HOTDOG  2005.9
暴力は金

by James Mottram

肉が引き裂かれ、砕けた顎はガクガク震え、血が滲み出る。繰り返しパンチを浴び、鼻は裂け、文字どおり平らに打ちのめされる。弾が飛ぶ。チンピラが死ぬ。おかえりなさい、デイヴィッド・クローネンバーグ、帰りを待ちわびていました。倒錯の『クラッシュ』、仮想現実の『イグジステンズ』、精神分裂の『スパイダー』の後、カナダの「血の男爵」が戻って来て、得意の分野で本領を発揮する。それは、肉体のホラー。一見して、彼の最新作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は、昔のクローネンバーグを思わせる。『スキャナーズ』で頭を破裂させた男、『ビデオドローム』でジェームズ・ウッズに郵便箱のような腹を与えた男、さらに、『ザ・フライ』ではジェフ・ゴールドブラムの性器が腐るのを見つめた男が、再び不快さに快感を感じている。

だが、彼が相変わらず流血に魅了されていることがわかる映画である一方、『ヒストリー〜』は、クローネンバーグにとってこれまでの映画同様、シリアスな作品となっている。暴力行為が核家族に与える影響についての辛辣な一考察であるこの作品は、インディアナ州の小さな町で食堂を経営し、二人の子供と美しい弁護士の妻(マリア・ベロ)に恵まれたトム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)の物語である。アメリカンドリームの牧歌版ともいうべき生活を静かに送っていた彼だが、ある日、彼のレストランを襲った二人の乱暴者を撃ち殺すはめになる。地元のメディアにヒーローと呼ばれることで、ストールの新たな評判は、彼に予期せぬものをもたらす。明らかに、顔に傷のあるギャング(エド・ハリス)の訪問がそれである。トムには、フィラデルフィアに、昔捨てた秘かな暴力の過去があるとほのめかすのだ。

『ジャッジ・ドレッド』の生みの親、ジョン・ワグナーとヴィンス・ロック原作のグラフィック・ノーベルをもとに、ジョッシュ・オルソンが脚本を書いたのだが、このプロジェクトに着手するまで、クローネンバーグがソースについて全く知らなかったのは驚きである。「グラフィック・ノーベルが原作だなんて、誰も言ってくれなかったんだ」と、カンヌで彼は言う。カンヌではこの作品のワールドプレミアが行われた。「普通は脚本の表紙に書いてあるのに、これにはなかった。『ジョッシュ・オルソンによる脚本』としか書いてなかった。だから、オリジナルなのだろうと思った。原作の存在を知った時にはすでに、彼と私とで書き換えが済み、一定の方向づけが行われつつあった。読んでみて、我々は原作とはずいぶんかけ離れてしまっていて、取るべきものはそこには何もないと思った。『シン・シティ』とは違い、我々の場合は全く方向が逆だ。グラフィック・ノーベルに忠実であるというのは、僕のめざすゴールではなかった。」

撮影は、1988年の『戦慄の絆』以来、常にクローネンバーグの撮影監督を務めるピーター・サシツキー。『シン・シティ』でロバート・ロドリゲスがフランク・ミラーの作品を再現したのとは異なり、この映画はヴィンス・ロックの絵のスタイルを真似ることはしていないが、暴力の再現に関しては、まっこうから取り組んでいる。『クラッシュ』が、そのあけすけな内容から、イギリスのプレスにたたかれて数カ月間上映禁止となったことで、論争には慣れているクローネンバーグは、彼の新作をその血なまぐさいイメージから守るべく、完全武装で臨んできた。

「暴力シーンを除いた方が、よりよいものになると思うかい?」と、62歳のトロント生まれの彼は反撃する。「実際は、そういうシーンはあっという間なんだ。それでも、ああいう暴力の様々な結果を描かない方がいいと言えるかい?こういう暴力は現実のものだと言いたい。暴力が人間の体に与えるインパクトは、あまり気持ちのいいものではない。これはカンフーファンタジー映画じゃない。70年代のマーシャルアーツもののリバイバルでもない。この映画は、暴力とは非常に汚らわしく、非常に凶暴で、非常にすばやく、非常に突然で、様々な恐ろしい結果をもたらすもの、ということを描いているんだ。」

予想通り、同じ話題について聞かれたキャストも、答えを十分に用意してあった。「この映画は、暴力にも多くの様々な種類があることを描いている」と、終始とらえどころのないモーテンセンは言う。「かなり暴力的な会話のシーンもある。暴力はいろいろな形で現れ、普通は、コミュニケーションではなく、衝動的で安易な終わり方をする。暴力とは、ある意味、コミュニケーションの断絶でもある。」

それはまた、父から子へ伝わるものでもある。トムの次第に荒れていく十代の息子ジャックを演じる新人アシュトン・ホームズは言う。「ジャックが自分の父親の暴力を目撃したことで、暴力は彼にとってあっという間に身近なものになり、彼を支配してしまうのだと思う」と彼は言う。「まるで、彼が、これが生来の性質であることに気づいたかのように。」

モーテンセンが指摘するように、最も暴力的なシーン -- デイリーメール紙の読者が一斉にペンを取りたくなるような -- は、トムと彼の妻による階段での激しいセックスシーンで、嫌悪と情欲の激しい表現である。「セックスは非常に複雑なものだ。」物思いにふけるようにクローネンバーグは言う。「それは、自分自身の意外な面を数多くさらけ出す。暴力はセクシャリティーの一部だ。暴力がセクシャリティーに溶け込むことは、極めて可能で、おそらく避けられないだろう。それに、暴力にもセクシャルな要素がある。たとえば、国による死刑執行には、奇妙なほどセクシャルな要素がある。死刑賛成派は誰も口にしたがらないがね。だが、誰かを処刑することは、妙に歪んだセクシャリティーを含んでいる。確かに、長々しく難しいテーマだ。しかし実際、セックスとバイオレンスは非常に相性がいいように思われる。」『戦慄の絆』でジェレミー・アイアンズ扮する双子の産婦人科医を思い出してみてほしい。そうすれば、彼の言いたいことがわかるだろう。

撮影に二か所のセットで二日かかったシーンがある。クローネンバーグ -- 『クラッシュ』で足の傷にペニスを挿入した男を描いたことで悪名高い男 -- は、映画のセックスをきちんと描くのは難しいと認める。「実際のセックスとは違うからね」と、彼はニッコリとして言う。「実際のセックスより難しいんだ!撮影が終わった後、マリアはすっかり傷だらけだった。階段は堅いし、マットのようなものをあてがうこともできなかった。ある時、スタント・コーディネーターが、スタント用のマットの要請を受けた。彼はこう言ったよ。『セックスシーン用にかい?セックスシーンに保護用マットをくれなんて言った奴は初めてだ!』実は、ベロにできた本物のアザを見て、クローネンバーグは、彼女の役柄が受けた傷をスクリーン上で見せるアイディアを思いついた。「背中全体が傷だらけだった -- 血まみれでカサだらけの背中」と彼女は言う。「あの頃、ただぼんやりと歩き回っていたことを覚えてる。かなり荒っぽくて、肉体的というより、心理的、精神的、感情的なものだった。行くのが辛かったわ。」

この映画の外観が、スティーブン・キングの小説を映画化したクローネンバーグ1983年の作品『デッドゾーン』-- これも同様にキャスト、設定、原作の全てがアメリカである -- と比較できるならば、監督はこの映画で、より最近の『スパイダー』で追求した、傷ついたアイデンティティーというテーマに立ち返っている。「毎朝目が覚めたら、自分を再形成し、自分が誰であるかを思い出し、その人物を組み立てなければならない」とクローネンバーグ。「意志の力で別人になることは十分可能だと思う。」この映画は、彼自身のこれまでの作品はもちろん、アルフレッド・ヒッチコックやフリッツ・ラング、そして特にサム・ペキンバーの『わらの犬』に似ている。そこでは、ダスティン・ホフマンが、二人の侵入者に対して、熊のわなで原始的に対抗せざるを得なかった。

クローネンバーグはまた、これが彼の初のウェスタンかもしれないと認める。「それはもう最初からわかっていた。銃を持った男たちから家と家族を守るために暴力を使わざるを得ない男の物語には、雄壮なアメリカの西部劇の神話が含まれている。これは、歴史と映画の両方において、古典的アメリカ的シナリオだ。」

これほどの流血では、クローネンバーグが、次のプロジェクトの『ペインキラーズ』から未だに離れられないのもなるほどと思われる。これには、依然ニコラス・ケイジがキャストの候補に挙がっている。自分の体をアートの目的で使用するユニークなアプローチで、フランスのアーティスト、オーラン[訳注:彼女は整形した自分の顔をアートとして公開している]の「肉体のアートに関する論文」をもとに、暴力の過去(少なくとも、映画において)を持つこの男がどうそれに取り組むかは、後になってみないとわからない。クローネンバーグ自身が考える限り、彼はおとなしい人間だ。「大声を上げたり叫んだりする監督がいるが、僕はそんなことはしない」と彼は言う。「僕はとても協調的で、やさしいんだ。」いかにも、ごもっとも。

「我々だって動物だ、そうだろう?」
ヴィゴ・モーテンセン、剣とエルフをセックスと暴力と交換する

信じないかもしれないが、ヴィゴ・モーテンセンは平和を愛するタイプの人間である。そう、『ロード・オブ・ザ・リング』の勇敢な戦士アラゴルンは、ハリウッドのヒッピーなのだ。ファーストネームの出だし3文字が、スカンジナビア語で「戦い」を意味していても心配無用。学校での喧嘩は、彼が育ったアルゼンチンでもニューヨークでも、ごく稀であった。

「僕は一人でいることが多かったんだ」と彼は言う。「できるならトラブルは避けるようにしている。」従って、この46歳のデンマーク系のスターが、デイヴィッド・クローネンバーグの『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で、あれほど恐ろしい演技を見せているのは一層の驚きである。

中つ国から盗んできたような不思議な真鍮のポットから薬草茶をすすり、ビル・ザ・ブッチャー [訳注:『ギャング・オブ・ニューヨーク』でダニエル・デイ・ルイスが演じたギャングのボス]も嫉妬しそうな豊かな口ひげ(次回作『アラトリステ』でスペインの兵士を演じるため)をたくわえたモーテンセンは、禅のような静けさを発している。

「誰にでも暴力は可能だと思う」と、彼は主張する。「もし、この映画が言いたいことがあるとすれば、それは、アメリカでも他のどこでも暴力は当たり前ということではなく、暴力は人間にはつきものだということだ。人間が存在する限り、暴力も -- 感情的にも肉体的にも -- 存在し続けるだろう。我々だって動物だ、そうだろう?人間にはまた自由意志というものがあり、そうした行為をしないよう選択することもできるんだ。」

この俳優がクローネンバーグと初めて会ったのは、カンヌで『ロード〜』の一連のプロモーションを行っている時だった。クローネンバーグへの賞賛でいっぱいのモーテンセンは、このカナダ人についてこう言う。「デイヴィッドは、たくさん質問をさせてくれるが、答えは与えてくれないんだ。」

いずれにしても、2つのヒッチコックのリメイク、『ダイヤルM』と『サイコ』に出演したモーテンセンは、小さな町の「自警団員」トム・ストールを演じるのに理想の俳優にふさわしい。この役柄は、間違いなく我らがアルフレッド[ヒッチコック]の目にもとまったことだろう。だが、『ロード〜』とアラビアが舞台の『ヒダルゴ』で大暴れのヒーローを演じた後のクローネンバーグ体験には、一つ明らかなプラスの点があったとモーテンセンは白状する。「風をおこす機械なし、トロールなし、それに、馬もなし!」

translated by estel