Backstage.com  2004.1.5 原文
Good Fellow

By Jamie Painter Young

backstage.comの写真 ヴィゴ・モーテンセンはLAのグローブ・シアターに入り、売店に行ってコーラを注文する。彼は大勢のファンに話しかけようとしている。その多くは、『ロード・オブ・ザ・リング:王の帰還』の試写会に招待された俳優たちである。この映画は、トールキン原作の映画化というギャンブルに大成功をおさめた、ピータージャクソン監督による三部作の最終エピソードである。驚いたことに、ロビーにいる客は誰も彼に気づかない様子。おそらく、髪は短く、髭も剃り、中つ国の汚れも武器もない。レザーと剣ではなく、ダーク・スーツ姿のせいかもしれない。あるいは、映画スターらしくないからかもしれない。明らかにスターなのに。

控えめだが才能のあるこの俳優は、21年間主に脇役をやってきて、この突然の成功には複雑な思いである。もちろん、LotRの謎めいた戦士アラゴルンを演じる機会に恵まれたことには感謝している。また、以下で語られるように、彼も共演者もスタッフも疲労の極地にあったにもかかわらず、4年にわたるNZでの三部作の撮影は、すばらしい経験であり大きな刺激となった。しかし、モーテンセンは、今や自分のプライバシーを守らなければならないことに違和感を感じ、スターの地位に戸惑いを感じている。彼は言う。これまで努力してきたのは、名声のためではない。良い仕事をするためだと。

Stick With It (あきらめないで続ける)

「なぜ(役者になったの)かわからない」とモーテンセンは語る。彼は、NYで生まれ、少年時代を過ごし、そこで役者の仕事を始めた。「初めは、話の種として楽しみで芝居や映画を見ていたが、そのうちに、どうやってやるんだろうと思い始めた。本当に自然でリアルな演技を見た時、“どうやったんだろう?どうしてあんな風に楽にできるんだろう?” と思った。それを知るために演技の勉強を始めたんだけど、正直言って、なぜやめなかったのか自分でもわからない。食っていけるようになるまでに長いことかったからね。役者がどんなものか、どれだけ挫折が多いかがわかっていたら、やめていたかもしれない。でも、人生ってそういうものさ。やめるか続けるか。苦痛だと思うか、オープンな気持ちでいるか。自分次第だと思う。僕はこの仕事に興味があったんだと思う。それに、励ましもあったしね。」

最初の励ましは、NYで演技を指導してくれたウォーレン・ロバートソンだった。彼とは今でも親交がある。「ウォーレンは、おそらく荒削りの演技の中に何かを見たんだろう。だから、あきらめずに続けるように、オーディションなどもどんどん受けるように励ましてくれたんだ。そうしたら、とうとう、誰かが僕に気づいてくれて、オーディションを受けさせてくれるようになった」と彼は語る。「初めはとてもラッキーだった。すぐに、いくつか主役のオーディションを受けたんだ。でも、自分が何をやってるのかわからなかったよ。」

彼は若い役者たちにこう助言する。本当に役者を続けていくためには、自分のルックスや才能にあぐらをかいていてはいけない。技術を磨き、長く続け、他に信じてくれる人がいなくても、自分を信じるべきだと。45歳になり、役者が経験する焦りを痛いほど知っているモーテンセンは、20年間、演技という謎を解こうとしてきたが、これは完全には解けない謎だと思うようになった。これこそ、彼が演じていて一番楽しいと思うことなのだ。

「何か好きなことがあるというのは、演技にまだ興味があるという証拠。仕事を、日を、シーンを重ねる毎に、演技を磨きたいと思っている証拠なんだ」と彼は言う。「どの仕事でも——しかも、幸運だから手に入った仕事なんだけど——そのシーンをどうこなそうかと悩む場面が必ずある。でも、しばらくすると、リラックスして、少し成り行きをみるようになるんだよ。」

Do It Justice (満足のいく仕事をする)

彼は自分を過小評価しているようだ。モーテンセンは、仕事にのめり込み、場合によっては、自分の役柄を隅々まで研究し、多彩な面を持つ人物を演じてみせる。彼の自慢は、撮影時に準備万端整っていること。最初にアラゴルン役を断ったのはそのためだ。

「満足にできないと思ったんだ。準備期間が足りなかったし、できる限りちゃんと準備をしたいからね。特に、三作を一度に撮る場合は、いい加減ではいけない。観客に、“うん、とてもいい映画だった。でも、一人浮いている奴がいたよね” って言われたくなかった」と彼は言う。幸い、考え直して、その役を引き受けたのだが。「結局、とてもおもしろいチャレンジで、断るには惜しいと思ったんだ。断っていたら後悔したと思う。でも、引き受けたのは、うまくいくと思ったからじゃなくて、誰もうまくいくとは思わなかったから、なんだけどね。」

さらに、モーテンセンは、初めからアラゴルン役として採用されたわけではなかった。当初、トールキン三部作の控えめなヒーローを演じることになっていたのは、アイルランド人の俳優で、当時26歳のスチュアート・タウンゼントであった。しかし、アラゴルン役に必要な知恵や厭世観が、若いタウンゼントではうまく伝わらなとジャクソン監督が気づいたため、撮影開始から4日で降板することになった。最近のAP通信の記事の中で、ジャクソン監督はこう語っている。「我々は、(タウンゼントを降ろすことについて)他に候補者のないまま、非常に難しい選択を即座に迫られた。」

モーテンセンもこう語る。「こういうことは初めてだったし、もう二度と、誰かの後釜に座るなんていう立場にはなりたくない。NZに着いてから、(タウンゼントに)手紙を書いて、僕の気持ちを伝えたんだ。今から十年後だったら、あるいは、彼が今の僕の年齢か、せめて、撮影開始時の年齢だったら、彼はパーフェクトだったろうって。今でも僕はそう思ってる。配役ミスだったことは、双方了解済みだった。ホビットやレゴラス役の俳優と同じぐらい若いんだから、彼には気の毒だよ。アラゴルンは87歳半という高齢なんだ。彼らも、年のいった役者が必要だったから探しただけの話さ。」

なるほど。そうやって、彼らはその半分の年齢の人を見つけたのだ。しかし、なぜこの役が獲得できたと思うかと尋ねると、モーテンセンは言葉につまった。いや、控えめだから言えないのかもしれない。「どうして、ピーター・ジャクソンが僕に電話をくれたのかわからないよ」と彼は言う。「きっと、候補者も底をついたんだろう。でも、チャンスがめぐって来る時って、そういうものだと思うよ。チャンスはつかまなきゃ。」

20年間、モーテンセンは、作品の規模や質に関係なく、どんな役でも与えられた役をこなしてきた。数年間NYの舞台に立った後、1985年に、ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック/目撃者』で、アーミッシュの農夫の役で映画デビューした。その後、LAに移り、パンクバンドXのリードボーカル、イクシーン・セルヴェンカと結婚——1997年に離婚。二人の間には15歳になる息子がいる。その後10年間は、様々な役をこなすものの、俳優としてはあまり目立たなかった。主な作品は次の通り。『悪魔のいけにえ3』、『ヤングガン2』、『カリートの道』、『アメリカンヤクザ』、『聖なる狂気』、『プロフェシー』、『アルビノ・アリゲーター』など。そして、注目すべき作品として、メジャーではないが評価の高い、ショーン・ペン監督の『インディアン・ランナー』。1990年代半ば以降、キャスティング・ディレクターや監督たちは、よりメジャーな作品に彼を指名するようになった。『クリムゾン・タイド』、ジェーン・カンピオンの『ある貴婦人の肖像』、『G.I.ジェーン』、『ダイヤルM』でのグゥイネス・パルトロウの相手役、『オーバー・ザ・ムーン』でのダイアン・レインの恋人役、『28ディズ』ではサンドラ・ブロックと共演している。

「ヒロインの恋人」という限られた役柄からモーテンセンを救い上げたのは、LotR三部作のキャスティング・ディレクター、ヴィクトリア・バロウズである。バロウズはBSWにこう語る。「何度かヴィゴと仕事しているけれど、彼は最初から特別だったわ。『バニシング・ポイント』(1997年フォックスTV映画)でも一緒だったの。ヴィゴ・モーテンセンを(LotRに)引っ張ってきたのは私よ。これだけでも一つのストーリーになるくらい。だって、彼は代役だったし、最初はピーターとも会えなかったのよ。変更が必要だってピーターが気づいた時、私はヴィゴを推薦したの。彼のマネージャーである親友も、時間がないということで、うまく取りはからってくれたわ。」

制作費2億7千万ドルの映画の撮影はすでに始まっており、ジャクソンに時間の余裕はなかった。彼はモーテンセンに賭けた。そして、すぐに「運命が、とてもいいカードを配ってくれた」ことを知った。ジャクソンはこう語ったことがある。「彼は役者として、非常に誠実で、プロとしての責任感もある。そして、一度のめり込むと、昼夜を問わずがんばってくれるんだ。何時だろうが、どのぐらい長くかかろうが関係なしにね。」

モーテンセンは、多くのLotRの戦闘シーンが最も大変だったと言う。

それらが目に浮かぶかのように、こう説明する。「どの戦闘シーンも忍耐が必要だった。会話よりも長くかかるし、細切れにしてたくさん撮影するからね。とにかく時間がかかったよ。僕は多くの戦闘シーンに登場する役だから、休みらしい休みもなかった。レゴラスやギムリも同じ。俳優もスタントも、いろいろな怪我を何度かしたよ。幸い、ほとんどの場合、筋を痛めたとか、どこか折ったとかで、たいした重傷ではなく、仕事ができなくなるような故障は全くなかった。あるスタントマンは、足をひどく骨折したんだけど、撮影期間が長いから、半年後には復帰して、火だるまになったり串刺しになったり、もっとすごいスタントをしていたよ。」

「怪我と言っても、ストレートな感情表現のシーン同様、戦闘シーンでも、ストーリーを忠実にリアルに伝えようと、一生懸命にやった結果なんだ。怪我も仕事の一部だったし、戦いの場面になると、もう熱中していたから何でもやったよ。スタント、エキストラ、メインキャスト、みんな同じ。みんなが大変な思いをして、みんながぐったり疲れていたんだ。」

Open to Anything (何事にもオープンに)

モーテンセンのこの映画への傾倒ぶりについては、さらに多くのエピソードがある。衣装担当のナイラ・ディクソンによると、モーテンセンは、セットの外でもアラゴルンの衣装で生活していたし、まるでアラゴルンのように、自分で衣装を繕ったりしたそうである。共演のリヴ・タイラーも、彼はどこへ行く時でも剣を持っていたと述べている。撮影中のある期間、森に住んでいたと語る関係者もいる。その真偽をモーテンセンに尋ねると、肩をすくめて言う。どんな役をやっている時でも、常に出来るだけオープンな気持ちでいることを心がけていると。

彼はこう語る。「演技というのは、バンドXの歌詞を引用すると、“プレイするたびに変わるゲームのようなもの” だと思う。柔軟でなくちゃ。それは、ストーリーによる違いだけじゃない。役者、監督、脚本によっても、求めるもの、目指すものが違うんだ。さらに、同じ人でも、たとえば、4年の間にLotRで一緒に仕事をしたことのある人たちでも、テイク毎に変わったりするんだ。その時のノリや焦点の当て方でも違うし、シーンへの関心も多様だから、それに対してオープンでいなければならない。いや、必ずそうしろというわけじゃないけど、オープンな気持ちでいれば、いろいろなアプローチの仕方によって、そのテイク、その場面、その一行が、ずいぶん違ったものになるんだ。」

彼の演技のプロセスは、アラゴルンを演じるのに特に役立った。 「アラゴルンは、口に出したことより、あるいは、口に出さずに多くのことを語る人物なんだ」とモーテンセンは言う。彼は、北欧神話やサムライ、昔のハリウッドの西部劇の登場人物と、アラゴルンとの間に共通点を見る。

「自分の周囲の出来事に反応し、オープンな気持ちでいることは、アラゴルンの精神的な旅をうまく伝えるのに欠かせないことだった。それに、こういうことわざがあるだろう。“考えながら、その通りに演じていれば、観客も、それを感じ、見、そして知る”。 その通りだと思う。自然な演技を信じていればいいんだ。そうせずに、身振りも台詞もオーバーにやる人がいる。それは危険なことだよ。しかも、注目されたい、目立ちたいというだけでね。」

彼は続ける。「こんな役者もいる。どの撮影現場でも見かけるんだけど、故意に他人の仕事を邪魔する人がいる。相手をへたくそに見せれば、自分がうまく見えるだろうと、相手を萎縮させたり、時には巧妙なやり方で、相手に恥をかかせようとしているのがわかるんだ。」

幸い、モーテンセンは、LotRの現場で、そういう目立ちたがりの俳優には一人も会わなかった。「集団倫理に対する確信が強まった」と彼は言う。「(この映画での)最大の収穫は、こういう役者たちと知り合い、一緒になってこれを乗り越えたこと。楽しい時、そして特に、辛い時を、みんなで一緒に乗り越えたこと。そういう意味で、ピーターのキャスティングはすばらしかったと思う。チームワークを大切にし、辛くてもあまり文句を言わない俳優たちを選んだんだからね。最後の半年などは、週六日、一日16時間(のスケジュール)だったよ。とにかく、“さあ、やろう、やろう” って感じで、終わりが見えない状態だった。でも、皆よく協力し合って働いた。芝居でも映画でも、役者は常に仕事、というやり方。こんなやり方は滅多にないよ。僕たちもその理想に忠実に従ったんだ。その努力の結果、大勢の親友ができたし、彼らとはこれからもずっと友人だよ。」

実際、このインタビューの朝、彼は、疲れていて申し訳ない、前の晩遅くまで「ホビットたちと飲んでいた」と謝った。共演者の、イライジャ・ウッド、ショーン・アスティン、ドミニク・モナハン、ビリー・ボイドのことを、彼はまだ愛情込めて「ホビットたち」と呼ぶ。

モーテンセンはまた、自分もLotRの共演者も、登場人物の旅と共有するものが多いと考える。「役者としての僕らの経験には、登場人物の経験が反映されている」と彼は言う。「多くの点で気づいたことだが、どんなによく調べ、そこから学んでも、結局、一番の “財産” であり、登場人物の経験に一番近いのは、僕らの人間としての経験なんだ。」

モーテンセンの考え方を特によく示す箇所が、映画LotRの中にある。「仲間には親切に、その過ちには寛容に。辛抱強く我慢せよ。そうすれば、長くたたえられるだろう。」バーナード・ヒル扮する王セーオデンの言葉である。「これは、アラゴルンの考え方でもあると思う」とモーテンセンは言う。これはまた、この俳優の、仕事に対する姿勢と成功の理由を端的に表している言葉でもあろう。

Not About Winning (勝ち得ることが目的ではない)

モーテンセンのこの感心な謙遜の態度は、アラゴルンの演技にも現れているが、一人の力では成功はありえないという考え方から来るものだ。モーテンセンにとって、戦いの栄誉——この場合、演技の栄誉——は、勝つことにではなく、仲間と共にどう戦ったかにある。

この役者は言う。「うまくやってやろうとか、役を引き受ける時や演技する時に、目立ってやろうという結果のことばかり考えていると、近道をすることになる。当然のことながら、段階も踏まず、周囲への反応という部分もおろそかになってしまう。頭の中はすでに、ゴールのこと、評価のことでいっぱいになっている。何事にもオープンにはなれないんだ。もちろん、心の準備をすることはできるよ。でも、オープンでいるからこそ、周囲に反応することもできるんだ。目立とうなんて考えちゃいけない。残念ながらよく耳にするのは、“それは困りますね” と言いながら、鈍くて自分ではそれに気づかない若手の俳優が多いということ。さらに、ベテランの俳優でもそういう人は多い。ただ、それとなくやるものだから、ずっと後になってから気づく場合もあるけどね。そんなことにもこっちが対処しなければならないんだよ。」

「指導者のこんな宣伝文句を見たことがある。“オーディションをものにする方法を教えよう。いや、全てのシーンをものにする方法を教えよう”。 全てのシーンをものにするなんてできっこない。そんなのはゴールでさえない。何かを勝ち取ることがゴールじゃない。そこにいること、それがゴールなんだ。ストーリーはそうやって作っていくんだ。だから、結果で物事を考えていると、周囲への反応という部分、つまり、いい演技の土台となる部分がおろそかになってしまうんだ。」

translated by estel