Pavement  2003/2004 Summer
viggo

ヴィゴ・モーテンセンのルネッサンス・マン的な物思いにうっとりしようが、彼の熱烈なまじめさに困惑しようが、これだけははっきり言える。彼は、アラゴルンによる福音を広めるという使命を負っているのだ。

ヴィゴ・モーテンセンがニューヨークの豪華なリージェンシー・ホテルの居間にブラブラと歩いてきた時、その優雅な体つきにも関わらず、ヴィゴだとは完璧に分からない風貌で、驚くほどに目立たなかった。勇者の髭と、ワイルドな長髪、鎖の鎧に、剣、靴すらない(裸足だった)彼は、ヒップなスーパースターというよりは、むしろヒッピーのように見えた。

実を言うと、モーテンセンがソファにドサッと座り込んで、『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影で過去数年間ニュージーランドで暮らし働いたことを賞賛し始めた後、遅ればせながらそれが彼のパブリシストではなく、彼本人だと分かったのである!

史上おそらく最も重大な三部作に出演した、このミレニアムの最も有名な映画スターの1人を判別できなかったことは、信じ難いほどの見落としである。しかし、彼の非常にスターらしからぬ性格と態度もそうであるが、スーパーヒーローの分身アラゴルンから、謙虚な彼自身への、見た目上の変身ぶりは並外れたものだ。

モーテンセンにはハリウッドスターに見られるような厚かましい態度はなく、極めて謙虚である。愛想が良く、とても落ち着いていて、いつの間にか喪心状態に陥ってしまうのではと心配してしまうくらいである。彼の声はかすれ気味のささやき声で、はっきりした感じでも、退屈した感じでもない。そして芝居がかったしぐさもなければ、ハリウッドの派手さも華もない。まるで、役柄の装いを脱ぎ捨てることによって、この役とのいかなるリンクをもはぎ取ったかのようである。

だが、彼の意見は違っている。「なんで、そんなことをしたいと思うんだい?」 モーテンセンはそうたずねる。「時々、誰かが “演じていた役の殻を脱ぐのは全然問題ない” とか、“長いこと苦労した” なんて、まるで役を忘れるのがしなければいけないことのように言うのを聞くんだ。だけど、僕はいつもそう感じるんだけど、自分が演じた役については、何もかも覚えておきたいんだ。」

「僕の意見では、人生は短くて、すぐにもうろくして、どっちみち何も覚えてられなくなるんだ。だから、人生でそれほど重要だったことを、なぜ忘れようとわざわざ努力するんだい?理解できないよ。俳優でいるのが嫌いか、映画を作るのが嫌いですべては金のためにやっているのでない限りね。でもその場合は、役を脱ぐ努力をしなければならないほど、力を注ぎ込んではないと思うけどね!」

モーテンセンは、この役のどの側面も捨て去っていないと主張する。なぜなら、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の重要な役を演じたこと、そしてニュージーランドで4年近く撮影したことは、彼に深い影響を与えたからである。その証拠に、肉体的にも、精神的にも、哲学的にも、政治的にも、彼に消すことのできない影響を残したと強調する。

「ピーター・ジャクソンは、この映画に関わる全員が本当に影響されるだろうと言ったんだ。彼はすごく正しかったよ。」 ヴィゴは小声でつぶやく。「この旅の最初の時点、1999年後半に僕が撮ったスナップ写真と、今を比べてみると、それが人々の顔や目に表れている。古い写真と映画を見てみると、4年という年月が人体に及ぼすことを超えた、すごく明らかな変化が人々の顔つきにあるんだよ。」

「人々の目に、ある特定のまなざしがあるんだ。試練を受けたというまなざしがね。」と、彼は示唆する。「誰もがその目つきをしているんだ。これから起こること、どれだけ困難な仕事が待ち受けているかを知っているピーターですらね。以前の人々の目と今とを比べてみれば、単に年をとったというだけでなく、挑戦を受けた、試練を受けたという目つきをしていることが分かるよ。」

「それから、皆ある種の平穏さも持ち合わせているんだ。重荷から解放されたともいえるようなね。」 モーテンセンは続ける。「本当にそう感じるし、オーランドやバーナード、ショーン・アスティンの声の中に聞くことができるよ。奇妙なことだけどね。」

モーテンセンが示唆したことは興味をそそられるが、驚くほど正確である。カリフォルニアに基盤をおくこの俳優、バーナード・ヒル、オーランド・ブルーム、ショーン・アスティン、ミランダ・オットー、アンディ・サーキスと話をしてみると、確かに彼らはみな、穏やかな、学者のようなとも言える雰囲気を持っているのは間違いなかった。特にモーテンセンはそれが顕著だった。その重要な役柄ゆえに、おそらく大部分の人より多くの試練を受けたためであろう。特に、ジャクソンが元々配役したスチュアート・タウンゼントをクビにした後、ギリギリになってアラゴルンにキャスティングしたのだから。どれほど不安だっただろうか?

「そこまでギリギリになって参加したことには、ポジティブな面とネガティブな面があったよ。だけど、ネガティブなことをあれこれ考えたくはなかったんだ。なぜなら、ポジティブなことの方が圧倒的に多かったからね。」 彼はあくびをしながら言う。「言ってみれば、水の中に投げこまれて、泳がなければいけないようなものだったんだ。だけど、それに対して不平を言うよりはむしろ、その中でベストを尽くそうとしたよ。」

「遅く参加したことは、実際にはある意味ではポジティブなことだったんだ。だって、色々心配したり、自分に対して疑問を持ったりする時間が本当になかったからね。ただ、もう取り組まないといけない状況だった。そして、原作を知らなかったということも、アラゴルンについて事前に決められた概念を持っていなかったということを意味するんだ。それはとても役立ったよ。」

しかしながら、モーテンセンは本物の役者であるがゆえに、撮影が開始される前に、トールキンの三部作をくり返し読んだ。そして、彼の役のすべてのニュアンスを掘り起こしていることを確実にするため、撮影中も読み返した。

「原作を読んでみて、トールキンの世界を既にある程度分かっていることに気付いたんだ。彼が参考にした北欧の神話や文学を沢山読んでいたからね。特に遅くに参加したから、それはとても役に立ったよ。」 彼は認める。「北欧の神話や侍の文化、中世の詩やネイティブ・アメリカの伝説と、原作とを関連付けられたということが、自分が演じる役柄と、『ロード・オブ・ザ・リング』の理解につながっていったんだ。」

ゴンドールの王位継承者であるアラゴルンを見事に演じることに成功したもう一つの救いは、モーテンセン自身の生い立ちにあった。アラゴルンと同様に、彼は数ヶ国語を話し、広範囲にわたって旅をした経験があり、デンマーク(彼の父親はデンマーク人)、ベネズエラ、アルゼンチン、アメリカで育った。その結果として、世界を股にかけた経験は、独自の世界観と、役を演じるにあたって不可欠であった、無数の文化に対して感謝する気持ちを彼に与えた。

「旅をしていない人がオープン・マインドになれないとか、この役を演じられないと言っているわけじゃないんだ。だけど、数ヶ国語を話したり、沢山旅をしたことがあるのは、マイナスにはならないよね。」 彼はそう認めた。「僕のように、アラゴルンは他のどのキャラクターよりも多く旅をしてきた。だから、彼は異なる文化、習慣、言語、儀式、考え方、そして戦い方についてですら、物語の中の他の誰よりも、直接得た経験をより多く持っている。みんなを自分に従わせようとする時に、確実に彼に有利に働くんだ。なぜなら、彼は異なる人々をすべて理解することができるから。」

「こういった多くの類似点にも関わらず、最終的に最も役に立ったこと、そしてこの4年間、みんながどうやって毎日を乗り切ってきたかというのは、目と鼻の先にあったんだ。」 モーテンセンはこう付け足す。「俳優やクルー、そして特にピーターからのサポートだったんだ。これはとても重要だったよ。もし必要なら、彼らは自分のためにそこにいてくれる、ということを知っているのは、心強かったよ。」

「そのサポートがあるおかげで、わざわざ原作を読まないっていうことですら、実際には可能だったかもしれないよ。」 彼は、冗談半分で言う。「毎日手渡される言葉をただ読んで、モデルのように回りで起こっていることを真似するってこともできたさ!だけど、それは自分のやり方じゃないし、この映画に他のみんなが注ぎ込んだ努力を考えると、正しいことじゃないよね。」

「疲労や緊張、その他色々な問題があったとしても、みんなこの映画に驚くほど全力で取り組んでいたんだ。スクリーンからも感じ取ることができると思う。注ぎ込まれた感情や努力が感じられるんだ。」 彼は熱心に言う。「特殊効果がスゴイだけでなく、同時にとても人間味に溢れているから、非常にパワフルなんだと思う。たずさわっている人たちの価値観や、グループの倫理、彼らが完璧でないこと、感情、疲労、それに全力を尽くしていることが感じられるんだ。20年、30年経って、それでも持ちこたえてる特殊効果もあるかもしれないけど、常にあてはまり続けるのは、概念であり、気持ち、感情、全力を尽くすこと、肌で感じられる緊張感なんだ。」

キャストやクルーが『ロード・オブ・ザ・リング』の三部作すべてに注ぎ込んだとてつもない情熱は、モーテンセンが肉体的にも精神的にも消耗しきった時ですら、彼を駆り立てたと認める。

「僕にとって、すべてをできる限りもっともらしく見せることは、とても重要だったんだ。疲れている時でも、軽い剣でなくいつも(重い)鉄の剣で戦ったのは、それが理由なんだ。」と彼は説明する。「戦闘シーンが間違いなく本物に見えるようにしたかったんだ。エロール・フリンがしたように、やたらと剣を振り回せるべきじゃないんだよ。特に本当に疲れている時はね。戦うのが大変なはずなんだ!ただ歩いている時ですら、鉄の剣を身につけたよ。その方が重いし、身のこなしに影響するからね。」

そのような細部に至るまでの気配り、そしてアラゴルン役に染み込ませた激しさは、ピーター・ウィアーの『目撃者』、ジェーン・カンピオンの『ある貴婦人の肖像』、ブライアン・デ・パルマの『カリートの道』でのモーテンセンの説得力のある演技からも明らかである。同様に、彼の絵、詩、写真でも、演技と同様の情熱と激しさを表現しているのは明らかである。

モーテンセンの献身ぶり、堅い意思、熱意は、多数のファンを引き付けた。そして彼がドラマローグ批評家賞を勝ち取った、キワドイ芝居『ベント』に現れて以来、批評家からも賞賛されている。今や『ロード・オブ・ザ・リング』三部作のアラゴルン役で、彼は非常に尊敬されている俳優というだけでなく、有名人、そしてヒーローにもなったのである。これを予測していたのか?

「これを始めた時、自分がメジャーなアクションヒーローになるなんて考えてもみなかったよ。」 彼はそのような結果に明らかに困惑して笑った。「もちろん、これらの映画を人々が賞賛する可能性はあったけど、誰も本気で、確信を持ってこんなに成功するとは思っていなかったと思うよ。そう言う人がいるとしたら、それは嘘をついているのさ。だって記録的な大ヒット作になるなんて、誰にも分からなかったのだから。」

「ともかくこれは、そういうことについてではないのさ。」 彼は主張する。「基本的に、ピーターは原作に見合った、きちんとした心からの努力で映画を作りたかったんだ。そして、彼は感情的になるのを恐れなかった。彼はそれを大々的にやったと思うよ!ピーターは、ハリウッドの大作にしようというのではなく、思いやり、慈悲、犠牲、そして原作の素晴らしい性格描写という観点で物語を話したんだ。」

「個人的には、この映画で得たことのうち最も大切なことの1つは、思いやり、慈悲、犠牲の重要さだったんだ。僕はこれまでもそれらのことを信じていたけど、その重要性を思い起こしたよ。なぜなら、この物語ではそういったテーマに繰り返し目が行くからね。それは、例えばボロミア(ショーン・ビーン)がホビットを救うために、自分の命も含めた文字通りすべてを捧げることによって罪を贖う時にも見られる。それまでボロミアは、時にはホビットを愉快だとは思っていたけど、軽蔑するばかりだったんだ。ホビットは戦えないから、役立たずだと思っていた。しかし、彼は最後にホビットを見誤っていたことを理解する。そして最終的には、オープンマインドでいること、思いやりを持つことの大切さを学ぶんだ。」

「自分勝手になったり、自分のことだけを考えることはとても簡単なことだよ。だけど、他の人のことも考える努力をしないといけないし、彼らを理解しようと努めないといけないんだ。特に意見を異にする人々についてはね。なぜなら、それは(世界の)調和にとって不可欠なことだから。」 湾岸戦争とその後遺症をほのめかしながら、モーテンセンはそう断言する。「特に違う人々や自分が理解できない人々に対して、思いやりや慈悲を大切にしなければ、どんなコミュニティであっても真の将来はないんだ。」

「他の人々、別の文化や異なる人種であっても、実際には相違点よりも多くの共通点がある。」 彼は示唆する。「相違点とみなして反応するよりも、共通点を見つけ出すよう人々は絶えず努力する必要があるんだ。」

モーテンセンは『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影中、ニュージーランドで暮らし、働いた。彼はその間に、文化的に多種多様なグループであっても、相違点に関わらずいかに仲良く付き合えるかということを感謝する気持ちを強めたと言う。またそれは、共通のゴールに向けて一緒に働くということが、いかに対立を減らせるかということも浮き彫りにした。

「グループを一番に考えて、個人を後回しにするという考え方、他の人に仕えさせるよりは、他の人に仕えるという考え方は、ニュージーランド人には自然と合っているようなんだ。そのグループの倫理は、まさにトールキンの物語が伝えようとしていることなんだけど、ニュージーランド人にはそれが教え込まれているようだよ。」 彼は熱心に言う。「孤立した島国として自立したり協力する必要があるからなのかは分からないけど、僕がここにいた間に本当に心を打ったことなんだ。」

「物語の大半はその理念についてなんだ。あるいは、それを奨励しようとしている。だけど本の中では、戦争のような物凄い障害を通じてはじめて、肌の色や人種や年齢が異なる人々が一団となるんだ。」

「ニュージーランドでの僕の経験には、人々を結びつけるのに、戦争も、飢饉も、疫病も、地震も、洪水も必要なかった。自然に起こったんだ。ニュージーランド人がユニークだからだと思うよ。」 モーテンセンはそう提言する。「彼らは、彼らのやり方で物事を行うんだ。自分たちのためだけでなく、お互いのため、世界の他の国々のためにね。世界の一部である彼らの国の蓄えを使ってきているから、環境について懸念しているし、それがどう他の国々にも関係するかということも彼らは懸念している。だから、歴史的にこれまでもそうだったけど、彼らの港に原子力船が来て欲しくなければ、それはそれでいいんだ!それは極端なケースだけど、以前はアメリカにもあった、けれど今は政治家によって堕落させられてしまった、その真に気高い独立の精神は、今でもニュージーランドでは日々の中で生きているんだ。」

ニュージーランドとその手付かずの美しさを心から気に入っていることに加え、彼はその開拓者精神と、ニュージーランド人の “やる気のある” 態度を大いに尊敬している。そのため、『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影がついに終了した時、彼はこの地を離れがたく感じた。

「ここにいる間とても楽しい思いをしたから、終わりになった時にはほろ苦い感じがしたよ。」 彼はにっこり笑う。「その中から何か特別なエピソードを話してあげることもできるけど、僕にとってより意味があったのは全体としての経験なんだ。『ロード・オブ・ザ・リング』を通じて出会った人やニュージーランドでの滞在を通じて知り合った人で、一生の友人になった人もいる。素晴らしい国だよ!写真を手にとると、いつもまた別のことを思い出すんだ。僕はそこで素晴らしい時間を過ごし、多くの素晴らしい経験をしたからね。」

モーテンセンがニュージーランドにぞっこんになったのは、彼が熱心な釣り人であるという理由もある。彼は荒野をさまよったり、フライフィッシングをするための人里離れた川を探し求めるのを本当に楽しんでいるようだった。「すごく釣れる川があるんだ。教えてあげないけどね。」 彼はニヤッと笑う。しかしながら、南島のサファリで災難にみまわれ、モーテンセンはあやうく死にかけた。

「その時は珍しく週末に休みがあったんだ。だから、僕は以前にも行ったことがあるウェストコーストの熱帯雨林に向かった。」 彼は思い出す。「森を抜けて海岸に出ようとしたんだけど、少し歩かなきゃいけなくて、辺りは暗くなり始めたんだ。道を分かっていると思っていたから、マヌケなことに懐中電灯を持っていなくてね。月のない夜で、森の奥深くにいたから、すぐに道に迷ってしまった。真っ暗だったけど、幸いにもフラッシュの付いたカメラを持ていたので、そのフラッシュを使って道を探そうとしたんだ。」

「道を探そうとフラッシュを使って写真を撮った。一瞬だけだけど、回りのモノすべてが見えるだろ。だけど、結局見つけられなくて、フィルムが尽きてしまったんだ!ある時点で沼地に入ってしまい、転んだり、トゲで切り傷を作ったりという状態になった。もう、“馬鹿げてる” って思ったよ。だから、比較的高い場所を見つけて、月が出るまでしばらく横になったんだ。」

「やっとのことで月が出てきた時、幸いにも自分がいる位置と、出発地点にどうやって戻るかがなんとか分かったんだ。」 彼は思い出す。「メークアップの人たちは僕の姿を見て本当にビックリしていたよ。粉砕機でも通ってきたかのように見えたからね!」

モーテンセンが撮影中に生命を危機にさらしたのは、その時だけではなかった。実を言うと、撮影中にも数回あった。「あー、死んだかもしれない、と思ったことは数回あるよ。危険な状況が沢山あったからね。だけど、本当にもう一歩のところまできたことが一度あったね。」 彼は思い出す。「衣装や装備をすべてつけたまま川を下ったときのことだった。川の流れにつかまって、川底まで一直線だよ!上を見ながら、美しい、日当たりの良い日だと思ったのをおぼえているよ。だけど、その後気を失い始めたんだ。」

「その時、心から “おしまいだ” って思ったよ。水面はずいぶん遠くにあったからね。だけど、どうにか岩を蹴って浮き上がることができたんだ。でも、もう少しのところだったよ。この映画の撮影で起こったことのうち、心底ダメだと思ったのはあの時だったね。」

驚くまでもなく、それらの出来事はモーテンセンに消えることのない印象を与え、人生や死、そして彼自身いつかは死ぬということに対する考えを変えた。「今では死をもっと受け入れられるようになったと思う。」 彼はまじめにうなづいた。「死を迎えるという事実、そして新しいことを学んだりやりたいことをやる時間がなくなるという事実を、それほど腹立たしく思わなくなった。過去には、それは少し不公平だと思ったこともある。誰がそんなことを決めたんだ!ってね。」

「それらの(死に瀕した)出来事のせいなのか、様々な物事が組み合わさっただけなのか、はっきりとは分からない。」 彼は肩をすくめる。「明らかにそういったことも関係しているけど、これらの映画を作ったことも関係している。僕は多くのことに感謝するようになった。もしかしたら、何歳か年をとったことや、他の人が苦しんだり、病気になったり、年老いたり、死んだりするのを目にした、というだけのことかもしれない。」

理由はともあれ、とりわけ真面目なモーテンセンの考え方から判断して、これらの人生を変えてしまうような経験は、『ロード・オブ・ザ・リング』の信条や命題とあいまって、明らかに彼に影響を与えた。それはまた、彼が平和を切望し、経歴や素性に関わらずすべての人々がより理解を深め、協力し、思いやりを持つことを断固として希望する理由でもある。ユートピアのように聞こえるのだが、どのように達成しようというのか?

「どんなに小さな人間であっても重要であり、小さな親切な行為であっても違いをもたらすということを、人々を理解してもらうことによって達成するんだ。」 彼は熱く語る。「映画ではいつでもそうだろ?サムとフロドもそうだ。彼らはホビットにすぎないけど、滅びの山に指輪を捨てるという使命を達成できれば、すべての人にとてつもない影響を与えることになる。」

「それは犠牲を払うということでもあるんだ。映画の終盤でサムが文字通りフロドを山頂までかついだようにね。個人が自ら犠牲を払うということは、この物語全体のテーマの一つでもある。だけど最終的には、世界中の何億人って人の一人一人がお互いにどう行動するか、ということが本当に重要なんだ。」 モーテンセンは結論付ける。

「他の人をどう扱うか、そして思いやりを持ち寛大になるよう努めるかどうか、ということが違いをもたらすことであり、コミュニティを作るものであり、究極的には社会を作るものなんだ。分かりきったことなんだけど、多くの人は ”ああ、そうだね。それはいい話だね” と言って終わってしまう。だけど他に何があるっていうんだい?誰しも自分の役割を果たし、正しいことをしなければいけないというのが、この物語が伝えようとしていることなんだ。この映画は、そういったことについての自分の認識や信念を強めたよ。」

そして、それをどうにかしようという彼の決心をより堅いものにしたようだ。

ピーター・ジャクソン (監督)

「運命がとてもいいカードを配ってくれたよ。結果的に、ヴィゴはこの映画にパーフェクトな人材だったからね。彼はどこからともなくやってきて、突然アラゴルンだったんだ。当時11歳か12歳だったヴィゴの息子ヘンリーが『指輪物語』の大ファンで、アラゴルンを演じるよう頼まれたことを言ったら、“引き受けないとだめだよ。僕のためにやって” と言ったらしい。だから結局のところ、彼はヘンリーのために引き受けたんだよ。」

バリー・オズボーン (プロデューサ)

「僕にとって、ヴィゴはこの映画のヒーローの1人であり、個人的なヒーローでもある。その意味で、彼は素晴らしい友人だし、僕は映画制作に対する彼のアプローチを尊敬している。彼はこのプロジェクトに後から参加した。そして、役に対する理解と、ものすごい熱意を持ち込んだ。それは特に若いキャストたちへの良い例になったんだ。彼は、演技の面で重要だったというだけでなく、キャストのリーダーとしても非常に貴重な存在だったよ。」

フィリッパ・ボーエンズ (脚本)

「ヴィゴは素晴らしいわ。最高よ。アラゴルンは生命を吹き込むのがとても難しい役の1つだったの。時には主役というものは、もっとも代わり映えがなかったりするので。いつも回りで起こっていることに反応するのだけど、ヴィゴは俳優としてとても正直なのね。彼はそれがどこから来るものなのか知る必要があって、彼にとって真実でないことをでっち上げるようなことはしないの。だから、それを尊重しないといけないわ。たとえとっても良いセリフだと思ったとしてもね!(笑)」

バーナード・ヒル (セオデン王)

「ヴィゴはその人柄だけで自然とみんなのリーダーなんだ。僕たち全員にとってお手本でもある。彼は多重システムのごとく、物凄い仕事の鬼なんだ。1つのドアを開ければ写真家だし、次のドアを開けたらシンガーだったりする。そして詩やアートに、映画もある!彼に嫉妬なんてしないよ(笑)。素晴らしい男で、僕の友人だ。」

ジェド・ブロフィ (ニュージーランドの俳優)

「ある日撮影が終わって、みんなで飲みに行ったんだ。ヴィゴはエキストラも含めて、一緒に仕事をした人全員をすごく励ましてくれるんだ。誰にでもいつも親切な言葉をかけてくれる。彼のことを悪く言う人なんて1人も知らないよ。彼は、あるどしゃ降りの日に、エキストラ全員に花を買ったこともある。時間を割くことをいとわないし、決して自分のことをよく言ったりしない。自分の功績を語ることにとてもシャイなんだ。彼がこの映画をやってくれて、とてもラッキーだよ。」

イライジャ・ウッド (フロド)

「ヴィゴは僕たちの王様なんだ。人生の中でも、僕の大好きな人の1人だよ。彼は見事なまでに多くのことに才能がある。素晴らしい写真家であり、画家であり、俳優...。そして、彼は信じられないほどエキセントリックなんだ。彼は忠実で、親切で、優しい心の持ち主であり、一緒にいるととても愉快で、やること成すことすべてが素晴らしい。間違いなく彼から多くのことを学んだよ。彼の人生観もまた美しいんだ。心から自然を愛していて、とても寛大で、心を開いている人だよ。そして、ヴィゴには明らかに、完璧に狂っているところがあって、僕はそこがとても愛くるしいと思うんだ。彼は本当にクレージーだよ。」

translated by yoyo   (special thanks: えり子さん)