Flaunt #39  2002.11
Viggo Trip

詩人−写真家−画家であるヴィゴ・モーテンセンは、多くの人にはロード・オブ・ザ・リングのオーク・ハンター、ホビットの守護者であるアラゴルンとして知られている。彼は今月、『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』で、女性の心を鷲づかみにする俳優という姿でスクリーンに戻ってくる。

Flauntの表紙

ジョークとも言えるかもしれない。ロサンゼルスで行われる詩の朗読会に大勢の人が現れたのだから・・・。しかし、それはハリウッドの見せかけだけのインテリに対するつまらないジョークではなかった。ミッドナイト・スペシャル・ブックストアからつらなる人の列は、サンタモニカの歩道にまであふれ出ている。女性たちは(見たところ全員が女性だが)、ハードカバーの分厚い本を胸に抱え、本の著者に会いたくて仕方がないのと同時に、そんな女の子っぽい感情を少し気恥ずかしく感じている。結局、これは朗読会であり、イン・シンクのコンサートではないのだから。少なくとも、そういうことになっている。

「彼の作品を読むのは本当にこれが初めてなの。」と24才のテッサは認める。彼女は本にサインをしてもらうため、もう1時間以上も待っていた。そしてページをパラパラとめくり、にっこり笑って「私はロード・オブ・ザ・リングのオタクなのよ。」と言う。

どうやら、こういったオチがあるようだ。ファンのほとんどは、詩への情熱ではなく、映画スターに少しでも近づきたいというありがちな欲望に惹かれてやってきている。詩人−写真家−画家であるヴィゴ・モーテンセンは、多くの人にはロード・オブ・ザ・リングのオーク・ハンター、ホビットの守護者であるアラゴルンとして知られている。もしフィクションの世界の剣士でなければ、この5冊の本の著者も夜中の1時までサインをするかわりに、他の詩人のように数人の退屈した買い物客と面していることだろう。

しかし、アメリカン・インディアン運動のTシャツを着て部屋に現れたモーテンセンは、トールキンが放った影 — 人々が彼をアラゴルンとして見ていることに気をとめることはなかった。彼はトーマス・ジェファーソンを引用し、ノーム・チョムスキーの最新作『9-11』が店頭で購入できると言及した。そして、アルゼンチンのビールを差し入れてくれたファンに感謝の言葉を述べ、詩の朗読を始めた。彼は緊張していた。「他の人の詩を読むときは、こんなにしどろもどろにならないんだけど。」とジョークを言い、聴衆はそんな彼を愛しむかのように笑った。しかし、彼は朗読を続け、言葉のリズムの中に自分を解き放っていった。

They were always giving birth, always pregnant,
always taking fucking for granted.
They were not being brave when they dug up the skulls
of their past lovers in the middle of the night
and painted them for use as Jack O'Lanterns.
It was summer and they were crazy about each other.
(“Hallowe'en” 1990)

彼の詩が強く感情に訴えるものなのか、アラゴルンが汚い言葉を使うというR指定的なショックのせいなのかは分からないが、オーディエンスの注目は最後まで衰えることがなかった。ブックストアによると、その夜はヴィゴの最新作『Coincidence of Memory』のみならず、チョムスキーの本も好調な売上を見せたそうだ。

この夜のイベントは大成功だったというのが大方の意見だ。学生時代には詩を好んでいた人もいただろう。その頃に戻って詩への情熱を再燃させたというファンを除けば、作品とは無関係に、内容を無視し、単なる30ドルの土産として Coincidence of Memory を購入する人がいたことは疑いようがない。名声はカバーチャージを要求するのが常だ。モーテンセンは、ハリウッドの酒やセックスといったものとは別世界の、アートとイマジネーションの極めてプライベートな世界に慰めを見出している。そんな彼への質問は、この値段が高すぎるかどうかだ。女性たちの列はじりじりと前に進んでいく。くすくすと笑っている3人の10代の女の子は、モーテンセンと一緒に写真を撮ってもらうよう頼んでいた。彼は疲れ果てていながらも、笑顔でこたえる。「彼女たちはロード・オブ・ザ・リングがあったから来ているのかもしれないけど、来ているって事実にはかわりはないんだ。」と30才のドーンは肩をすくめる。駆け出しの詩人である彼は、列の最後尾付近で待っていた。「俳優という職業に彼の情熱が向いているのかよく分からないけど、俳優であることが彼の作品を発表するための素晴らしい触媒になっているよね。彼がそれをどう感じているのか知りたいね。」

ヴィゴ・モーテンセンは裸足だ。彼の車とエルサルヴァドル料理のレストランの間の歩道は、ガラスの破片とタバコの吸殻が散乱している。しかし、彼は裸足でその歩道を歩き、ブックストアの入り口に来てはじめて持っていた木底の靴を足元に落とし、その中に足をうずめた。「遅れてゴメン。必要な物を全部見つけるのに何ヶ所か寄るところがあったんだ。」と彼は物静かに話し、ビニールで包まれた自分の本数冊をテーブルに置いた。「サインして欲しい?」 彼は迷わずペンに手を伸ばしながら、そうたずねた。

自分の本を買うためにモーテンセンがロサンゼルスの渋滞をくぐり抜ける姿を想像してみるのは楽しいものがある。他のスターであれば、腰の高さまで積まれたハードカバーの本を用意しているか、少なくともとりまきに買いに行かせるだろう。それは思いやりのある行為であるが、すべてをさらけ出しているわけではない。これらの本がヒントになっている。彼はロード・オブ・ザ・リングのストライダー、ダイヤルMのセクシーで魅惑的なグウィネス・パルトロウの相手役、オーバー・ザ・ムーンのブラウス屋さんというだけの存在ではない。これは、めったに意思表示しない人間からの大胆なステートメントなのだ。

サインを書くと、彼の顔はよれたフェルト帽のつばの下に消えていく。それはまた、彼が話し出すまでの長い気まずい一瞬でもある。演じるキャラクターを身にまとっていない時のモーテンセンは、極めてシャイだ。「彼は人に対してとても用心深いんだ。」とオーバー・ザ・ムーンの監督トニー・ゴールドウィンは言う。「彼には高い基準があってね。だから、誰に対してもミスター・フレンドリーというわけではないんだ。だけど、彼は慎重なだけだと思うよ。だって彼が一度心を開いたら、たいていの人にあるような画策的なところや、ここまでっていうようなバリアが全然ないからね。」

モーテンセンはメキシカン・ビールと8番のチキン・プレートを選び、気品のあるスペイン語でランチを注文した。「インタビューにもやっと慣れてきたよ。以前は本当に怖かったのだけどね。」と彼は認める。「中学で一度ある劇に挑戦した時のことを思い出すよ。オーディションが始まった途端、もっと大きな声で!聞こえないよ!と言われたんだ。それでオーディションをやめて逃げちゃったんだ。本当にそういったことには向いていなかったんだ。」

彼はスポットライトを浴びる生活をまだ完全に受け入れたわけではない。最近、彼はインディペンデントの出版社を起こした。しかし、Perceval Press のウェブサイトは、彼のことを大々的に宣伝しているわけではない。そこで彼の本を買えるようになっているが、ファン・レターは別のアドレスに送るように書かれている。友人たちのウェブサイトへのリンクも載っているが(モーテンセンの元妻であるLAのパンクバンド X のエクシーン・セルヴェンカやデイヴ・エッガーの McSweeney's のサイト)、モーテンセンにつながるリンクはひとつもない。彼はウェブサイトを持っていないのだ。

We underestimate damage
done to the sky
when we allow words
to slip away
into the clouds.
(“Hillside” 1994)

高校生になると、このシャイな少年はどこに行くにもカメラを持ち歩くようになった。ファインダー越しに見える眺望の構図を組み立てたいという衝動は、自然なものだった。既に彼はいくつもの異なる世界を転々とし、固定したイメージを焼き付けるほど長くひとつの場所にとどまることは一度もなかったのだ。アメリカ人の母とデンマーク人のビジネスマンを父に持つ彼は、ニューヨークに生まれた。その後の10年を南アメリカで過ごすが、最初の9年はアルゼンチンに住んでいた。夏はよく父方の親戚がいるデンマークで過ごした。両親が1969年に離婚すると、母と兄弟2人とともにニューヨークに戻ってくる。ウォータータウン高校でデンマーク語と英語とスペイン語を流暢に話すのは、おそらく彼1人だけだっただろう。

セント・ローレンス大学で政治学とスペイン文学の “使える” 学位を取得し、デンマークで小さな仕事を転々とした後、このシャイな少年はカメラのレンズの後ろから足を踏み出した。彼はニューヨークに戻り、ウォーレン・ロバートソン演劇ワークショップのオーディションを受けた。「誰も知ってる人がいなかったんだ。だから、その匿名でいられるってことは、ある意味少しラクだったんだ。」 彼は、あらゆる角度からその物のメカニズムを調査するという、写真家的な観点で演劇にアプローチした。「もっと沢山の映画を見るようにして、その時に、実際に演じることを想定して物を見るようにしたんだ。そうやってみるのに段々夢中になってきてね。どうやったら面白くできるだろうって考えるようになるんだ。」

A half-soul in transit
the man you were
for one short season
has been pruned
removed
to a well-groomed graveyard
that smells like popcorn
(“Edit” 1992)

映画のセットでも、車で街に出る時も、家のまわりでも、いまだにカメラは彼の行くところについていく。有名になった今、彼を取りまく環境は手に負えないほどのものになりつつある。しかし、彼はそれをどうにかして上手くハンドルしようとしている。「車の中に置いてきちゃったけど、カメラは持ってきてるよ。」と彼は笑って言う。写真を撮ることは、絵や詩を書くのと同様に、俳優業にはないある種の達成感を彼に与える。「どれも全部同じだよ。唯一の違いは、俳優の場合 “諦める” ということをしないといけないことかな。」と彼は言う。「未完成の絵、それが俳優として生み出しているものなんだ。」 最初に出演した2つの映画『スイング・シフト』と『カイロの紫のバラ』では、彼の役は編集室の床で終わってしまっている。40もの映画に出演した今となっても、彼はまだそういったことを忘れようと努めている。「彼はかなり上手く折り合いを付けていると思うよ。だけど実は、クリエイティブな面に対してコントロールできる部分が少ないから他のことをやりたくなる、というのはほとんどの俳優が思ってることなんだ。」とロード・オブ・ザ・リングの共演者のジョン・リス=ディヴィスは言う。「彼は、自分が置かれている状況を理解した上で重要な判断を下すということについては、普通の人より断然優れているんだ。この業界は新鮮味に欠けるありふれた考え方が蔓延しているからね。だからこそ、ヴィゴのような人はある意味望みをなくしてしまうと思うんだ。」

かわりに、モーテンセンは自分がコントロールできるアートを作る。「何かを創作するっていうのは、自分が誰なのかを知ろうとすることだと思うよ。数秒間、世界の中で自分自身を見ようとするんだ。」と彼は説明する。彼の最近の写真では、ひび割れた彼の家のプールの底(彼の本『Hole in the Sun』の題材になっている)、セルヴェンカとの結婚でできた14才の息子ヘンリー、車の上に反射する木の枝を取り上げている。しかし、そこにはもう一つのきらびやかな人生を思い起こさせるものもある。グウィネス・パルトロウやダイアン・レインをモーテンセンの作品の中に見るのは、何かビックリするものがある。それらの作品は、彼女たちと同様、カメラの後ろの男もスターだということを教えてくれる。

you leave a theatre
after taking in the
restored version of
“The Hero Returns” and
find yourself wanting to
be treated special
(“Matinee” 1997)

モーテンセンはトールキンの最も勇敢な戦士になるはずではなかった。スチュアート・タウンゼント(『クィーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』に出演)が、ニュージーランドのセットで撮影が始まる数日前にロード・オブ・ザ・リングをクビになったのだ。若すぎたとか、経験不足すぎたとか、単なるミスキャストだったなどと言われているが、どの噂を信じるかによってその理由は違ってくる。そこで、劇中のアラゴルンと同じように、窮地を救うようモーテンセンに白羽の矢が向けられたのだ。

彼は躊躇した。地球の反対側で2年間拘束されるのだから。それに、彼は3部作を読んだことが一度もなかったのだ。そんな彼にこの仕事を引き受けるよう説得したのはヘンリーだった。「すごいブロックバスターになるからという理由で、せっかくの機会を逃したくないんだ。そういったことは決断する上で何も関係しなかったよ。」と彼は言う。その代わり、3部作の中枢となる役を引き受けるという恐ろしいほどの責任が、彼をおじけづけさせると同時に、彼を引きつけたのである。「もし彼がキャラクターを正しく引き出せなかったら、この映画はとんでもないトラブルに陥っていたね。」とジョン・リス=ディヴィスは言う。「映画館で1週間上映して、DVDを2つ出して、レンタルビデオに直行さ。」

モーテンセンはそのチャレンジに背を向けることはできなかった。「もし挑戦しなかったら、あとで振り返ってみて、少なくとも一通りの経験をしなかったことを後悔するような、そんな気がしたんだ。」と彼は言う。「その考えは正しかったよ。」

モーテンセンが役にのめり込んでいったという話は伝説になりつつある。毎晩近くの森で過ごしたとか、自然と語らっていたとか、アラゴルンのコスチュームを決して脱がなかったといった話だ。戦闘シーンの撮影中に前歯を折った時は、スーパー・グルーでくっつけて撮影を続行するよう頼んだという。(賢くもプロデューサーが介入して、彼を歯医者に送ったが。) 「そういった話は大好きだよ。今やもう伝説になってるしね。だから実際どうだったかは、話したくないくらいなんだ。だって伝説じゃなくなっちゃうからね。」と共演者のイライジャ・ウッドは言う。「だけど、彼が役に執着していたかって聞かれたら、答えは、うん、まあそうだね。」

他のキャストが週末を寝て過ごすのに対し、モーテンセンは映画で使われた馬と週末を過ごしていた、とウッドは話す。(子供の頃から乗馬をしていたモーテンセンは、のちにその馬を購入し、彼らをアメリカに連れてこようと望んでいる。) 歯が欠けた話は本当だ。「彼は剣なしにはどこにも行こうとしないんだ。ADR(アフレコ)にですら剣を持ってきていたよ。」とウッドは言う。「アラゴルンの葛藤はヴィゴ自身の葛藤と同じだったと思うよ。このプロジェクトに連れてこられて、皆が望んでいるこのキャラクターになれることを証明しないといけなかったのだから。彼は情熱を持ってすべてをこの映画に捧げて、本当に皆のインスピレーションになったんだ。彼は謙虚でシャイだから認めないと思うけど、彼は僕たちにとってアラゴルンだったんだ。彼がリーダーだったんだよ。」

しかし、モーテンセンはホビット達の中で自分だけが目立つ存在になろうとはしない。彼はほとんどの話は作られたものだといって否定する。いつも衣装を着ているように見えたのは、いつも撮影をしていたからだと言う。「時々釣りやハイキングをして外で一晩過ごすことがあったんだ。そういったことが好きだからね。」と彼は言う。

そうだとしても、役になりきってしまうという彼の評判は、ロード・オブ・ザ・リングよりもずっと以前から確立されている。1995年の『聖なる狂気』では口がきけない役を演じたが、モーテンセンは撮影中一度も口をきかなかったのだ。「撮影が終わって初めて彼が話すのを聞いたよ。“皆、ありがとう、さよなら” ってそれだけ言ったんだ。彼は意思の疎通をしたい時は、のどの奥で舌打ちするような音を出すんだ。」と共演者のブレンダン・フレイザーは語る。モーテンセンはホテル代を払う時でさえ、そのキャラクターから抜け出すことを拒否した。「コンシェルジュは多分英語が話せなくって、ヴィゴはヴィゴで身振り手振りでジェスチャーして、ノートに走り書きしてるんだ。結局ヴィゴはホテル代を50%割り引いてもらったと思うよ。ヴィゴを知っている人なら分かると思うけど、それってすごくヴィゴらしいんだ。ある意味、彼は演技を超越しちゃうんだ。」

モーテンセンは、アートに対して厳しく真剣に取り組んでいる。しかし、そういった話に関わらず、彼は少し風変わりではあるが、本当にユーモアのセンスがあることは明記されるべきだろう。共演者をドレッシング・ルームから誘拐し、セットの周辺でスケール・ダブルを追い回しているという話は有名だ。(「当然の報いだよ。」と彼は意味深に言う。) 「一度僕の携帯に電話してきて、4、5分ものメッセージを残したことがあるんだ。ドイツ人兵士みたいな声で奇妙なことを言ってるんだよ。」とウッドは言う。「それで、自分でウケちゃって笑いだすんだ。それからそのキャラクターに戻って笑っているふりをするんだけど、それが余計おかしいみたいで、もっと笑っちゃうんだ。ヴィゴってそういう人なんだ。」

ビールを飲み終え、モーテンセンは赤いビニールのブースによりかかる。微笑を浮かべると、彼の歯は日焼けした肌に映えて余計に白く見える。People誌の「50人の最も美しい人々」に彼が名を連ねる理由については疑う余地もない。もっとも、彼はそういったことを望んでいるわけではないが。そういった話題は、あからさまに彼を困らせてしまう。「全部マーケティング戦略なんだよ。」と彼は断固として言う。「ロード・オブ・ザ・リングがなかったら、選ばれることなんてなかったよ。それはよく分かってるよ。そういうことは重要じゃないんだ。」 それ以上つついても何も出てこない。私生活についての話となると、シングルなのか誰かと付き合っているのか、彼は一切明言しようとしない。「もし何かしら言わないといけないのであれば、人と上手くやろうと努力している、とだけ言っておくよ。」 メディアからの注目を肩をすかしてかわすことはできても、何百人もの女性は単に知的な刺激のために著者と握手をしようと夜中過ぎまで待っているわけではない。「それが悪いことだとは思わないよ。」と彼はその事実を認め、話題を変えた。

「多分そういう話をすると、気恥ずかしくって、少しビビっちゃうんじゃないかな。」とウッドは言う。「彼には有名人に付いてまわるようなことを考える時間なんて全然ないと思うんだ。だって彼は自然な人だからね。なんてったって裸足で歩き回るんだから!」

ファンはしばしば、モーテンセンが当然手にすべきスーパースターの地位を否定していると不満を言う。しかし、サディスティックな軍人(G.I.ジェーン)、拒絶された恋人(ある貴婦人の肖像)、そしてサタン(ゴッド・アーミー)さえも演じている彼の履歴書を見れば、性格俳優としての道は自ら選んだものだということが分かるだろう。奇妙なひねりのある役や複雑な背景がある役をスターが演じることはめったない。「伝統的な主演男優でいるのは、彼にとってはすごくやっかいなことだと思うんだ。」とゴールドウィンは言う。『オーバー・ザ・ムーン』のブラウス屋さんが単なるセックス・ゴッドとして描かれてしまうかもしれない、ということをモーテンセンは恐れていたという。「もちろん、そうすることによって得られる成功は魅力的なものだけどね。だけどヴィゴのように才能豊かな人にとって、それが象徴するものは、ある意味とても怖いものなんだよ。」

モーテンセンは明日Hidalgoの撮影のためにモロッコに向けて出発する。同名の馬とその馬に乗るポニー・エクスプレスの配達人フランク・T・ホプキンスの実話に基づく話だ。このペアがサウジアラビアのレースで優勝を狙うという、タッチストーンのこの映画は、この夏公開のヒット作になるはずだ。今回、モーテンセンは旅の仲間と一緒ではない。普通の俳優なら、主演の座を射止めることができれば喜ぶだろう。モーテンセンはどちらとも言えない心境のようだ。彼はホプキンスではなくヒダルゴにちなんで映画のタイトルが付けられたことを指摘し、馬とクレジットを共有することを主張する。彼は、あからさまなアクション・シーンに惹かれたのではなく、ホプキンスとインディアンのラコタ族とのふれあいといった、物語の中の予想外の要素に興味を持ったという。「この話が好きなんだ。たとえ巨大な映画会社が作っている映画でもね。アメリカ人がよその国に行って現地の人にどうしろと指図したり、やっつけたりする話じゃないからね。」と彼は言う。「彼は別人になって戻ってくるんだ。他の誰でもなく、自分をシャンとさせてね。」 彼がこの役を引き受けたのには、現実的な理由がある。「他にも理由はあったけど、経済的な理由でこの映画をやる必要があったんだ。」と彼は言う。「あちこちで少し絵の収入はあったけど、2000年の12月から全然稼いでいなかったんだ。」

モロッコ近くの砂漠で乗馬することはエキサイティングだ。しかし、セルヴェンカのもとに置いていくことになるヘンリーのこと考えると、彼のやる気も薄れてしまう。「ちょうどヘンリーを学校に送っていったところなんだ。今日が学校の初日だったんだよ。」と彼は言う。「1人でドライブしていて、ふと隣のシートを見たんだ。ヘンリーは髪に何か付けていたらしく、すごく明るいピンクと他の色が混ざって少し紫っぽいんだけど、それがいすの枕のところに全部付いちゃってるんだ。最初は “あー、まったく” と思ったけど、少ししたらイイ感じに見えてきたんだ。少し光っていてね。でもそれを見ていたら悲しくなってきたんだ。撮影でしばらくの間離れてしまうからね。これは片付けないでそのままにしておくと思うよ。」

モーテンセンはまた時間に遅れている。今頃は荷造りをしているべきなのに、むしろ家に積まれてある絵を完成させたり(彼の作品は来年キューバとイタリアで展示されることになっている)、ヘンリーと一緒に過ごしたりしている。この成功は数々の可能性の扉を開くことになったが、それはまた、彼が大切にしているものから彼を引き離すことにもなっている。「あぁー、あまりにも先のことまで人生を計画しすぎてるなって感じはじめてるんだ。そうならないように注意しているんだけど。」 彼は以前、もし俳優業があまりにも人生を変えてしまうようなものになるのであれば、俳優をやめてもいいと言ったことがある。「今は結構その状態に近いよ。」と彼は言う。冗談で言っているのではない。「もしもう二度と映画をやらなかったとしても、全然かまわないんだ。」

「もし、ヴィゴのように才能のある俳優で、かつ、奥深くではとてもコアなアーティストであれば、最後には怒りやひどいシナリオなんかを飲み込めなくなるんだ。」とジョン・リス=ディヴィスは言う。「最終的には、この価値のない仕事をやることはできるけど、そんなことをやる時間は人生には残されていないんだ、と言わざるを得なくなるのさ。ヴィゴはアートで食べていけるから、映画業界に残る必要がないしね。この業界がどれだけ長く彼に俳優を続けさせられるかは、素材のクオリティにかかっているんだよ。今彼が俳優をやっていてくれて、私たちはとてもラッキーなんだよ。」

ハリウッドのみすぼらしいパッチワークの中に美を探し求める裸足の詩人用に、A-list (訳注: トップクラスの俳優や監督を指すハリウッド用語) に空きがあることを望むだけだ。「ニュージーランドには、人生で何か上手くいかない時には8番が1つ必要なだけだ、っていう諺があるんだ。フェンス用ワイヤーの番号のことなんだけど、エンジンでも何でも、何か問題を直す必要がある時は、8番を試してみろ、ってことなんだ。だけどそれは、考えろ、どうにかしろ、っていう意味でもあるんだ。」 彼はドアに向かい、靴を脱ぎ捨てた。「ある程度もうそれを実践してきたと思うよ。」

translated by yoyo