The Sunday Times  2003.11.30
TORn のスキャン
The Brain Dane

TORnのスキャンより TORnのスキャンより
(TORn のスキャンより)

By Ariel Leve

火曜日、午後2時。ニューヨークのリージェンシー・ホテル。私たちは、ヴィゴ・モーテンセンが滞在しているスイート・ルームの前に立っていた。ノックをしたが、返答がない。映画会社の担当者でアルゼンチン人のカミーロがもう一度ノックをすると、今度はくぐもった声が返ってきた。モーテンセンがドアを開く。その表情だけを見ると、いかにも起き抜けといった感じだが、敏捷とも言える登場の仕方は実に鮮やかだった。チャコール・グレーの三つ揃いに身を包み、まるでデンマークのビジネスマンといった雰囲気である。

「ごめん、別の部屋にいたものだから」と、彼は優しく言った。落ち着いていて、真面目さを感じさせる物腰。荒々しさがあるとすれば、頬骨くらいなものだろう。ルックスは健康的で若々しく、体格の美しさは、マッチョというより、むしろ華奢な感じだ。彼は一瞬、隣室に姿を消し、戻ってくると私にずっしりと厚みのある本を手渡した。彼自身が撮影した写真が収められ、パーシバルプレスという彼自身の出版社から発行された写真集だった。

本のタイトルは「Miyelo」。彼が次回作「Hidalgo」の撮影中、カリフォルニアの砂漠で見た光景にインスパイアされて撮った作品で、1890年にウーンデッド・ニーで起きたラコタ・インディアンの虐殺が基になっている。作品は抽象的でカラフルな、焦点をぼかしたラコタ族の写真で綴られ、ラコタの人々の言葉と共に、T.S.エリオットやハリル・ジブランの作品からの引用が添えられている。そしてモーテンセンは序文にこう書き記した。「本書の言葉やイメージが、過去の残忍な行為、混乱や無知に苦しんだ、すべてのサイドの人々が払った犠牲を、ある意味思い起こさせるものとなることを望む。過去を少しでも理解し、前途に待ち受けるものを良い方向に生かす志を持って、将来を見られるように願う」(translated by yoyo)

モーテンセンが“格好つけ”なのか、それとも本当に“善意の人”なのかを判断するのはまだ早い。しかし、そのしぐさからは、彼がアーティストであることがすぐに判る。どれだけ自分を理解して欲しいと思っているかが、如実に現れているのだ。

モーテンセンは詩を書き、絵を描く。絵に関しては、『ダイヤルM』でグィネス・パルトロウの愛人の画家役をオファーされた時、まだ本格的に始めて間がなかったのだが、彼は自ら監督に映画で使用するアート作品を作らせてほしいと申し出た。単なる映画スター以上の印象を残したかったのだ。

カミーロと流ちょうなスペイン語で愛想良く話す彼の姿には、人の良さがにじみ出ている。純真で、『ロード・オブ・ザ・リング』の影響で注目されたり特別扱いされることに、まだ戸惑っているようだ。

インタビューに使える時間は1時間。映画業界では標準的な長さだ。普通、業界人はジャーナリストとあまり近づきたがらない。時間を与えすぎると、怒らせてしまうとでも思っているのだろうか。その点、モーテンセンはちょっと違っていた。彼は明らかに自分の核心を、少なくとも自分がどんな人間になりたいかを理解してほしいと思っていた。1時間だったはずの彼とのインタビューが6時間に延びたのは、たぶんそんな理由だ。だらだらと時間が引き延ばされ、バーで1杯飲んだ後、セントラルパークを歩きながらインタビューは続いた。それでもまだ話し足りず、午後の散歩の範囲はマンハッタン中に拡がっていった。結局、夕方近くまで散歩は続き、カフェで注文したコーヒーが冷めるまで話は続いた。『ロード・オブ・ザ・リング』の共演者とディナー・パーティーの予定があることを彼が思い出す頃、時計は午後8時を指そうとしていた。

彼はまだ、名残り惜しそうにしていた。席を立ちたくない、まだ自分について“説明”しきっていないと思っているのだろう。その様子を見ても、モーテンセンが映画の宣伝のためだけに、ここにいるのではないということがわかる。この日彼は、先を急いだり落ち着かない様子を一度も見せなかった。きちんと自分を理解してもらうためなら、いくら時間をかけても惜しくないのだろう。私たちは、映画のポスターやバスの広告でアラゴルンの姿をいくらでも見ることができる。しかし、彼が本当に見て欲しいのは、ヴィゴ自身なのである。いったい、そこには何があるのか?

セントラルパークで、もしくは信号待ちの間、あるいはマディソン通りでウィンドウ・ショッピングをしながら、私たちは答えを見つけられるかもしれない。しかし、リージェンシー・ホテルのスイート・ルームに閉じこもっているだけでは無理だ。45歳のモーテンセンは、南アメリカのマテ茶を専用カップから飲みながら座っている。彼の自由奔放な性質は、俳優としての彼にも、アーティストとしての彼にもうまく作用しているようだ。ひと目で興味をそそられる。その内省的な感じと物事を分析する本能が、独特な雰囲気を醸し出すのだ。アラゴルンは世界中の女性の熱い視線を集め、ヴィゴはそんな状態にとまどっている。とまどっているフリをしているだけかもしれない。それとも、こんなに謙虚でナイーブな人が、本当に存在するのか?

彼は『ロード・オブ・ザ・リング』での仕事に誇りを持っており、作品について熱く語る。ひじ掛け椅子に腰を下ろし、煙草に火を付けてくつろぐ姿からは、“義務”で映画の宣伝をしているという感じは見受けられない。スーツを着て現れたものの、Tシャツに着替えてどこか別の場所へ移るという選択も残されていた。

彼は椅子に深くもたれかかると、砂色の髪を耳にかけ、ニューヨークに戻ってきた時の様子を嬉しそうに語った。橋を渡ってスカイラインを眺めた時、どんなふうに感じたか。その口調は物憂げで、言葉は慎重に選ばれる。彼はニューヨークで生まれたが、育ったのはアルゼンチンである。デンマーク人の父親と、アメリカ人の母親との間に生まれ、11歳の時に両親が離婚すると、母と弟たちと共にアメリカに戻ってきた。現在はロスアンゼルスで15歳になる息子(母親は元妻イクシーン・セルヴェンカ)と共に暮らしている。

彼は15ヶ月間をニュージーランドで過ごし、そこで作り上げた三部作は彼の代表作となった。王位継承者でありながら、その道を選ぶことに躊躇し、身を隠すシャイなヒーローというキャラクターを見事に作り上げたのだ。映画への参加は土壇場で決まった。心優しき戦士・アラゴルン役には、当初イギリス人俳優スチュアート・タウンゼントがキャスティングされていたが、若すぎるという理由で降板となったのである。監督のピーター・ジャクソンがモーテンセンに声をかけた。当時11歳だった息子のヘンリーが原作のファンだったため、その熱意に後押しされてモーテンセンはこの役を引き受けたのである。二度とない経験になるかもしれないと感じながら。

今となっては、モーテンセン以外にこの役は考えられない。彼はアラゴルンの持つ権力と寂しさという特徴を関連づけ、表現することに成功したのだ。映画界でのスターダムよりも、さらに高い芸術的な場所を求めている彼は、商業ベースの話には、決して動かされない。

「映画を作り上げた後に起こること……どのくらいの興行収入だったかとか、成功したかどうかとか、ピーター・ジャクソンが監督賞を取れないのは妥当なのかとか……そんなことは関係ないんだ。それって、物語を伝えるということを越えた次元の問題だからね。僕が考えることじゃないよ」

彼は有機的に手当たり次第、芸術的表現や信ぴょう性を探る。彼が映画俳優だから、人々が詩の朗読会に訪れ、本を買っていくのではないかと尋ねると、彼はうなずいた。「確かにそうだね。それに気づいてないわけじゃないよ。もし、何の予告もなしに今夜サイン会をやるって発表しても、たくさんの人たちが来てくれると思う。映画のおかげでね。中には純粋に詩を聞きたいだけっていう人もいるだろうし、『ロード・オブ・ザ・リング』に出ている俳優目当ての人もいる。どちらであろうと、僕は構わないんだ。来てくれた人が詩を聞いて、何かを感じてくれれば。反応が良いものであろうと、悪いものであろうと、僕と彼らの間には、コミュニケーションが成り立つ。ね、それでいいじゃないか!」

温和で平静な性格に見えるモーテンセンだが、その根底には、どこか落ち着かず、ハングリーで、現状に満足していない感情がある。激昂する姿を想像するのは難しいが、実際、人と対立することはそんなにないと彼は言った。誰かと口論になった場合、先に非を認めるタイプなのだろうか?「ほとんどの場合、それはないね。でも、口論になって、言われるよりも多く、残酷なことや理不尽なことを言い返してしまったら……そういう時はいつも、後になってイヤな気持ちになるんだ。そうだな、二度と話したくないって思う相手もいるけど、口論になった後は、たいてい後から電話をするね。ちゃんと埋め合わせをしたいから」

「物事を分析するのが好きなんだ。すべての人に、平等にチャンスが与えられているという状況であってほしい。自分で残酷だな、と思ったことについては、簡単に善悪の判断を下してしまうこともある。例えば、グループ全体の利益よりも、自分を優先するっていうのは、すごく危険なことだし、それって……“悪”だと思うんだ。私利私欲のために、仲間を犠牲にするってことだから。この映画の“ひとつの指環”は、色々なものにたとえられてきた。核兵器とかね。究極の“悪”だと。今のアメリカではむしろ、延々と続く会議や……そうだな、プログラム、コンセプト、協定といった、“国家の安全”という不気味なお題目を掲げたもののほうが、“ひとつの指環”に近いと僕は思うけどね。“国家の安全”だなんて、威圧的でたいそうなことのように思えるけど、本当のところは、遠くから人々の意志や行動をコントロールしているだけなんだ」

ノックの音がして、カミーロが入ってきた。スペイン語でのやり取り。タイム・アップだ。モーテンセンは「もうちょっと」と言ったが、これから『王の帰還』のフッテージを見る予定が入っているらしい。彼がこちらを振り返った——もう少し話したいことがある。「このあと、どのあたりに行く予定?携帯の番号を教えてくれれば、時間を合わせてバーで会えるんだけど」

俳優として、これまで彼は器用なところを見せてきた。『28Days』ではリハビリ施設に入るプロ野球選手、『ある貴婦人の肖像』ではニコール・キッドマンに結婚を申し込む男、『G.I.ジェーン』では筋金入りの海軍大尉、どの役も、彼によって息づいていた。話がガス・ヴァン・サントのリメイク版『サイコ』に及ぶと、彼は表情を和らげる。「撮影中は、毎日笑っていたよ。金物屋でウィリアム・H・メーシーと一緒のシーンがあったんだけど、彼は本当に陽気で楽しい人なんだ。どのテイクを取っても、どこかしらヘンテコなところがあるって感じでね。それから、アン・ヘッシュ——彼女、絶対に僕のことをただのまぬけだと思ってるよ!」たぶん、ここに彼を知る手がかりがある。おそらく彼も、俳優についてまわる“空っぽ”に見られる恐怖感を抱いているのではないか。役を離れれば普通の人と変わらない——まぬけなのだと。

何が彼を不安にさせるのだろう?即、答えが返ってきた。「退屈するなんてことは、ありえないと思うんだ。このことについては、息子とも言い合いになったんだけどね。彼は“ねえ、僕が受けている科学の授業を知らないから、そんなことが言えるんだよ”って言ったけど、僕は“退屈しない方法を見つけることはできるだろ?何に興味があるんだい?”って言い返した。退屈するなんて、贅沢だと思うよ。怒りやフラストレーション、悲観的になったり惨めになったり、のたうち回ったり、自分を哀れんだり。“退屈だなあ”って思うよりも、そっちのほうがずっといい」話すうちに、彼はどんどん生き生きしてくる。「生きていて、“退屈だ”なんて考えるヤツはクソったれだよ!」

だんだんわかってきた。モーテンセンが耐えられない、もしくは恐れているのは退屈である。その気持ちが彼の創造力をかきたてる。詩や写真を追求し、ついには自らの出版社を作ってしまうほどに。こんな事実がある。彼は好きなことに没頭するためには、たったひとりで追求することを選ぶ。多くの映画スターたちは、高級車や家、女性、ゴルフ、主役の座をずらりと並べて誇示するが、彼が求めているのは、真面目で賢いと認められるようなことなのだ。アラゴルンを演じたことで有名にはなったが、自分の思いを伝えるという欲求は満たされていない。アーティストであろうとすることで、時間を無駄にすることも、退屈することも、そして退屈な人物になることも避けられるのだろう。「自然の中にいて、退屈だと感じたことはないよ。一度もね。ほっとするんだ。砂漠なんかを歩いていると、その一瞬一瞬に価値があると思える」

では、時間の無駄だと思うようなことは?彼は思慮深く、それでいて頑固である。

「ああ、そんなことを考えてたら、気がヘンになっちゃうよ。あの時、どうしてああしなかったのか、とか、なぜあの人たちの前でこうしなかったんだろう、とか。そんなふうに自分に問いかけるなんて。あの街にいたのに、あの絵を見に行かなかった、あの教会に行かなかった、あの時はスープを飲むべきだった、とかね」 他に何か、耐えられないことはあるかと尋ねると、きっぱりとした返事が返ってきた。「残酷な行為。他にも選択肢はあるのに、わざわざ人を傷つけるなんてことには耐えられない」

再びノックの音がした。「携帯の番号を教えてよ。あとで電話するから」とモーテンセンは言い、ノートに番号を書きとめた。時間が過ぎていく。1時間ほど経って、電話が鳴った。低く、軽快な声が聞こえる。「やあ!ヴィゴだけど」——長いつきあいの友達のようだった。

私たちはどこで落ち合うかを話し合い、結局、プラザ・ホテルのオーク・バーに決めた。バーに現れた彼は、スーツからジーンズに着替えていた。チェックのシャツにフリースのジャケット、手にはカメラを持っている。今度はデンマークの旅行者といった風体だ。

バーは混みあい、ざわついていた。他の場所に移ろうかとモタモタしているうちに、モーテンセンがファンに見つかる。彼は親切に応対し——慇懃な感じはまるでなかった——その男性と握手をすると“ありがとう”と言った。ボックス席に滑り込むと、ウィスキーをストレートで注文し、壁に描かれた絵をじっと見つめる。

映画界に身を置きながら——周りは彼に社交性を求めるが——彼は孤独を好む男である。この評価について、彼は大きくうなずくと、今はなかなか一人になる時間がないと打ち明けた。

「友達の中には、一人になれないヤツもいるよ。いつも誰かと一緒にいて、電話ででも、直接会ってでも話していないと落ち着かない、絶対に一人にはなれないってヤツが。僕は、何ヶ月だって一人でいられるけどね」

今までで一番長く、人と話をしなかったのは?と聞くと、かなり長い沈黙の後、笑顔を見せた。

「ロンドン出身のフィリップ・リドリーが監督した作品に出たんだ」と切り出す。作品のタイトルは『聖なる狂気』。モーテンセンは、森の中で女性と共に暮らす聾唖の男を演じている。「ドイツで撮影があったんだけど、ドイツに向かう飛行機の中で決めたんだ。その日は一日、何もしゃべらないでいてみようって。空港に着いたらプロデューサーが迎えに来ていた。で、僕は彼に“一日か二日、しゃべらないで過ごしてみようと思う。どんな感じなのか、つかみたいから”って書いた紙を見せたんだ」

空港から撮影現場までの気まずいドライブを思い出して、微笑みを浮かべる。1時間半のドライブの間、プロデューサーはしゃべり続けた。要するに、独り言だ。「しゃべるのをやめた途端、とても穏やかな気持ちになったよ。僕らが普段話していることって、本当は話すつもりじゃなかったようなことがほとんどだからね。だから僕は考えたんだ。“よし、もう一日続けてみよう”って。スタッフとのミーティングでも、衣装合わせでも、しゃべらなかった。面識のある人はいなかったから、誰もそれを変だと思わなかったんだ。なかなか素敵な気分だったよ。で、その状態を続けることにした。結局、映画を撮っている間ずっと、ひと言もしゃべらなかったよ」。撮影は4週間。ひとつの言葉も発しなかった?その頃を思い出して、彼の口調に温かさが満ちあふれた。「そう、とても楽しんだよ。またやりたいって、ずっと思っているんだ。すごくリラックスできるから。面白かったのは、みんなが僕のことを、精神面でハンディのある人のように扱ったことだな」

スタッフと共にバーに行っても、撮影現場と同様に、彼はメモを書いて回した。「山ほど走り書きをしたよ」。注文をする時は、メニューを指さす。「心が穏やかになって、幸せだったな。本当に、あの状況が気に入っていたんだ」

というわけで、彼はひと言もしゃべらなかった。声に出して、何も言わなかった。ひとりでシャワーを浴びている時も?「しゃべってないよ!」“ウグッ”とか“アー”も?「絶対、しゃべってない。その頃、8歳くらいだった息子が元妻のところにいたから、ファックスを送ったんだ。“しばらくしゃべらないことにしたんだけど、後で電話する。電話口にヘンリーを出してもらえるかな?”って」。彼はまた笑った。「電話をすると、彼女が出た。“ハーイ、ヴィゴ。元気にしてる?”って言われて、僕は電話口で……」

彼は10秒間ほど沈黙した。存在を示すために、鼻から息を吹き出して。

彼の息子は、どうしてそれが父親だとわかったのだろう?「彼女がヘンリーに受話器をわたして、僕はこちら側で息を吹きかける。その音で、電話の先に僕がいることがわかったんだ。彼は、その日にあった出来事なんかを話してくれたよ。子供って、電話ではあまりたくさん話をしないけどね。まあとにかく、彼が色々と話をして、僕はちゃんと聞いてるよって、音を出して合図をした。話し終わると、彼女が電話に出て聞いたんだ。“で、帰ってくるのはいつ?2週間後?それとも3週間?”僕は呼吸の音と舌を鳴らす音で返事をしたよ」

モーテンセンは笑い続けている。“よくそんなことをやったもんだ!”と今さらながら驚き、楽しんでいる。「あの期間、口にしたのは“No!”というひと言だけだよ。ちょうど、サッカーのワールドカップの時期でね、ブラジルとどこかが対戦したと思うんだけど、勝ったのは僕が応援しているチームじゃなかったんだ。ゲームを見ながら寝てしまったんだけど、結果が知りたくて、隣の部屋に聞きにいった。半分寝ぼけていて、隣の部屋の人が結果を教えてくれた時に、思わず口に出ちゃったんだ」。彼は、ため息と共に小さく“No!”とつぶやいた。

沈黙を破らせたのはスポーツだった!息子の前でも、仕事場でも、普段の生活でも、ずっと沈黙し続けたのに。その衝撃の事実に大はしゃぎしていると、彼が訂正した。「スポーツじゃなくて、サッカーだよ。ただのスポーツとはわけが違う」

午後5時半。素晴らしい秋の日。私たちは通りをわたってセントラルパークに向かった。ぶらぶらと、煙草を吸いながら歩く。モーテンセンは犬の写真を撮るために立ち止まり、撮り終えると池を見渡せるベンチに座った。

「しゃべらずに映画を撮っていると、結局のところ、しゃべることなんて必要ないんじゃないかって気になるね」と彼は言った。「でも、僕らはしゃべる。自分が理解していることを確認するためにね」

時折、通り過ぎた人たちがこちらを振り返る。——違うわ。ヴィゴ・モーテンセンに似ているってだけよ。本人がカメラを持ってベンチに座っているはずないもの。しかし、これが普段の彼なのだ。決して世の中を拒絶しているわけではなく、むしろその中で、自分らしくあろうとしているだけなのかもしれない。

気取らない感じでベンチに座り、くつろいでいる。理想的な状況に思えた。しかし、ここで問題が起きた。おびただしい数のねずみが、草むらから歩道へと、縦横無尽に走り回っている。とても、無視することはできなかった。

「ずいぶん大胆なねずみだなあ」。信じられないという感じで彼が言った。目の前を、何人かのブラジル人が通り過ぎていく。「ねえ、例のワールドカップの決勝で、ブラジルと戦ったのがどこだったか、ちょっと聞いてくるよ」

彼はベンチからパッと立ち上がると、私をねずみたちの元に置き去りにした。彼がブラジル人たちとしゃべっている間に、小さな人だかりができる。次に彼がしたことは、記念写真のために、ポーズをとって、彼らに腕をまわすことだった。彼は肩越しに私の方を振り返ると、「あーあ」という顔をした。

数分後に、彼が戻ってきた。「決勝戦でブラジルと対戦したのは、オランダだったよ。オランダを応援したっていうより、ブラジルに負けて欲しかったんだ。僕はアルゼンチン育ちだからね」。実は、ブラジルとオランダはワールドカップの決勝戦で対戦したことはない。対戦したのは、1994年の準決勝である。まあ、どうでもいいことだが。ともあれ、彼は依然としてねずみにご執心である。「うわぁ!今のヤツ見た?ねずみっていうより、カンガルーみたいだ。なんていうのかな、ねずみの群れ?群集?大群って言い方がふわしいな、たぶん」

また一匹、転がるようにして通り過ぎていく。「今のヤツは、背中を痛めていたね。年老いて……なんだか寂しいな」。どうやら、他の話題に移るのは不可能なようだ。「ここで、こんなにたくさんのねずみを見るとは思わなかったな」と、彼は言った。「L.A.のねずみの倍くらいあるよ。あ、あのねずみ、死んだふりしているみたいだ」

日が沈もうとしている。私たちは公園を離れ、おしゃべりを続けながら5thアベニューをわたった。彼はテレビを持っていない。息子と多くの時間を共にしている。9thアベニューにある“スプリーム・マカロニ・カンパニー”というレストランが好きで、今でも同じ場所にあるのかどうか、気になるようだ。マディソン・アベニューにある高級デパートのバーニーズを通り過ぎようとした時、ショー・ウィンドウの前で彼が立ち止まった。中にいる店員が三脚にカメラをセットしている様子をじっと見つめている。モーテンセンはウィンドウの近くでカメラを構え、ガラスをノックした。そして、店員が振り向いた瞬間、シャッターを切った。

彼はとことん楽しんでいた。暗くなったり、不安になったりした時期もあっただろう。しかし、今の彼は、自分自身であることに満足し、特に不安に取り付かれたり、思い悩んだりはしていない。

ホテルに着いた。「散歩を続けようよ」と、彼は言う。ディナーに向かうまで、まだ少し時間があったし、言いたいことも残っているようだ。もう少ししたら、彼は『ロード・オブ・ザ・リング』で共演した俳優に会いに行かなければならない。

レキシントン・アベニューに到着する頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。途中で、彼の南アメリカの友人たちと、ばったり出くわし、大いに盛り上がる。スペイン語が飛び交い、電話番号を交換し、お互いの頬にキスをしていた。彼らと別れ、コーヒーでも飲もうということになった。しかし、私はその前にキャッシュ・マシーンに寄らなければならない。コーヒーショップの前で待っている、と彼は言った。

店の前に行くと、彼が2つの花束を抱えて立っていた。ひとつを私に手渡してくれる。もうひとつは誰のためかと聞くと、「ホテルの部屋に」と彼が答えた。

店に入った。モーテンセンは、現在結婚していない。したいと思わないのか、と尋ねると、彼は少し答えをためらった。「うーん、思わないかな。自分の時間もあまり持てないくらいだからね、誰かと過ごす時間にまで手が回らないんだ」

しかし、これが絶対的な真実ではないようだ。しかるべき人が現れたら、時間を作るだろうと彼も認めたのだから。誰かと過ごす時間を作れないのではなく、彼は自分が重要だと思うことだけに時間を割く。これが真実である。

午後7時45分。そろそろ行かなくてはいけない時間だ。私たちは、レキシントン・アベニューの角で立ち止まり、さよならを言った。冒険は終わった。別れの時だ。最後にもう一度、“時間が足りない”ということについて、少しだけ話した。彼は悲しそうに言った。「もし、一日だけ自由にしていいってことになったら、電話には出ないな。本を読むとか、散歩に行くとか、シンプルで基本的なことをするよ。そんなことは、いつでもできるじゃないかって言う人もいるだろうけど、僕はそう思わない。人生は短いんだ」

時間がないと言っている割に、自分から進んでだらだらと長いインタビューにしているじゃないか、と思う人もいるだろう。しかし、私たちが過ごした6時間は、時間つぶしでもなければ、他のことから逃げるためのものでもない。モーテンセンが与える印象を定義付けするために、必要な時間だったのだ。俳優としての彼ではなく、一人の人間としての彼を知るための。彼はただ、ヒーローになりたいと思っている男だった。

translated by chica