Vanity Fair  2004.1 TORn のスキャン
ファインディング・ヴィゴ

By Alex Kuczynski

Vanity Fair ヴィゴ・モーテンセンが、トパンガ・キャニオンの近くを通るパシフィック・コースト・ハイウェイの駐車場で私を待っている。

彼は考えていた。ビーチを歩いて、夕焼けに染まった深いピンクの雲を眺め、波間で遊ぶイルカを見ながら話すのもいいな。そう、軽く一杯飲みながら。ジーンズ姿の彼は、裸足でアスファルトの上を歩く。完璧なハネ具合を見せる髪の色は、赤みがかった薄茶色。割れたあごの無精髭もたまらなくセクシーだ。彼が私の頬に、あいさつのキスをした。その瞬間、目の前がぼやける —— だめよ、しっかりしなきゃ —— そんな大げさなことじゃないんだから。

「君のために持ってきたものがあるんだ」と彼は言い、太平洋を臨むベンチに腰掛けた。

大きな段ボール箱を足下で開く。中には1ダースほどの本が詰まっていた。ある写真集は、キューバの宗教サンタリアの療法士が撮ったもの。ある詩集には、ふくろう型の小さな飾りが添えられている。彼の元ガールフレンドであるローラ・シュナーベルのスケッチが収められた本もある。そして、モーテンセン本人の絵画、詩、写真が掲載されたものがいくつか。これらはすべて、彼がパートナーと共に経営している小さな出版社、パーシバル・プレスから発行されたものだ。続いて彼が取り出したのは、1928年のサイレント映画『裁かるるジャンヌ』のDVDだった。彼の説明によれば、この映画のオリジナル・ネガは火事で消失してしまい、監督は自分の代表作が永遠に失われたと信じたまま亡くなったのだそうだ。しかし、1980年代になって、ノルウェーの精神医学協会の棚から完全版が発見され、修復することができたのだという。

「これも、あなたの会社から発売したの?」と、私は尋ねた。
「違うよ。ただ、見ておいた方がいいよってこと」

駐車場を裸足で歩く男は、サンタリアからノルウェーの精神医学協会まで、幅広い事柄を語る。ハリウッドの俳優と聞いて、ほとんどの人が想像するような次元からは、遠く離れていた。猛スピードで輝かしい栄光に近づいているというのに。12月に公開される『王の帰還』(日本公開2月14日)では、気が進まないながらも統治者となるアラゴルンを演じるモーテンセンを見ることができる。そして3月には、制作費9,000万ドルのディズニーの大作『オーシャン・オブ・ファイヤー』(原題『Hidalgo』/日本公開予定4月)が公開される。この作品で彼は、決して優秀とは言えないマスタングと共に、アラビアの砂漠で3,000マイルのレースに挑む粘り強いライダーを演じている。映画に出演して20年。45歳になったモーテンセンは、今まさにスターの座を手に入れたように見える。しかし、彼の口からこぼれる言葉は、そのことについて懐疑的だった。

「戻ってきただの、消えただの、もう何度も言われ続けているからね」と、彼は言う。「僕には関係ないっていうか、ほんとにそんなこと、どうでもいいんだ。ちょっと歩こうか?」

彼はシロイワヤギのように岩を飛び越え、砂浜に降りると叫んだ。「ガラスの破片があるから気をつけて!」。私は、手に財布やノート・パソコンやメモ帳を抱え、ぴったりしたジーンズをはいていた。そこで、なんとか身体をひねって降りようと試みたが、軽快とは言い難い着地に終わった。モーテンセンは、礼儀正しく目をそらせていた。

海岸線を歩いていると、一人の少年が爪を噛みながら後をつけてきた。『ロード・オブ・ザ・リング』のヒーローに近づきたいと思っているのは明らかだ。モーテンセンが振り返り、笑いかけると、少年は一目散に逃げていった。『ダイヤルM』でグィネス・パルトロウの愛人である詐欺師を演じ、『G.I.ジェーン』でD.H.ロレンスの詩を朗読する訓練教官を演じていた頃には、起こらなかったことである。2001年、2002年に公開された『ロード・オブ・ザ・リング』の『旅の仲間』と『二つの塔』。この2作によって、街で彼を見かけた人々が立ち止まるようになったのである。

『ロード・オブ・ザ・リング』は、映画史に残る興行成績を叩き出している。『旅の仲間』は全世界で8億6,000万ドル、『二つの塔』は9億1,900万ドル、三作目はこれらを上回ると予想され、モーテンセンは全編にわたって登場している。

90年代の作品『悪魔のいけにえ3』で、捕えた獲物の味について独り言をつぶやくお人よしの人食いテックスを演じてから、ここまでは長い道のりだった。映画デビューは1985年のピーター・ウィアー監督作品『刑事ジョン・ブック 目撃者』で、彼はアーミッシュの農夫を演じた。その後、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』でも役を得たが、出番はカットされている。1988年には、大作だが中身のない失敗作『想い出のジュエル』でアンドリュー・マッカーシー、モリー・リングウォルドと共演。この年、息子のヘンリー(母親はイクシーン・セルヴェンカ。アート・パンク・バンドXのリード・シンガー)が誕生した。ヘンリーは本を読むようになると、J.R.R.トールキンの大ファンになるというセンスの良さを発揮した。

1990年までは、『ヤングガン2』(ある評論家は “たる二杯分の誇大広告” と称した)、『悪魔のいけにえ3』(“この作品で最も良かったところは、上映時間が80分未満だったことである”)への出演によって、モーテンセンは “あの人は今” のリストに一直線で向かっているように見えた。

しかし、「よく考えてみると、過去の出演作で自分のプロフィールから消したいような作品はないんだ」と、モーテンセンは言う。「最悪の経験をしている最中でも、そこで知りあった人や訪れた場所の想い出は残る。ある意味、レッスンなんだ」。モーテンセンにとって、幸福もしくは満足感は、自分から探しに行くものではない。幸福感とは外的要素によるものではなく、それをどう理解するかなのだ、と彼は説明した。

「多数の支持を求めるな」と彼は言った。「それは、正当で合法的な手段では、めったに得られないものだから。それよりも、少数の証言を探すことだ。そして、発言の数を数えるのではなく、その重さを量れ」

カントの言葉だよ、と彼が言う。私はすっかり感動してしまった。

1991年、ショーン・ペンがモーテンセンを自らの監督作『インディアン・ランナー』に起用する。心に傷を負ったベトナム復員兵という役どころだ。共演したデニス・ホッパー(“私の役は年老いたバー経営者で、最後に彼に殺されるんだ” とホッパーは説明した)は、この役をモーテンセンの当たり役のひとつと呼んだ。「彼は良い役者なんかじゃない。グレイト・ファッキング・アクターなんだよ」と、ホッパーは言う。「私は、ショーンの監督作品の中で、他の2本はそれほど好きじゃない。でも、『インディアン・ランナー』はものすごい映画だよ。この映画を見ないくらいなら、生きている意味がない。この映画のモーテンセンをね。彼は本当によくやった」

次に出演したのは『カリートの道』である。この作品で彼は、車椅子に乗った卑屈な密告者ラリーンを演じている。そしてここからは、デニス・ホッパー、ウェズリー・スナイプスと共演した『ボイリング・ポイント』、『クリムゾン・タイド』、威嚇的な教官を演じた『G.I.ジェーン』といったマッチョな役が続いた。

40歳を迎える頃、モーテンセンは2本の作品で魅惑的な愛人を演じた。どちらも、家庭に息苦しさを感じている主婦を解放するという役回りである。『ダイヤルM』での相手は、上流階級のパルトロウ。モーテンセン演ずる愛人は、芸術家で、おしゃれに髪をなでつけたバッド・ボーイである。その肉体からは、スクリーンを通しても充分すぎる色気が漂っていた。もしあなたが女性なら、汚れたロフトでのラブ・シーンを憶えているだろう。手の甲で、彼女の頬をなでる仕草を。映画で使われた絵画は、デニス・ホッパーのスタジオで描いた彼自身の作品である。そして『オーバー・ザ・ムーン』では、ダイアン・レインが選択を迫られる。テレビの修理屋である夫(リーブ・シュライバー)か、モーテンセンが演じた、滝の下で愛を交わし、マリファナを教え、ウッドストックに連れて行ってくれるヒッピーのボーイフレンドか。

「“私のギャラを削って彼に渡してもいいから” って言ったくらい、この役には彼しかいないと思っていたの」とレインは言う。ギャラを渡す?「彼は役柄に計り知れない深さを与えるのよ。これ以上ないくらいの入れ込み方と信念でね」 「彼は謎の男よ。確実に。これが第1のルール」と彼女は付け加えた。彼女のセオリーに従えば、エキゾチックだとも言えるエゴのなさも、ハリウッドでの彼の魅力を損なうものではないらしい。この “エゴのなさ” は、手に入れることのできないただ一つのものを追い続ける人たちや、別れた恋人の存在だけが情熱を増幅させる方法だと考えているような人たちの中では、麻薬常用者の行動に匹敵するくらいミステリアスなのだ。

「彼は常に、自分に正直に生きているの。そしてハリウッドの人たちは、そういう生き方に慣れていないし、快適だとも思っていない。素敵なことに、私が知る限り、彼はまだ “謎” のままだわ。もし、人々があなたのことを理解したいと思ったとして、彼らの方からそのための行動を起こすことは可能よね。でも、彼を理解しようと思った場合、主導権を握っているのは彼の方なの」。彼の詩才の源は放浪にある、とレインは言った。「彼は自分がそうしたいと思えば、いくらでも社交的になれるのよ。そうね、例えば午後の数時間くらいなら。でも、すぐにまた放浪癖が顔を出すんだけど」

レインやパルトロウ、ニコール・キッドマン(『ある貴婦人の肖像』)、ジュリアン・ムーア(『サイコ』)といった女性たちとの共演も、彼をたじろがせたりはしなかった。「結局、仕事に行けば、問題なのは僕が誰を演じているのかであって、誰が隣にいるかじゃないから」と彼は言う。「その作品が初仕事だっていう人もいるだろうし、一緒に働きずらい人もいる。同じような問題に何度ぶつかっても、それを乗り越えて完成させていくんだ」

『ロード・オブ・ザ・リング』以前の彼のキャリアに、足りないものは大ヒット作だった。1999年秋、ピーター・ジャクソンはニュージーランドにキャストとクルーを集め、15ヶ月にわたる撮影をスタートさせた。3本の映画の骨格となる部分がこの期間で作られるのだ。ジャクソンは当初、26歳のスチュワート・タウンゼントをアラゴルンにキャスティングしていた。しかしすぐに、王の座を拒み、悩む男を表現するには、彼では若すぎると気づく。「翌日の飛行機に乗ってくれないか」という電話を受けた時、モーテンセンはトールキンの原作をかろうじて聞いたことがある程度で、読んだことはなかった。しかし、当時11歳だったヘンリーは、いかにその役が素晴らしく、原作が偉大で、トールキンが天才かということを、父親に説明した。翌日、ヴィゴはニュージーランドに旅立った。

この作品でホビットのフロドを演じたイライジャ・ウッドは、モーテンセンについて「今まで出会った人の中でも、一番変わっていて、カリスマ性がある人物」だと語った。「“グリーン・パロット” っていう店の、ごちゃごちゃした一角に一緒に座ったのが最初だったな。緊張して会話にならなかったのを憶えている」と、ウッドは言う。「ヴィゴっていうと、美しくて静かなイメージがまず出てくると思うけど、知れば知るほど、あの才能とクレイジーさに驚かされるんだ。どうかしちゃったんじゃないかって思うような一面があるんだよ」。例えば撮影中に歯を折ってしまった時は、接着剤で治してくれと頼んだ。自分の車でうさぎを轢いてしまった時は、焼いて食べるという決断をした。そして何週間も衣装をつけたまま寝ていた、という逸話もある。

「そうなんだ。かなりイっちゃってるよね」と、ウッドは言う。「もちろん、いい意味で、だけど」

人生は短い、とモーテンセンは言う。「すべてがデカい賭けみたいなものなんだ。僕は幸運だよ。こうして時折、いい映画に出演することができるんだから。もし、『ロード・オブ・ザ・リング』に出演しなかったら。もし、この映画が成功していなかったら —— どうなったかなんて、誰もわからないよね?」

子供時代に住む場所を転々としたことが、モーテンセンの柔軟性に影響を与えたのかもしれない。1957年12月、彼の両親は出会う。父親が普段使うのはノルウェー語とデンマーク語、母親は英語だったにもかかわらず、どういうわけかうまくことが運び、1958年10月にヴィゴが誕生した。父親の多岐にわたる仕事のおかげで、家族(ヴィゴと二人の弟を含む)はデンマーク、アルゼンチン、ベネズエラへと移り住むことになる。ヴィゴが11歳になる頃、両親の結婚生活は終りを迎え、3人の息子と母親はニューヨーク北部で暮らすことになった。

「小さい頃は、友達がいなかったんだ。今考えてみると、友達を作れるほどの長い期間、同じ場所に留まっていなかったんだよね」とモーテンセンは言う。「でも、僕はたくさんのものを見ることができたし、たくさんのことを学ぶことができた。自分のイマジネーション、そして自分自身を信じることも学んだよ」

モーテンセンの幼少期の記憶は、かなりスピリチュアルなものだ。彼は私に、ハイハイしながら森に入り、そのまま眠ってしまったことを話してくれた。「木の下で眠り込んでいたんだ。すごく安らかにね」と彼は言う。「そのうち犬が吠え始めて、おかげで両親は僕を見つけることができたんだ」

いつだって、ふっといなくなっちゃうのね、と私は言った。

そうなんだ、と彼は答え、私の携帯電話(彼は自分の携帯電話を持っていない)で母親に電話をかけた。記憶を確認するために。

「もしもし、ヴィゴだけど。遅くにごめん」と彼は言った。「ええっ!参ったな。今、どのあたり?なんか、面白いなあ。それ、ビデオ?(彼女は『二つの塔』のビデオを見ている最中だった)わかった。ごめんね、ひとつだけ質問したら、すぐに切るから。僕が何度か逃げ出したこと、憶えている?森で犬が僕を見つけたこと、あったよね?その時、僕は何歳だった?1歳半ね。わかった。とにかく、犬が僕を見つけた時、僕は木の下に座っていたんだよね?ごきげんで?眠っていたんだよね?」

なにやらビックリしているようだ。

「森の中で、泣きながら座っていたの?眠っていたんじゃなかったっけ。ほんと?」

p.24 の写真

モーテンセンとセルヴェンカの結婚生活は数年しか続かなかったが、彼らはその後も親しくしていた。彼女は現在も、Xのオリジナル・メンバーの何人かとパフォーマンスを行っている。「ヘンリーは、彼女のパフォーマンスを見るのが楽しいようだね」とモーテンセンは言う。「彼女に育てられたわけだしね。彼女のステージや、ビリー・ズーム(Xのオリジナル・メンバーであるギタリスト)の演奏を見て、自分の両親の生きかたを感じ取っているんだよ」

画家ジュリアン・シュナーベルの娘であるローラ・シュナーベル(23歳)との関係は、昨年終わりを迎えたものの、モーテンセンは結婚について、まるで考えていないというわけではないらしい。「誰にもわからないよ。可能性はあるよね」と彼は言った。「絶対に起こらないと思っていたようなことが、起こることもあるんだから」

モーテンセンの友人には、俳優よりもライターや詩人、アーティストやミュージシャンの方が多い。しかし、イライジャ・ウッドやビリー・ボイド(ピピン役)など、『ロード・オブ・ザ・リング』の共演者たちとは親しい関係を続けている。この二人は、昨年行われたモーテンセンのアルバムのレコーディング・セッションに参加した。このアルバムには、日本人ギタリスト(訳注:周囲の音楽通に聞いてみたところ、彼が日本人だという噂はないそうですが)バケットヘッドも参加している。バケットヘッドはガンズ・アンド・ローゼズのツアーに参加したギタリストで、カルト的な人気を集めており、特にステージでケンタッキー・フライドチキンのバケツをかぶっていることは有名だ(「彼はすごくシャイだからね。みんなに見られるのがイヤなんだよ」とモーテンセンは説明した)。「僕はパーカッションをちょっと叩いたんだ。バケットヘッドが鞄にいっぱいマスクを持っていたから、みんなでそれをかぶって演奏したんだよ」とウッドは言う。「すごくワイルドな感じだったな」

モーテンセンの親友は、彼の弁によると15歳になるヘンリーである。

「こういうことを言うとさ、“なんだよ、こいつ。息子が親友だって。親バカもいいところじゃないか” って思われるよね。でも、ヘンリーは本当に頭が良くて、偉大な人物なんだ。好奇心のかたまりでね。何かに興味を持つと、それが音楽でも、映画でも、アートでも、歴史でも、本当に夢中になっちゃうんだ」

モーテンセンは、トパンガ・キャニオンにある、これといった特徴のない郊外の家に住んでいる。アート作品や絵画、写真、切り抜きなどで満たされており、こうした環境が彼のクリエイティブな感性を支えているのだ。L.A.は長い間、文化について空白状態になっていると批判されてきた。しかしそれは、この街のことを知らない人たちが作り上げた間違った解釈なのだ、とモーテンセンは言う。「50年もの間、ずっとそんなことを繰り返し聞かされているよね。でも、それは間違いなんだ。ここには、とても面白いものを作っているアーティストがたくさんいるよ。お手軽に紹介されていないってだけでね」

意外なことではないが、モーテンセンは政治に対して強い信念を持っている。『二つの塔』のプロモーション期間に放送された『チャーリー・ローズ・ショー』には、“NO MORE BLOOD FOR OIL” と書かれたTシャツを着て登場し、批判も承知の上でイラクの話題に終始した。「僕らはとても暗い時代に生きていると思うんだ」と彼は言った。目の前の海では、サーファーが波の上を滑り、イルカが波間を飛び跳ねている。「いったいどの時点で間違いに気づいて、この最悪な状況から抜け出そうとするんだろう?アメリカが信頼を得るために、どれだけのダメージが必要なんだ?こんなに混乱しているっていうのに、政治が混乱やトラブルを引き起こしているなんて、思わせないような仕組みになっているんだよ。意識的に積み上げられた残酷さや嘘が満ち溢れている時代なんだ。ぶっちゃけて言えば、僕はこんなこと、人間として最低だと思うね」

『ロード・オブ・ザ・リング』が、アメリカのイラクに対する勝利を象徴していると解釈した観客や批評家がいたという事実は、彼を動揺させた。「いいかい、映画っていうのはエンターテインメントなんだよ。ただのお話だ。これがイラクやアフガニスタンへの侵略、占領を象徴した話だなんて、そんな誤った解釈にはうんざりなんだ。ヒトラーが第三帝国を正当化するために、北欧の神話や文学を誤用したのと同じようなことだよ」

砂浜は湿気を帯び、少し冷えてきた。もう、歩いていて心地よいという感じではなくなっている。そこで私たちは再び岩をよじ登り、駐車場の隣りにあるシーフード・レストランのチェーン店に入ることにした。モーテンセンは裸足で店に入って行く。私はマルガリータを、彼はウィスキーとビールを注文した。

ウェイターがテーブルの上にあるノートパッドに目を留める。まるでレイ・ウォルストンが演じた『ブラボー火星人2000』の宇宙人のように、ウェイターの “有名人感知アンテナ” がピンと立つのを感じた。

「で、誰が誰にインタビューをしているんですか?」と、ウェイターが聞いた。

形式的な質問だ。座っているのが “『ロード・オブ・ザ・リング』の人” だということは、わかっているはずなのだから。私が答えようとすると、モーテンセンが手を上げて止めた。「彼女は、ウィンドサーフィンで人類最高距離の記録を打ち立てたところなんだよ」と、彼は私の方に頭を傾けて言った。

「まさか!」ウェイターが息を飲む。

「ハワイからアメリカ本土まで、ウィンドサーフィンで渡ってきたんだよ」と彼は続けた。「本当だって。ボートが彼女について来てね、それで、夜は眠ることができたんだ。で、どのくらいの距離だっけ?」と彼が私の方を見た。

「えーと、3,700マイル?」と私は答えた。見当もつかない。

「男にも出来なかったことなんだ」。モーテンセンはウェイターに向かって言った。「カッコイイだろ?」

ウェイターが、メニューにサインをしてくれと私に頼んできた。

ウィスキーを少々、ビールを2〜3杯、マルガリータは4杯。そして、私が成し遂げた素晴らしい記録に対するお祝いとして、最後に2杯のテキーラが店のスタッフから届いた。私たちは波打つ海原を見つめながら、借り物のビュイック・ルセイバーに座り、モーテンセンのニュー・アルバムを聞いている。この行動には、2つの意味があった。まず、彼の新しい曲を聴くため(彼の車にはCDプレイヤーが付いていない)。そしてもうひとつは、二人とも車を運転する前に、酔いをさます必要があったためである。

流れてきた曲は、暗くて不気味な感じのするものだった。ほとんどの曲が、バケットヘッドとのジャム・セッションで生まれたものである。私たちはモーテンセンの煙草 “アメリカン・スピリット” を吸う。CDからは不気味なギター・サウンドに乗せて、デンマーク語の詩が流れていた。国の敵を取るために、故郷を離れる戦士について書かれた詩である。私たちは酔っ払いながら、延々と話を続けた。なぜ彼は、こんなにもたくさんのことを手がけるのか。俳優をやっているだけでは持ち得ない、はちきれんばかりのエネルギーはどこから来るのか。

「物を作りたいと思ったヤツが、物を作ればいいんだよ」と彼は言う。「“なぜ、ひとつのことに集中しないんだ?” ってよく言われるけど、僕には不思議でたまらない。なぜ、ひとつに絞らなきゃいけないんだ?たくさんのことをやっちゃいけないのか?そんなルールは誰が作ったんだ?」

彼の良き友達であるデニス・ホッパーも、同じことに声を荒げていた。「なぜみんな、俳優は演技しかできないなんて、固定観念に縛られているんだろう?」と、数日後、ホッパーに電話口で問いかけられたのである。「私はカンザスから来た、ただの農家の息子だよ。でも、いつだって詩やアートや演技のことを考えていた。どれかが特別だなんて、思っていなかった。ものを作ることに変わりはないんだ。もし俳優なら、次の仕事が来るまで、ただ座って待つ代わりに他のことをやる時間があるだろう?」。もし、モーテンセンが刑務所の独房に入れられて、真っ暗闇の中、ペンも道具も本も取り上げられたら。ホッパーは言った。「ヤツなら、そんな中でも驚くようなものを作り出すだろうね」

「リルケの引用だけど」とホッパーは続けた。「リルケの『若き詩人への手紙』、読んだことあるかな?彼はある男にこんなことを言ったんだ。“静かな夜、自分自身に問いかけてみなさい。創造することを禁じられたら、死んでしまうのかと。もし答えがイエスなら、生きる道はひとつだ。もし答えがノーなら、その時は別の道を歩みなさい”」

「なるほどね。ところでデニス、『ロード・オブ・ザ・リング』は気に入ってる?」

「第3部を楽しみにしているよ」という言葉だけが、彼の返事だった。

翌日、ウェストハリウッドのステファン・コーエン・ギャラリーでモーテンセンと待ち合わせた。彼の作品展『Miyelo』が行われている場所である。彼が『オーシャン・オブ・ファイヤー』出演中にサウス・ダコタで撮影した、長さ7フィートのラコタ族の写真が壁に飾られ、それらはすべて売約済みとなっていた。彼はこれまで、キューバ、デンマーク、ニューヨーク、ロスアンゼルスで個展を開催している。ニューヨークのディーラーであるロバート・マンは、4年前、初めてモーテンセンと会った時、彼がいったい何者なのか、まったく知らなかったのだと言う。

「『ロード・オブ・ザ・リング』は、まだ作られていなかったし、彼が俳優であることも知らなかったんだ」とマンは言う。「純粋に作品を見て、その価値を判断したんだよ。一触即発という感じで、ものすごい情熱と、文学的な感受性にあふれていた」。有名人のアートには、普通、どこかしら道楽的なものがつきまとうのだが、とマンは言った。「モーテンセンは、決して遊び半分でやっているわけじゃないんだ。彼は運に恵まれた、才能豊かな人物だよ。自分を表現するのに、たったひとつの方法を見つけられただけでも幸運だというアーティストがほとんどなのにね」

モーテンセンの次回作は、ディズニーのウェスタン大作『オーシャン・オブ・ファイヤー』。アメリカ騎兵隊の伝令を担当するカウボーイ、フランク・T・ホプキンスの物語である。ホプキンスは1890年、族長(演じるのはオマー・シャリフ)に招かれ、愛馬ヒダルゴと共にアラビア砂漠を横断する3,000マイルのレース(劇中では “オーシャン・オブ・ファイヤー” という名称)に参加することになる。勝つために育てられたアラビアの馬が、常に勝利を収めているレースである。映画には、圧倒的に不利な戦いに挑む者を奮い立たせるメッセージが込められている。アメリカ人の不屈の精神や粘り強さを称えているということから、かなりハリウッド的な作品であると言える。しかし、モーテンセンが重要視したのは政治的な意味合いである。

「アメリカ人が第三世界――この映画では中東――に行って、破壊することも、人々を罰することもなく、ただ純粋にレースに挑み、最後には相手も自分も何かを学ぶ。僕が気に入ったのはここなんだよ。アメリカ映画でも、こういう描き方はできるんだ」とモーテンセンは言う。「これって、健康的なことだと思うよ」

この映画でモーテンセンと仕事をしたホース・トレーナーのレックス・ピーターソンは、彼を “好きな俳優” と呼んだ。「25年続けているから、たくさんの俳優たちと仕事をしてきた。ニコール・キッドマンも、トム・クルーズも好きだよ。中には、二度と一緒に仕事をしたくないっていう俳優たちもいるけどね」。『オーシャン・オブ・ファイヤー』では、「親にも叱られたことのないような俳優を、叱り飛ばしたこともあった」のだそうだ。それはまた、別の話だが。

「俳優と仕事を始める時は、まず “で、どのくらいの腕前なんだ?” って聞くんだけど、たいてい “かなり上手いよ” っていう答えが返ってくる。ヴィゴの場合は “まあ、なんとかね” っていう返事だったんだ。いざ、実際に乗ってみると、私よりもずっと上手いんだ。わかるだろ?自意識過剰が問題になるなんてこと、彼にはありえない。ハリウッド製の飛行機に乗って、人生を過ごしているわけじゃないんだ。言ってる意味、わかるかな?」

モーテンセンは、『オーシャン・オブ・ファイヤー』でヒダルゴを演じた “T.J” に乗り、泥まみれでギャラリーにやって来た(彼は撮影終了後、この馬を買い取ったのだ)。到着すると馬を洗い、毛並みを整える。「いつも、こんなふうにきれいにしてやっているわけじゃないんだよ」とモーテンセンは言った。「彼は、“お坊ちゃん馬” じゃないからね」

モーテンセンは、いつものように一人で登場した。徒党を組むタイプではないのだ。個人秘書も雇っていない。彼のことを、スマートにイニシャルで呼ぶような付き人もいない。

「そうだなあ、“個人秘書をつけるべきだ” なんて言われたことはないなあ」と彼は言った。「パーシバル・プレスには、ピラー・ペレズっていうパートナーがいるし、信頼しているマネージャーもいる(リン・ローリングス)。たとえ多くの人たちが “この映画には出たほうがいい” って言ったとしても、彼女は自分が “これ” と思った作品しか僕に勧めない。選ぶ基準が純粋なんだ。お金のことは、まったく気にしない」

ちょっと待ってよ。ここはハリウッドなのよ。

「いや、本当に。そんなことに価値はないって、彼女は言うだろうね。お金を使い果たして、もうどこからも借りられないっていう状況になったら、その時点でベストだと思うことをやって、稼げばいいってね」

彼には今、特にやりたいと思っている役はないようだ。「ジョセフ・キャンベルは “自分自身であることが、人生に与えられた権利である” と言っていた。彼はそう感じていたんだね。僕も、同じ意見だよ」

ギャラリーを後にして、私たちは “グレース” (アップライトに照らされた、きらびやかな場所。ピッタリした黒のドレスを着た女性たちが、カウンターで待っている)の隣りの店に入った。私は彼に、これから5年、どんなふうに過ごすのかと聞いてみた。「5ヶ月先のことだってわからないのに」と彼は答えた。「そんな先のこと、知りたいとも思わないよ」

信心深いほう?

「その答えとして、詩人のウォルト・ホイットマンが『草の葉』に書いていたことを紹介しよう。えーと、要約するとこんなことなんだけど… “私は、神があらゆるところに存在するということについては、耳を傾け、受け入れる。神について、まったく理解はしていないけれど”」

どのくらい長く生きたい?

「永遠に」。ためらいは、なかった。

本当に?退屈したりはしないの?

「退屈なんて、もってのほかだよ」とモーテンセンは言った。「悲しむのもいい。怒るのもいい。落ち込むのもいい。キレるのもいい。でも、退屈するなんて許されないよ、絶対に」

一瞬、言葉を止める。「ヘンリーが言うんだ。“父さん、それはそうかもしれないけどさ、科学の授業に出てみれば、退屈がどんなものかわかると思うよ” ってね。それはちょっと、話が違うと思うんだけどなあ」

translated by chica