Now Magazine  2005.9.8 - 14 原文
ヴィゴ・モーテンセン

セクシースターはディヴィッド・クローネンバーグと意外にも意気投合する

By WENDY BANKS

Now Magazineより

ヴィゴ・モーテンセンは、疲れていて、少しいら立っているような声だ。彼はこのインタビューをけさ一番のスケジュールに押し込んだのだが、ちょっとした家庭の用事が急に入ってしまった。それから2時間たった今、じっくり考え込み、時間をかけ、やや鼻にかけて引き延ばすようにして喋る彼のそばで、時折、激しく水が流れ、皿がぶつかる音が聞こえる。どうやら、彼は洗いものをしているようだ。そして、それはどこか不釣り合いな感じがする。なにしろモーテンセンは、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作のアラゴルンでスターになり、2002年にピープル誌の最も美しい50人に選ばれているのだ。今や彼は、ディヴィッド・クローネンバーグの完璧な作品『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で、知的で巧妙な、人を惹き付ける演技で本領を発揮している。

モーテンセンは、馬を愛し、世界を旅する。すぐれた詩人、画家、写真家でもある。また、写真や詩を専門にし、時には子供の本や、イラク占領を批判したエッセイ集なども手掛ける小さな出版社も経営している。

息子の世話や皿洗いといった普通の日常の仕事は、ほとんど的外れにも思える。

もちろん、それは違う。少なくとも、モーテンセンにとっては。だが、大勢のファンと、支持する宣伝キャンペーン、それに、面倒を見るべき家族を抱えている場合、ルネサンスマンでいることは容易ではない。

「写真展や本のサイン会などをすると、有名人ということで、少し奇妙な状況になった。映画の成功に伴う束の間の名声のために、今までより多くの人々が見に来るようになったんだ。」

それは、彼が本のサイン会をやめるという状況にまで達した。1時間で終わるはずのイベントが、結局、まる9時間も彼の時間を占めてしまったからだ。

「そこでこう思ったんだ。“結局、サインって何だ?とにかく、自分ができる時に、作品を制作しよう。それで、興味を持ってくれる人は持ってくれるんだから” って。」

彼はまた、20もの映画に出て可能な限り有名になり、手に入るだけの金を稼ごうとはしないことに決めたと言う。

「人によっては、それも一つの選択肢だったかもしれない。どちらがいい悪いという問題じゃない。何に興味があるかというだけのことだ。

「これまでは本当に忙しかった。そして、僕は物を作るのが好きだから、これからも常にとても忙しいだろうと思う。でも、リラックスしてやる方法もあるし、熱狂的に勘を頼りにやる方法もある。準備に細心の注意を払ったものでも、リラックスしてやれば、最終的にはより良い作品を与えてくれるんだ。

「ディヴィッドがこの映画を準備したように。そして、僕らにも自分なりに準備させてくれたように。」

クローネンバーグのことを言う時、彼の声は変わる。彼は急に生き生きとなる。

「(今回のように)監督と考えがぴったり合うと感じ、常に気軽に楽しく会話できたことは、今までおぼえがない」と彼は言う。

彼らは一致した職業倫理を持っていただけではない。奇妙でグロテスクなものへの理解も一致していた。

「撮影中には、奇妙なこと、時にはひどいこともよく起こった。きっと、彼が計画していた何らかの効果が、結果として実にうまく表れたんだろうね。その時の彼といったら、歓喜の表情を浮かべていたよ。」

彼は突然大笑いする。「彼のリアクションを見たら、こう思うだろう。”あぁ、この人はかなりビョーキだ!”って。僕はずいぶん笑ったのをおぼえている。しかも、大部分は彼のせいなんだ。彼の辛辣でばかげたユーモアのセンスのね。

「それにもちろん、誰かが明らかに楽しんでいる時は、それが他にも広まるし、雰囲気もリラックスする。もっと冒険ができるし、手探りながら、もっと楽にいくつかの障害を切り抜けることもできる。彼は誰とでも非常に協調的なんだ。みんなが繰り返し彼と仕事をするのには、ちゃんと理由がある。」

それは結果のせいもあるかもしれない。

「他の監督の映画なら、“あぁ、いいショットだ!あの爆発を見ろよ!いいね” という感じなんだ。技巧に目がいってしまう。初めて『ヒストリー・オブ・バイオレンス』を観た時は、非常に巧妙に作られていても、そんな風には感じなかった。即座に、ちょっとした不快感を感じたんだ。このトーンは何なんだろう?自分はこれが好きなんだろうか?本当にこれでいいんだろうか?

「つまり、これはクローネンバーグだとわかる。それならいいにきまってる。そして数分経つと、そんなことを考えるのはやめてしまう。彼の、奇妙で不快ではあるが、写実的なクオリティにだまされてしまうんだ。」

『ヒストリー〜』は、クローネンバーグの最も主流の作品と呼ばれているが、ある意味、それは正しいかもしれない。彼の特徴ともいえる現実の屈曲と曖昧さが含まれている一方、普段より穏かでありきたりな表面のもとで描かれている。マグワンプ [訳注:クローネンバーグ監督の『裸のランチ』に出てくるモンスター] もいなければ、ハイテク技術による仮想現実の世界も出てこない。はっきり目に見えて奇妙なところはほとんどない。

それは全て下に隠されている。

「人は表面上は全く普通に見える。会話は、時にはほとんど陳腐で、田舎町の、ほんとに普通のおしゃべりなんだ。でも明らかに、言葉と言葉の間やこれらの言葉に関連して、別の多くのことが起こっている。」

モーテンセンは、クローネンバーグの方法を、いわゆる「普通の生活」の脱構築とみる。すなわち、我々が何らかの正常感覚を得るために日常生活に組み入れた構造をさらけ出す方法である。クローネンバーグのねらいは、我々は実は決して安全ではないということだ、と彼は言う。

「この映画で見る短い暴力シーンはショッキングだ。飾り立てて刺激的に見せようとはせず、リアルに行われるから。残忍で、すばやく、恐ろしく、そして様々な結果をもたらす。しかし、そういう表面のすぐ下の、まさに人々の会話の中にも、ある種の暴力が常に潜んでいる。朝食のちょっとしたおしゃべりの中に、父と子の会話といった普通の事柄の中に、ある種の暴力的要素が隠されている。

「他の人間や自分の環境とうまく折り合う際に、人々はいつもそうだと思う。はえを殺すとか、雑草にスプレーをかけるとか、チキンを切り分けたり、子供の爪を切ったり、お互いに注射を打ったり、とにかく何であっても、常に何らかの種類の」と言って、彼は急に笑い出す。「恐ろしい行為、野蛮な行為が行われているのさ。」

translated by estel