Sandpoint Magazine  2004 Winter Edition 原文  
 
ヴィゴ・モーテンセン、独占ノーカットインタビュー

これは、雑誌『サンドポイントマガジン』2004年冬号に載ったインタビューの拡大版で、ノースアイダホ、彼の最近の2作品、馬への愛情などについて語ったものである。

ヴィゴとのおしゃべり

by マリアンヌ・ラヴ

2003年12月1日、ニュージーランド、ウェリントン——J.R.R.トールキン原作の『指輪物語』(LOTR)三部作の最後、『王の帰還』のワールドプレミアを祝うために、10万人以上の熱狂的なファンが、このニュージーランドの首都に押しかけて来ていた。春も遅いこの日の午後、修復されたエンバシー・シアターでの初演の前に、キャストと撮影スタッフが、カメラやマイクが取り囲む延々と続くレッドカーペットの上に立ち、世界中から集まったメディアに対して、インタビューと写真に応じていた。

(当時)25歳の大学生で熱烈なLOTRファンのアニー・ラヴは、プラカードとデジカメで武装し、群衆の中、メディアが集まっている場所を目指した。三部作に登場する不承不承の王アラゴルンことヴィゴ・モーテンセンを一目見て、できれば写真の一枚でもと思っていた。ラヴは、交換留学生として6ヶ月ほどニュージーランドに滞在しており、ガイドブック片手に、徒歩と車で、北島・南島のLOTR関連の土地を探索していた。ラヴはヴィゴがインタビューを受けているのを発見する。

彼女は手作りのプラカードを掲げる。「サンドポイントはLotRを愛してる。」それがヴィゴの目に留まり、彼は親しみの表情でそのポスターを見る。サンドポイントへは一、二度行ったことがあったのだ。

「アイダホのサンドポイント?そこから来たの?」と彼が尋ねる。

「はい」と彼女がうなづく。

ヴィゴは、手を振り、彼女に投げキスをする。

数ヵ月後、『サンドポイントマガジン』との電話インタビューで、ヴィゴはこう言った。「なんか素敵だったよ。何千人もの群衆の中にあのポスターを見たのは・・・。」

2003年12月以降、サンドポイント生まれのラヴは、遠いウェリントンで一瞬でもヴィゴの目に留まった思い出を胸に、ニュージーランドから帰国。州立ボイシ大学を卒業し、シアトルに就職した。大きく宣伝されたLOTR最後の作品は、ゴールデン・グローブ賞とアカデミー賞を総なめにした。一方、ヴィゴは、野心的にアーティストとしての道のりを歩み続けている。その一つが、主演作『オーシャン・オブ・ファイアー』の世界的なプロモーションツアーである。このクラシックなウェスタンムービーで、彼は19世紀のポニー急使のライダー、フランクT. ホプキンスを演じている。

彼の映画及び舞台でのキャリアは、1980年代、やや波乱含みでスタートした。そのため、初期の作品を見るようにと家族に勧めるのをやめたほどである。忘れられがちな作品もあれば、編集の段階でカットされたものもあった。結局、『刑事ジョン・ブック/目撃者』で、アーミッシュの農夫役でスクリーンデビュー。1987年には、ロサンゼルスの舞台で『ベント』に出演し、ドラマローグ批評家賞を受賞。俳優としてのキャリアの重要な後押しとなった。プレミア誌によると、「4年後、彼は、ベトナム戦争時代のネブラスカの兄弟を描いた、ショーン・ペン監督の『インディアン・ランナー』に出演。異端児として鮮烈な演技を見せたこの作品で、大ブレイクした。」

皮肉なことに、彼は、パニダ・シアター(訳注:サンドポイントにある劇場)で、アーサー・ミラー作『セールスマンの死』のビフ・ローマン役のオーディションに受かっていたが、その後、ペンの映画に起用されることを知った。劇場役員のデボラ・マクシェーンは、気取らずもの静かでやさしいこの男性のことをはっきりとおぼえていた。彼のオーディションは、この劇場にちょっとした動きをもたらしたからだ。

マクシェーンは当時を思い出してこう語る。「カレン・バウワーズ(パニダの支配人)は、とても静かで理知的で繊細なその声を聞いた途端、それまでしていた事をやめて、通路を降りてきたわ。私たちはその役に彼を選んだの。」 その後、最初のリハーサルを欠席したヴィゴは、その時電話をかけてきて、すでにペンの映画の役を得ているので断れないと謝罪した。

マクシェーンは言う。「電話をかけてくるなんて偉いわ。あれはすばらしい映画だもの。私たちのシアターでオーディションを受けてくれて、こちらこそ幸運だったわ。彼には、パニダはいつでも歓迎するわって伝えたの。」

LOTRで大ブレイクして以来、俳優としての彼の人気は急上昇した。昨年(2003年)、ヴィゴ・モーテンセンは、雑誌『GQ』の2003年「今年の顔」の一人に選ばれた。作家のアリスン・グロックは、彼が選ばれた理由を23項目挙げている。「ヴィゴ」という名前もその一つ。グロックは、特に次の点に注目している。「過小評価されていると彼が感じている」作家のために、パーシヴァル・プレスを設立したこと。三か国語が堪能なことを初めとする知識の深さ。LOTR以前は、ファンレターの返事を一通一通自分で書いていたという努力。国外で無責任な批判を口にしたりせず、とにかく自分の信念を述べる熱心さ。そして、イアン・マッケラン(ガンダルフ)に「初めてのタトゥーとして、トールキンの創作した言語で数字の9を表す語を入れさせた」彼の説得力である。

数々の賞賛とメディアの注目の中、ヴィゴ・モーテンセンは、最終的な結果よりもプロセスを重視する、不承不承のスーパースターであり続ける。彼が大事に思うことは、時間通りに出てきて、その日の仕事に専念すること。演技、写真、アート、音楽、フライ・フィッシング、詩作、手を抜かない料理、乗馬、家族の団らん、最新の世界情勢への注目、自然の中に帰ることなど、その態度は全てのことにあてはまる。

彼の演技への献身ぶりは、共演者の間でも伝説となっている。LOTRの撮影期間中、他のキャストがこの世の楽しみに耽っている時に、モーテンセンは、撮影用の衣装を着たまま森でキャンプをし、自然や生き物たちと心を通わせていたと伝えられている。どこへ行くにも剣を離さなかったが、これは、役のリアルな感触を得ようとしてのことであった。さらに、戦闘シーンで歯を折った時などは、アクションを中断したくないから接着剤でくっつけると言い張った。だが、ボスたちは、その願いを退け、彼を歯医者に連れて行かせた。同僚たちも、撮影現場での彼の情熱と役への傾倒ぶりには刺激されたと述べている。

ヴィゴは、休止期間には、ノースアイダホにある自分の所有地で過ごす。ここは、サンドポイントからそう遠くない、森林に囲まれた地域にある。1980年代初期に最初にここを訪れて以来、ニューヨーク生まれの彼は、アイダホのパンハンドル(訳注:細長く他州の間に嵌入している地域)を聖域と考えている。年に数回、人知れず行き来しては、住まいのあるロサンゼルスの人混みから遠く離れ、その美しさ、静寂、孤独を楽しむことができるからである。

そして、ヴィゴを知る地元の人々も、名声に対する彼の堅実で実に謙虚な態度を尊重している。ほとんどの住人や隣人は、彼のスペースを重んじているので、彼がその周辺の商店やレストランをこっそり訪れても、比較的目立たずにいることができる。彼は、人目につかないことを非常に好み、一人で楽しむことに満足し、かつ、そのために必要なものを身に付けている人でもある。

ヴィゴは静かに話す。自分自身について語る時は、特に口が重い。実際、分厚いプレス用資料に書かれたこの大スターに関する情報の大部分は、このハリウッドのハンサム俳優と関わった同僚や記者の観察によるもので、ほとんどの人が彼を「ルネサンスマン」と呼ぶ。しかし、飽くなき興味を持つこの謙虚な人は、その様々な経験や情熱、周囲の世界に対する自らの意見となると、積極的に考えを巡らす人なのである。

以下は、昨年7月に行われた、『サンドポイントマガジン』の記者マリアンヌ・ラヴとの電話インタビューで、ヴィゴがその考えを語ったものである。

ウェリントンの群衆に「サンドポイント」の文字を見た時のことについて: もちろんおぼえてるよ。彼女を見つけて手を振ったと思う。びっくりして、「アイダホのサンドポイント?」って叫んだこともおぼえてる。あそこで彼女に会えてうれしいよ。あれを見た時、なんか楽しかったよ。

ノースアイダホとその人々について: ノースアイダホの人たちは、他人のことに首を突っ込んだりしないから好きだよ。オーバーに驚いたりしないしね。人は共存することができ、どこでも、何でも、うまくいく時もあればそうでない時もある。僕が常に尊敬するのは、ちゃんと準備をして時間通りにやって来て、隣人や仕事の仲間に敬意を払う人たちなんだ。ここの人たちは、僕の家族にとても敬意を持って接してくれているんだ。

ニュージーランド人の環境への対応について: 僕がほっとしたのは、欧米人が必要以上に建物を建て、伐採し、水を大切にせず、資源を無駄にしたためにどうなったかを、ニュージーランドの人たちが見てきたことなんだ。彼らは今環境にとても注意を払っている。

ニュージーランドでは、土地の商業利用と天然資源の保護との間に、より健全なバランスが保たれているんだ。観光ブームの到来と不動産価格の高騰にもかかわらず、環境保護活動も同時に行われている。あの国の自然の美しさを見に訪れる人の数が増えても、あの美しさが損なわれることはないだろう。不動産仲買人にハイジャックされることもないだろうね。

ニュージーランドの人たちは、初めてこうして注目された後も、自分たちの国の自然を守り続けていくと思う。今後、撮影で訪れる人の数がさらに増えるだろうし、以前より多くの人がやって来るだろう。でも、あの国の環境保護省は比較的しっかりしているし、国民もその努力を支持している。過激な環境保護活動家である必要なんかない。土地の実用化と環境保護とを同時に考えることは可能なんだ。

ノースアイダホの人たちも一般にそうだと思う。特に、パンハンドルではほどよいバランスが取れている。少なくとも、賛成反対の双方及び中間の意見が出され、健全な議論が行われていると思う。だからこそ、今のようなノースアイダホがあるんだ。

ノースアイダホに住むようになったきっかけについて: 僕がやって来た80年代初期の頃と比べて、不動産価格が跳ね上がってしまったのは今言った理由からだろうね。僕は、少しお金ができたら、車を借りるか買うかして旅に出るタイプの人間なんだ。北米にはすばらしい場所がたくさんあるからね。

アイダホは、80年代の初めに、車の旅で初めて見て、また戻って来ようと思った場所なんだ。80年代半ばに戻って来て、家を借り、少しばかりの土地を買った。ずいぶん長く過ごしたよ。結局、僕の家族もやって来たんだ。彼らは北東部からやって来て、ここが美しい所だと思っている。カナダに近い所に住んでいるけど、気候も季節もカナダと同じだよ。ノースアイダホの方が、野生生物の種類が少し豊富かな。北東部にも鹿やムース(アメリカヘラジカ)はたくさんいるし、滝も多い。でも、ノースアイダホの方が野生生物の種類が多いよ。

ノースアイダホは年に何度も訪れるよ。家族もほぼ毎年会いに来る。僕はとにかく野外が好きだし、特に、都会や映画の仕事から逃れて来るには、美しい所だからね。どこかに逃避するのはいいことだよ。カリフォルニアもそうだけど。カリフォルニアにも、高速道路や公害のない場所がたくさんある。森林や砂漠もある。州自体が一つの国みたいなんだ。

アイダホは州全体が国立公園みたいな所で、南の48州中、公有地の割合が最も高い。これをどうすべきかをめぐって、今後必ず議論が起こるだろう。僕は自然を保護することが大切だと思う。森林地帯が多く、水も豊富で、川、湖、湿地帯も多い。「ただし」、それは無限じゃない。天然資源は自由に使っていいなんて考えてはいけない。アイダホの人々は、自分たちの天然の財産を誇りに思うと同時に、それをそのままにしておきたいとも思っているんだ。

確かに、悪い奴もいて、土地を広く買い占め、金のために皆伐し、さらに土地を買ったりする。その土地を訪れもせずに。でも、ちゃんとした不動産業者なら、土地の利用にはある程度のバランスを考えるべきだという意見には賛成だと思うよ。この地域には話の分かる人たちがいるから、健全な議論が続けられるのだと思う。

たとえば、クラークフォーク川やペンドオレイル川とその支流の保護のために一貫して活動を行っている連合組織と話し合いができる。同時に、商業的な土地開発の方に関心のある人々とも話し合いができる。そういう人たちなんだ。会話がある限り、希望はある。

特定の利益集団から聞いたことだけを信じるほどばかな人は、どこにもいないと思う。サンドポイントに住んでいる人なら、自分の周囲を見れば分かると思うよ。車で移動していると、何が起こっているかが目に映る。例えば、スポーケン(訳注:ワシントン州東部の中心都市)と コーダレーン(訳注:アイダホ北部の観光都市)との間の土地は、80年代に僕が見た時は農地だったのが、ショッピングルートになっていた。様々な変化を自分の目で見れば、どういう進路を取るべきか、最終的に決めることができるんだ。

一個人として僕は、住む所でも隠れる所でも、自分の行く所は大切にするよう努力している。月並みな表現だけど、「見つけた時よりきれいにしてその場所を去る」、「きちんとして出て行く」っていうように。そう心がけているよ、いつも。

実際、クラークフォークコアリションのような団体は、天然資源によって利益を上げている企業と協力してよくやっていると思う。その一方で、個人で、今あるものを守ろうと努力している人も大勢いる。自然の中を歩いてその良さを味わうという、まさに現場の人たちだよね。

サンドポイント地域が最近全国的にメディアの注目を集めていることについて: メディアの注目は一時的なものだと思う。確かに、外部から人が殺到するかもしれない。法律制定者、観光客、参加して何かの役に立とうという善意の人々。でも、その地域のことを一番良く知っているのは、そこに住んでいる人たちなんだ。

アイダホに派遣された林業関係者は、大いに関心を持つだろうね。役に立つ土地利用のアイディアを持ってアイダホにやって来るかもしれない。ニュージーランドでも、北米やヨーロッパから森林管理に関するアイディアを持って来た人たちがいる。だから、外から来た人たちから学べることもある。でも、身の回りの自然を保護する時に一番欠かせないのは、そこに住む人たちだと思う。

ノースアイダホの人たちは、他の土地から来た人たちを暖かくもてなす人たちなので、一緒にやって来るビジネスも歓迎するだろう。彼らはそこで暮らさなければならないから、その土地を大切にするんだ。全国版の雑誌の話題なんて、いまに変わるだろう。今うまくいっていることをだめにして欲しくない。バランスを保ち続けて欲しいんだ。

ノースアイダホの持つレイシストのイメージについて: 人種差別主義者だとか、寛容でないとか、景観を破壊して道路を敷き、木を全部切るなんていうのは、一般的なノースアイダホじゃない。それが普通なんかじゃないんだ。よくこう聞かれるんだ。「どうしてあんな所で過ごすの?レッドネックやアーリア人(訳注:ここでは、偏狭な考えの人、人種に関して偏見のある人のこと)に囲まれて平気なの?」って。

僕はこう答える。「そんな人は一人も知らないし、今まで会ったこともない」ってね。そういう人が少数いることは知っている。でも、ほとんどの人はそうじゃない。いい人悪い人はどこにでもいる。普通の人やいい人ではなく、悪い人が注目をあつめるのは残念だよ。同じことはどこにもあると思う。

ヴィゴ本人について: 自分の性格を正確に判断できる人はいないと思うよ。僕は、その日の仕事にベストを尽くし、敬意を持って人に接するよう心がけている。人のことに口を出さず、自分のやるべきことをやる。自分は表に出たがらない人間だと思う。今までほとんどそうやってきたし。誰かに電話したりテレビをつけないと5分もじっとしていられない、そんな人間じゃないことは確かだよ。僕は一人でも楽しくやれるんだ。

僕が親しくしている人たちも同じだよ。もちろん、映画の仕事をするには、内気を克服しなければならない。... その日自分がどこにいるかにもよるね。その日がもたらすものに、心をオープンにしておくんだ。毎日、一人の時間を持つように心がけている。そうしないとストレスがたまってしまう。ノースアイダホやニュージーランドが好きな点はそこなんだ。それが簡単にできるからね。外に出られず、わずかでも人と話すことから逃れられない毎日でも、僕はやっていける。でも、毎日少しでも自分の時間が持てれば、もっとうれしいよ。

ノースアイダホで好きな場所について: アイダホ州は何度も車で行き来したことがあるよ。キャンプやハイキング、水泳やカヌーもした。どこも美しいよ。でも、僕はノースアイダホに忠誠を誓っているからね。パンハンドルは美しいね。一番美しい場所の一つだと思う。でも、一か所選ぶのは難しいよ。それに、もし僕がみんなにその場所のことを言ったらどうなるか・・・わかるよね。

写真への情熱について: いつも写真を撮っていたよ。高校の時も。写真は撮るのも見るのも好きなんだ。今いる場所でいろいろなことが思い出せるいい方法なんだ。あの本(『The Horse Is Good』パーシヴァルプレス、2004)は、ラージフォーマットのハッセルブラッドと35ミリで撮ったもの。僕はデジタルの世界には飛び込んでいないんだ。とにかく写真なら無数にあるよ。

カメラを持っていると、より注意を払うようになる。より注意してものを見る。もっと周りの景色に気づく。カメラを手にし、それを使う可能性を手にすると、実際に使っても使わなくても、あらゆるものが変化する感じがするんだ。

自分にとって満足できる演技とは: それはストーリーのつながりだと思う。映画を観た人たちに、ストーリーに入り込めたと言われるとありがたいよ。あるシーンを演じていて、他の人たち、つまり、他の登場人物と共にストーリーにつながりが持てた時、それがうまくいっていれば、本当にすばらしい事だよ。僕が最も関心があるのは、何と言ってもストーリーの流れ、映画になっていくプロセスなんだ。

『ロード〜』その他の映画ついて: 大成功をおさめ、世界の文化の一部になった作品だよね。撮影期間も長かったよ。のべ4年以上もそこにいたから。長い時は1年半も続いたんだ。僕を選んでくれてうれしいよ。大勢の友人ができたからね。『ロード〜』は、ほんとうにいい経験だった。今後もこの映画は、僕が出演した中で最も撮影期間が長く、最も人気があり、世界中で最も多くの人々に影響を与えた作品になると思う。

観客の数にかかわらず、僕は他の映画でもたくさんいい経験をしてきた。おもしろい場所に連れて行ってもらったし、おもしろい人たちを大勢紹介してもらった。役者というのは定期的な仕事ではないから、不満を感じることもある。一つの仕事が終わると、別の仕事を探さなくてはならない。そういう意味では、幾分不安定な仕事なんだ。

『オーシャン〜』はとても楽しかったよ。美しい場所もたくさん出てきたし。絶対にこの映画を『ロード〜』より下だとは考えたくないね。人間にも馬にも、あのロケはきつかった。国内各地で馬を探し、訓練のためにカリフォルニアに送り、その後モンタナ、モロッコ、サウスダコタに運ばなければならなかった。それぞれ天候も違う。話せば長くなるけど。そういう経験が長く続くと、それを不満だとか辛いとか考えてしまうかもしれない。でも、一緒に仕事をし、一緒にその経験を乗り切った人たちや動物たちとの特別な絆も得られるんだ。

乗馬の経験について: ストーリーの中心となるまだら馬がTJなんだ。もちろん代役もいたよ。一頭の馬だけが走るのは肉体的に無理だし、してはいけないことだからね。TJは個性を見せてくれたよ。とても賢かったしね。友達でいられてよかったよ。ほんとにユニークな馬なんだ。ノースアイダホに連れて来るかもしれないよ。

馬と言っても、彼は普通の馬とポニーの中間で、アラブ馬より小さいんだ。今九歳で、もうすぐ十歳になる。ほんとに賢いんだ。一度も訓練や調教を受けたことがなかったし、映画のセットも初めてだった。それでも、自分がやりたくないことはやらないで済ますのがうまいんだ。あるいは、少なくともトライはする。それほど賢いんだよ。

今は十分訓練されているよ。レックス・ピーターソンは映画用の馬のトレーナーとして有名なんだ。僕もずいぶん助けてもらった。西部ネブラスカのカウボーイで、馬にかけては天才だよ。すごい人なんだ。彼は、この映画のために、本当にいい馬を何頭か選んでくれた。メインとなる馬はまだら馬でなければならなかったので、全米まだら馬協会まで出かけ、全国を回って候補となる馬を探したんだ。自分が気に入った馬と、監督が気に入った馬を見つけた。いくら年を取っていてもよかった。普通トレーナーは、馬を買い取って、気に入ったらずっと飼う。レックスは自由調教(馬具をつけずに、あるいは、人の手を触れずに馬が演技するもの)を多く手掛けているんだ。

僕は実際に馬を所有したことはない。南米にいた時は馬を飼っていて、僕はそこで馬の乗り方をおぼえた。昔からのアルゼンチンスタイルの乗り方は、ウェスタンの乗り方とあまり違いはないんだよ。足を使い、ゆるい手綱を使う。TJのような頑丈で小さな馬でおぼえたんだよ。子供の時以来、長いこと馬には乗っていなかったんだ。

その後、『ヤングガン2』でいい馬に乗ったんだ。『ロード〜』でまた馬に乗るとは思わなかったよ。かなり乗らなければならなかった。ニュージーランドの人は馬が好きでね。北島では馬場馬術がより盛んだし、南島では、ボナー カウンティフェアグラウンド(訳注:サンドポイントの北にある、フェアなどのイベントを行う場所)でロデオをやるみたいに、牧場がたくさんある。こういう様々なスタイルの馬の乗り手がこの映画に関わったんだ。

ウェスタンの訓練を受けた馬がもっといれば楽だったんだけど。戦闘シーンでは片手で乗らなければならないからね。押し手綱に従うこと(訳注:騎手が行こうとする側と反対側の手綱を使って馬の頸を打つこと)を教えなければならなかった。スピードが出やすい馬もいればそうでない馬もいたし。大きな戦闘の突撃シーンのために、馬と乗り手を募集する広告を出したんだ。ニュージーランドは小さな国だから、全国から候補者を探さなければならなかったんだ。

大勢の人が馬を連れて来たんだよ。経験も何も様々だったけど、中世の戦いもそんな風だったと思う。だから、それもリアルでよかったかもしれない。皆自分達の国で作られた映画だということに誇りを持っていたよ。自分の馬を連れて来て、自分のトラックでキャンプしたんだ。大きな戦闘シーンの撮影のために、一週間もそこにいた人たちも大勢いたよ。まるで、馬の乗り手たちのウッドストックコンサートみたいだったよ。

騎馬隊の突撃のメイン撮影をその週に行い、他のシーンは、ばらばらに撮影した。トレーナーたちは、転び方と撮影時の騒音への対処の仕方を馬に教えなければならなかったんだ。『王の帰還』のエクステンデッドDVDでは、馬とトレーナーの章が入ると思うよ。『オーシャン〜』のDVDにも少し入るかもしれない。

フランクT. ホプキンスの物語について: 撮影初期にモロッコで撮影していた頃から、ある小グループの人々が、やっ気になってホプキンスの話の信用性を傷つけようとしているという情報が伝わってくるようになった。それ以来、インターネット上の www.frankhopkins.com という所で、事態をありのままを伝えようとする試みが行われている。この話題に関心があるなら、覗いてみる価値はあるよ。

例えば、フランク・ホプキンスを知っているという老夫婦の最近のインタビューが載っているけど、とてもおもしろくてためになるよ。僕は、プレスとの一連のインタビューの少なくとも半分を費やして、ホプキンスとその偉業に関する疑問に答え、ホプキンスと彼の馬、彼とつながりのあるラコタの人たちを大抵弁護してきた。

パインリッジ居留地に行って、そこの人たちと話をしてごらん。代々語り継がれてきたホプキンスについての話をたくさん聞かせてくれるよ。ジョン・フスコもそこでホプキンスについて学んだんだ。脚本を書くために彼が得た情報の多くは、ネィティヴ・アメリカンの人たちからきている。ラコタやブラックフィートなど、実際は、べつに一人の白人男を宣伝する必要なんかない人たちなんだ。また、フスコは、西部の白人の牧場労働者からも多くの確実な情報を得ている。彼らは、ホプキンスについて知っていて、マスタングや長距離レースでの彼の業績を称えているんだ。

ホプキンスによる馬の調教方法は、その時代としてはかなり進んだものだった。今では自然な飼育方法に多く基づいているけれど、ホプキンスがこれについて書いたのは70年も前なんだ。今でも馬の飼育家たちは、彼の書いた内容は先進的だったと語っている。つまり、ホプキンスが馬に乗り、馬を飼育し、馬のレースに参加したことには議論の余地がないということさ。

アラブ馬を偏重する少数の人々が、それは嘘だ、ホプキンスは自分を売り込もうとするペテン師だった、と言っている。そういう言い方は、彼に対しても、彼と関係のあった人たちに対してもフェアじゃない。実際、彼に関しては、アメリカ史に残る偉人の多くより、ずっとたくさんの記録が残されているんだ。故意に流された誤報と、表面だけ見てホプキンスの信用を汚そうとする裏での動きを、有名メディアが取り上げたのは不幸なことだった。でも、状況は変わりつつある。今いる彼の知人たちが、次第に名乗り出てくれているんだ。

古風な作りで、カウボーイに敬意を払う映画があるのはいいことだよね。でも、「いや、そうじゃないって聞いたけど」というコメントが出てきたら、それも全て台無しになる。その弁明に、プレスインタビューの半分を費やさなければならなかったんだから、信じられないよ。この映画の生存権を弁護するのが、僕の一番の仕事だったんだから!これは事実に基づいた映画であって、ドキュメンタリーじゃない。しかも、かなりおもしろい映画なんだ。大抵の映画ならそれだけで十分なはずなんだけど、『オーシャン〜』に関しては、味方はほとんどいないんだ。

2つの次回作について: この後2005年7月まで、ヴィゴは2つの映画を撮影する予定である。一つはアメリカ中西部、もう一つはスペインを舞台にしたものである。

一つは、評価の高いカナダの監督、デビッド・クローネンバーグの作品なんだ。舞台は、サンドポストよりもずっと小さい中西部の町。僕は一家の父親の役で、人違いの話なんだ。複雑なんだよ。荒っぽい者たちがよそからやって来て、けんかする相手と僕とを勘違いするんだ。

もう一つは、来年(2005年)の初めにスペインで撮影することになっている。スペインが最強だった17世紀が舞台。スペイン帝国の黄金期について、スペインではまだ語られたことがないんだ。スペイン語の映画だよ。僕は南米のスペイン語は話せるけど、映画で使用するスペイン語は勉強しなければならない。アドベンチャー映画だよ。

僕はスペイン軍の職業軍人の役。スペインが世界最高の経済力を誇っていた時で、おもしろい時代なんだ。今のアメリカと似て無くもない。一つ問題なのは、一般人や普通の兵士は無力だったということ。上に立つ者が、必ずしも国民のために力を尽くしたわけではなかった。今の時代のように、持てる者と持たざる者の差がますます広がり、支配階級が腐敗していたんだ。

我々の時代と少し似たところのある時代が垣間見られておもしろいよ。多分4ヶ月間の仕事になると思う。これまでの全てスペイン人スタッフの手による映画の中で、もっとも意欲的な作品になるだろう。ここにもきっとやって来るよ。剣による戦いのようなアドベンチャーもたっぷりあると思う。

translated by estel