Times Online  2005.5.12 原文
カンヌ映画祭インタビュー: Graphic depictions

By Denis Seguin

* 訳注: ストーリーに触れると思われる部分は、省略または要約してあります。

今回まさに恐怖に惹かれるデイヴィッド・クローネンバーグ

暴力の前歴はお持ちだろうか?多くの人はないだろう。だが、グラフィックノーベルの緊密なファンの間では、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』はジョン・ワグナーの最高傑作で、ワグナーはこのジャンルのチェーホフと見なされている。従って、自身暴力を描いた前歴のある映画作家デイヴィッド・クローネンバーグが、この原作を基にした映画を監督し、月曜日にカンヌで上映されることが発表されると、このコミックのファンは固唾を飲んだ。

グラフィックノーベルを映画にすることは、映画制作者の夢であろう。何といっても、すでにストーリーボードが読者の顔を見つめているのだから。本をめくるだけでも、陰惨な映画体験になると言っていい。なぐり書き風の線画に、アップの微細な描写。「ブシュッ、 ブシュッ、バシャッ」といった効果音が溢れる本文でさえ、弾が貫通し血が飛び散る様子を強く思い起こさせる。だが、固唾を飲んだ人たちも気の毒に。今まで平気だった人でも、この映画を観たら失神して死にそうになるだろうから。

一方、クローネンバーグは、グラフィックノーベルの存在すら知らなかった。彼のエージェントが送ってきたスクリプトには、『ロード・オブ・ザ・リング』を手掛けたハリウッド大手のニューラインが監督を探している、というメモがあった。

「多くの理由で魅力的だった。」サウンドトラックの最終調整を行っているロサンゼルスのミキシングルームで、クローネンバーグはそう語る。だが、原作コミックは、その理由の中にはなかった。「スクリプト変更の話し合いに入った段階で、初めて読んだ。原作を読む頃までには、スクリプトはかなりかけ離れたものになっていて、言及の必要すらなかったよ。」

それでも、「暴力の前歴」というタイトルは、かなりプロットを物語っている。インディアナ州の小さな町で食堂を経営するトムが、武装強盗を撃退した英雄的行為により全国的に有名になってしまう。それと同時に、都会のギャングの注意をも引いてしまうという話である。

まさにヒッチコックの「事件に巻き込まれた男」というジャンルの映画を思わせる。これがクローネンバーグの理由その1である。「よりはっきりした観客層という意味で、もっと一般受けするものをやりたかったんだ。」

だからといって、クローネンバーグがキレ(edge)を失ったと思ってはいけない。デイヴィッド・マメット[のThe Edge(邦題『ザ・ワイルド』)]を具体化するのに、クローネンバーグはかなり痛烈なので、その悪夢さえ彼を夢見るほどだ。とにかく、『戦慄の絆』(1988)の双子の婦人科医、『裸のランチ』(1991)のバグマシーン、『クラッシュ』(1996)といった力作を考えてみて欲しい。『クラッシュ』は、「大胆さ」ゆえに、カンヌの審査員特別賞を初めて受賞した作品である。

「大胆さ」はクローネンバーグの一時的離脱で、そろそろ、「極端」から「境界線」付近まで戻る時期である。映画作家はジャンルへと冒険した時に、商業的に最大の成功を収める傾向にある。『デッドゾーン』(1983)及び『ザ・フライ』(1986)でのクローネンバーグも例外ではなかった。スティーブン・キングやB級映画のようなホラーは、判で押したようなものになってしまうが、ジャンル映画なら、どんなに極端な部分もトリミングされる。

だが、『バイオレンス』の仕事獲得の話になると、「どうしても、その・・・」と、クローネンバーグは口ごもる。かすかに不快な味を我慢しようとするかのように。「実際、ニューラインに自分を売り込まなければならなかったと言っていい。それまでそんなことしたことがなかったし、僕の最近の作品は、いわゆる大手スタジオの映画じゃなかったからね。」

まさに『スパイダー』(2002)がそうだ。カンヌのコンペ部門二度目の参加作品で、一人の男の中に閉じこめられた少年をラルフ・ファインズが執拗に演じた。クローネンバーグは、資金確保のためにプロデューサーの役を押しつけられ、破産寸前まで追い込まれた。ここでクローネンバーグの理由その2である。ニューラインの仕事では、自分は「雇われガンマン」になろう。「そうすれば、フランスの色々な配給会社に、電話で投資を嘆願する必要もないだろうから。・・・映画作りで嫌なのはそれなんだ。今回は、資金不足で完成も困難な独立系の映画じゃないものをやりたかった。」

これがクローネンバーグの理由その3へとつながる。それは誰にもわかる動機、つまり、クローネンバーグは金が必要だった。「『スパイダー』では、我々の報酬は後回しだった」と彼は言う。「それを二度繰り返す余裕はなかった。少なくとも当分の間は。あの映画を作るのに2年もかかったのに、収入はゼロだったんだ。」周囲を満足させるためには、妥当な予算と観客主体が前提の快適な大手スタジオの作品に勝るものはない。

そこで、ニューラインからオーケーが出た時、「ミスター痛烈」がまずしたことは、トム役にふさわしくない男を選んだことだった。ヴィゴ・モーテンセンだって?彼はスーパーヒーローじゃないか。アラソルンの子アラゴルンに、揚げ物のコックの役をやらせるのは、モーテンセンのオーラに対する侮辱とも思える。実際、ニューラインのプロデューサーたちもそう思った。何といっても、『ロード・オブ・ザ・リング』をプロデュースしたのは彼らなのだから。 「僕はヴィゴがとても欲しかったが 、彼らには初めから考えがあったんだ」と監督は言う。

クローネンバーグの存在は、初めは目立たない。かがみ込むようにして、崇拝する女優に話しかけるのがいつもの彼だ。だが、彼の僧帽状の突き刺すようなまなざしに数分でもさらされれば、ダイヤモンドさえその台座から飛び出すであろう。ニューラインはひとたまりもなかった。

意外な配役はモーテンセンだけではない。クローネンバーグは、モーテンセンの時、自分自身の時と同様、ウィリアム・ハートについても会社側を納得させなければならなかった。この場合、彼には直接体験があった。クローネンバーグは、1994年のTrial by Jury[邦題『脅迫』、劇場未公開]というほとんど目立たない作品で、ハートと共演していた。一緒の出番はなかったが、躁病の刑事役としてのハートの演技は、この監督に長く印象を残した。だが、恐らくニューラインは、『蜘蛛女のキス』のスターということで好意的に考えたのだろう。監督はほくそ笑む。彼を観たら、観客は驚くだろうと。 ・・・

同様のことはモーテンセンにも言える。彼は、人生で最高の映画の経験となったことに感謝し、クローネンバーグに『ロード〜』のアラゴルンのトレーディングカードをプレゼントした。監督は言う。 「この映画でのヴィゴは、これまで観たことがないようなことを数々しているんだ。」

クローネンバーグは、わずかながら自己満悦して止まない。「僕はこれらの俳優たちにとって大きな魅力だったのだと思う。」前歴というのは常に役立つものだ。

translated by estel