IGN Filmforce  2003.12.12 原文
ヴィゴ・モーテンセン インタビュー: IGNが新しい王に聞く

By Jeff Otto

2003年12月12日 — 長い間、ヴィゴ・モーテンセンは、批評家の尊敬を集める俳優としてハリウッドで地道に活動してきた。『カリートの道』や『目撃者』のようなポピュラーな作品に出演しているものの、批評家以外にはあまり知られてこなかった。彼は映画によく溶け込み—それがまた彼の演技力への賞賛につながっているのだが—いろいろな役を自然体でこなしてきた。この壮大な三部作への出演で、ヴィゴ・モーテンセンは瞬く間にスーパースターになろうとしている。

モーテンセン自身も認めていることだが、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作への出演は、初めはちょっとしたギャンブルであった。PJ監督によってアラゴルン役に抜擢されたものの、三部作がどのように受け入れられるかは、当初誰にもわからなかった。三作を一挙に撮影していたため、三部作の行方はほぼ第一部の成功にかかっていた。

周知の通り『ロード・・・』三部作は、批評家の間でも商業的にも最も成功した三部作になろうとしている。アラゴルン役として、モーテンセンは、ポップカルチャーの歴史に永遠に残るような演技を見せている。モーテンセンの演技同様アラゴルンという人物も、これらのストーリーの中で大きく成長する。最終章『王の帰還』で、アラゴルンは新しい王として王冠を授けられる。

部屋に入ってきたモーテンセンは、兵士の角刈りのような短い髪。『王の帰還』の時とかなり違って見える。待っていた大勢の報道陣に笑顔をふりまき、「ずいぶん大勢だなぁ。映画の撮影みたいだ」と笑って言う。

Q: イライジャ・ウッドは、撮影を通して常にあなたに刺激されたと述べていますが、それほどの影響を与えていたことを知っていましたか?

この映画に関わった人たち全員に言えることだが、ピーター(ジャクソン)を初め、彼が選んだ人たちも皆、長期の撮影で少しいらいらしたり、あるいは単に性格から、最初は自分のことしか頭になかったのが、最後には周りの人たちの面倒を見るようになっていた。... トンネルの出口までいかないと、光は見えてこないという感じだった。... それに、主な撮影が終わっても、追加撮影があるとわかっていた。だいぶ前だけど、2000年に、ピーターはこう言ったんだ。「いいかい、この映画が成功したら、戻ってきて追加撮影するから」って。その時は、こんなにうまくいくとは思わなかったし、彼の言葉の意味もわからなかったよ。... さっき冗談で言ったように、みんながいい雰囲気でがんばったんだ。たとえば、誰かが具合が悪かったり、疲れていたり、困っている時、「今朝5時の変更です」なんていう時もね。「意見があるんだけど」、「この辺のストーリーだと思っていたけど、ちょっとわからなくなった。これはどういう意味?つまり、これは誰の台詞?ピートのやろうとしていることは?」という具合にね。誰もがこんな調子だった。しかも、ピートは50マイルも離れた別のユニットで撮影している時もあったんだからね。... まさにチームワークさ。そして、ピートがいてもいなくても、みんなが自分のことはもちろん、お互いの面倒を見合うことを、彼も期待していたと思うよ。戴冠式でアラゴルンも言うだろう?「今日という日は、私一人だけのものではなく、皆のものだ」って。現場での経験もこれと同じだった。これ以外のやり方はあり得なかったし、そうやってうまくいくのなら、そうしなくちゃって、みんなも思ったんだ。

Q: そうでなければ、どうなっていたと思いますか?

お互い嫌いになっていたかもしれない。ひどいことになったと思うよ。映画の出来だってあまり良くなかっただろうし、今ここにもいられないよ。第一作目が失敗したら、あとの二作はビデオだっただろうから。

Q: 特に、三作一度に撮影という特殊な状況では、撮影中だけでなく、撮影以外でも、真の連帯感が絶対に欠かせなかったでしょうね。

うん、全くその通り。そして、それは原作と大いに関係があるんだよ。トールキンの本のテーマとね。 ...スタッフがパラパラ原作をめくったり、キャストがぼろぼろになった『指輪物語』の本を取り出して、「ああ、やっぱり。ここはそういうことなんだ」なんて言ってる光景はざらだった。それは、僕たちも原作が好きだから、ストーリーに影響を受けたからなんだ。観客と同じようにね。日本、アルゼンチン、アメリカ、どこの観客でも。彼らは、ストーリーに注目し、それを自分の人生と結びつけて考える。つまり、空飛ぶ生き物、とんがり耳の種族や魔法使い、驚くような光景がどれだけ出てきたかが問題じゃない。何かとても人間的なものが物語の核になっている。(それは)道を誤りやすい弱さということなんだ。 ...だから、これが理解できる、共同作業の苦労が理解できるんだ。思いやりというテーマ、違いにこだわるより、共通するものを求めようというテーマが、この仕事に関わった僕達にも反映されているんだ。おもしろかったよ。まるでトールキンについての授業、人生についての授業みたいだった。好きな本が読める。好きなだけ勉強してもいいし、好きなだけ勉強しなくてもいい。サムライ映画でも、マーサおばさんについてでもいい。この物語を、人生や歴史のどんな状況とも結びつけることができるんだ。

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Q: 撮影に16ヶ月もかかった映画ですが、この後どのようにリラックスするのですか。

この質問は来年の6月にしてくれる?ゆっくりできるのはその頃だろうから。

Q: まだ続いている感じですか。

ああ、もちろんだよ。きっと、しばらくはこんな感じだよ。1月にはみんなで日本に行くし、その後も、インタビューやプロモーション、特別版の仕事もある。これはこれですばらしい作品になると思うよ。だから、まだすっかり終わったわけじゃない。終わるのを急いでいるわけでもないし。

Q: この経験は詩の題材になりましたか。

いや、別に。もちろん、詩を書いたり写真を撮ったりはしたよ。その中から多くの作品を、先週NZで展示したんだ。... 僕が感じたことの一つは、ワールド・プレミアとそれに続くイベントという、一週間にも及ぶパーティーは、恩返しのようなものなんだ。そう、確かに、故郷に錦を飾ったピーター・ジャクソンのためのパーティーだけど、NZの人たち、ウェリントンの人たちのためのパーティーでもあったんだ。結局、彼らは最初から僕らを精神的にサポートしてくれたんだ。世界で誰も、まだ僕たちが映画を撮影していることすら知らない時、まして、これがヒットするかどうかわからない時にだよ。でも、それだけじゃない。ピーターや僕たち以上に、僕たちが成功すると信じてくれたんだ。... 経済的にもバックアップしてくれたし。欧米の納税者は、「OK、XXドル払いましょう」なんて絶対に言わないと思う。でも、ニュージーランドの人々は(税金を)払ってくれたんだ。それがなかったら、映画は完成しなかったと思う。しかも、彼らはそのことをあまり口に出さない。でも、ニュージーランドの納税者はこれら(の映画)の費用の一部を負担してくれたんだ。

Q: どんな風にですか?

お金だよ!彼らの税金が使われたんだ。

Q: ロード・オブ・ザ・リング税ですか?(笑)直接撮影資金を援助したんですか?税額控除ということでしょうか?

そう、税額控除。でもその他に、文字通り一週間にわたるパーティ代とウェリントンの大きな映画館の改装費は、ウェリントンの人たち、NZの人たちが負担したんだ。直接。

Q: それは彼らの利益になるんでしょうか。

ならないと思う。だからこそ、本当に尊い行為なんだ。

Q: その見返りはあるのでしょうか。

見返りと言うなら、観光、そして、尊敬かな。そう、それが見返りだね。もし、ニュージーランドの熱心な毛鉤釣りの愛好家なら、それにはちょっと戸惑うだろうねぇ。以前なら、川の3マイル四方で3日間誰にも会わなかったのが、今は・・・

Q: 最後の撮影シーンで、印象に残っていることを話してくれませんか。

衣装を着けての最後は、やっぱり走るシーンだった。特別版に入ると思うよ。死者の道の続きで、僕が死者に何か言って大混乱になるんだ。劇場版では、どうなったかはカットされてわからないよね。その後死者達を連れてくることに成功する場面になってしまうから。本当は、他にもいろいろあるんだよ。たとえば、ネタバレしたくないけど、大騒動になって、レゴラス、ギムリ、アラゴルンがとにかく懸命に走るんだ。実際は、このぐらいの幅[と言って、わずか7,8センチを示す]の高い場所にいて、素早く走ったり、障害物の上を飛ぶマネをしたり。周りは全部グリーンスクリーンなんだ。もちろん映画館で見ると、亡霊軍やら何やらがちゃんといる。どんなものと戦い、逃れているかは言えないけど。とにかく、高くて狭い板のような所をひたすら走っていたよ。

Q: で、何をもらったんですか?撮影が終わるたびに、盛大な打ち上げをしたそうですが。

レンジャーの剣だよ。鍛え直した方じゃなくて、1999年10月の僕の撮影第一日目に使った剣さ。かなり磨り減ったけど、手入れをして最後まで使ったよ。でも、一番記念に残ったものは、前にも話したけど、ここにいる人たちとの友情だよ。... ニュージーランドで暮らしたこと、ピーターと一緒にこの物語を再現できたこと。それが一番の思い出なんだ。

Q: あなたにとって、どれがこの映画の決定版ですか?特別版でしょうか?

第三部はまだ観ていないけど、多分そうなると思う。最初の二作も絶対特別版がいい。

Q: 最近の、DVD版と劇場版との違いは何だと思いますか。この映画は、この二つの相乗作用を確立した、ユニークな存在だと思うのですが。

今回とてもすごいと思うのは、DVD用に、わざわざ劇場版と同じクルーを使い、同じ作曲家が新しく曲を作り、編集したことなんだ。シーンを追加するだけじゃない。例えば、『王の帰還』で、劇場では一部しか観ていないシーンがある。ピートは、残りの部分を追加して、そのシーンの中に違和感なく戻すんだ。その結果、全く新しい作品、新しい改良版なり延長版ができ上がる。しかも単に、「このボタンを押して、あのシーンを見よう」式に、アウトテイクか何かを集めたものなんかじゃない。それが独立した作品として見なされるという点がすごいんだ。もちろん、これまではの話だけど。第三部はわからないが、前二作に関しては、見るとしたらいつだって特別版を選ぶね。5年たっても50年たっても、人々はこの二作の特別版を見ると思うし、見て欲しいな。

Q: 特に、『二つの塔』では、いくつかの追加シーンで、重要なキャラクターに一層深みが与えられていますよね。

第一部は人物についてかなり詳しく描かれていて、第一部の特別版になると、僕の役は倍ぐらいになる。...追加シーンを見ると、エルフ族のことがもっとよくわかるし、 ガラドリエルは第二部の方がよくわかる。第二部の特別版ではファラミア、それにデネソールについてもかなり詳しくわかる。正気を失う前の彼が出てくるからね。いやな奴だが気違いじゃない。家族の構図が描かれ、ボロミアも再び登場する。ショーン・ビーンはいつ見ても素晴らしいよ。もう見た?あの父子関係、『二つの塔』で僕が気に入ってるシーンなんだ。言うこと無し。脚本や演技という点からみて、一番おもしろい部分だと思う。ファラミア、デネソール、ミランダ扮するエオウィンにとって、それがどういう意味を持つのか、来るべき人間の時代にどう影響してくのか。アラゴルンの戴冠の導入にもなるんだ。それら全てがより重要になってくるんだ。

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Q: ピーター・ジャクソンは、いわばハリウッドのシステムの外で仕事をし、撮影は全てニュージーランドで行ったわけですが、このことで何か影響を受けましたか?このやり方が、この映画の芸術性にどう貢献しているのでしょう?

ただ単にハリウッド以外の場所で撮影したということじゃなくて、特にニュージーランドで撮影したということが重要なんだ。... 新鮮な点がたくさんある。NZでの撮影はヴィジュアルな面でもちろん重要だった。でも、トールキンの作り上げた物語の精神と、僕らがやろうとしたことの精神という点で、NZのクルーを雇い、NZに滞在したことは非常に重要な意味を持つ。NZの人々は一般に、もちろん、どこの国でもいい人、悪い人はいるよ、でも彼らは、共同で仕事をし、グループを重んじるのが当たり前と思っている。... ビジネスでも、普通に働く時でもそうなんだ。家族やコミュニティーの中で接するときも。そのことを考えると、どんなに特殊効果がすぐれていても、魔法使いもホビットもエルフもとんがり耳も空飛ぶ生き物も城も何でも、それらがどんなにすごくてファンタスティックでも、描かれるストーリーの背後なりその先にある要素がなければ成り立たないんだ。その要素こそ、この映画から感じられる連帯感と、自分よりみんなのためにという気持ちなんだ。

translated by estel