Film Review: Yearbook 2004  2003.11.20
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The One King

この二年間、ヴィゴ・モーテンセンは、勇敢なヒーローで、むさ苦しいがいい男を演じてきた。指輪三部作のクライマックスで王となる男に、ブライアン・カーンズが聞く。

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Q: 撮影中、どの辺のシーンを撮っているかわかりましたか。最初、真ん中、あるいは最後のシーンというように。

これは一つの長い物語で、進むにつれてだんだん複雑で困難になっていく話としか僕は考えなかった。恐らくトールキンもそうだったと思う。彼は自分で落とし穴を掘っているんだ。まず、旅の仲間の解散で、3つのストーリー、ガンダルフも入れれば4つのストーリーを操って面白いものにしなければならなかった。当然、第三部では、いかにしてこれらのストーリーをさらに面白くして、旅の仲間を再会させるかということが問題になった。それはPJにとっても同じで、彼の課題は、それらを盛り上げていき、バランスを取りつつ、もっと重要な出来事も同時進行させることだった。

Q: この冒険物語も三分のニが終わり、「王の帰還」ではどのような危険がアラゴルンに課せられるのでしょうか。

常に彼に課せられてきた最大の課題、つまり、自分を見失わないことというのはここでも変わらない。ヘルム渓谷の戦いに始まり、「王の帰還」のアラゴルンはもはや、人のために何かをしては立ち去るということに満足してはいられない。今度は、みんなに知られ、判断を下されるアラゴルンなんだ。孤独なレンジャーではなく、人々のリーダーであることを迫られている。たとえば、彼が戦略の決断を下し、みんなについて来てほしいと言った場合、それは彼の頭上にかかってくる。馬に乗って黒門に行き、フロドのための時間稼ぎという自殺行為とも言えるようなことをするのは彼一人だけじゃないんだ。共に闘う決心をした友人と軍隊が、彼にはついている。彼が誰に何をしろと命令したわけじゃない。

Q: 王となるために、アラゴルンが死者の道を通らなければならないというのは、どういうことなのでしょうか。

彼らは、昔アラゴルンの遠い祖先に対して、ゴンドールのために闘うとの誓いを破った者たちの幽霊なんだ。その罰として、山の中の死者の道に閉じ込められている。彼らが約束を果たす日が来るまで。しかしそのためには、王となる者の命令が必要なんだ。王位を継ぐ者は一人しかいない。それがアラゴルンなんだ。確かに、彼は仲間のギムリやレゴラスと一緒に立ち向かって行く。でも、これはむしろ、王となるための試練として、象徴的・心理的な意味を持つものなんだ。  じゃ、彼らが通れないなら、アラゴルンだって同じゃないかって?死者の道を通るということは、幽霊がいかに恐いかとか、ここに入るのが肉体的にどれだけ大変かということよりむしろ、精神的な旅のクライマックスなんだ。本当に厳しい闘いなんだよ。

Q: 不安以外に、アラゴルンは王になることをどう考えているのでしょうか。

LotRの初めの方で、エルロンドがアラゴルンに「これはお前の運命なのだ」と言うと、アラゴルンは、振り向きもせずに母親の墓の前でこう言う。「私にはそのような力はありません。望んだこともない」とね。仲間やミドル・アースについての自分の立場はちゃんと理解していたことは間違いない。70年間も人を助ける仕事をしてきたんだから。それは勇気の問題じゃない。彼はただ、自分の出生に関わる責任を押しつけられて、不安であり、ちょっと頭に来ているだけなんだ。定め・運命・自由意志の重要性を扱った本の面白いところだね。面白いコントラストだ。

Q: ヘルム渓谷の戦いには圧倒されましたが、規模という点で、ペレンノールの戦いはどうなんでしょう。

僕はまだ完成したものを観ていないんだ。他に、黒門の戦いもあるよ。ペレンノールはヘルム渓谷のドワーフ版(ちょっと規模が小さい)といったところかな。こっちは昼間だけど、馬での戦いはもちろん、空飛ぶ巨大な動物もあれば、今回新しく改良されたスーパー・オークも登場する。黒門では、さらに大きくてタチが悪く、昼夜問わず戦えるスーパー・トロールが出てくる。敵の数と種類という点でははるかに多い。ヘルム渓谷の1万人もすごいけれど、今回はもっとすごい。信じられないくらいだよ。

Q: そのような大掛かりで手の込んだ戦闘シーンの撮影の連続では、肉体的にも精神的にもかなりの消耗でしょうね。

もう、ぐったりだけど、チームで仕事をしているから、みんながんばるって感じさ。みんなが裏で座り込んでるというのなら別だけど。でもこの映画では、ボタン一つにしても、刺繍、剣、ナイフ、靴、馬、一つ一つの振り付け、どれをとっても完璧に作られているんだ。今までそういうのは見たことがないし、これからもないかもしれない。本当に疲れている時は、誰かが手を貸してくれる。まさにチームワークだったね。

Q: アクションの後ではラブストーリーもいいと思いませんか。

そうだね、ペースを変えるための息抜きになる。特に、美しいエルフの女王の場合はね。ケイト・ブランシェットにリヴ・タイラー、エオウィンのミランダ・オットーも。これらのシーンはそれなりに難しくもあるんだけど。

Q: エオウィンはどのような女性なのでしょう。

原作ではとてもしっかりした人物で、第三部では特にそれがわかる。ある意味で、彼女は非常に現代的なんだ。一つのロールモデルとして、とてもたくましく、自立していて、戦うことを心得ている女性と言っていい。

Q: あなたの鏡には「逆らわずに順応し、乗り越えよ(Adapt and Overcome)」と書いたメモが貼ってありましたが、なぜそう書いたのですか。また、この三部作をやり遂げるのにどう役立ったのでしょう。

初期の頃に武器の稽古をつけてくれた人から聞いて、ぴったりだと思ったんだ。撮影中はまさにこの通りだったよ。天候はもちろん、当日の場面の変更や書き換えに順応しなければならなかったんだ。映画のストーリーと同じように、常に驚きがあって、うまくいったと思ったら、より大きな障害が現れる。レベルが上がる毎に難しくなっていくビデオゲームみたいなものさ。

Q: 一番辛かったのは怪我の克服ですか。

いや違うよ。みんなが僕やオーランドの歯や骨折のことを取り上げるのは、僕らが俳優だからさ。怪我をした人は大勢いるんだよ。幸い、うんとひどい怪我はなかったが、怪我や疲労は当たり前と思わなくてはならなかった。僕のスタントで、僕よりひどい怪我をした者もいる。俳優だから特別に書かれるんだ。スタントの者がひどい怪我をしたと僕がいくら言っても、記事にはならない。それよりも、これは「短距離レース」ではなかったから、精神的にタフでなければならなかった。もうすぐ終わると実感したのは、長い時間たって、撮影もほぼ終了する頃だった。三年経ってもまだ、追加撮影しているなんて夢にも思わなかったよ。

Q: アラゴルンの役を勧めたのは息子のヘンリー君そうですが、第三部の感想は?

ヘンリーは普段から控え目な子だから、彼のことをよく知っていれば、「そっちはよかったよ、こっちもいいね」という答えなら褒め言葉と思っていい。その代わり、失敗したら、細かく指摘されるだろうよ。彼はとても満足しているようだし、後でわかったんだけど、彼曰く「ついにアクションヒーロー」を僕が演じてうれしく思っているようだ。そのことに早く気づいてやればよかったと思う。

Q: 学校では、アラゴルンの息子と見られているのでしょうか。

そうじゃないと思うよ。少なくとも僕の知る限りでは。そうやって友達の気を引こうとするような子じゃないから。ストライダーと僕じゃ、能力が全然違うしね。

Q: 記念に何か小道具をもらいましたか。

レンジャーの剣をもらったよ。「王の帰還」で鍛え直された剣をもらうまで使っていたやつ。傷だらけだけど、いつも鋭く研いでおいたんだ。いい記念だよ。映画の小道具をもらったのは初めてなんだ。プレゼントされた後、「後で送りますから」と言って持って行かれたよ。まだ受け取っていないけど、そのうち届くと思う。

Q: 他の共演者のみなさんが述べているような深い絆ができたと思いますか。

うん。嫌いになることだって考えられるのに、そうじゃなかった。長期間だったからね。でも、PJとスタッフが集めた人たちだからこそ深い絆ができたんだ。こんな経験は他には考えられないよ。特に映画の仕事ではね。それに、こんなに撮影期間の長い映画に出ることはもうないと思う。この思い出と友情は、僕には剣よりも何よりも貴重なものなんだ。

Q: 第三部の後、再びアラゴルンに会えるのでしょうか。

僕にとっては、ストーリーはまだ続いてる。LotRは「人間の時代の夜明け」で終わるんだけど、それに伴ってあらゆる問題も生じてくるんだ。この本に教訓があるとすれば、それは、油断することなく、自分自身を注意深く見つめ、誤ったことをしないこと。それに、アラゴルンの寿命は250歳。まだその半分もいってないしね。

Q: 最後に、LotR三部作の撮影の後では、他のことは楽に感じますか?

うん。これに比べれば、何でも楽に思えるね。サハラ砂漠で「ヒダルゴ」を撮影してる時、スタッフがこう言ったんだ。「ああ、どうしよう。こんなに長くかかってしまって、まだ先が長いのに。それに天気も風も・・・。」僕は何も言わなかったけれど、こう思っていたんだ。「何言ってるんだ。(長い撮影がどんなものか)知らないくせに!」

番外編: フリッパ・ボウエン(脚本家)のインタビュー

Q: ヴィゴ・モーテンセンによると、FotRでボロミアが死ぬ大事な場面の準備として、撮影の前の晩に彼とショーン・ビーンに稽古をつけたそうですが。

ええ、そうよ。クイーンズタウンでの撮影の前の晩、フランとピートが急用でいなかったので、ヴィゴとショーンをホテルの私の部屋に呼んだの。普通なら女の子の夢よね。でも、私はもうくたくただったの。「お願い、帰ってくれない。とても疲れているの。もうやめましょう」って感じ。おかしいでしょ。私のしたことが役に立ったとは思っていないわ。それほど、ヴィゴとショーンは仲が良かったのよ。・・・

Q: 出演者たちには役柄の背景などを説明したのですか?例えば、ヴィゴは、アラゴルンにはストライダーの他にたくさん名前があると言ってましたし、アラゴルンの子供の頃のことや、エルフのもとで育ったことなど、映画に出てこないことをいろいろ知っていましたよ。

あら、もちろんそうよ。ヴィゴのような人なら特に。アラゴルンは実は一つの典型で、TTTとRotKでは北欧のサガからきているの。だから、ヴィゴがアラゴルンに注ぎ込んだものは貴重だったわ。彼はアラゴルンを、リアルで生身の人間にしたの。どの道を選択するかで苦悩する人間にね。脚本家として、俳優をよく知っているということは、ほんとに重要なことよ。

Q: そして、脚本家として、アラゴルンの性格に様々なニュアンスを加えることで、原作よりもはるかに悩める、まるでハムレットのような人間に描いたのですね。自分に定められた役目を受け入れることに、かなり葛藤していますよね。

原作のアラゴルンは、エルロンドの会議で剣を手にした時に、自分が誰であるかを認め、その姿勢は最後まで変わらないの。英雄行為を数々するけれど、自分の素性への理解は全く変わらない。だから、原作では、アラゴルンの身に何かが起こりはしても、彼の内面の出来事じゃないの。そこをアレンジするのに苦労したわ。ヴィゴは自分でこの役を大きく発展させたのよ。

Q: ヴィゴを獲得できて幸運でしたね。しかも、ぎりぎりになってスチュアート・タウンゼントと交代しましたよね。

スチュアートはすばらしい俳優よ。いい人だし。ピーターも言ってるけど、これはスチュアートのせいじゃなくて、私たちが悪いの。彼はこの役には若すぎただけ。ヴィゴは年もぴったりだし、文化に対してそれなりの感性も持っている。半分デンマーク人の血が流れているから、この役をやりやすかったのね。北欧神話のサガと直接つながっているんですもの。もうアラゴルン役は彼しか考えられないわ。

Q: ヴィゴの話では、この役を勧めたのは息子のヘンリー君だそうですね。「パパ、ストライダーってかっこいいんだよ。すごい役だと思うな」と言ったそうですが。

このプロジェクトには運もかなり作用しているの。ヴィゴがアラゴルン役を引受ける決心をした日は、私たちにとってもラッキーな日だったわ。ピーターはヴィゴと電話で話していたし、ニューライン側も彼のエージェントと、私とフランもヴィゴと話したわ。彼は二三質問をしてきたけど、考える時間はほんの少ししかなかったの。もう撮影が始まっていたから。ある日、彼の返事を聞く前だったけど、ピーターのオフィスにいたら、彼のアシスタントのジャン・ブレンキンから、「ヴィゴ・モーテンセンから電話が入っているけど、誰かと話したいって」という電話があったの。ピーターがいなかったから、私が出たわ。そしたら、こう言ったの。

「もしもし、ヴィゴ・モーテンセンです。一つ質問があるんですが。エルフに引き取られた時、僕は何歳だったんでしょう?」

それでわかったの。きっと彼はこの役を引受けるって。

番外編: その他

バリー・オズボーン(プロデューサー)のコメントから、いろいろな人の意見を取り入れて、台本の書き換えが頻繁に行われたことについて。

「たとえば、FotRで、アラゴルンの背景を少し入れたいとヴィゴが言うので、彼の主張を取り入れて、アラゴルンが裂け谷で母の墓を訪ねる短いシーンを加えたんだ。それによって、アラゴルンがどんな人間で、どこから来たのか、また、何を受け継いでいるのかをはっきり描くことができた。結局カットされてしまったが、DVD: SEEで復活したんだ。」

FotRのボロミアの死のシーンについて、Viggoのコメント

「リハーサルはしたけど、特にこんな風にしてほしいという話はなかった。話し合いやリハーサルの時間なんてめったになかったよ。撮影当日の朝に台本を書き換えることなんてざらだった。このシーンの撮影は早くてね。最初の月だったな。前日の夜、ショーン・ビーンと僕は、フィリッパ・ボウエンと一緒にこのシーンについて相談したんだ。ピーターは前もって、僕たちに話す内容を彼女に伝えていたと思う。夜遅くまで話し合って、伝えたいポイントを引き出すにはどうするのが一番いいかを考えたんだ。ショーンと一緒の話し合いはとても満足のいくものだった。ショーンとはうまくやれたよ。自分達の希望を全体的な面から考え話し合うことができた。あとは、実際の演技や感情の描き方は、有機的にできあがっていったんだ。午前と午後に半分ずつ撮影し、まる一日かかった。ずいぶん時間をかけたなぁと思う。終わりの頃だったら、おそらく半日で撮っただろうね。ここは、ピーターはもちろん、ボロミアにとっても非常に重要なシーンなんだ。ボロミアが、汚名をすすぎ、一時的な迷いから生じた心の弱さを償う場面だからね。彼は自分の命を犠牲にして、十分我が身をあがなった。そして、この場面はアラゴルンのターニング・ポイントでもある。これをきっかけとして、リーダーとして、これまで以上に大きな責任が課せられるんだ。出来には満足している。まるで原作そのものだよ。」

translated by estel