liberation.fr  2005.5.17 原文 | 英訳
高貴な人

By Sabrina Champenois

ヴィゴ・モーテンセン、46歳、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』の俳優。トールキン三部作の映画でスターとなる。

口ひげ。それは、アラトリステに必要なもの。この作品は、アルトゥーロ・ペレス・リベルテの原作を基に、アグスティン・ディアス・ヤネス監督の下、スペインで撮影中の映画である。細かいストライプの黒のスーツ姿で、疲れた様子の彼を見ると、ヴィゴ・モーテンセンは、クロワゼットをさっさと離れ、撮影に戻りたがっているように見える。彼もそれを認める。「フェスティバルは性に合わないんだ。でも、クローネンバーグのためなら、この世の果てまで行くよ・・・。」

ヴィゴ・モーテンセンとデイヴィッド・クローネンバーグ。めずらしい取り合わせに見えるかもしれない。なんといっても、キャリア22年のこの俳優は、『ロード・オブ・ザ・リング』のヒューマニストでロマンチックな王アラゴルンの演技で、一般の観客に知られている。メガヒット作品(世界の4分の1がトールキン原作のこの三部作映画を見ている)は、カナダ人映画作家の成功とは正反対だ。「僕は昔からクローネンバーグ監督を尊敬している」と、長身でボサボサ髪のこの男は答える。「それに、僕は商業的な映画にも出たけど、もっとパーソナルな作品にも出演しているよ。」全くその通り。私が長い間彼に会うことを夢見てきたのは、『デイライト』、『悪魔のいけにえ3』、『ダイアルM』のような忘れられやすい作品のためではない。

強烈な官能性 むしろそれは、ショーン・ペンの『インディアンランナー』(1991)である。ここでは、穏やかで平凡で安心感を与える警官の兄に対し、彼は弓のようにピンと張りつめ、何をしでかすかわからない、魅力的であると同時に人を不安にさせるベトナム帰還兵を演じている。モーテンセンは主役を食っている。強烈に官能的で刺激的な存在であると同時に、非物質的でもある。どこまでも突き刺すような目つき。まるでエアバッグの上を歩くような、なめらかでうさんくさい歩き方。今日の彼はまさにそれと同じである。クローネンバーグの写真を撮るためにインタビューを抜け出した後、我々のそばのテーブルに座り、質問にかなり詳しく答えるが、20分では全体像を語れないことに気づく。「最後まで言わせてくれないかな。でないと、肝心な点まで行かないんだ。」私が彼の話を遮ると、声はソフトだが、明らかに憤慨して、そう切り込んだ。

撮影でのヴィゴ・モーテンセンは、これとは反対に、非常に寛大で、目的意識のかなり高い俳優として有名である。デイヴィッド・クローネンバーグは、こう賞賛する。「彼は、細かい点にマニアックで、非常に集中力があり、あらゆることに注意を払う。自分が演じるキャラクターの身のこなし、歩き方や服装まで知りたがる。... 実際彼は、主人公のトム・ストールの身の回りのことまで含め、このキャラクターを作り上げるのに積極的だった。」中でも、トムの持ち物、魚の貯金箱(!)、鳥や風景を描いた絵は、自分で持ち込んだ。... アラゴルンの時も同様だった。彼は、トールキンファンである自分の息子を喜ばせようと、この役に合わなかった俳優のピンチヒッターとして、急遽アラゴルン役を引き受けた。

折れた歯 彼の共演者たちは、彼にまつわる多くのエピソードを語る。自分の気持ちを伝えるため、毎晩、ピーター・ジャクソンに数ページにわたるファックスを送った。どこに行くにも剣を持ち歩いた。自ら戦闘シーンをこなし、とうとう歯を折ってしまった。(「大丈夫ボンドでくっつくよ。」鎧をつけたまま歯科医に行く前に、彼はそう言ったと伝えられる。)... そして、誰もが、彼の非常に謙虚な態度を強調する。「ノーエゴ・ヴィゴ(エゴのないヴィゴ)」のニックネームはそこからきている。「僕はただ自分の仕事をしているだけ」と彼は言う。「僕にとって映画は、真に意味を持つすぐれたストーリーを描くことを目指す、一つの共同作業なんだ。」よって、クローネンバーグとの仕事は楽しいものとなった。「『ヒストリー〜』は、アメリカにおける暴力の問題を喚起するだけでなく、権力、特に男性の権力についての問題を取り上げているんだ。」

普通のハリウッド俳優とは対称的な「知性派」俳優。これが、ヴィゴ・モーテンセンの評判である。画家、写真家、ミュージシャン、詩人、編集者。デンマーク人の父とアメリカ人の母を持ち、数カ国語に秀でた人。ロサンゼルス中心部ではなくヴェニスビーチに住み、孤独を愛する。(パンクバンドのボーカルと離婚し、画家ジュリアン・シュナーベルの娘とも別れている。)馬を持ち、普通、インタビューには裸足で応じる。一日中マテ茶を飲み、カントやリルケを引用する。... 「これは宣伝が作り上げたイメージなんだ」と、視線をそらし、彼は答える。一方、ドライヤーの『ジャンヌダルクの受難』(1928)の話が出ると、彼は生き生きとして語る。「勢いを完全に保った、今日性を持った映画だよ。これも何より、ファルコネッティの解釈のおかげなんだ。」虚栄の火を知らない者が、火刑に処された者に身を焦がす:こうして輪は閉じられた。

translated by estel