Morphizm  2002.9.20 原文
“何かが起こるかもしれない神聖な瞬間”
ヴィゴ・モーテンセンとのインタビュー

スコット・シル

ヴィゴ・モーテンセンは非常にクウォリティの高い人間だ。大抵のベテラン俳優ならカフェイン・ピル(か、もっとひどい物)に手を伸ばしてしまうような撮影スケジュールをこなすだけでなく、役を深く掘り下げるのと同じくらいに、詩、絵、写真、政治、音楽といった、彼が情熱を注いでいる他のことについても深く掘り下げているのだ。聖典とも言える原作が最高の映画になった「ロード・オブ・ザ・リング」。ヴィゴは役になりきるために、アラゴルンの衣装で森の中に消えていったとも噂されている。撮影現場でのモーテンセンの献身ぶりについての伝説的な話には、眉をひそめたくなるかもしれない。しかし、彼がロサンゼルスの “他の” (見放された、と読む)アート・シーンに対して、断固とした忠誠心を持ち、常に関わりを持ち続けていることは、尊敬に値するだろう。トールキン作品に出演したモーテンセンに世の中が狂喜乱舞する前に、詩を通じて(1993年の「Ten Last Night」から今年の「Coincidence of Memory」に至る)、また絵や写真を通じて(彼は何度かギャラリーで展示会を行っている)、そして、とりわけ元妻のエクシーン・セルヴェンカ(LAパンクのアイコン X の4人の中の1人)やバケットヘッド、ジェリー・スタール、カレン・フィンリーといった類の人たちとの、詩のレコーディングと朗読会を通じて、ヴィゴは既にアート・コミュニティにどっぷりと身を染めていた。

徐々にチェーン店化するサンタモニカ・プロムナードの急騰する家賃をこれ以上支払えない、と近頃宣言したばかりのミッドナイト・スペシャルは、非常に貴重なインディペンデント系の書店である。ヴィゴがこのミッドナイト・スペシャルで朗読会/サイン会を行うだけでなく、Morphizm とのインタビューにも同意してくれたのは、この状況にうってつけのように思えた。これらはすべて、モンタナでの撮影で疲れ果てた状態で、前の日の夜中過ぎに街に戻ってきた後に行うのだ。長袖のアメリカン・インディアン運動の服を着たヴィゴは、誰も驚かないだろうが、裸足で現れた。同じくインディペンデント系の Perceval Press から出版された彼の新しい作品集「Coincidence of Memory」から詩を朗読する前に、彼は夢見心地のオーディエンスにノーム・チョムスキーの「9.11」を買うように勧めていた。

ヴィゴも Perceval の編集者ピラー・ペレスも、サインを1人につき一定時間内に収めるつもりでいたが、疲れを知らないこの多才な男が、ファン1人1人に彼女たちが夢見ていた1対1の応対をすることを止めることはできなかった。握手をし、数え切れないほどの写真撮影に応じ、裸足の足の写真まで撮らせてあげていた。彼の後ろで何時間も立っているのに疲れたのは、まさにそれが原因だ。インタビューの時間は延びていたので、ミッドナイト・スペシャルが無事にコトを運ぶのに一役買おうと思いついたのだ。私は座らなかったし、また、文句も言わなかった。

サイン会が終わる頃には、もう夜中の2時を回っていた。こんな時間にインタビューしようと言い出すなんて、自分がサイテーなやつのように思えた。しかし、今夜のイベントももう終わりに近づいているというのに、彼は始まったばかりの時と同じくらいの熱意を見せてくれた。それに、彼はウィスキーを1本送ってくれた。

言っただろ、疲れを知らない人だって。

Q: Coincidence of Memory はカントの有名な引用で終わるよね。 “Seek not the favour of the multitude; it is seldom got by honest and lawful means. But seek the testimony of the few; and number not the voices, but weigh them.” (訳注: 直訳すると大体このような意味になります。『大衆の好みや支持を得ようとするな。それは、めったに正直で法に従った方法で得られていないからだ。しかし、少数の人の証言を捜し求めなさい。言葉の数を数えるのではなく、その意味をよく考えなさい。』) この引用はあなたの作品をどう語っているの?そして、この引用はあなたにとってどんな意味があるの?

他の人の意見を聞くことは良いことだと思うよ。だけど、もし人から認められることを望んで物を作るとしたら、それは・・・この引用が意味することとは少し違うよね。だけどこの引用は、人のためにはやらないってことを考えさせるんだ・・・僕はオーディエンスのためにはやらないからね。まぁ、このサイン会はオーディエンスのためにやっているけど。本を買ってくれたこと、いろんな所から来てくれたことに対するお礼としてね。全部は知らないけど、中にはテキサスやラスベガス、カナダから来た人もいるんだ。

Q: オーストラリアから来た人もいたと思うよ。

そうなのかどうか知らないけど、そんなこともあるんだよ!(笑) 日本から来た人もいるしね。だから、せいぜい僕にできるのは、本にサインして感謝することぐらいなんだ。だけど、本の中の作品はファンのことを考えながら作ったものじゃないよ。僕はファンのために作ったりはしない。 “誰かがこれを気に入るかもしれない” なんて考えて、作品を本に入れたりはしないんだ。以前に売れたことがある作品を展示会に出品することはあるけど、それはあくまでもギャラリーのことを考えてのことなんだ。少なくとも売れるチャンスがある作品もあるからね(笑)。だけど、自分が気に入ってない作品は出さないよ。そうだね、展示会に出して上手くいくもの、写真か何かになるかな。なんだか、とりとめもなく話してるね・・・。

Q: いいよ、続けて。

自分が楽しむためだけに作るんだ。そうすれば他の誰かも喜んでくれる可能性がでてくる。僕にとってあの引用が意味するのは、そういうことなんだ。誰でも耳を傾けることができる友人の1人や2人はいるだろう?彼らに同意する必要はないけど、その意見は無駄ではないよね。もしすべての人に気に入ってもらおうとしたら、結局は本当に自分のだと言えるものを作っていることにならないよ。

Q: 芸術のプロセスだから、外側でなく、むしろ内面を見るってことなんだよね。

そう、詩でも、彫刻でも、絵でも、レコードでも、CDでも何でも、おそらくいい感じに上手く作ることはできるだろうね。だけど、それらは所詮 “いい感じ” 止まりなんだ。個人の感情表現がしばしば取り得るような、重々しくて複雑なものにはなり得ないんだ。

Q: それに、正直なものにもならないよね。

そうなんだ。単に消化しやすいものになるだろうね、ある特定の人向けの・・・。何て言うのかな?特に誰というわけでもない、平均的な人々、とでも言えばいいかな。だから、本当の意味ですべての人のために作っているんじゃないんだよ。曖昧な不特定多数の人のために作ってるんだ。それがあるべき姿だとは思わないね。お金にはなるかもしれないけど、満足感は得られないよ。

Q: カントの引用が引っかかってるんだ。だって、今や世間で注目のサンタモニカ・プロムナードから締め出されかけているインディペンデント系の書店、ミッドナイト・スペシャルでサイン会をやってるだろ?この状況、つまり、地域のどこもかしこもチェーン店に置きかわって、インディペンデント系の店がなくなっているという傾向についてどう思う?

僕はミッドナイト・スペシャルで本のサイン会や朗読会といった類のことをやったことは、今まで一度もなかったんだ。ここでいくつか素晴らしいイベントがあって、それに来たことはあるよ。それに、ここから遠くないところに住んでるから、本を買う時はいつもここに来るんだ。だから、チェーン店よりはむしろ、ミッドナイト・スペシャルにいつも来るだろうね。チェーン店には良い本がないって言っているわけじゃないんだ。時々は同じ本も置いてあるよ。だけど、この店の人たちは特別なんだよ。いつも余分に努力してるんだ。ここで行われるイベントやそれに来る作家たちは、ここでなければ見れないような人たちなんだ。この場所から移転せざるを得ないのは知っているけど・・・つまり、彼らを助けるためにサイン会をやったとは思ってないよ。今晩みたいに上手くいくのは良いことだけど、それで彼らをここに留めておけるなんてことは決してないんだ。ミッドナイト・スペシャルに敬意を表すつもりでここでやったんだよ。この場所が好きだし、僕は忠実なお客さんだからね。

Q: これはすごく大きな質問だって分かってるけど、ミッドナイト・スペシャルみたいなインディペンデント系の店が、このようにマーケットから経済的に締め出されてしまうのではなく、もっと繁盛して存続するためには何をしたらいいと思う?

大きな爆弾(Big bombs)だよ。(笑)

Q: Big bombs?それってスパイナル・タップの歌?

“Big Bottom(大きなお尻)” (まだ笑っている)

Q: “Big Bottom”、そう、そのタイトルだったね!いや、冗談だよ。「Coincidence of Memory」について話そうよ。そもそもの始まりについて聞かせて。この25年間の作品の集大成になってるよね。

うん。どうやってこんな風になったのか分からないんだ。しばらくの間、詩集を作りたいと思っていて、その頃、もう仕上がったように思えて、満足がいく詩がある程度あったんだ。それでどうせなら「Ten Last Night」からもいくつか入れようって思ったんだ。あの本は長いこと絶版になってるけど、Beyond Baroque や80年代、それに90年代初期にそこから出てきた作家とある意味つながりがあるんだ。だけど、80年代を通してずっと Illuminati Press はユニークな本を作ってきたんだ。それで光栄にも、編集者のピーター・シュナイダーが本を出さないかって言ってきて、それで、そこから1冊本を出したんだ。僕がまだ Beyond Baroque のワークショップにいつも行ってた頃のことだったね。ほんの少ししか出版しなかったから、皆いまだにあの本を手に入れようとしているんだ。僕も自分のを持っていなかったくらいなんだよ。全部あげちゃったんだ。だから、その本を持っていた友人から借りて、その中の詩を見て、いくつかを Coincidence に含めたんだ。

だけど、それらの詩をいつ書いたのか思い出そうとしている間、これってほとんど日記みたいだって判断したんだ。それで、それぞれの詩に、それを書いた年を付けたんだ。詩を書き直して、オリジナルの年に今年の年を付け足したものもあるよ。他の本に入れたことがない絵(それか、同じ年に描いたいくつかの絵)についても同じことをやったよ。僕の他の本を買ったことがある人か、僕の作品に興味を持ってくれている人にとっては、作品の年代を知ることができるから、少し面白いかもしれないね。それに、古いものと新しいものを思い出せるから、僕にとっても良いことだったんだ。それから、「Signlanguage」には、壊れていてショートするカメラを使って撮った、一連の写真があるんだ。

Q: オレンジのフレア(光)があるやつ?

そう、あのシリーズはもっと沢山あったんだ。だから、「Signlanguage」で使わなかったやつを少し Coincidence にも入れたんだ。

Q: あのフレアがどうやて出来たのか考えてたんだ。あの焼け跡は現像のプロセスで出来たのかと思ってたよ。

いや、カメラが原因なんだ。フィルムを送ってフラッシュを動作させるワイヤーがおかしくなったんだ。釣りをしてた時にカメラを落として、濡らしちゃったんだ。カメラは乾いたけど、それ以来あんな風になったんだよ。1ロール撮影して、最初に見た時は、“なんてこった” って思ったよ。でもよく見ると、中にはちょっと面白い感じに見えるのもあったんだ。だから、次のロールからは、ワイヤーを片側までずっと動かして、フレアもその方向に行くようにしたんだ。それから、真ん中、右、下に動かして、カメラが完全にダメになるまでに、多分8ロールくらい撮ったんじゃないかな。

Q: それは面白い物理的な操作だね。デヴィッド・リンチが「ロスト・ハイウェイ」で使ったやつみたいだよ。彼は他の操作では決して得られないようなぼやけた映像を撮るために、実際にカメラからレンズを取ったんだ。あなたは絵や詩、写真など異なるものを手掛けているけど、どれが一番やりがいがある?どれも同じ満足感をもたらすの?

全部同じものとしてとらえているよ。実質的に言えば、唯一違うのは映画だよ。映画では、完成した作品は自分の手を離れているからね。演技をすることは好きだし、映画制作のすべてのプロセス、それにチームワークも好きだよ。どんなに映画が大きくても、個人的感情を含まないものにする必要はないんだ。だけど、俳優としては、言ってみれば、絵を完成させることはないんだ。

今、映画の撮影をしていて、モンタナの何もない所の丘に、クルーが全員座ってるんだ。2、3日前にひょうが降ったんだけど、皆ただそこに座っていて、1890年の衣装で千頭近い馬の群れとシーンの準備をしているみたいだったよ。その待ち時間はまるで儀式のようで、何かが起こるかもしれないという神聖な瞬間を準備しているかのようだったよ。式典や祭服、それにすべてのエレメントを表す言葉があって、そして何か良いことが起こるよう願うんだ。グループが一緒になってやるのは、今でも面白いよ。

だけど、俳優として個人でやることの最終的な結果は、自分のものじゃないんだ。誰かがどう編集するかによるけど、いつもは自分のものだということをそれほど認識しないよ。だけど映画以外のものは、良くも悪くも、過程も結果も両方自分のものなんだ。

Q: Coincidence にある “Edit” を読むとそのことを考えるよ。“ポップコーンの匂いのする墓場” ってあるだろ。

そう、あれは10年か11年前に書いたんだ。あれを書いた時は、ある意味ジョークのつもりでいたんだ。当時の状況に対してちょっとだけユーモアを持とうとしていたんだよ。だけど、おそらく今よりも頭にきていたんだろうね。そういうものなんだって受け入れられるようになったよ。それが普通で、つまり、監督か誰かに編集権限があるんだ。彼らの絵で、僕はその一部にすぎないんだ。

Q: 詩や写真などのうち、どれが今でもチャレンジだと言える?あなたが既に全部をマスターしてるって言ってるんじゃないんだ。でも、あるものは他のより簡単だったりするだろう?

その日によるよ。分かるだろう?演技に関する限り、どんなに難しそうにみえても、どうにかしてやり遂げられるということは自分で分かってるよ。以前にも難しいと分かってることをやり遂げたことがあるからね。他のものについても同じことが言えるよ。多分、絵かな。自分にとって一番新しいものだからね。だけど、絵をダメにしても描き続けられるということが分かったんだ。別のものになるんだよ。

Q: 常に作成中なんだ。

そうなんだ。だからって慌てふためく必要はないんだ。ただひたすら描き続けることもできるし、もしそうしたければ、サンドペーパーで全部にやすりをかけてしまうこともできるんだ。実際にそうしたこともあるよ。そのプロセスですら、何か面白いものになるかもしれないんだ。君がさっき話していた、レンズを外す話と同じだよ。僕もやったことがあるんだ。レンズが壊れたカメラを持っていて、実際に2日前にモンタナでやったんだ。沢山の馬が走っていて、写真を撮っていたら、レンズが突然ダメになっちゃったんだ。だから、レンズを外したんだ。どんなふうに仕上がるか分からないけど、外形と色が流れているようなものになればいいなと思ってるんだ。

Q: Coincidence では、ニュージーランドや他の場所で沢山の写真を撮ったよね。どこに行くのにもカメラを持ち歩くの?ニュージーランドのような場所には驚いたんじゃない?

そうなんだ。あんなに沢山撮るとは思ってなかったよ。毎日撮影だったし、いつも疲れ果てていたからね。だけど、あの期間たしかに沢山の写真を撮ったよ。普通は撮影現場では撮らないんだ。それに付属するものだからね。だけど、結局沢山撮ることになったんだ。今撮影している映画でも、もう結構沢山撮ったよ。物語に動物が関わってくると面白いよね。今回の映画では、ほとんどずっと馬に乗ってるんだ。

Q: Coincidence にあるような、生体解剖された豚はないの?

それはまだ教えないよ。だけど、死んだ動物のはもうあるよ。

Q: それもまたリンチみたいだね。

彼はそういうことをやるの?

Q: 死骸の写真をシューリアルなイメージに変えたんだ。俳優業以外の自分の仕事を続けることと、次のロード・オブ・ザ・リングの映画、「二つの塔」と「王の帰還」で爆発的な人気が出るだろうということと、この2つのことによってもたらされる難しい状況について聞きたいんだ。自分がやりたいことを続けるために、どうやって世間の注目を逃れようとするの?今夜のサイン会だって、予定よりも何時間も長くなって、もう疲れ切っているだろ。

うん、沢山の人が来たからね。

Q: しかも、あなたは彼女たちにとても優しいよね。

そうだね、とてもいい人たちだからね!上手く付き合おうとするほうが、単に簡単なんだよ。モルヒネでもやってる人みたいに聞こえるね・・・。詩の朗読をはじめた時は、“くそっ、ちゃんとしゃべることもできないよ” って思ったよ。

Q: 誰も気が付かなかったと思うよ。みんなクレージーになってたからね。

クイズ番組みたいな雰囲気じゃなかった?

Q: そうだね。だけど、とても楽しかったよ。ロード・オブ・ザ・リングは巨大なプロジェクトだよね。それで今度、「二つの塔」と「王の帰還」での中心的なテーマは、フロドと同じくらいに、アラゴルンをめぐって展開すると思うんだ。だから、マスコミからの注目は常軌を逸したものになるよね。自分の独立を保ちたいっていう要望と、そういったものからの距離と、どうバランスとるつもり?

こういった本のサイン会をやると、今では以前より沢山の人が来るようになったよ。手紙や、プレゼントももらうしね。時には妙な物をもらうこともあるけど、ほとんどの場合は、本当にありがたいものだよ。だけど、同時に圧倒されちゃうんだ。全部見なきゃいけないって分かってるからね。もらった物の大部分は僕の家の片隅を占めているよ。すぐには返事を出せないでいるんだ。

Q: 今までで一番ヘンだったものは何?

いや、ただの手紙とか物だよ。信じてる人からの・・・。ほとんどの手紙はフレンドリーで興味深いものだけど、たまにはヘンなのも来ちゃうんだ。

Q: あなたが本当にアラゴルンだって信じてるんだ。

そう、そういう人もいるよ。それか、その人のお父さんとか、息子とか。だけど、知らない人からこんなにも沢山のファンレターをもらうのも、それはそれでヘンな感じがするよ。ロード・オブ・ザ・リングの他の出演者も、みんな同じ状況だとは思うけどね。ものすごい量なんだよ。だから、もし本のサイン会をやってる時か、街で見かけた時ならOKだけど、それ以外はこれ以上できないって言わざるを得ないかもしれないよ。毎日、何時間もかけているから、他のやらなきゃいけないことをやる時間がなくなるんだ。

Q: 詩、写真、絵について、基本的に質問は以上だよ。

それで、どうにかしてその問題をなくそうと思うんだ。もし誰かがそこにいて、僕が彼らに気づいた場合は問題ないよ。ほとんどのファンは悪気はないからね。だけど、返事を出すとなると話は別なんだ。僕が出した返事にまた返事が返ってきて、そこで関係を築こうとする人もいるんだ。

Q: 返事を出すのをやめた時に、悪い人だと思われたくないんだ。

うん、そうだね。どのくらい時間がかかるかっていう問題だと思うんだ。他の人がやってるみたいに、スタンプでごまかしたり、誰かにサインを真似させたりっていうことはしたくないんだ。それだと形だけのものだから、いっそのことやらない方がいいよ。だけど、僕の仕事を気に入ってくれて、それについて何か書いてくれるのは嬉しいよね。映画だけじゃないんだ。他のことについても書いてくれるんだ。嬉しいよ。本当に感謝しているけど、寝る時間がなくなっちゃうんだ。だって、それが犠牲になるからね。もう既に睡眠不足なんだよ。

Q: あれ!いつでも終わりにしていいよって言っておいたじゃん!

(笑って)もうすぐ終わるよ。もう一つは、もし自分が何かをやるなら、正しい方法でやりたいんだ。

Pilar Perez: さっき言おうとしたんだけど、独立系の店と同じ精神で、ということが結局 Perceval Press なのよ。それに、Perceval Press のウェブサイトの推薦本のリストや、今夜のサイン会に見られるように、私たちは何かを探しているファンでもあるの。どんどん発展していってると思うわ。

世界の様々な地域で、これらの本を買ったり注文している人が沢山いるのは、不思議な感じがするよ。すぐに、Perceval Press は他の本も出版できるようになるよ。今まで誰も考えなかったような本をね。キューバのような異なる場所からのアートや作品といった、特にアメリカの人々が知るのが難しい、他では見られないような本について、いくつか異なるアイディアを持ってるんだ。

Q: これらすべてを乗り越えて、独立系のものを Perceval Press から手に入れることができるようになる方法はないの?

今夜のようなイベントやこの一週間で、これだけ沢山の本を売ることができるのは、ロード・オブ・ザ・リングの成功で注目されているからだっていう事実はよく分かっているよ。もし僕があの映画に出ていなければ、先週売れたのは10冊、ここには来たのは50人かもしれない。それでも十分だけどね。だけど過去には、あの映画の前に、僕はずっと長いこと詩の朗読をやってきたんだよ。ロサンゼルスやサンフランシスコで詩の朗読会をやって、100人も人が集まったこともあるよ。逆に、時には100人収容できるような場所で、5人しか来ないこともあったよ。

Q: そうなんだ。

それでも、ただやるしかないんだ。だけど、今はもっと沢山の人が来てくれるだろうね。

Q: それに、詩というものに、十分受けるに値する注目をもたらしてくれているよね。ある意味、詩はこの何世紀の中の素晴らしい表現形態だけど、他の表現手段が激増してるから、まだ皆の支持が必要なんだ。

沢山の人が詩を読むし、今夜ここに来た人で詩を書く人も沢山いるけど、とっても恥ずかしがってるんだ。何について書いたのか聞いて、続けるように励ましたよ。人は詩を日記のように1人でこっそりやる小さなものだと思ってるようなんだ。だけど本当は、詩というのは、色々なやり方で作ることができるし、他の人と共有することもできるし、好きなようにできるものなんだ。

2002年9月20日

このインタビューに協力してくれた、常に寛大なピラー・ペレスと Perceval Press (頭韻を踏んでるね!)に大いに感謝します。読者の皆さんも彼女やヴィゴに感謝したければ、Perceval の素晴らしいカタログを一度見て下さい。

translated by yoyo