたんだ。「そうだよ。彼女をなだめて、親密な感じの雰囲気を作り出すために、アルゼンチンで子供の頃おぼえたラブソングをいくつか歌ったんだ。かえって彼女を怖がらせたかもしれないよ。」

だけど、セックス・シンボルでいるのは・・・?
「まず最初に、僕は自分をセックス・シンボルだなんて思ってないよ。それは重要だと思うんだ。自分のことをシンボルだと思いはじめると、問題が起こってくるんだよ。だって、そんなふうには生きられないだろ? 毎日の自分の生活では、そんなことは何も意味しないんだ。だけど、僕のエージェントが時折沢山のファンレターを届けてくれて、それを読むんだけど、50通のうち49通はいつも優しくて、とってもこそばゆくなるようなものなんだ。僕の映画が人々にとって何かを意味したとか、人によって違うことを意味した、ということは喜んで読むよ。だけど、必ず1通は変なのがあるんだ。すぐにでも僕と結婚したいっていう女性で、夫と家族をカンザスに置いて家を出たとか。すごく悲しいし、落胆するよ。だけど、ほとんどのレスポンスは、ポジティブで知的なものだよ。」

数年前、ヴィゴ・モーテンセンは、名声が諸刃の剣であることを学んだ。そう、スキャンダルだ。『ダイヤルM』撮影直後、ハリウッドのビッグ・カップル、グウィネス・パルトロウとベン・アフレックが破局したのだ。“ヴィゴ・モーテンセンのせいだ。” 新聞はそう書いた。しかし、パルトロウとモーテンセンの映画の中での熱烈なラブシーンに、アフレックが病的なまでに嫉妬したのか、パルトロウがボーイフレンドを捨ててヴィゴ・モーテンセンと付き合い始めたのか、新聞は意見を一致させることができなかった。

「最初は笑っていたよ。その話には、真実のカケラすらなかったからね。ただ肩をすくめてたよ。だけど、その後、不愉快な脅迫状を受け取るようになったんだ。“なんで2人の仲を壊したんだ”、“若い2人は結ばれる運命だったのに” とかね。そういう話を本気で信じている人や、俳優の人生に没頭して、ある種の代理家族みたいに感じている人が本当に沢山いるってことが分かったんだ。それから、正直言って、もう楽しくなくなったんだ。」

しかし、デンマークの親戚が、再び彼を現実に引き戻した。
「デンマークのいとこが電話してきて、グウィネス・パルトロウを見つけたのは良かったって言うんだ。彼女はいつも素敵に着飾って、身なりがきちんとしているから、僕が何かを学べるだろうって・・・。」

しかし、一般的に言って、ヴィゴ・モーテンセンは不平不満を言う男ではない。「自分は信じられないくらいにラッキーだと思うんだ。ものすごくラッキーだよ。世の中には、僕より才能があるか、少なくとも僕と同じくらいのレベルの俳優が、何百人、何千人っているんだ。僕はただ、ちょうどよい時に、ちょうどよい場所にいただけなんだ。」と彼は言う。

彼のクラスに達することは、大きなアドバンテージだ。彼の銀行口座にはお金がある。お金は自由を意味し、自由は可能性を意味する。これまでに、彼は自分の詩集を出版し、絵と写真の個展を開き、作品展をアレンジしてきた。そしてベニスでは、彼は損なわれていない精力的な芸術家として知られている。「彼は本物のルネッサンス・マンだ。」 昨年、プレミア誌はそう書いた。アートへの興味は幼少の頃から見られた。

「母によると、僕は子供の時、鉛筆を持たずにはどこにも行かなかったらしい。そして、いつも絵を描いていたらしいんだ。最近、母が昔のスケッチブックをくれたんだ。7歳の時に描いた絵があって、どちらかというとワイルドな感じなんだ。ページの上に “赤頭巾ちゃん” って書いてあって、沢山のオイルカラーが、少し抽象的な感じに混ざり合ってるんだ。気に入ってるよ。だけど、絵の上に、赤いボールペンで下線が引いてあるんだ。“とってもひどい!” ってね。そういうことがやる気を起こさせるって思っている先生も未だにいるんだ・・・。」

山頂のここからは、ラッシュアワーが始まるのが見える。バーバンク市とスタジオシティは、にぎやかなリチャード・スカリーの絵を思い起こさせる。スモッグのチーズ皿のカヴァーは、さらに毒見を帯びた黄色になる。ヴィゴ・モーテンセンは正しい。ロサンゼルスを味わうことができる。一酸化炭素中毒の人が、この世を離れる時に感じる味と同じに違いない。

僕たちは解散し、自分たちの物すべてと、オレンジの皮、ビンのふたに、プラスティックのカップをすべて回収した。そして彼の車、ドッジ RAM 2500 小型ディーゼルに向かった。ダッシュボードには、ドライフラワーとインディアン・ロザリオのような物が置いてあり、CDプレーヤーには、フュージョン音楽(ニュー・エイジとジャズ)があった。そして、ヴィゴ・モーテンセンは、クラシックなレンジャー帽をかぶった。

車道より随分上のここに座ると、彼はずいぶんくつろいで見えた。そして、無慈悲な渋滞の中をナビゲートするピンボールのようであった。「運転するのが好きなんだ。ただ道に沿って、ひたすらドライブするんだ。突然、またちゃんと考えられるようになるんだよ。硬葉樹林や山の中をさまよっている時や、大きな、冷たい、鏡のような湖で釣りをしながら立っている時のようにね。そうしたら、幸福のすぐ近くにいるってことなんだ。それ以上何を望むって言うんだい?」 リングステッドからハリウッドは、とても長い道のりだ。しかし、その距離は、明らかに1人の人間によってつかむことができるのだ。

ヴィゴのお気に入りのデンマークの監督

「カール・テオドール・ドライヤーは天才だよ。『裁かるゝジャンヌ』と『奇跡』は3回見たよ。13歳になる僕の息子もね。」

デンマークのドグマ映画について

「映画や映画制作について議論するのは素晴らしいことだよ。だけど、ドグマのコンセプトは、それ自体ほとんどギミックなんだ。『セレブレーション』は素晴らしい映画だと思うよ。僕が見た現代版ハムレットの中では最高のものだと思うけど、ドグマだからっていう理由じゃないんだ。反対に、もう少しライトがあっても良かったと思うよ。」

[参考] デンマークの地名のカタカナ表記は、物によってマチマチです。

*1) ヴァルビーのビール: ヴァルビー(Valby)とはデンマークの地名(コペンハーゲンの辺り)で、ヴァルビーのビールとは、おそらくカールスバーグ(カールスベア)を指していると思います。

*2) スケーエンの絵: スケーエン(Skagen)は、アンカー夫妻やクロイヤーなどの「スケーエン派」と呼ばれる画家たちを世に輩出。スケーエン派は、北海の自然や漁民の生活などを主に描いているそうです。

*3) リングステッド(Ringsted): Ringsted は、文字通り「リングの場所」を意味するそうです。

*4) ミッド・シーランド(Mid-Sealand): 別の英訳記事では “Middle-Zealand” と訳されていました。詳しくは分かりませんが、Ringsted 近辺を指していると思います。

*5) Jan Hurtigkarl's: 有名なシェフ。ホームページはこちら

*6) マーガレットの道: デンマークに The Marguerite Route というものがあるそうです。

translated by yoyo