SLU Magazine  2003 spring 原文
思い出の小道を歩く

By Macreena A. Doyle

写真家・詩人・俳優のヴィゴ・モーテンセンは、(文字通り)思い出の小道を歩きながら、学生時代を思い出す。

stlawu.eduの写真 『ノッティング・ヒルの恋人』を見たことがある人なら、有名人との典型的なインタビューについて、かなり正確なイメージを持っているはずだ。映画スターはホテルのスイートルームにいて、ジャーナリストが5分おきに出たり入ったりする。

ヴィゴ・モーテンセンがセント・ローレンス大とのインタビューに選んだ場所である森の中を、リトル・リバー沿いに歩いている間、そのことを考えずにはいられなかった。それは、有名人との典型的なインタビューではなかった。とはいえ、モーテンセンは典型的な有名人ではないのだ。

彼の写真と詩の個展は、リチャード・F・ブラッシュ・アートギャラリーで開催される。その準備を休憩し、モーテンセンは最もやすらぐと思われる場所 — アウトドア、森の中でセント・ローレンス大と話す。決してカメラを離さない彼は、話している間、木の枝や空、氷、雪にシャッターを切り続ける。質問をする時か、ジャーナルに何か書きとめる時、あるいは、鹿が通った跡やビーバーがかじって穴を開けた木がある場所を指す時だけ立ち止まった。一歩一歩、歩くたびに、若い頃友人としたいたずらや、何年も前の釣りやスキーのお気に入りのスポット、以前の近所の人との会話といった思い出がよみがえっているように見えた。

カントンを少しドライブしてみると、もっと沢山の思い出や質問が湧き上がってきた。もちろん実際に座って話す場所も選択した。ヴィレッジ・パークの噴水の土台だ。

Q: 卒業してから本格的にセント・ローレンスを訪れるのはこれが初めてだと思うけど、どんなふうに見える?

構造上変わったものもあるし、修復した建物や付け足された物もあるよね。スポーツ・センター、それにブックストアは完全に違っている。だけど、カントン自体は変わってないし、そしてもっと重要なのは、キャンパスを歩いたり、森を歩いたりした時に感じるものは、以前とほとんど変わらないってことだよ。

Q: セント・ローレンスを考える時、一番鮮明に覚えているのは何?

今ここにいれて嬉しいよ。だって、これが覚えていることだからね。学生の時は、いつも寒いか雪が降ってるこの場所にいたんだ。ウォータータウン(N.Y.)で育って、そこの高校に通った僕にとっては、ともかくそれがなつかしいよ。

散歩しながら沢山の学生を見ていて、気付いたことがあるんだ。それは、すごく急いでいる人がほとんどいない、ということなんだ。彼らはただあるクラスから次のクラスに向かっているか、図書館に行く途中だったり、ちょうど出てきたところだったり。もちろん、そういう感じがするキャンパスはセント・ローレンスだけではないけど、自分がいかにラッキーだったかに気付いたよ。物事について自分が何を思うのか、自分が何に興味があるのか、ということを考える時間を持てたし、間違いを犯して、道から外れ、そしてまた道に戻ってくる機会をこの場所で持つことができたんだ。

stlawu.eduの写真 学んだり、本を読んだり、考えたことで明確に覚えているのは、時には外で、静かにやったということだよ。こうした場所にいて急いでいる時、あれこれ勉強して、詰め込みや暗記をすることは、色々な断片を合わせて1つの絵を作ることと同じなんだ。一生懸命やりすぎると、長続きするものは作れない。その断片がどこに収まるのかを指示するよりも、むしろ、どう収まるのかを一つ一つの断片に語らせた方が、その絵がずっと自分の中に残るものだよ。

それが大学教育だし、こういったキャンパスで大切なことなんだ。成績のことや、暗記したり概要を理解しなきゃいけないというプレッシャーは確かにあるけど、時間をかけることが許される環境の中にいるんだ。ここを出る頃には、集中できることが何かしら見つけられているようにね。良い成績をとって、暗記なんかも全部やって、その上で自分について何かを学ぶこともできるはずだと思うよ。

丸暗記したり勉強することに没頭しすぎることもできる。インスピレーションは、自分たちがそれに行き当たる前から独自の形を持っている観念であり、衝動なんだ。もし、とても急いでいたら、それ自身に語らせる代わりに、自分でそれが何なのかを決めてしまうだろう。でも、もしそうしたら、見落としてしまうと思うよ。

Q: こうして歩いていると、色々な物を見て、昔の記憶がよみがえってくると思うけど、どれか特定の授業を覚えていたりする?

沢山覚えているよ。特に、政治学のロバート・ウェルズ教授と、サンディ・ヒンチマン、ヘンリー・ギャリティを思い出すね。ギャリティ教授はフランス語を教えていたんだけど、文学や映画、自分のフランスでの経験を上手く使って、実際的な感覚を与えてくれたんだ。彼は、僕たちが生の言葉を聞けるように、ケベックのラジオを聴くようなことを薦めたよ。文化について考える実際的なやり方だと思うよ。

サンディ・ヒンチマンもまた、学ぶことに興味を持たせてしまう、独特のオープンな教育スタイルを持っていたよ。彼女は、異なる見解や哲理を比較し、自分自身の人生に当てはめられる方法を見つけたんだ。もし何かに共感できなければ、自分の人生に適用することなんてできないだろう?多くの人は、そういうことを奨励する先生に出会っていなくて、そんなことができるとは思ってもみないんだ。

Q: セント・ローレンスで自分の意見を口に出した?

どうだったかな。今言ったような先生は、心を開くこと、質問してみることを奨励したんだ。オープンでいること、他の考え方を見捨てる前に考慮してみる、という考え方は、自分なりの考えをどう形作るかを理解するのに非常に役に立ったよ。

Q: 金曜の夜と土曜にここにいるけど、ここの学生だった時の典型的な金曜の夜と土曜はどんなだった?

秋には、友達とどこかに遊びに行ってたよ。冬には、クロスカントリースキーをするのが好きだったね。時々釣りにも行ったし、川でカヌーをやったのも覚えているよ。ウォータータウンからそう遠くないところに実家があったから、時折家族に会いに家に帰ったりもしたよ。特に秋になると、今日みたいに、本を持って外に出るのが大好きだったんだ。そして、1人で読書するんだ。毎日授業があって、食堂なんかではいつも人に囲まれている。時間がある時は・・・、それは週末なんだけど、そこから離れて、時には1人になりたかったんだ。それにもちろん、他のみんなと同じように、ホッケーの試合を見に行ったよ!

沢山写真を撮ったのも覚えているよ。ぶらぶらして、そうしながら色々な情報を拾い集めてたね。

僕はグループで行動するようなタイプではなかったんだ。授業に出ることが、唯一グループでやったことかな。天気が悪い時や、川沿いを歩いている時、夜遅く起きていた時、とっても静かだったことを覚えているよ。夜中にラウンジで勉強していたのも覚えている。とても静かでとても集中していたから、そういう瞬間はいつまでも自分の中に残ってるんだ。木や川がある環境でないとダメだってことはなくて、どこでもそうすることができるんだよ。だけど、そういう環境がここにある限り、それを眺めないのはもったいないよね。どのくらいの学生がフレデリック・レミントン美術館(オグデンスバーグにある)に行くのか知らないけど、行かないなんて損だよ。

モーテンセンの最も成功した映画に多大な影響を与えた著者、J.R.R.トールキンは、「深き根に霜は届かぬ。」と書いた。 モーテンセンの根のいくつかが、セント・ローレンスにあることは間違いない。そして、2月の光り輝く雲も、その根が伸びるのを止めることができなかったに違いない。

translated by yoyo