American Western Magazine  2004.3 原文
『ヒダルゴ』の俳優ヴィゴ・モーテンセンにステイシー・レイン・ウィルソンが聞く

ヴィゴ・モーテンセンは、ディズニーの「アラビア経由ウェスタン」アクションアドベンチャーの新作で、フランクT. ホプキンスを演じる。その忙しいスケジュールの数分を割いて、この映画について、また、実際のホプキンスVS映画に描かれた伝説のホプキンスをめぐる論争について語ってくれた。

ステイシー・レイン・ウィルソンによるインタビュー

Q: 『ヒダルゴ』は子供にも受けるような馬の冒険映画だけど、かなり暴力的な部分も出てくるわよね。対象としては何歳ぐらいが一番いいと思う?

それはジョー・ジョンストン[監督]に聞いた方がいい。僕はパスするよ。観客のことを考えながら仕事をしているわけではないから。僕の言う仕事とは、まじめに努力して、主題のこと、物語のこと、演じている役のことをできる限り学び、話の運びに貢献することに全力を尽くし、セットに着いたら、そこで行われていることに協力し素直に反応して、シドニー・ルメットの言葉を借りれば、アクシデントに備えて最大限の準備をすることだと考えている。そして、我々がやることをやって、作品としてうまくまとまれば、人々が自然にそれに引きつけられるチャンスも生まれる。もちろん、映画にゴーサインが出ても、スタジオ側は観客動員数のことを考えなければならない。この映画は十分人々に受けるだろうか?お金になるだろうか?ってね。だから、多額の制作費をかけた映画の多くが、時として細部にこだわり過ぎて、マーケティングでも映画自体の中でも、これは悪い奴、これはいい事でこれは悪いこと、これに注目、あれに注目と言い過ぎるのだと思う。

この映画のいい点は、その脚本や青写真と同様、その最終結果にあると思う。ジョー・ジョンストンの古風なストーリー運びの手法のおかげでね。映画作りという点では、彼はむしろハワード・ホークスのようなやり方をする監督だ。でも映画の方はそうではない。長所はたくさんあるが、これは観る人の知性を大切にした映画だと思う。この映画を観ると、単なる冒険ものとしてだけでなく、得られるものがたくさんある。ジョンストン監督は、最もすぐれた監督がしてきたことをした。それは、最高のカメラマンを得、最高のキャストを得、すばらしいロケ地で撮影をし、わざわざサウスダコタまで出かけてラコタの人たちを採用し、正しい手順を踏んだということだ。そこに長くいなくても、バッファロービルと大西部ショーを、実にすばらしいものに作り上げた。細部、外観、デザイン。全てをきちんと行った。どれか一つの面が突出して注意を引いてもいけない。見せびらかしてもいけない。ストレートに物語を語ること。そうすれば、観客が自分で様々なことを見いだすチャンスがより多く生まれる。この映画の根底には多くの層がある。つまり、アドベンチャーであると同時に、観る人の考えを刺激する映画でもある。たくさんある中で、少なくとも僕にとっては、(いろいろな違いはあっても)人は人だと考えさせてくれる映画なんだ。

Q: じゃ、これは昔風のアクションアドベンチャーと言っていいのかしら?

ああ。[最近は]みなこう考える。「よし。時代は今だ。何か新しいことをしなくては。」特殊効果やバイオレンスに血まなこになり、演技もさらに派手になる。俳優もそうだ。プレッシャーを感じてなのか、それとも注目を集めるためなのかはわからないが、業界を煽っているようなものだ。タブロイド紙の映画記事とまじめな批評との境界線が、今ますます曖昧になっている気がする。だから、演技も俳優も、とにかく注目を集めようとして度を越しているのがわかる。それはその映画にふさわしくないかもしれない。ストーリーの助けにならないかもしれない。でも、何らかの仕事やお金、雑誌の特集記事にはなる。なるほど、それでも時には興味深くておもしろい映画かもしれない。でも、僕がもう一度観に行きたくなるような映画だろうか?多分ノーだよ。

Q: これは、観たいと思う気持ちを刺激する映画なのね?

それから、監督の腕もある。他の監督でもこれを取り上げたかもしれないからね。予告編に出てくる俳優とかポスターとか、それからタイミングにも左右される。この映画は911の2年前にオーケーが出て、イラク戦争の前に撮影が終了したのに、こう考える人もいるだろう。「ああそうか、アメリカ人がまたビッグな映画を作りたがっているんだな。カウボーイがアラビアに出かけて行くのか。もちろん、これがどんな映画かわかるよ。」そしてまた、その通りに作られていたかもしれない。極端な愛国主義の映画のように。でも、実際に映画を観ると全然違うんだ。国内を回りながら僕が話した人々は、イスラムの人たちでもネイティブアメリカンの人たちでも、うれしい驚きを感じてくれている。彼らは最初、仕事で仕方なく、まぁいいかという気持ちで観に行く。特に、イスラムの人たちはこんな風に考える。「こういう映画は前にも観たことがある。もう慣れているさ。たとえ故意でなくても、ハリウッドでは、私の文化が何らかの形で侮辱されたり、踏みつけにされたり、退けられている。この種の映画は絶対にそうなっているはずだ。」それが、映画館から出てくるとこんな風に言う。「これはハリウッドの娯楽映画だが、それでも大げさに騒ぎ立てることなく、威厳と敬意を持って私の文化を扱っている。」彼らは驚いている。しかもうれしい驚きだと言って。だから、上質で楽しくておもしろいハリウッド映画も可能なんだ。常に搾取的だとは限らない。

Q: ホプキンスという人物についての印象は?

彼は無知とも言える人物で、広い世界についてあまり知識がない。彼には知らないことがたくさんある。それは仕方がないことだろ?でも彼はそうした情報の欠如を、少なくとも多少の興味と好奇心と敬意を持つことで補っている。それを示すシーンがたくさんある。例えば、レースのスタートシーンだ。鷹を連れたアドニ扮するサカルだけど、彼がやって来て丁重にこう言う。「我が意見、我が仲間の意見、そして我が神アラーにかけて、あんたとこの馬がここにいるのは神への冒涜だ。」するとフランクが言う。「なるほど。まあ、君にも幸運を。」僕は僕のことをやるから、君は君のことをやりたまえ、ってね。そこがいいんだ。また言うけど、いろいろ違いはあっても人は人であって、何か共通点を見い出す努力をすることに価値がある、ということが様々なレベルで語られていると思う。結局、レースを終えることよりも、途中で起こる出来事の方がもっと大切なんだ。ある意味、物語の中でホプキンスは、自分が出会った人々についてよりも、自分自身についてはるかに多くを学ぶことになるだろう。これは学びの経験なんだ。人格とか忍耐力とか、そういうものが試されるんだ。

Q: この映画を作る際に、史実としての信憑性はどれぐらい重要でしたか?

言おうと思っているのはそのことなんだ。僕のために、居留地の多くの家族が、フランク・ホプキンスの名前を挙げて、彼の馬乗りとしての技術や自分たちの部族とのつながりについて、何世代にもわたって伝えられてきた話をいろいろとしてくれたんだ。それが真実でなくて何だろう?興味があって、撮影終了と同時に調べ始めたんだけど、撮影が終わる頃、いくつかの論文がインターネットに出始めた。主に[ロングライダーズギルドの]オライリーという非常に熱心な夫妻の努力によって、中東やアラブの国々で発表されたもので、彼らはどんなことをしてもホプキンスの信用を落とそうとした。そして今までのところ、一方的で大きな誤解を招くような意見を述べることに成功し、誤った情報を持ち、みんなが疑問を抱くような雰囲気を作り出すことに成功している。さらに、彼らの言葉を信じて掲載した真面目な新聞にまで害が及んでいる。彼らの主張が誤りであることははっきりしている。その動機が何なのかはわからないが、その主張は誤っている。それは物語の非常に狭い面の一つだけをとらえた意見で、全く賛成はできない。僕の経験と僕が今まで聞いた話では、居留地の人たちの中には、英語を話さない人やハリウッド映画なんかどうでもいい人さえいる。そういう人たちがホプキンスの話をしていること自体真実の証拠であって、わざわざ僕が言い訳する必要もないよ。たとえば、この辺で話を切り上げて、これはドキュメンタリーじゃないから、と言うことだって簡単さ。

これは実在の人物と実際の出来事についての物語で、どの物語もそうだが、これもまた敷衍されたものなんだ。我々国民のアイデンティティーは、実はそうやってふくらませた物語から作り上げられている。マーティン・ルーサー・キング、ジョージ・ワシントン、ベーブルース、バッファロービルも。僕らはそうやって、自分はアメリカ人だと感じる。そうだろ?物語を敷衍したり、形を変えて語ることは、どこの国の人々もやっている。僕がいろいろな所から聞いた話も、フスコやその他の人たちが居留地で聞いた話も、少しバリエーションはあるけれど、結局は同じ人物のことを言っている。彼の馬乗りとしての技術、レースに出かけて行って挑戦を受けた話に集約される。批判については、僕の方は何の問題もないよ。明らかに向こうがやっていることで、一体どういうことなのか、彼らの動機が何なのか僕にはわからない。わかっているのは、彼らがアラブ馬の熱烈なファンだということ。それが彼らの動機の一つになっている。君も読んだかもしれないが、1、2週間前にある婦人がL.A. Timesに、"Trail of Lies"(虚偽の軌跡)とか何とか書いていた。 (訳注:実際のタイトルは"Long Trail of Lies"。http://www.thelongridersguild.com/latimes.htm を参照) しかし、彼女は、自分が耐久レースの乗り手で、アラブ馬の所有者でありファンであり、オライリーと同じ立場だということを明らかにはしていない。まあそれもいいさ。つまり、それもおもしろいってこと。どことなく、この映画に出てくるレディ・アンという人物に似ているよ。

Q: 以前持っていた馬が、耐久力を出すために作られたアラブとアパルーサ(訳注:北米西部産の強健な乗用馬)の交配種だったの。アラブ馬が好きな人たちは、かなりこだわるのよね。私の馬の斑点をいやがったのよ。

彼らは... [聴き取り不能]、それはそれで結構。でも、あまりにばかげているよ。僕がこの物語で気に入っているのは、馬には強い個性があるということなんだ。馬は宗教上の違いや信仰など考えない。それを超越している。マスタングはスパニッシュバーバリ(訳注:バーバリ馬は北西アフリカのバーバリ地方原産で、ムーア人によってスペインにもたらされた)で、そのルーツはアラブ馬と全く同じか、少なくともほとんど同じなんだ。なのに、どうしてみんなそうかっかするのかな?しかもこの物語は、我々はたった一つの存在ではないと繰り返し述べている。人間は人間同士つながっているし、馬同士もつながっている。世界は一つなんだ。これこそ、メッセージ映画ではないこの物語が、いろいろな形で僕に教えてくれたことなんだ。これはおもしろいと思う。でも、僕が居留地に出かけて行き、人々と会って話し、実際起きたことの口承の歴史と伝統を聞いて、何に惹かれたか話さなくちゃいけないんだよね。それは驚くほどすばらしく、肯定的で、偉大なものだったよ。「あ、そう。だから何なの?退屈ね」って言うかもしれない。でも、ここに自分の知らないことをしている人たちが実際にいるんだと考えると、もっとおもしろくなると思うよ。

Q: 乗馬のシーンはほとんど自分でやったの?

かなりの部分は自分でやれたよ。トレーナーとレックス・ピーターソン、スタントのマイク・ワトソン、それに全ての馬たちと一緒にがんばったからね。子供の頃馬に乗っていたから気が楽だったし、みんなも、危険でもやる価値があると思っていたからね。プロデューサーたちははらはらしていたと思う。でも、この映画のように特撮が主体でない映画の場合は特に、デジタル処理や他の方法では得られない効果を得るために、一か八かやってみることもある。それだと、カットせずにワンショットで僕を追うこともできるし、接近して僕がしていることを見ることもできるからね。

Q: 乗馬でのアクシデントはあった?

僕はラッキーだったよ。かなり擦り剥いたけど、大きな落馬などはなかった。馬に詳しいならわかると思うけど、鞍なしで乗るのは別として、一番危険なのはレースのスタートシーンだった。100頭もいたし、しかも向こうでは馬を去勢しない。つまり、去勢馬じゃない雄馬が100頭もいた。しかも向こうのアラブ馬。ここやスペイン、イングランドなどでの扱い方と違って、向こうではとにかく種馬を戦わせるんだ。もう荒っぽくて。しかも、もともとかなり神経質な種類の馬なんだ。ぎゅうぎゅう詰めの状態でスタート地点にいた時、何が始まるのか察知するや否や、馬たちはみんな走りたがり、殺し合いをしたがっていたよ。僕は小さい馬に乗っていたんだけど、これは視覚効果十分だよね。でも、小さくても立派に個性のある馬なんだ。自分じゃかなりタフだと思っている雄馬で、ケンカを売ろうとするんだ。映画全体としては、それが一番困ったシーンだった。疾走シーンじゃなくてね。それも時には恐かったけど。実際、怪我人も何人かでたよ。強風か何かで数テイク撮るのがやっとという時、一頭の馬がひっくり返って、乗っていた人が下敷きになって重傷を負ったんだ。でも、5ヶ月後には復帰して、また馬に乗っていたよ。考えてみると僕らはラッキーだった。あのスタートシーンはレックス・ピーターソンの悩みの種でね。終わった時、彼は本当にほっとしていたよ。

Q: 馬好きとしては、映画『シービスケット』をどう思いますか?

ストーリーは気に入ったよ。映画を比べるのはあまり気持ちのいいものじゃないけど、でも、同じように馬の名前がタイトルになっているからね。『シービスケット』と違って『ヒダルゴ』では、観客はヒダルゴという馬を、一人の役者として、一人の登場人物として理解できると思うんだ。確かにタイプの違う映画だけれど、馬にもっと個性があるんだよ。『シービスケット』では、観客は、これは個性のある馬だと語られる。体が小さく、いわば「負け犬」だと語られる。そう語るのは他の人々なんだ。『ヒダルゴ』では、観客は、ヒダルゴの行動、ヒダルゴという馬を実際に目にすることができる。TJがいてラッキーだったよ。かなりの個性を演じてくれたからね。彼は何にでも意見を持ってるんだ。ほんと、おかしかったよ。最初の二週間は、我が物顔でも、やきもちやイライラでも、とにかく一定の反応を示したんだ。

Q: じゃ、TJとは強い絆で結ばれていたのね。

ああそうだよ。絆のあるなしに関わらず、彼はとにかくこの仕事に熱心だった。リハーサルの時は、「えさが食べたいんだ」って感じだったのに[カメラが回ってる時は、態度が全然違うんだ]。僕たちはこう言った。「今の撮った?ピント合ってた?バッチリだよ。ラッキー。台本にないけど、いいんじゃない。」ところが、彼はそれを、一回だけじゃなく何度も続けるんだ。僕たちは、ある意味、それは全くの偶然じゃないかもしれないと気づいた。彼は、ともかく積極的で落ち着いていたよ。種馬なのにあんなにおとなしいなんて...映画のセットも初めてだったのに。あれだけ落ち着いていて辛抱強く、ものわかりが良くて興味津々で、僕たちはラッキーだったよ。

Q: ほんとにTJを買っちゃったって聞いたけど。

そうだよ。

Q: 何頭持ってるの?

『ロード〜』の馬が二頭と、今回のが一頭。

Q: どこで飼っているの?

LAからちょっと離れた友人のところ。そこでも一頭飼ってるんだ。ニュージーランドの馬はまだ連れて来ていないよ。彼らは去年の秋に追加撮影があって、それを考慮しなければならなかったんだ。今度は僕の方が新作の宣伝でツアーが続いているから、落ち着いたらニュージーランドに戻らなくちゃ。

Q: 小道具をもらった俳優もいるけど、あなたは馬なの?

僕はほんの少しラッキーなだけだったと思う。とてもすぐれた馬たちと仕事をしたり、ほんとにいい友だちになることができたから。と言うより、もしかして、馬たちの方が人間に興味があるのかもしれない。

Q: TJは何歳?

十歳ぐらいだと思う。

Q: 馬や動物の映画で好きなものは?

白黒で、南仏の沼沢地で作られた映画。あれはきれいだった。

Q: 『野に駆ける白い馬のように』(Run Wild, Run Free、1969年)ね。

だけど『ヒダルゴ』もすばらしい出来だと思うよ。馬を人間化したミスター・エドのようなストーリーじゃないという点では、これ以上の映画はないと思う。機械仕掛けなんかじゃない。馬が実際にああいうリアクションを全て行っているんだ。馬が馬を演じている。そして、それはおもしろいし、十分理解できるし、何より、とても楽しめる冒険映画になっていると思う。ひいき目なことは確かだけど、僕はこの映画にとても満足しているんだ。

translated by estel