The Globe and Mail  2005.5.17
アメリカの残虐さ、シーン1、シーン2

By Liam Lacey

【フランス、カンヌ】 カンヌ映画祭の第2週は、デヴィッド・クローネンバーグの『A History of Violence』と、デンマーク人監督 Lars von Trier のUSAトリロジーの2作目『Mandalay』の上映で、エキサイティングな出だしとなった。この2作は今までのところ最有力候補であり、両作品とも多くの議論をかき立てている。

一見したところ、『A History of Violence』はカナダ人の監督が手掛けた作品の中でも、もっともメインストリームのように見える。(訳注:ここで映画のプロットが説明されますが、省略します。) クローネンバーグはネタばれを避けるため、記者たちにそれ以上は内容を明かさないように頼んだ。

物静かな男が家族を救うため、暴力の才能を爆発させるという話は、正直アメリカ映画では珍しいものではない。グラフィック小説をベースにした台本を読んだ後、俳優のモーテンセンはなぜクローネンバーグがこのプロジェクトを引き受けたのかを考えた。

「面白いとは思ったけど、ほとんどの監督なら金儲けのためだけの映画を作ってしまうだろうし、見た目は面白くても知的な刺激に富む映画にはならないと思ったんだ。彼は明らかにいろいろ考えさせられるような映画を作ってきているから、なぜこの映画をやりたいと思ったのかを考えた。すぐ彼にたずねたよ。彼は興味深い答えをくれたし、今でも答え続けている。」

クローネンバーグは物語の見慣れた虚飾を “複雑さを覆い隠す透明な表面” と呼ぶ。彼は、似たようなジャンルの映画と彼の映画は区別されると言う。「第一に、暴力が家族に与える影響についてということ。普通、典型的なヒーローというのは一匹狼なことが多い。おそらく酒を飲むタイプのね。この映画は、暴力が彼のまわりの人に何をするかを描いているんだ。」

普通のアクション映画と異なり、この映画は傷がどんなものなのかを見せる。ファイトシーンはカンフー映画のコリオグラフィやタランティーノのスプラッターが満載ではない。切れ味が悪く、素早く、凶暴だ。(リサーチのため、クローネンバーグは至近距離での戦いで人を殺すためのマニュアルを使った。) この映画は弾丸が人に当たったらどうなるかを見せる。監督は、いくつかの傷を映したショットについて、映画会社と何度も話し合ったと言った。しかし、彼は変更することを拒否した。「もし、それらのショットを入れなければ、映画は良くなると思うか?」 彼はそう問うた。「実際には、それらのショットは一瞬なんだ。暴力は現実で、人間の体に衝撃を与える。そしてそれは愉快なものではなく、恐ろしい結果をもたらすということを言うためのものだ。」

殺人よりさらに強烈なのは、おそらくセックス・シーンだろう。特に夫婦間の、合意の上だがバイオレントなセックスだ。階段でのそのシーンの撮影には2日間かかり、実際には2つの別々のセットで撮影したそうだ。(1つは階段で、1つは上階から見下ろすもの。)

「とても過酷だったわ。」 ベロは言う。「ボーっと歩き回ったことだけ覚えているわ。とても荒々しくて、肉体的というよりはもっと精神的で感情的でスピリチュアルだったの。そしてとっても暴力的になった。体中あざだらけになって、背中にはかさぶたができたわ。ヴィゴは口の中をかみ切ってしまったし。それと同時に、極めてテクニカルなシーンでもあったの。シーンの最中によくモニターを見たわ。足はこっちに動かした方がいいとかを見るためにね。」

モーテンセンとキスをした感想を、実際にベロに聞いた女性のレポーターがいた。ベロはこう答えた。「私の場合、苦痛だったわ。」

クローネンバーグはベロの怪我にインスパイアされて、彼女の背中のかさぶたを見せるシーンを追加した。

「セックスとバイオレンスはとっても合うんだ。ベーコンと卵のようにね。この映画では、夫の中の暴力的な要素に対して、マリアのキャラクターが嫌悪感を見せる。階段でのシーンには、愛情もあるということを見せる意図もあるんだ。セックスはとても複雑なものだ。それが良いことの1つでもあるのだけどね。自分について驚くような多く発見をすることになるから。」

translated by yoyo