incontention.blogspot.com  2005.9.28/29 原文
メイキング・ヒストリー、パート1:
デイヴィッド・クローネンバーグ (抜粋)

キャスティングについて

「微妙で、直感的な仕事だ。誰を選ぶべきか教えてくれるルールブックなどない。そこで、まず主役から始める。主役を決めて、ある一定のトーンを得る。それは非常に実際的なものだ。このキャラクターはある一定の年齢でなくてはならない。アメリカの小さな町に住みたい、その町の一員でありたいと思う必要がある。つまり、多くの直接的、実際的な事柄がまず先にあった。

「(次に)若すぎる、年がいき過ぎているという理由で、多くの俳優を除外する。しかし、ヴィゴは、僕は長いこと彼のキャリアを観察してきたが、彼は僕が最も好きなタイプの役者だ。つまり、あのような、スクリーン上での主役のカリスマ性と存在感を持っている一方で、自分を消してまで役になりきり、性格俳優のようにエキセントリックでニュアンスを出すことを恐れない。すばらしい組み合わせだ。そのことに加え、彼はアメリカを象徴するような人物、ゲイリー・クーパーとまではいかないが、何かそのような雰囲気も持っている。」

そして、モーテンセンは、レーダーをかいくぐって進むステルス爆撃機と思うほどの演技で、ストールというキャラクターの中に入り込んでいる。観客がスクリーン上で観ているのはヴィゴ・モーテンセンではない。彼らが観ているのはトム・ストールであり、間違いなく批評家及び賞の注目に値する演技を観ているのである。

モーテンセンと並んで、マリア・ベロは、過去と未来との間で引き裂かれ、現在を理解しようと苦悩する女性を焼けつくような演技で描写し、スクリーンを燃え立たせる。劇中、エディとトムとの相互関係は、時にはじりじりと暑く、時には低くうなるように、しかし常に本物で、はっきりした輪郭で存在する。

エディ・ストールの配役について、クローネンバーグは彼の「魔術」の全体像をさらに説明する。

「僕は結婚カウンセラーみたいなものだ。」彼は笑いながら話し始める。「僕は彼に妻を見つけてやらなければならない。しかも、同じ部屋で二人一緒にして会うことはできない。そこで、まずヴィゴと会う。彼はこの映画をやるだろう。では、彼の妻には誰がいいだろう?で、僕はトロントでマリアに会った。彼女は他の映画の撮影中だったから。僕はこの映画に彼女をと考えていたが、彼女には言わなかった。だが、実質的には、結婚カウンセラーのように、イエス、この二人はすばらしい夫婦になると思う、と言わなければならない。」

『シバーズ』から『戦慄の絆』、『クラッシュ』と、これまでのキャリアを通じて様々な機会に行ってきたように、クローネンバーグは『ヒストリー〜』でも登場人物のセクシュアリティーに大きな関心を抱いている。その目的のために、現代または過去の映画製作者とは違って、自分の映画の主題を深く解明するために、セクシュアリティーという、人間性の根本とも言える面を利用する。

「僕が読んだ元々の脚本にはセックスシーンはなかった。そこで、脚本家に書いてくれと頼んだ。我々はそれがどのシーンかを話し合った。セックスの場合、人は心理的にも肉体的にも感情的にも非常に傷つきやすい。だからこそ、あのセックスシーンが欲しかった。そういう方法で、あの登場人物たちを知りたかったからだ。次の問題は、何がさらけ出されるか?だった。」

オープンな心の持ち主である名匠クローネンバーグでさえも、そのプロセスはキャストとの共同作業であると感じている。

「俳優たちには、いつでも見たい時に(モニター)を見せた。そういうことをする監督は多くはないね。セットにあるモニターを役者に見せたり、プレイバックとかそういうものを見せたり。僕は彼らに関わって欲しいし、自分たちがしていることについて居心地良く感じてもらいたいんだ。それによって、自分たちが何をしているかがわかるように。秘密は全くないよ。」

この映画には2つのセックスシーンがある。どちらも、いろいろなレベルで、興味をそそられ、細部まで明らかなシーンである。一つは、連続した60秒の間に、野獣のような荒々しさから、激しい情欲へ、登場人物の精神構造を暗示するものへと移り変わる。こういうシーンの性格上、役者の側に、ある程度の遠慮を予想するだろう。しかし、モーテンセンとベロは、しっかりしたプロ意識と洞察力でこれをこなした。

「彼らは怖がっていた。でも、役者というものは怖がるのが好きなんだ。僕もそうだよ。いつも安全に演技をしたいとは思わない。飽きてしまうんだ。あれは恐いシーンだった、どちらのセックスシーンも。彼らは人間だからね。セックスシーンをやる時は、自分自身のセクシュアリティーをシーンに持ち込むことになり、多くをさらけ出す。セックスシーンをやっていると、自分が誰であるかを隠すのが難しい。だから、時にはしぶしぶやることになる。でも、役者なら、いい役者なら、それは自分が望む挑戦課題となるんだ。」

オスカー予想について

「僕も投票権を持っている。アカデミーの会員だからね。だから、自分に入れることもできる。『戦慄の絆』の時を思い出すよ。『この映画で双子を演じたジェレミー・アイアンズが、絶対にオスカーにノミネートされるだろう』って、みんなが言ってた。人々が『ヒストリー〜』のオスカーのことを噂するのはうれしいね。それは、つまり彼らがこの映画がとても好きだということだからね。ありがたいよ。」


2005年9月29日

メイキング・ヒストリー、パート2:マリア・ベロ (抜粋)

ヴィゴとクローネンバーグとの共同作業について

「私たちのエネルギーが一緒になって、本当にうまく働いたと思う。私たちは3人ともとても内面的な人間なの。それに、私は自分の野性的な気性をコントロールできないんだけど、多分彼らはそれをある程度利用したんでしょうね。でも、そんな風にして、私たち両方にプラスになったわ。二人はおとなしいのよ。自分をコントロールできているし。食物連鎖のずっと上の人たち。私はほんとに人間・人間って感じ。それに私は、私自身の人間関係や人間性、私自身の気持ち、願望や欲求においても、成長とともにそういう人間味を得ているようなものなの。多分、彼らはそういうのはもう解決済みなのかも。わからないけど。私はまだよ。まだ途中なの。」

生々しいセックスシーンについて

「私は、自分が演じる役について、セクシュアリティーも、朝食に何を食べるかも区別しない方針なの。感情的に生々しくても、セクシュアルでも、家庭的でも、何でもとにかく、私には違いがわからない。同じことだと思うの。それに、実際はそうじゃないのに、何かすごい特別なものみたいに、セクシュアリティーを高く掲げるような運動を宣伝したくないことだけは確かよ。

「要は、私たちはとてもよくしゃべるの。3人とも。プロセッサーみたいなの。私たちがしたことといえば、そのキャラクターがしていることや、みんなの心理状態について、長々とおしゃべりしただけ。でも、このシーンだけは一度も話し合わなかったの。私は何週間もデイヴィッドとヴィゴに、『あのシーンについて話し合わなきゃ。どうするの?どんなふうにするの?』って言ったわ。そしたら、とうとう、前日にデイヴィッドが言ったの。『いいかい、マリア、君がこれをコントロールしてるんじゃないんだよ』、これは君がコントロールを失うシーンだから、って。私ってずっと今まで、かなりのコントロール人間だったの。子供をもってからはそれほどでもないけれど、それでもまちがいなくコントロールするほう。私はただ、物事がどんな風になるのか知りたいだけなのよ。そうしたら実は、このキャラクターにとっては、彼女が人生で初めてコントロールを失い、自分自身より大きな欲望に完全に屈してしまうことだったの。」

母親であることの影響

「エド・ハリスが私の息子を捕まえていて、私たちが玄関の前にいるシーンだけど、本当は、ただドアのところに立って、そのシーンを行うことになっていたの。でも、リハーサルの時、最初に出たリアクションは、彼を殺すことだったわ。だから、私は走り出した。そして、あの狂気、あの理性を失った、母親ライオンのようなものが私の中から出てきたの。私にはそれが何かわかる。誰かをしっかり守りたい、誰かを殺してまで子供を守りたいという気持ちなのね。」

モーテンセンについて

「彼はとてもビューティフルな人。緊張した人なのかなと思っていたけど、信じられないくらい軽快で、冗談好きで、おもしろい人よ。ほんとにおもしろいの。しょっちゅう笑わせられたわ。今でも私たちだけの内輪のジョークがあるくらい。彼は違う種類の人間よ。真のアーティストの人生を生きている。ヴィゴと彼のアートを切り離すことはできないわ。彼は彼の作品そのものなの。彼がすることは全てアートよ。」

translated by estel