WOW!  2004.4 原文 (cinemaから検索)
王様、万歳!

By Paul Byrne

『ロード・オブ・ザ・リング』は、ヴィゴ・モーテンセンを世界的なスターの座に押し上げたかもしれない。だが彼は、それよりももっと大切なことを心に刻んだ。ポール・バーンがL.A.で話を聞く。

リッツ・カールトン・ホテル。メイクアップ担当の女の子とアルゼンチンのジャーナリストが、ヴィゴ・モーテンセンの部屋の外で盛り上がっている。

「彼、ホントにいい人だわ!」と、メイクアップの女の子が声を上げた。「それに、なんてカッコいいの!」

「写真集をもらっちゃった。新作の撮影現場で彼が撮ったんですって」と、今度はジャーナリストがニヤリと笑う。「彼は詩も書くし、絵も描くし、ジャズのCDまで出してるのよ!」

「新作で共演した馬を、家に連れて帰ったんですってね」メイクアップの女の子がつなぐ。「素敵じゃない?『ロード〜』で乗った馬も、やっぱり連れて帰ったって聞いたし。そんなにたくさん、どうするのかしら」

私は、ちょっとばかり、からかってみることにした。

「食べるんだよ」と、私は会話に割り込んだ。「デンマークの伝統みたいなものだと思うけど。撮影が終わると、打ち上げパーティーでバーベキューをやるらしい。そこで、馬を料理するんだって」

女性陣のウケは悪い。

「なんてこと言うのよっ!」と、メイクアップの女の子に怒鳴られた。本気で怒っているのかどうかは、わからないが。「そんなこと、あり得ないわ」

「ただの冗談だよ」と、私は答えた。「彼は馬をガレージで飼っているんだ。でも、もう6頭にもなっちゃって、そろそろどこかに移すらしいよ。きっとガレージから押し出されて雨風にさらされている車が、ものすごく汚れちゃうからだろうね」

その後のインタビューでモーテンセンに、この “ガレージと車についての仮説” を話してみると、彼は大笑いしてうなずいた。「そうそう、うちのガレージはギュウギュウ詰めだよ。まあ、汚れた車、僕は好きだけどね。次は象と一緒に映画を撮りたいと思っているんだ。象を連れて帰ったとして、どこに置くかが問題だけど」

ヴィゴ・モーテンセンは、このところ余裕を持った生活を送っている。『ダイヤルM』や『オーバー・ザ・ムーン』といった作品でも、ハリウッド・スターの座はちらついていたが(初めて印象を与えたのは1985年の『目撃者』)、彼を国際的なスターの座に勢い良く押し上げたのは、11時間でキャスティングされたという『ロード〜』に他ならない。彼自身は、必ずしもこの状況を喜んでいるわけではないが。

わかりやすい例としては、今年のアカデミー賞がある。『王の帰還』が11部門でノミネートされ、そのすべて制覇した授賞式を欠席したのだ。会場までリムジンならアッという間に着く、トパンガ・キャニオンに住んでいるというのに。共演者たちが、3時間半にわたって繰り返しお互いの背中を叩き合っている間、ヴィゴは家で借り物のテレビの前に座り、その様子を眺めていた。

「自分が、この業界の華やかな部分に向いているとは思えないんだ」と、マンハッタン生まれの俳優(45歳)は言う。「僕は、映画ができ上がった後のお祭り騒ぎよりも、制作過程を楽しんでいる。どのアートにも同じことが言えるね。映画、音楽、絵画、その他なんでも。完成してしまったら、とっとと次に進む方がいい」

モーテンセンのこうしたやり方には、間違いなく、その生い立ちが色濃く映し出されている。デンマーク人の父親(ヴィゴ・シニア)はノルウェー語とスペイン語を話し、アメリカ人の母親は流暢にスペイン語とデンマーク語を話す。子供の頃、ヴィゴは世界中を旅していた。暮らした場所は、デンマーク、アルゼンチン、ベネズエラ。ヴィゴが11歳になる頃、両親が離婚し、彼と2人の弟は、母親と一緒にニューヨークに移り住んだ。ウッドストックの時代を舞台にしたラブ・ストーリー『オーバー・ザ・ムーン』(1999年)で共演したダイアン・レインは、モーテンセンについてこう語った。「トランプ(放浪すること)が彼のミューズなのよ」

「そういう部分もあるかもしれないね、確かに」 私がこのダイアンの発言について触れると、彼は微笑んだ。「放浪すること・・・・・・彼女が “トランプ” っていう言葉を使ったのは、“しょっちゅう旅をしている人”っていう意味だよね? “しょっちゅう寝ている人” じゃなくて(訳注:トランプには浮浪者という意味もある)。後者の意味だとしたら、ちょっとガッカリだけど。まあ、とにかく、僕はただ、どこかに行きたくてしょうがなくなっちゃうんだ。次の坂を越えたら、次の角を曲がったら、いったい何があるのか知りたくてしょうがない。新しいもの、新しい感覚、そういうものを探り出したいんだ。ひとつの場所に留まっていたら、絶対にできないよね」

もしくは、俳優の仕事で言えば、同じ役柄を繰り返していたら。2年前、ピーター・ジャクソンの記録破りの作品『ロード〜』が世界を騒がせ始めた頃、モーテンセンに目立った動きはなかった。手っ取り早くお金になる、雑多な “行きずりの作品” のようなものを引き受けていれば、少なからず懐は潤ったはずだが、代わりに彼がしたことは、ひたすら待つことだった。

「送られてきた、ありきたりのくだらない作品には、まったく食指が動かなかった」と彼は言う。「特に、『ロード〜』のような経験をした後だからね。『ロード〜』に出たのも、有名になりたいとか、山ほどお金が欲しいなんていうことが理由じゃない。いつも映画に出るときは、その経験から何かを学びとりたいと思っているんだ。撮影が終わった時、前よりも賢くなっているとか、精神的に健康な状態になっているとか、そんなふうに感じられればいい。もし、送られてきた脚本に次々とOKを出していたら、リッチにはなったかもしれない。でも、確実に健康的ではなくなっていたね」

1年間待って、ヴィゴ・モーテンセンがついに “YES” と言った脚本は『オーシャン・オブ・ファイヤー』である。伝説的な西部の男フランク・ホプキンスと彼のムスタングが、アラビア砂漠で行われる3,000マイルの耐久レース “オーシャン・オブ・ファイヤー” に挑戦するという話である。脚本のジョン・フスコは、フランク・ホプキンスについて12年間にわたってリサーチしたが、ハリウッドで何本も作られた “実話に基づいた” アドベンチャーと同様、この作品も、必ずしも事実に忠実というわけではない。監督のジョー・ジョンストン(スティーブン・スピルバーグの弟子。過去の作品に『ミクロ・キッズ』や『ジュラシック・パーク3』がある)は、1940年代や1950年代のハリウッドの古典的な描き方で、しかも主演俳優がすぐにノリ気になるようなアクション・アドベンチャーを撮るというアイディアに魅入られた。

「今どき、珍しい作品だと思うよ」と、モーテンセンはうなずいた。「時代遅れっていう感じがするかもしれないね。僕はそこが好きなんだけど。古いストーリーに、何かスマートな、皮肉な感じの味付けをするっていうのはどうもね。そういうものなら、近ごろのハリウッドのヒーローものに、いくらでもあるから。僕としては、それよりも少し豊かな、複雑な感じにしたかった。まっすぐなアプローチによって、この作品にはさらに、面白みと人間味が加わったと思うよ」

ディズニーは『オーシャン〜』に9,000万ドルという大金を投入した。モーテンセンも初の主演作ということで、少しは緊張していたのではないだろうか。

「この作品のポスターを見て、最初に飛び込んでくるのは僕の “どアップ” だけど」と彼は言う。「僕は『オーシャン〜』を、『ロード〜』と同じようなアンサンブル作品だと思っているんだ。『ロード〜』の時のように、毎日働いたしね。だから、答えは “NO” かな。主役の重責というものは、感じなかった。もしかしたら、少しは感じるべきなのかもしれないけどね。ある意味、どんな映画に出ている時でも、観客を意識することはないな。自分自身が楽しんで、満足できるように、そして作品に貢献したと思えるように仕事をしている。キャストやスタッフたちと協力して自分の力を出しきれば、そしてうまくやり遂げられたら、観客も作品を気に入ってくれるかもしれない。もしも気に入ってもらえなくても、特別そのことに責任を感じたりしないだろうね」

モーテンセンはシングル・ファーザーである。15歳になる息子のヘンリーは、彼曰く “ベスト・フレンドで、本当に頭のいい人物”、そしてアラゴルンを演じるように彼を説得したのもヘンリーだ。ハリウッド・マネーを追いかけない、ということは、モーテンセンのライフ・スタイルが “リッチ” からかけ離れているということでもある。もしくは “有名” からも。トパンガ・キャニオンにある彼の自宅は、ごく普通の郊外型の家である。家にテレビがないだけでなく、車にはCDプレイヤーもついていないし、携帯電話も持っていない。たぶん今、このL.Aのホテルで、そんな人は彼だけだ。

「好きでそういう暮らしをしているんだよ。今後も変えるつもりはない」 もう少し説明してもらおう。「電話が鳴り続けたり、ニュースやエンタテインメントが常に流れているような生活から離れていたいんだ。そういうのって、ほとんどが何かを売りつけるような類いのものだろ?テレビをつければ、コマーシャルじゃなくても、映っている誰かが計画的に政治的なメッセージを匂わせたり、意見を押し付けようとしている。いい番組もあるっていうのはわかってる。『シンプソンズ』とか『ソプラノズ』とかね。でも、僕は自分の時間を、本を読んだり、絵を描いたり、何かを作ることに使いたいと思うんだ」

ヴィゴ・モーテンセンが、多くのものを作っていることは、よく知られている。彼の絵画や写真は世界中に展示されており、最近では、昨年12月にニュージーランドで個展を開いた。『王の帰還』のワールド・プレミアとの同時開催だ。会場には、モーテンセンが『オーシャン〜』撮影中にサウス・ダコタで目撃したラコタ族のダンスを題材にした7フィートの作品が展示されていた。この多芸なアーティストは、カメラを持たずに旅に出ることはない。CDも何枚か出しており、最新作には、『ロード〜』で共演したイライジャ・ウッド、ビリー・ボイド(訳注:ドムが抜けている・・・・・・)の2人が参加、日本人ギタリスト(訳注:また、この表記が・・・・・・)のバケットヘッドとセッションを行っている。ヘンリーの母親、そしてヴィゴの元妻は、エクシーン・サーベンコヴァ。L.Aのカルト・ロックバンドXのリード・シンガーだった女性だ。さらに言えば、彼は小さな出版社パーシバル・プレスをピラー・ペレズと共同経営している。このように、様々な方法で芸術的な想像力を表現していることもあり、モーテンセンがハリウッドのトップスターになることに興味を示さないのは、実際のところ彼の人生において、演じることがそれほど重要ではないからではないかと思える。『オーシャン〜』撮影中、彼はある記者にこんなことを言っている。「もしかしたら、この作品で最後にすべきなのかもしれない」

「それが何であっても、自分の幸せのために、たったひとつのことしかやらないなんて不健康だよ」とモーテンセンは言う。「注目を集めたいと思ったり、逆に集まりすぎると放っておいてくれと思ったり、僕がそんなことに必死にならずにすんでいるのは、興味の対象が他にもあるからってわけじゃないと思うんだ。要は、映画をどんなふうに見ているかなんだよね。もちろん、いい仕事をして、それが認められれば嬉しいよ。でも、たとえ認められなくても、その作品に対する思いを変えたりはしない。突然、“そうだな、そういえば撮影中も楽しくなかった” なんて、気持ちをすり替えたりできないよ。楽しかったんだから」

今年の初め、メディアが伝えた「モーテンセン、金欠説」についてはどうだろう。驚いたことに『オーシャン〜』は、アメリカで2,000万ドル弱というオープニング成績を記録した。しかし、この作品以前のギャラということになると、『ロード〜』にサインした1999年まで遡らなければならない。というわけで。 “母なる自然の子” という、願ってもない役を得たモーテンセンは、それほど多くのギャラを望んではいない。食べ物と燃料、そして馬のための干し草を買うだけのお金があれば十分なのだろう。

「すごく幸運だったと思うよ。破産していないしね」と彼は言う。「それに、過去に不満があるわけでもない。友達に俳優や女優がたくさんいるけど、良い役者でも、なかなか楽な生活をするのは難しいんだ。僕だって、良い生活ができるようになったのは最近のことだしね。運が向いてきたっていうのかな。誇りに思える作品に連続して出演できて——これって、俳優にとってはすごいことなんだよ——2本とも大作で、ちゃんと考えさせる作りになっていて、広い層にアピールできて。そしてなにより素晴らしいのは、この2本から多くを学んだということなんだ。いつも僕は、興味の持てる何か、挑戦できる何かを見つけたいと思っている。小さな作品であろうと、大作であろうと。作品の方が僕を見つけることもあるけどね」

「さっき君も言ったように、そういうものが見つかるまで、僕はいくらでも待つよ。見つかることを願うけど、まあ、願いが叶うことは難しいかな。結局、お金を使い果たして、“何か” は見つからず、それでもなんとかしなくちゃいけないから、来た仕事がどんなものであれ、ベストを尽くすしかないっていう・・・・・・これが生きるために僕が選んだ道なんだよ」

最後にひとつ。モーテンセンがアカデミー賞を欠席したため、アイルランド人俳優のスチュワート・タウンゼントと会場でバッタリ、とはならなかった。タウンゼントは、『モンスター』で主演女優賞を獲得した恋人のシャーリーズ・セロンと共に会場にいたのだ。彼は、ニュージーランドでの撮影開始直後、アラゴルン役を降ろされ、その道をモーテンセンに明け渡した男である。モーテンセンは最近、タウンゼントに会ったのだろうか?

「最近じゃないけど、ここ1〜2年の間に、イライジャとかビリーとか、みんな、スチュワートに会っているよ。本当に」モーテンセンは、インタビューを締めくくった。「役の交代については、僕らみんなが本当に心を痛めたんだよ。僕がこの役を受ける時、迷った理由でもある。ピーターは、自分の選択が間違っていたと感じた——あの役にスチュワートでは若すぎると確信したんだ——で、彼は辛い決断をしなくてはならなかった。そういう、避けられない出来事だったんだ。この業界では、珍しいことじゃないよね。スチュワートが、“自分に問題があった” なんて感じないように願っていたよ。僕は本当に、彼に感心しているんだ」

translated by chica