Starburst  2004.1 Celluloid Haven のスキャン
王よさらば

今頃は皆『王の帰還』を観て、ヴィゴ・モーテンセンの勝利のクライマックスを喜んでいることだろう。ローレンス・フレンチが、ヴィゴ本人に話を聞く。

劇場で指輪三部作のクライマックスを観るにあたり、イシルドゥアの末裔とのインタビューで、ヴィゴ・モーテンセンが、彼をスターにした役を最後に振り返る。

Q: あなたにとって非常に重要なシーンをどう準備されたかについてなんですが、たとえば、『旅の仲間』の最後、ボロミアの壮絶な死のシーンはどうでしょう。

僕らの方ではあのシーンの準備はできていたけど、撮影側でどうしたいのかは特に話し合いがなかった。十分な話し合いや準備の時間なんてめったになかったんだ。撮影当日の朝に台本を書き換えることもよくあったよ。このシーンは撮影開始の最初の月で、ショーン・ビーンと僕は、撮影の前の晩に、フィリッパ・ボウエン、フラン・ウォルシュと一緒に取り組むことができた。二人が話す内容は、ピーターが前もってインプットしておいたんだと思う。僕達は遅くまで話し合ったよ。ベストの方法を見つけ、彼らの求める点を理解しようと努力した。

ショーンとのこの場面は、僕にとって、非常に満足のいく掛け合いの一つになったよ。『旅の仲間』特別版には、このシーンの全ての流れがもっといい感じで出ている。ショーンとはいい形でこのシーンをやれた。違和感なくやれればいいなと思いながら、このシーンについて一緒に考え、概略を話すことができた。あとは、演じ方と感情面をどうするかは、その日の作業から有機的に生まれてきたよ。午前と午後に半分ずつやった。このシーンにまる一日かけたけど、とても長い時間に思えた。スケジュールも終わりの方だったら、わずか半日でやってしまっただろうね。これはピーターにとっても重要なシーンだけど、ボロミアにとっても非常に重要なシーンであることは間違いない。彼の勇気を証明し、ふと見せた弱さを償うシーンだから。ここでボロミアは、自らの命を捧げることで、罪を償う以上のことをした。アラゴルンにとっても、これは一つの転機になった。これをきっかけに、リーダーとしての責任がこれまで以上に課せられることになったから。僕はこのシーンの出来が気に入ったよ。原作そのままという感じがした。

Q: あれは、とても感動的な場面でしたね。

やろうと思ってできるものじゃない。こうなって欲しいとあらかじめ思っても、基本的にこういうのは、その場でできあがっていくものなんだ。その場その場の成り行きは面白いものだったよ。午前中にショーンの側から撮影した時には、僕もできるだけその場にいることを心がけたし、午後に同じ場面を、今度は僕の側から撮った時には、ショーンがいてくれたんだ。

Q: 音楽ビデオの監督などは、重要シーンを細切れに撮る傾向がありますよね。それに対して、ピーター・ジャクソンは、多くの重要シーンをロングショットで撮ってしまう監督だと思うのですが、これは役者であるあなたにとってもありがたいことでしょうね。

うん、彼はそうなんだ。『王の帰還』でも、美しいショットがたくさん観られると思うよ。それに、戦闘シーンやすばらしい特撮シーンだけでなく、人間関係も力強く描いている。『王の帰還』では、『旅の仲間』の一番いい部分を思わせるような、人物の詳細や人間関係がたくさん出てくるよ。

Q: あなたの詩の本Coincidences [ママ] of Memory を見て気づいたのですが、ニュージーランドで撮影した写真も載せていますよね。

うん。表紙の木はスペインで撮ったものだけどね。

Q: 『王の帰還』で追加撮影したのはどのシーンですか。

死者の道とペレンノール野の合戦。レゴラス、ギムリ、ガンダルフ、エオメル、エオウィンと一緒だよ。最初の方に出てくる、エドラスでのグループのシーンをいくつか。ホビットとのシーンはなかったよ。全て撮り終えていたからね。

Q: 特殊効果の多い場面を撮影する前に、セットで相手にする生き物のコンセプトアートを見たりしましたか?おぞましい獣とかオリファントとか。

うん。僕はいつも興味津々だったからね。誰でも立ち入り自由というのがウェタのポリシーなんだ。いつでもオフィスに行って、アラン・リーを訪ね、スケッチやプロダクション・ペインティングを見ることができたよ。今思うと、全てアクセス自由だったなんてすごいことだよね。でも、当時は全く当たり前だと思ったんだ。全てが見られ、しかも、それらを一緒にするところまで見られたのは、すばらしいことだよ。どの部門でもそうだった。衣装係でも武器係でも、すべてオープン。時には、そのキャラクターに必要な物のデザインに、僕らの意見を取り入れてくれたりしたんだ。すばらしかったよ。

Q: アラゴルンは調停役ですね。衝動的に行動するギムリやレゴラスとは違う。実際、ローハンで初めてエオメルに会った時、アラゴルンが調停役として間に立たなければ、三人ともエオメルとその兵士達に殺されていましたよね。

あの部分は原作に忠実だと思う。ギムリとレゴラスは、物事を深く考えずに行動する。一方、アラゴルンは、それまでの経験から、他の人間や他の種族を理解しようと努力する。ミドルアースの歴史と文化に関する知識を用いて、人々をよりよく理解しようとする。考えてから行動する人間なんだ。もちろん、物語の最初では、アラゴルンはリーダーとしてみんなには知られていない。実際、裂け谷の外では、誰も彼の本名を知らない。ほとんどの場合、彼は「名無し」なんだ。ストライダーというのは、人々への奉仕のために彼が長年使用してきた、数ある言葉、仮の姿、仮の名前の一つにすぎない。ホビットのために境界を守ろうが何しようが、彼がどんなに良いことを行っても、それは、仮の名前、仮の姿の下で行ったこと。しかも、彼はそれで満足している。そして、第三部になると、彼の肩にはさらに責任がのしかかり、さらに多くを期待される。だから、彼もそれに慣れなければならない。それが全部彼にふさわしいことかどうかはわからない。でも、そうするのが自分にとって大切だと、彼は考えているんだ。

Q: 実際、ストーリーの面から言っても、それは非常に重要ですよね。アラゴルンはゴンドールの王になる運命なのですから。

そう。そして、これこそ、彼が一貫して名無しを通してきたもう一つの理由でもある。ゴンドールの王位継承者がそばにいることを、サウロンに知られないようにするためなんだ。サウロンは、ヌメノール人の王の血筋をとても恐れている。彼らは天敵にも等しいため、サウロンはその血を絶やそうとする。サルマンと蛇の舌によって、サウロンは初めてアラゴルンの存在に気づくんだ。パランティアを通して、ついにサウロンに僕の正体を明かすシーンも撮影したよ。ストーリー上、決定的な場面だから、第三部に入っているといいんだけど。

Q: ついに戴冠したアラゴルンは、公明正大で思いやり溢れる王ですよね。アラゴルンのような人がアメリカ大統領じゃないのは、ほんとに残念なのですが・・・。

そうだよね。そうなったらかっこいいと思わない?アラゴルンなら、ファンゴルンの森で石油を掘ることを、どの会社にも許したりはしないだろうね。現政府の問題点の一つは、全てに白黒つけたがるということ。イラクのような状況の最善の解決策について、考えたり議論したりする余地は全くないらしい。

Q: 『王の帰還』でお気に入りのシーンはありましたか?

選ぶのは難しいな。最終的に映画に入るかどうかわからないから。おもしろい作品になると思うよ。ピーターは、この二年間僕達が演じてきた全てのキャラクターに、結末をつけてくれると思うよ。でも、あまりここでしゃべりたくはないんだ。だって、以前そうやってしゃべったシーンが、映画に入っていなかったんだから! もちろん、僕は原作を知ってるし、撮影の時の自分の立場も知ってる。できる限り他人の演技も見ていた。でも、ピーターがどこを入れるかカットするかは、全くわからないんだ。敢えて推測するのもどうかな。死者の道は入るはずだよ。アラゴルン、ギムリ、レゴラスが、大変な困難に立ち向かわなくてはならないシーン。ペレンノール野の合戦とロヒアリムの進軍、どちらも見ものだよ。初めの方に出てくるサルマンの死のシーンもおもしろいはずだし[ただし、今回はカットされていた!]、巨大蜘蛛シェロブのような新しいモンスターもすごいよ。それ以外は、最終的にどれが入れられるかわからない。前回同様、今回もゴラムは重要な役目を果たすだろう。いいストーリーというのはどれもそうだけど、『王の帰還』では、トールキンもピーターも賭け金をつり上げたね。僕達が無事にやり遂げ、成功し、生き残るオッズは、今までより高いよ。とても満足のいくストーリーになるはずだよ。最後には、物語の全ての糸口が一つにまとまるのだから。ただ、そこに至るまでに、ピーターがどういうルートを通るのかは、正確にはわからないということさ。

Q: アラゴルンという役に深くのめり込んで演じているように見えますが、演じるふりをしてしまったようなシーンはありましたか?

質問の意味がよくわからないんだけど・・・。見方によっては、すべてが「何かのふりをすること」と考えることができるだろ。

Q: つまり、役者、特に、メソッド・アクターが、本物の感情なりそのシーンのポイントを見つけられない場合ということなんです。有名な話ですが、イングリッド・バーグマンがアルフレッド・ヒッチコックに、『汚名』のワンシーンがどうしても演じられない、フィーリングが得られないからと語ったところ、ヒッチコックは彼女の目を見てこう言いました。「ただそのふりをすればいいんだよ」って。

だって、演じることでお金を稼いでいるわけだから、どうにかしてやらなきゃ。確かに、うまくいく日いかない日があるということは認めるよ。だけど、演じるふりをしたいかどうかなんて、その役者次第だよ。ただ、一人でそのシーンをやっているわけじゃない。他の役者もいるし、監督もいる。そのシーンを作り上げていくたくさんの要素があるんだ。常に助けがそこにあるとわかっていれば、そして、それについてオープンでいようと思えば、演じるふりをしているように見えるだろうかなんて考えにとらわれることはないはずだよ。もし他の人たちと関わっていて、しかも、自分自身に正直であるなら、気持ち良くそのシーンをやれるはずだよ。役者にとって一番の敵は、気持ち良く演じられないという気持ち。だから、どの程度リラックスできるか、ということが大切なんだ。そのシーンがうまくいっていない時は、自分が緊張している可能性が高いってことさ。

Q: ピーター・ジャクソンは、役者の助けとなってくれる監督のようですね。

そうなんだ。とにかく、ピーターは、例を示してリードしてくれる。この映画のあらゆる面について、熱心だったし、知識もとても豊富だった。彼のやり方で、登場人物一人一人の身になって考え、できるかぎりの方法で、それを演じる役者の助けになろうとしてくれたんだ。

コラム:王の必需品

どこへ行くにも剣は絶対必要だった思う。そう、アラゴルンにはとても大切なものだった。それに、このキャラクターの存在を固定する物のような気がしたんだ。体の一部とでも言うべきものでなくてはならない。持ち歩き、使いこなす。必要なら、磨いたり手入れをしなければならない。それもこれも、アラゴルンにとって一番大切な道具だからなんだ。いや、二番目に大切な、かな。彼の最も大切な道具は、思いやりだと思う。ミドルアースを旅しながら徐々に得た経験から生まれたものなんだ。彼はまた、自然との強い結びつきもある。荒野で生きてきた人間だから、ミドルアースの様々な種族の言葉だけでなく、動物の言葉も、鳥や木々の言葉もわかるんだ。

コラム:腕当てについて、ヴィゴが語る

Q: ボロミアが死んだ後、彼の革の腕当てを取って身に着けましたよね。でも、コンセプチュアル・アーティストで武具のエキスパートであるジョン・ハウによると、腕当てというのは、実際はなかったそうですが。

いや、後の方では、金属製の腕当てをしているよ。革製だって、必ずしも誤りではないと思うんだ。何もないよりは、革を使った方がいいし。つまり、戦いの場合、身近にあるものを使うんじゃないかな。金属製のものがなければ、革を身に着ける。革がなければ、死物狂いで走る。でも、アート部門の人々は皆そうだったけど、ジョン・ハウも、自分のこととしていろいろ考えてくれたことがうれしいんだ。すばらしいことだよ。それによって、映画も本物らしくなる。みんなが細かい点にまで気を配ったからね。細部へのこだわりに関しては、できるだけ自然にやろうということになった。自分でも、できるだけトールキンに忠実でありたいと思うようになったし、ほとんどの人がそうだったと思う。

Q: ニュージーランドで、ニュージーランドのクルーによって撮影されたということがよかったのでしょうね。ハリウッドのクルーは、慣れ過ぎていて無関心という場合もありますから。

それじゃ一般化してしまうことになるけどね。でも、本当にそれは重要だったと思う。ニュージーランドの人々にとって、特に、グループで仕事をする時には、自分よりもまずグループ優先というのが当たり前なんだ。これは、まさにこの物語のテーマでもある。人類のために、ミドルアースの存続のために、みんなで努力する、みんなで犠牲になるという考え方なんだ。

translated by estel