Cinemania  2006.9 原文 | 英訳
ヴィゴ・モーテンセンインタビュー

by Carlos Marañón

「アラトリステはプライドに関する論文として見ることができる」

中つ国のヒーローが、スペイン黄金世紀にその剣を抜き、アルトゥーロ・ペレス・レベルテが生み出したキャラクターに勇気と人間味をもたらす。運が良かったから自分はここにいる、と彼は念を押す。我々には信じられない。

彼だ。捕まえろ。髭を剃り、帽子とマントを脱ぎ捨ててもいい。アルゼンチンのサッカーチームのユニフォームを着ていてもいい。でも、私たちはだまされない。アラゴルンはアラトリステになった。そして、アラトリステが今ここに立っている。私たちの目の前に。ヴィゴ・モーテンセンに姿を変えて。彼の他にはあり得ない。彼なくして、映画はない。

カピタン・アラトリステが馬で駆けた--いや失礼、ヴィゴ・モーテンセン(1958年ニューヨーク生まれ)がスペインを旅したのはこれが初めてではない。10年前、彼がまだ無名の頃に『My Brother’s Gun』に主演し、『ダイヤルM』からピーター・ジャクソンの中つ国に至るキャリアがスタートした。出世である。にもかかわらず、デンマーク人一家の中でアルゼンチンの田舎に育ち、後にアメリカに移ったモーテンセンは、生まれつき控えめであるようだ。アグスティン・ヤネスが再現したスペイン黄金世紀の冒険映画に完全に没頭し、この映画を心から誇りに思う彼は、アルゼンチン訛りの残る、けだるさのあるカスティリア語を話し、オーストリア人が治めるマドリードの暗い路地から出てきたようにはみえない静けさを発している。だが、万が一の場合に備え、警戒を怠らないのが一番だ。気をつけよ、アラトリステが剣を抜く!

ハリウッドスターがどうしてスペイン映画に?

ここにいるのは運が良かったからだよ。タノ(ディアス・ヤネス)と僕の共通の友人レイ・ロリガを通じて、スクリプトを送られたんだ。それを読んで気に入ったので、ドイツでビールを前にして会ったんだ。うまく進んでいるかと尋ねると、そうだと言う。とても運が良かったよ。本当にこの映画が気に入っているし、僕らが行った仕事を誇りに思っている。

アラトリステの何に惹かれたのでしょう?

このキャラクターと彼を取り巻く全てのことに非常に興味を持った。僕がすでに知っていることや、今現在アメリカで起こっていることに似ている点もあったし、僕の子供の頃のことや、アルゼンチンのガウチョたち、マルティン・フィエロ[訳注:ガウチョ文学の最高峰とされる、アルゼンチンの詩人ホセ・エルナンデスによる同名の長編詩の主人公]やその本の登場人物たち、そして、勇者たち(アラトリステの軍隊を彼はそう呼ぶ)にとてもよく似ているガウチョのライフスタイルを扱った本の人物にも類似点があった。そういうことや、アラトリステの生き方、プライドの誤った方向にも大いに関係があったよ。

プライド?

そう。『アラトリステ』は、プライドとそれがもたらす悪い結果に関する一つの論文と見ることもできる。スクリーンで見るにはとてもおもしろいが、実際そうやって生きるにはとても悲しい、というような。個人でも、国民全体でも。

カピタン・アラトリステは全くのスペイン人ですが、そういう人物をどのようにして演じるのですか?

すぐれたストーリーはみな普遍的なものだよ。僕にとって一番興味があっておもしろいのは準備の部分、撮影が始まる前の最初の調査の部分なんだ。タノにはわかるよ。僕はこの時代の歴史に関係のあることなら何でも興味があったから、彼に近寄って、その日の仕事とは全く関係ないストーリーについて質問したんだ。

あなたのレオン人の先祖のことを熱心に調べましたね。

僕はいつもそうするんだ。僕がスペイン語が話せても、アルゼンチンで育っても、そして、スペインの歴史と黄金世紀についてアルゼンチンで少し学んだけど、それはスペインの植民地だった国から見た考え方だったからで、全てがうまく機能し、僕が多少なりとも満足するためには、スペイン人に見えなければならなかった。正しいトーンを得るために、アクセントにも努力が必要だった。... スクリプトを読むまで原作は知らなかったが、それ(スクリプト)は僕が子供の頃に知ったことや、ガウチョや、その他、スペインについてあまり知らなくても自分に興味のあったことと関連していた。僕はスペインを旅して回り、できる限りの本を買ったり借りたりして読んだ。その時代について、イングランドや北ヨーロッパについて、スペイン人はどういう人々だったか、特に、スペインの兵士は外国人からどう見られていたかについての本などを。

なぜ彼はそんなに特別な人物なのですか?

アラトリステを通して、彼の目を通して、我々は、身分の高い者と低い者、金持ちと貧民、美しい者と醜い者を見る。... 当時のスペインに関して映画の中で見られる全てのことを。そのためにはケベードでも、アラトリステのような男と好んでつき合う者なら誰でもよかったかもしれない。でも、この兵士は、多少なりとも教育を受け、頭が良く、それでいて普通の人間なんだ。偉大な詩人ではなく。剣の腕はたつが、スペインで一番ではない。そこが鍵なんだ。彼はごく普通の男で、彼の目を通して、我々は人生のすべてが過ぎ去るのを見るんだ。

帝国の衰退の中で生きる一つの人生。何か比較になりますか?

すでにスクリプトの段階で、まだ今のように学んでいなくても、いろいろな類似点に気づいていたよ。アラトリステはアメリカ軍の特殊部隊の軍曹に似ていた。パナマに行ったり、エルサルバドルやチリ、アルゼンチンの悲惨な戦争に従事した兵士に...。

あの時代のスペインからなぜアメリカを連想するのですか?

フェリペ4世はブッシュとは違う。いや、彼の言葉が記録に残っていないからわからないし、彼がそれほど愚かだったかどうかはわからない。そうだった可能性はある。実は、彼は旅にあまり関心がなかったんだ。ブッシュのように。オリバレスのような他人の助言を受けるままになっていた。ブッシュのように。そして、帝国の財産を浪費した。ブッシュのように。今起こっていることは不名誉なことだ。まったく同じではないが、17世紀のスペインと非常によく似ている。ここ何年かで、彼は、アメリカの歴代大統領を全て合わせたよりも多く支出している。わが国の対外債務は信じられないほど多く、中流家庭の生活は悪化している ... 市民権の問題、世論の抑圧、メディアの統制、世界各地への軍の派遣 ... アメリカは、スペイン帝国のように、崩壊しつつある帝国で、ある程度の威厳や礼儀をもって行うのではなく、各地でトラブルを起こしているんだ。

アラトリステは軍人であり... そして闘牛士!

タノの家族に闘牛士がいるなんて知らなかったよ(ディアス・ヤネスは闘牛の銛(もり)うちの息子である)。でも、スクリプトの根底にはそれが表れている。そこにあるんだ。ここに来てから2004年にサン・イシドロに住んだ。僕らはカロ・バスケスとラス・ベンタスに行ったんだ。闘牛についてはあまり知らないけど、何度も通って手当たりしだいにビデオを見たんだ。闘牛がいいか悪いかは僕にはそれほど重要ではなかった。その雰囲気と 闘牛士のあり方の方が重要だった。特に何かが目当てというのではなく、ただ雰囲気、フィーリングに囲まれていたかったんだ。

この映画に登場する人物は皆生きるために戦いますが、それほど社会は良くなったのでしょうか?

今はもっと娯楽も多いが、いつもそうであるように、命令する者、権力のある者が、昔よりいいと我々に思わせたがっているだけだ。いや、物事はそれほど変わっていない。

あなたはスペイン映画界最高の俳優たちと評判を分け合っていますが。

ほんとうにすぐれたチームで、すばらしいキャストだとわかっていた。それまで見たことがなかったキャストメンバーの映画を見て、ユニークなキャストだと、始まる前から思っていたんだ。彼ら全員と仕事をしたいと思ったら、少なくとも10本の映画に出なければならなかっただろう。僕はラッキーだったよ。しかも、彼らのほぼ全員と、一緒のシーンがあるのだから。でも、普段はそういうことは忘れるんだ。仕事に行く時は、そういうことは全て忘れて、状況を見なければならない。来るべきことに備えなければならない。そして、このようにプライドの高いすばらしい男性、女性との出会いでは、毎日おもしろいことが起こる。どんな撮影でも、大作だろうが、ニ、三週間のプロジェクトだろうが、僕には関係ないんだ。仕事には変わりない。着いて、準備して、演じる。プレッシャーは同じ。『アラトリステ』でも、もっと小規模な作品でも、変わりはないよ。

ハリウッドではなくスペインで撮影するのはそんなに違いますか?

もちろん。スペインでの撮影は、イギリスやアメリカでの撮影とは違う。僕は前にもスペインでの撮影経験があり、北米の映画と比べて、初めは混乱して見えることを知っていた。でも、それはただ、あらゆることにそれなりのシステム、機能の仕方があるということで、僕はとても気に入っている。あの友好的な関係も、あの混沌とした状態も...その混沌から、何か、わざとらしさのより少ない、より信用できるものが生まれるから。

何てすばらしい雰囲気・・・

僕はほとんど毎日撮影があった。タノと共に。で、ほとんど毎日新しいキャラクターをやる俳優が現れると思うと、おもしろかったよ。豪華だった。しかも、これらの俳優たちは、この映画に対して、信じられないぐらい熱心だった。もしこれが、注意を払わなかったり物事を甘く見る、まぬけで傲慢な監督だったら、彼らは一方では良く言っただろうが、心の底では、それが表に現れて自分のことだけ考えて行動しただろう。ところで、ブランカ・ポルティーリョだけど、フランスで賞を獲得したばかりのすぐれた女優で、複雑でとても難しいシーンがいくつかあったが、結局、僕たちはとても楽しくやれたんだ。僕らはセビーリァの人物の衣装を着て現れて(ブランカ・ポルティーリョも後にこの話を認めた)、とても楽しんだよ。

アメリカではそういう雰囲気を得るのは難しそうですね。

それは監督によるよ。デイヴィッド(クローネンバーグ)と一緒に『ヒストリー・オブ・バイオレンス』の仕事を終えたばかりだが、彼はとてもおもしろかったよ。でも、さらにその後、ウィリアム・ハートが現れた。何もかも持ってね。それもまた見物だったよ。『ロード・オブ・ザ・リング』もすばらしかった。ケイト・ブランシェットが突然現れて、しかも彼女はとてもおもしろいんだ。

ヴィゴ・モーテンセンがいなければ、『アラトリステ』はないだろうという印象ですが。

ノーー。それは全然違う。船のキャプテンは監督だよ。アグスティン・ディアス・ヤネスが全て面倒をみてくれた。必要とされる大勢の人々に囲まれて。原作にあって映画には出てこないものもあるが、映画に出てきたことは全て、そこに必要なもの、ストーリーに役立つものばかりなんだ。そういうことをするのが監督なんだ。僕らは彼に材料を与えるだけ。違う?そして、話し合いの必要な細かいことは常にあるが、知らなかったり、気にもしなかったり、プライドから、カメラマンや単なる俳優に提案できることなどどうでもいい、そんな監督が大勢いるんだ。

translated by estel