The New York Times  2003.9.7 原文
王になりたがらない男

By Sarah Lyall

New York Timesの写真

ロンドン

ギャラも高いが「鼻も高い」ハリウッド俳優の中で、自分がぎりぎりよりほんのちょっとましな暮らしをしていると考えている俳優には、どこか新鮮さが感じられる。

「俳優組合の中で、ここ数年安定した収入のある数少ない俳優の一人だということはよくわかっているよ」とヴィゴ・モーテンセンは言う。「ほとんどの俳優がそうだと思うけど、“がんばったがもう限界だ。努力はしたんだから、これからはもっと現実的(realistic)なことをしなくては” と考えたことは何度もあるよ」。

現実に(Realistically)、モーテンセン氏(44)はかなりの活躍で、 最新作『王の帰還 』公開の12月17日には、さらに成功を収めているであろう。トールキン原作の三部作の最後となるこの作品は、登場人物全員が主役の映画である。とても控えめな彼は、即座にそう強調したが、一番「おいしい」役である、帰還する王自身をアラゴルン役の彼が演じていることは隠しようがない。

インタビューは、8月のある日曜日、およそ王様には似つかわしくない朝の7時という時間に、滞在中のホテルの人気のないロビーで行われた。彼はほんとうに眠そうだった。(まるで、のろのろ運転といったところ。)「これじゃ、薬でぼーっとなった人の話し方だな。」裸足で、シャワーを浴びたばかりの彼は、お茶に果物という質素な朝食を取りながら、いろいろな考えをなんとか言葉にしようとしていた。

しかし、どんなに疲れていても、その不公平とも思えるほどのハンサムな顔立ちは隠せない。よく整ったほお骨と顎、額にかかるシルクのような髪、そして、目は薄い青い色。残念ながら、魅力的な無精髭に、髪をなびかせマントをひるがえすアラゴルンの姿はないけれど、全てを望むのは贅沢というものだろう。

モーテンセン氏(ファースト・ネームは「ヴィーゴゥ」と発音)は、仕事の合間に息をつく暇もない。数日間に渡る「王の帰還」のポスト・プロダクションを終えて、1時間後にはエディンバラへと発った。エディンバラ・フェスティバルで、もう一人の「指輪の仲間」と共に、ビリー・ボイド(ピピン役)の舞台を見るためである。

次の滞在地アイスランドからの電話インタビューと合わせ、話題は哲学的な話へと発展していった。ハリウッドのオーディションでの恥ずかしい経験、北欧神話の楽しみ、一度に多くのことをしようとする時の難しさ、アメリカ国民に対する、映画の売り込みとイラク戦争の売り込みが似ていることなど。具体的な話から一般的な話に移っていくと、彼は常に控えめになる。プレミア誌によると、LotRの共演者たちは、そういう彼を「控えめヴィゴ」(no-ego Viggo)と呼んでいたそうだ。

実際、気さくな彼は、一度に数分も自分の話をすることができないらしく、これはほとんど異常と言ってもいい。LotRのPJ監督 は、この性格が、彼を理解するためのキーポイントだと述べている。電話によるインタビューで、監督はこう語る。「人にはいろいろ動機があるけれど、ヴィゴの場合、自分がしていること、自分が演じている役、最終的な結果全体に対する個人的興味が動機となっていると思う。

「ヴィゴにとってアラゴルンの魅力というのは、一つには、彼が単なるアクションヒーローではないという点さ。ヴィゴもそうだが、アラゴルンも彼なりに深く考え込む性格なんだ。アラゴルンにしてみれば、定められた通りに王になるのが気が進まない。ある意味、ヴィゴが、進んで映画スターになりたいわけじゃないというのと似ているよね。」

成り行き任せということがあるが、彼も、長い間、映画スターの座にもう一歩というところにいた。しかし、目立たない映画の目立たない役を数多く経て、一連のすぐれた演技で注目を集め始めた。

『G.I.ジェーン』では、サディスティックな教官を演じて、Dムーアを苦しめ、腕と腹部の見事な筋肉を見せびらかす機会を与えるのに一役買った。『ダイヤルM』では、Gパルトロゥのずる賢い愛人役。中でも最高なのは、感情くすぶる60年代のヒッピーを演じた『オーバーザムーン』であろう。休暇に来ていたDレイン扮する人妻を、麻薬とセックス、野外コンサートではトップレスで踊るという快楽に誘う役だった。

それでも、大スターとしての自覚があいまいなのは、彼の経歴が、スターが普通歩む道とは違うからであろう。「実際、絵か詩、写真に全力を注ごうと決意していたかもしれないな」と彼は言う。今は、少しでも時間を見つけては、これらの芸術活動に励んでいる。ニュージーランドでは、LotRの撮影の合間に、共演者たちがトレーラーに引っ込んで本を読んだり睡眠を取っている時に、彼は外で写真を撮っていたほどだ。

昨年、彼は、自分の作品を含めた、写真、詩、アート関連の本を扱うパーシヴァル・プレスという小さな会社を立ち上げた。また、最近、ハバナで写真展を開き、この秋には、ロサンゼルスでも行う予定である。

俳優になった理由について、彼はこう語る。「その時点で興味があったことをやっただけさ。生活が安定するまでにだいぶかかるとわかってたら、俳優なんかやってなかったかもしれないな。」

そういう彼も、「それほどいい作品じゃないとわかっていても」、俳優はやりがいのある仕事だと思っているようだ。そして、えり好みするつもりはないが、アラゴルンという役がとても気に入っていると認めている。

「勇気もあり他人への思いやりもある。より大きな公益のために尽くす意志もある。でも、同時に、恐れも抱いているような人間なんだ。

「僕が気に入っているのは、これがたった一人のヒーローの話じゃないっていうところ。みんながそれぞれの試練をくぐり抜けて歩んでいく、いろいろな勇気の物語なんだ。」

彼にこの役が回ってきたのは偶然だった。撮影が進む中、ジャクソン監督は、アラゴルン役に決まっていたスチュアート・タウンゼントが若すぎると判断。状況はせっぱつまっていた。ニュージーランドに、一週間以内に、新しいアラゴルン役が必要だったのだから。彼は、モーテンセン氏に声をかけてみることにした。

オファーについてはエージェントから正式に話があった。しかし、アラゴルンはかっこいい役だから断っちゃいけないと言って、この役を引受けるように説得したのは、ティーンエイジャーの息子ヘンリーだった。(母親は、モーテンセン氏の元妻で、パンクバンドXの歌手イクシーン・セルヴェンカである。)

しかし、彼の仕事ぶりは高く評価していた監督だったが、電話での会話はうまくいかなかったようである。

ジャクソン氏はこう語る。「今のヴィゴを知っていれば、まったくヴィゴらしい話し方だったんだが、その時はかなり気まずかったね。役柄について聞いてくるんだ。どのぐらいエルフと暮らしたかとか、親はどこにいるのかとか。わからないときは答えをでっち上げたよ。時々、長〜い沈黙があって、電話が切れたのかと思ったよ。そしたら、また質問するんだ。で、また30秒ぐらい沈黙が続く。

「最後に、こりゃ失敗だって思ったね。役を引き受けてもらえないだろうって。”どうすりゃいいんだ〜っ”って思いながら電話が切れるのを待っていたら、また例の長〜い沈黙があって、ヴィゴがこう言うんだ。”じゃぁ、火曜日に。”」

彼はトールキンを読んだことがなかったので、ニュージーランドに向かう飛行機の中でアラゴルンについて読み、この人物が気に入った。特に、アラゴルンの魂が絶えずいろいろな場所を求めているという点は、子供の頃にあちこち旅をした自分に通じるものがあるようだ。マンハッタンで、デンマーク人の父とアメリカ人の母との間に生まれ、小さい頃に一家で南米に移住するが、父の祖国デンマークも頻繁に訪れる。「アラゴルンは、北欧神話に出てくる大勢の人物と共通点があるんだ。その中には、デンマークの話もあるんだよ。」

アラゴルンとの長い付き合いも終わろうとしている。来年公開予定の作品『ヒダルゴ』は、西部の伝説的な乗馬の名手フランク・T・ホプキンスの偉業を基にしており、ヒダルゴは彼(ホプキンス)の馬の名前である。しかし、正直なところ、彼は、もう疲労も限界を超えていて、「その日一日うまくいかないと、たくさんのことが無駄になってしまう」状態だと認めている。

あまり拘束されずにもっと静かな時間を過ごしたい、と彼は言う。そうすれば、「何事も自由だと思えるような感覚に」また戻れるから。そして、「好きなだけ、絵を見つめたり、息子のすることを眺めたり、他に何も考えずに人の話を聞いたりできるから。」

それが、最終的に俳優をやめることを意味するのなら、それはそれで仕方がない。「人生は短いんだ。忙しい生活をしていながら、本当に幸せになろうとか、みんなの役に立とうなんていう気にならないんだ。できることなら、もっとバランスのとれた生き方に戻りたいと思う。」

translated by estel