Independent  2004.4.2 原文
ヴィゴ・モーテンセン:再び馬に乗る

『ヒダルゴ』で馬と共演できて大満足のヴィゴ・モーテンセンだが、楽なことばかりではなかったと語る。

By Leslie Felperin

今ではもう、ヴィゴ・モーテンセンを知らない人はいないが、数年前なら説明が必要だったであろう。数本の独立系作品と『ダイヤルM』でのグウィネス・パルトロウの恋人役、『ある貴婦人の肖像』でのニコール・キッドマンの求婚者、ガス・ヴァン・サントの『サイコ』リメイク版で昔ジョン・ガヴァンが演じた役で知られているぐらいだった。

それが今や、『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンで知られ、最終章では帰還する王となり、文字通り映画ポスターの寵児である(『王の帰還』キャンペーンを支配したのは、モーテンセンが剣を睨むポスターであった)。今では、世界の四分の一の人々が、彼が仲間と共に中つ国の悪の勢力を征服するのを見たことになる。

しかし、人生も仕事もまだまだ続く。モーテンセン(45)は、ジョー・ジョンストン監督(『ジュラシックパーク3』)の新作『ヒダルゴ』のプロモーション・ツアーで戻ってきた。『ヒダルゴ』は古き良き時代のスタイルのアクション映画で、設定は1890年、実在した歴史上の人物で、モーテンセン演じるフランク・T・ホプキンスについての映画である。ホプキンスは、早馬便の騎手、ウーンデッド・ニーの戦いの目撃者、バッファロー・ビルの旅回り一座のメンバー、そして、アラビア砂漠横断レース、オーシャン・オブ・ファイアーの参加者と、様々な立場で自身の冒険談を書き残している。このレースでは、ネイティブ・アメリカンのムスタング、ヒダルゴに乗ってアラブの純血種に挑む。

映画の中心となるのがこのレース。しかし、当初のつまづきとして、ホプキンスが、自分の想像以外に、実際にこれらの出来事に関与したのかどうかという議論が持ち上がり、後にそれが拡大した。『ヒダルゴ』では、シェークスピア並みの台詞や大げさな演技は必要ないが、モーテンセンは、彼の得意技をいくつか披露している。たとえば、言語に堪能なところを見せて、ネィティブ・アメリカンの言葉(彼はデンマーク語とスペイン語がペラペラだそうである)を少し話したり、男らしくて見た目もよく、すばらしい乗馬の腕を見せている。

実際の彼は、穏やかで物腰も柔らかく、株で成功した実業家といったところ。グレーのスーツ姿に、シルバーのサテンのネクタイは、新しく鍛え直した剣のような光沢がある。正直に、映画はおもしろかった、特に、馬の出る映画に弱いのでと言うと、「僕も馬が好きなんだ」と、アップの際のヒダルゴ役の馬を買ったモーテンセンは言う。「それがこの映画を引き受けた理由の一つなんだ。でも、それだけじゃない。馬が出るという理由だけで、映画に出たりはしないよ。...」

気づくと、モーテンセンは少し緊張している。何かを待ちうけているかのように。こちらは、オスカーでの『王の帰還』の大勝利で、上機嫌な彼を期待していたのだが。しかし、この映画でのアラブ人の描き方、つまり、他の人物達と大して変わらないのに、彼らが露骨に描かれている点に話が及んだ時だった。ついに来たかという感じだった。それも特大級のやつが。

モーテンセンは、この映画に対する様々な攻撃に、初めから防戦の構えである。まず、歴史家によると、フランク・T・ホプキンス自身の日記以外に、オーシャン・オブ・ファイアーの記録が見あたらないこと。一方、アラブ馬のブリーダーは、ムスタングが純血種より早く走れるように描かれていることに不快感を示している。すると、モーテンセンは、それから15分間、まるでヘルム渓谷の戦いのアラゴルンのように、驚くほど激しい長演説で、直ちにこれらの議論にくってかかる。こちらはと言えば、微笑み、うなずき、何とか口を差しはさもうとする。

彼の言葉をほんの一部ここに挙げる。「彼らはまず、実際に観もしないで、この映画の批判を書いたんだ。”あぁ、これはブッシュの宣伝だ、反イスラムだ!”って。それについて今度は、アラブ諸国でいろいろな記事が出た。すると、アメリカ人らしき数人が、ケンタッキーの人だと思うけど—アメリカ人であろうがなかろうが関係ないけどね—自分たちのしていることをよく考えもせずに、多額の調査費用を提供するなどと言っている。それなのに、僕がこの物語の大部分を学んだ人々や場所については、一言も述べていないんだ。

「一番重要なソースは、言い伝えなんだ。特に、ネィティブ・アメリカン居留地でのね。何世代にもわたって、人々は物語を語り伝えてきた。このホプキンスという男と彼の馬のヒダルゴ、そしてこのレースのことを。それなのに、この映画を批判しているのも、耐久レースの騎手やアラブ馬のファンだというんだから・・・。この映画に出て来る人々と同じ。レディー・アンと同じだよ...」と、ルイーズ・ロンバード扮するスノッブな英国人女性の名を挙げる。彼女は、ホプキンスを誘惑する一方、自分の馬をヒダルゴに勝たせたいと思っている人物である。

彼はしばらくこのような調子で話し続ける。やっと、こちらが何とか口を差しはさみ、ホプキンスが実際にしたかどうかなんて関係ないのではと言う。「そうなんだ。でも、ラコタの人々、その言い伝えを知っている人々にとっては、ホプキンスもヒダルゴも彼らのものなんだ」と彼は熱く語る。「そして、ホプキンスの名誉を傷つけようとする人々にとっては、彼の存在は侮辱なんだ。」

突然、彼は謝り、そして笑う。このことに不機嫌になってしまっている自分に気づいたようだ。ブッシュ政権を真っ向から批判してきたことで、彼の映画を、人種差別、好戦的愛国主義だと非難する人がどこにもいるだろうということに、モーテンセンは明らかに苦しんでいる。結局、彼は襟に国連バッジをつけて、国連が背負って立っているものを信じる姿勢を示している。

もう時間だ。アーティストとしての仕事について話したかったのに、残念である(そのほんの一部を『ダイヤルM』で見ることができる。彼は芸術家の役で、彼自身の絵が使われている)。モーテンセンは、彼の本 Signlanguage を私に手渡す。彼の写真と絵から成るアートの本である。その仕草に感動し、別れる際、感謝のあまり、笑顔もぎこちなくなる。

後で、その本の美しい絵や写真を見ていて、Reading Richter という絵に大文字で書かれた一行を偶然見つけた。「だが、残念なことに、君はいつも遠回りしなければならない。」このヴィゴ・モーテンセンとの特別な出会いに、どこかふさわしい言葉である。

translated by estel