tribute.ca  2003.12.19 原文
ヴィゴ・モーテンセンとの会話

Tributeのボニー・ローファーがヴィゴ・モーテンセン(アラゴルン)に『ロード・オブ・ザ・リング』三部作での経験について聞く

Q: 三部作最後の作品のことを話すと、ほろ苦い気分になりますか?

僕には終わった気がしないんだ。つまり、技術的にはまだ終わっていない。こうして君に話しているけど、まだ撮影の最中なんだ。続けられるのはうれしいけどね。この映画に関する全ての感情を表現できるまでには長くかかると思う。僕たちがこの映画から学んだものとその意味を考えると、それは何年も続くと思う。ニュージーランドでは、みんなでお別れ会をしたんだ。主要キャストは、それぞれの撮影の最後の日に打ち上げパーティーをして、自分が使用した小道具をもらったんだ。僕の場合は、最初の剣。傷ついて、かなりぼろぼろだったよ。マオリ族の出陣の儀式で、ハカという歌と踊りのようなものも披露された。みんなの挨拶と歌もあった。だけど、僕が去ることや僕の貢献を祝うことなんて、大したことじゃない。これはグループのものだという気持ちの方が強かった。この機会を利用して、できる限り、みんなで堅く抱き合ったよ。グループあるいはチームとして、一人一人みんなの貢献を祝福しているという感じだった。僕は感動して言葉に詰まってしまったよ。でもこれは、僕一人のもの、アラゴルン一人のものじゃなく、その部屋にいた全員のものだという気がした。だって、僕たちみんなが4年間もそこにいて、僕たちみんながこの映画でたくさんのことを経験したから、一人のものなんかじゃあり得ないよ。

Q: みなさんがこれはチームワークだと感じていたようですね。そして、ピーター・ジャクソン監督が、大変苦労してその維持に努めたと。

その通りだよ。彼の主眼点、そのすぐれた洞察力と集中力、忍耐力とスタミナをみんなは褒めるけど、僕が最も高く評価しているのは、彼の技術面の才能とエネルギーよりも、彼が良識ある人間だということなんだ。わざわざあんな風にして、さよならを言う機会を作ってくれたんだもの。それに、他人に対して彼が一人の人間として振る舞うのを見てもわかるように、彼も僕たちと同じように、調子のいい日もあれば悪い日もある。気分の浮き沈みもある。だけど、全体として、彼ほどの思いやりを持って事にあたり、人を丁寧に扱う人は他には思いつかないね。人生は短すぎるから、なかなかそうはできないものなんだ。実際、同じ状況に置かれたら、終始怒鳴りちらす監督もいるだろうね。あれだけ大勢の人間とあれだけ多くの複雑な問題や課題を抱えながら、常にかっとならずに、これだけ長い期間を切り抜けることのできる人は、思いつくだけでもそうはいない。僕が一緒に仕事をした監督も含め、ずっと怒鳴りっぱなしで、撮影の4分の1ぐらいのところで心臓発作を起こすような監督なら数えただけでも大勢いる。彼がここまで来れた一番の理由は、その才能の中でも、彼の人としての良識ある態度なんだ。

Q: この作品を支えたのはあなただと言う人が多いのですが、どうやってまとめたのですか?

他のみんなと同じようにやっただけだよ。準備をして仕事に出てくることを心がけたけど、難しいことじゃなかった。他の人たちと同じように、僕もこのストーリーが気に入っていたからね。スタッフからもそれが感じられた。だからこそ、別れの時が本当に意味のあるものになったんだ。それに、その場面の演じ方への答えが見つからない時や、ついていない日には、撮影の中でみんなを頼りにすればいいとわかっていたから。疲れた日も、それがあったから比較的楽だったよ。この映画での強力なサポート態勢は、他に見たことがないよ。

Q: これほどの役を演じるのに、どのぐらい威圧感を感じましたか?

アラゴルンがどんな責任を背負っているのか、人々がアラゴルンをどう考えているのかという点に関しては、前もっては原作を知らなかったから、急いで読まなければならなかった。読み始めて間もなく、僕がよく知っている要素に気づき始めたんだ。今まで自分が読んだり、人が読んでくれた話の中に出てきた要素にね。あとは、自分が知っている範囲を超えて連想して、神話やサーガ、中世ヨーロッパの詩や英雄物語、アイスランド文学、ケルト文学の要素に注目していった。そして、あらゆる方向に範囲を広げていったんだ。みんながアラゴルンをどう思うかとか、アラゴルンはどんな人物なのかということは、知らなかったし考えもしなかった。本当はどうでもいいことなんだ。ハムレットを演じなければならないのなら、ハムレットを演じるだけだ。だから、今回もそういった余計なことは頭に入ってこなかったのだろう。だけど、ある意味ではそれでよかったんだ。考える時間がなかったからね。人物やストーリーに先入観を持たずに、連想を膨らませたんだ。そして、いろいろ取り入れてみた。北欧神話や北欧文学を意識した部分もあるんだよ。ほんのちょっとだけどね。このキャラクターを演じるために、あちこちから拝借した部分もある。サムライ映画やウェスタン関係でも、アラゴルンや全体のストーリーのインスピレーションになったものもある。でも結局、実用面で一番助けになったのは、しかも一番はっきりしているのは、一緒に仕事をした人たちだった。人材が一番だよ。理解を深めようと本を読むのは続けたけど、共演者とスタッフが一番助けになったよ。この物語の中で僕たちがしていること、僕たちが乗り越えていることに一番身近だったのは彼らなんだ。この人たちがいなれば、本も読まずに、ただセリフを言って、その場の出来事で良いと思ったものを真似ていただけかもしれない。

Q: あなたの演じるキャラクターは、人間とイエス・キリストを合わせたような人物ですね。あなたはどう思われますか?

それは、多くのキャラクター、特にフロドについても言えることだと思う。彼らはみんなのために自分を犠牲にしたのだから。モリアでのガンダルフもそうだよ。この怪物と戦えば、みんなのために時間が稼げると思った。彼は自分を犠牲にしていたんだ。文字通り。サムもそうだよ。第三部の最後の方で、彼は文字通りフロドを背負わなければならない。当然アラゴルンにもそれが言える。ヘルム渓谷の戦いでも、死者の道(彼個人の試練とは言っても、レゴラスとギムリが一緒だから)を行く時でも、常に彼は自分から飛び込んで行く。特にアラゴルンに関してだと思うんだけど、ヘルム渓谷を境に、これまで以上に彼の肩に責任がのしかかるばかりか、以前にもまして、責任ある公の立場を取らなければならない。彼は自分自身や数人の人々に対して責任があるだけでなく、自分に課せられた旅を続けるにつれ、ますます多くの人々に対する責任を負うことになる。死者の道は彼自身の心の葛藤なんだ。「俺はこれだけの価値のある人間なのだろうか?俺の血はそれほど純粋なのだろうか?俺の志は、この国唯一の王位継承者の行いに恥じないほど純粋なのだろうか?」これが彼の内なる葛藤なんだ。黒門では、自分自身と彼の馬を、まちがいなく死ぬという状況に追い込む。なぜそうするのかというと、ホビットたちのために、もう少し時間を稼ぐためなんだ。そして、それこそが彼らに残された唯一の道であり、正しい行動なんだ。でも、それはアラゴルンだけじゃない。彼の馬も、レゴラスとギムリも同じ心構えなんだ。ガンダルフ、エオメルも。メリーとピピンも。だけど、アラゴルンは、ゴンドールとローハンの軍全体を説得して、長い歴史の末に彼らを一つにまとめたばかりでなく、この何千人もの兵士全員に死んでくれるよう説得したんだ。それしか方法がないのだから。鍛え直した剣やその他諸々の物でもどうしようもない。人数の上でも不利だし。ニューヨーク市のネズミが人の数を圧倒的に上回っているようにね。確か、8百万対1の割合だと思うけど。

Q: あなたは、最後の第三部が一番いいとおっしゃっていますが、なぜですか?

そんなこと言った?[笑] う〜ん、第三部が一番好きだというみんなの意見には僕も賛成だよ。ただ、僕はこれを一つの長いストーリーと捉えているんだけどね。トールキンもそうだったと思う。でも、みんなが第三部が一番好きだと言う理由もわかるよ。原作と映画の第一部の終わりに、トールキンもピーター・ジャクソンも旅の仲間を分裂させる。いろいろなストーリーを扱うために。そうすると、それらのおもしろさを保ちつつ、話を前に進めながらも、各パートを行ったり来たりする方法を考えなければならない。第三部で全てのパートを一つにまとめる前に、各パートの感情面での緊張をさらに高め、一層おもしろくしておく必要がある。各ストーリーを一定のレベルにまで持っていき、一つにまとめ、収束させなければならない。とても大変な仕事だよ。そうするには、第一部と第二部の様々な要素を結びつける方法しかない。つまり、人物の相関関係や人物間の微妙な相互関係、これは第一部の、人物に関する面だよね。これが、大がかりなセットと特殊効果の面で壮大なスケールを持つ第二部と結びつけられる。第一部と二部の最も良い部分を取り上げてまとめる。それがうまくいけば、何かものすごいものが得られるよね。ピーターはそれをうまくやり遂げたと思う。ほんと言うと、『旅の仲間』は延長版でなければ見ないかも。こっちの方がはるかにすぐれているからね。『二つの塔』の延長版を見たけど、やっぱりそうだった。きっと、『王の帰還』にも同じ事が言えると思う。三作の延長版をがんばって全部見たら素晴らしいだろうな。いつかやってみるつもりだよ。

Q: 今回の経験で、俳優として変わりましたか?

僕が持ってるスナップ写真やスチール写真を見てみたんだけど、移り変わりがわかるんだよ。1999年〜2000年のもので、役者だけじゃなく、スタッフやピーターのもある。それと、今年の写真も見てみたんだ。もちろん、人は4年もたったら変わるし、表にも表れる。だけど何か、普通に年を取る以外の変化も写真に現れているんだ。誰と比べても一番そうならないはずのピーターにでさえ、それが表れているんだ。途方もない仕事の跡がね。彼もびっくりしたと思うけど。僕たちには休みがちゃんとあったけど、ピーターはとにかく働き続けた。人の目を見ると、年を取ったことだけじゃなく、まなざしの変化もわかる。それは、「以前は知らなかった」と言っているまなざしなんだ。この物語の登場人物たちも、おそらく同じだと思う。だから、そういう意味では、誰もが変わったよ。役者一人一人についてそう言える。その人の年齢、興奮しやすいかどうか、その人の地位や立場、性格の違いなどに関係なく。映画の中でも、初めの頃とは違う、ある種の落ち着き、ある種の自覚がどの人物からも感じられる。そして、写真にもそれが現れているんだ。

Q: こうした経験によって、今後、普通の作品に出演するのが難しくなりませんか?

すでに一つ、『ヒダルゴ』っていう映画を撮り終えたよ。これも撮影が大変だった。砂漠で何ヶ月もかかったんだ。大変な仕事だった。でも、僕は『ロード〜』を経験した後だったからね。ある時、サハラ砂漠の真ん中で、風も強く、(比較的)ひどいコンディションで、みんな不満だらけだった。僕は、「君たち、わかってないね。こんなのはバケーションさ」って思ったけどね。

Q: リヴ・タイラーとの共演は楽しかったですか?

全体的に見て、彼女のストーリーの挿入は、原作と補遺からの借用の中では最もすぐれていると思う。アルウェンを正当に評価することになるし、もっと重要なのは、二人の関係を正しく描くことになると思うから。ピーターはその辺をきちんと描いている。第三部で僕が特に期待している人物の一人が、エオウィンなんだ。原作での彼女の扱いに関して、映画の第二部でもっと見せて欲しかった部分が、第三部にはちゃんと描かれているんだ。

Q: この二人の女性との共演はいかがでしたか?撮影では、他は全て男性という中で、実質的には女性はこの二人だけですよね。

とてもラッキーだったと思うよ。

translated by estel