Esquire  2006.3
車で撥ねた動物を食べ、デンマーク語を話す。ヴィゴ・モーテンセンの魅力的なほど奇妙な世界

by Amy Wallace

ヴィゴ・モーテンセンはAMラジオをよく聞く。この47歳の俳優は、正確には、この趣味を楽しんでいるわけではない。だが、保守的なトークジョッキーがぶちまける痛烈な批評を何千万人ものアメリカ人が聴いているのなら、自分も聴くべきだと思っている。どんなことが話題になっているか、彼は聴きたいだけなのだ。

しかし、昨年の夏の終わり頃に聴いたことは、彼には理解しがたかった。8月のちょうど中頃、シンディ・シーハンは、ジョージ・W・ブッシュ一家の私邸に近い、テキサス州クロフォードのはずれの暑く埃っぽい道路に、おんぼろのトレーラーを停めた。カリフォルニアに住む母親であり、元[セントメアリ・カトリック教会のユース]ミニスターである彼女は、イラクで戦死した息子ケイシーについて、大統領と話をしたいと思っていた。そこで彼女は、ブッシュの車列の通り道にキャンプを張り、彼を待つと誓った。

ヴィゴ(ヴィーゴゥと発音)には、シーハンが、自分が尊敬するような人物に聞こえた。誠実で、勇気があり、自ら進んで権力に異議を唱える人。しかし、AMラジオでは、彼女は酷評されていた。ショーン・ハニティは、彼女を、変人、家族のはみ出し者、悪い母親と呼び、ビル・オライリーは、「自国を嫌う急進論者」と呼んだ。[訳注:ハニティ、オライリーは保守系ラジオ番組のトークホスト。]

ヴィゴには人生の指針とする信条がある。「できるなら自分で行って確かめよ。」そこで、彼は荷物をまとめ、ロスからダラスへ飛び、レンタカーを借り、クロフォードまでの90マイルを走った。彼は一人で予告もなしにやって来た。初めての人と会う時にはほとんどいつもするように、贈り物を携えて。新鮮な野菜、ボトル入りの水数本、そして、ジョージ・オーウェルの『動物農場』。

モーテンセンの姿を見て、シーハンの意気が高揚したと思うかもしれない。彼の生き生きとした青い目、ツーバイフォーの先端のように四角く整い、くぼみのある顎、ビーフジャーキーのような無駄のない体格。しかし、彼女は真っ青になった。

「彼女には気味が悪かったんだ。」彼女の愕然とした表情を思い出して、今ヴィゴは言う。何が彼女をぞっとさせたのか、彼は後になってから知った。実は、シンディが息子と最後にしたことの一つが、『王の帰還』を観たことだった。モーテンセンを脇役から大スターにした『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の最後の作品だ。だから、ヴィゴが自分の方に歩いてくるのを見た時、彼女には一瞬、ゴンドールの流浪の王位継承者、アラゴルンしか見えなかった。そしてその瞬間、彼女は亡くなった自分の息子の存在を感じたのだ。

「全然知らなかったんだ」とヴィゴは言う。「僕はただ、彼女と話しをして、彼女の言うべきことを知りたかった。」それに、と彼はつけ加える。「ブッシュはすぐには出てこないだろうから、彼女に何か読み物でも、と思ったんだ。」

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午前11時半頃、LAで最も古いアイリッシュパブのスイングドアから、ヴィゴが勢いよく入ってくる。色あせた青と白のストライプのボタンダウンシャツに、配管工の作業着のような実用的なグレーのパンツ姿。古びた緑色のジャケットには、アメリカ国旗のバッジと、プラム大の水色の国連ワッペンをつけている。

ワッペンを褒めると、ヴィゴはポケットに手を入れ、私に一つくれる。そして、音節を一つ一つ区切ってはっきり発音する:「ユー・ナイ・テッド・ネイ・ションズ。」彼はクスクスと笑う。その驚くほどまぬけな笑いは、主役俳優というより、ビーバス&バットヘッド[訳注:MTVで放送され大ヒットしたアニメのキャラクター]といった感じだ。そして、こう付け加える。「いいアイディアだと思うんだ。」

1936年以来、トム・バーギンズ・タバーン(Tom Bergin's Tavern)は、ランチの前には--今もそうだが--酸っぱいビールのにおいのする、フレンドリーで格式張らない場所となっている。緑の厚紙のシャムロックが壁一面に貼ってあり、それぞれに常連客の名前が書いてある。フィッシュ・アンド・チップスにはステーキフライが食べられるし、樽ギネスもある。ヴィゴはそれを両方注文するが、声が小さいので、ウェイトレスも私も前かがみになって耳を澄ます。

彼はノートパソコンを持って現れたが、すぐにおどおどし始める。彼はどこかラッダイト[訳注:産業革命の際に機械破壊の暴動を起こした職工団員の名前から、機械化反対者の意]といった風だ。裸足でいるのが好きで、派手なハリウッドの行事の時でさえ裸足のことがある。最近サッカーを見始めたが、それまでは、カリフォルニア州ヴェニスの自宅にあるたった一台のテレビは映画鑑賞用だった。携帯電話は持っていない。

「僕は、ケータイも持っていない原始人って言われてるんだ」と言う彼は、がっかりした様子もない。だが、今日の彼は私に見せたいものがあった。彼が経営する小規模な会社、パーシヴァルプレスから近々出版予定の本数冊分のゲラである。PowerBook G4をさっと開き、肩をすくめ、そして言う。「誰だってこういうものに吸収されることはあるさ。」

ヴィゴのキャリアを変えた沈思黙考のアラゴルンの演技から4年の間に、わずか3つの役しか引き受けていないことを考えると、これは皮肉なコメントである。3つの役とは、2004年の人馬一体の大作『ヒダルゴ』のフランク・ホプキンス、昨年の政治的寓話『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で演じた、大きな秘密を持つ小さな町の男トム・ストール、そして、冒険ものの次回作『アラトリステ』の17世紀の傭兵である。ちなみに、最後に挙げた作品は、ヴィゴが話す4か国語の一つ、全てスペイン語による映画である。(彼はフランス語とデンマーク語も達者である。)

外国の映画、ヴィゴ?どうして今?

「もし僕の関心が、できるだけ有名になること、できるだけ金を稼ぐことなら、違ったやり方をしていただろうね。」ビールをすすりながら、彼は言う。「もし、本当にチャンスをものにしたければ、今がその時だろう。だけど、僕はこのとおり、すごく忙しいんだ。」

この数時間、そしてその後の一連の会話とボイスメール、Eメールでも、モーテンセンはこのリフレーンを繰り返す:時間の不足、全てを収拾することの難しさ。俳優になる前から出版経験のある詩人で、「ここぞという瞬間がおとずれた時のために」、今でもどこに行くにもノートを持ち歩く。絵を描き、写真も手がけ、その多くがロサンゼルスのギャラリーに展示されてきた。さらに、音楽と朗読のCDも出している。これらは、この俳優が彼の親友と呼ぶ青年で、18歳になる息子ヘンリーと、わずかの間21世紀によみがえったガンズ・アンド・ローゼズと最近ツAーを行った隠遁の前衛ギタリスト、バケットヘッドとのコラボレーションによるものである。

「ヴィゴのためなら何でもやるよ。」それだけでOKした貴重な電話インタビューで、バケットヘッドは、録音スタジオでの彼らのコラボレーションの様子を、言葉がなくても通じるのが普通、と説明する。「子供が遊んでる時って、わかるよね?とにかく遊んでいて、別に言葉を交わす必要もない。多分、そんな感じだよ。しっくりくる感じ。複雑だ、変だ、という気がしない。エゴなんてものが全くないんだ」とバケットヘッドは言う。彼は、セレブと期待されることをひどく嫌い、演奏の時は常にケンタッキーフライドチキンのバケットをかぶる。しかしヴィゴは有名になっても変わらない、と彼は言う。

「彼はいつも変わらない」とこのギタリストは言う。長い沈黙が流れる。「彼はこの時代の人とは思えないな。」

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彼は、スターになるずっと前から、一人前の男だった。ヴィゴは、家具を運び、街頭で花を売り、鉛を溶かす工場で働きもした。そして、世界各地に住んだ。マンハッタンの生まれだが、アメリカ人の母親とデンマーク人の父親は、彼のおむつがまだ取れない頃、一家で南米に移った。それ以来、ベネズエラ、アルゼンチン、デンマーク、ロザンゼルス、ニューヨーク州北部に住んだ。「僕にはふるさとがたくさんある」と彼は言う。

彼のよく整った、全く汚れのない顔が初めてビッグスクリーンに登場したのは、1985年のピーター・ウィアー監督の名作『目撃者』で、アーミッシュの農夫役だった。その6年後、ショーン・ペンは、監督としてのデビュー作『インディアン・ランナー』で、手のつけられない恐るべきベトナム帰還兵の役に彼を選んだ。ある批評家は、モーテンセンは「サム・シェパードをワルにした」ようだと評し、この役で「出世する」と述べた。

ヴィゴが成功すると言われたのは初めてではなかった。が、実際にはそうならなかった。1992年、"Edit"という詩の中で、彼は、時に役者につきものの無力感をこう表現した。彼はこう書いている。「演技とは、窓のない部屋で、自分ではなく他人が完成させる仕事。・・・一つの短い季節の間、自分として生きた人物が、削ぎ落とされ、取り除かれ、ポップコーンの臭うこぎれいな墓場になり果てる。」いい役を得るために、彼は何年も奮闘しなければならなかった。ひどい役もたくさん引き受けた。(彼は『悪魔のいけにえ3』にも出ている。)とにかく仕事をするために。彼はそのことに不満はない。

「ほとんどの役者が生活できないでいる」と彼は言う。「僕はこの4年間、十分な暮らしができて幸運だった。しかも、それ以前の数年だって、ある程度何らかの暮らしができた。金が底をついたこともある。でもその時だって仕事が見つかった。そういう意味で、僕は本当に運が良かった。」

アラゴルン役を引受けるよう父を説得したのは、ヘンリー・モーテンセンだった。ヴィゴはJ.R.R.トールキンの原作を読んでいなかった。ヘンリーは読んでいた。「やりなよ、パパ」と彼は言った。それで決まり、だった。

ヘンリーの母親はイクシーン・サーヴェンカで、パンクロックの象徴的存在であり、Xのリードヴォーカルである。Xは1980年代にロサンゼルスから生まれた最も影響力のあるバンドの一つである。彼女は、B級映画『サルベーション』のセットでヴィゴと出会い、 1987年に結婚した。その翌年に、ヘンリー・ブレイク・モーテンセンが生まれた。その後二人は離婚したが、親しい関係が続いており、一緒に息子を育てている。

ヴィゴは、ヘンリーの「映画を見る目」を自慢するのが好きだ。よちよち歩きの頃、映画館に『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を観に行くといい出した彼は、3時間ほとんど身動きせず、父の膝の上で映画に夢中になっていた。サンタモニカの映画館を出て歩きながら、ヴィゴは「どうだった?」と尋ねた。「ポーニー族がみんな悪いってわけじゃないよ。」ヘンリーが思慮深げにそう言った。そして、頭を反り返らせ、狼のように吠えた。ヘンリーが10歳の時、父が『タイタニック』の初日に連れて行った。二人は、いつものように、最前列のど真ん中に陣取った。映画が終わると、ヘンリーはヴィゴの方を向いてこう言った。「これ、船の映画にすべきだったよね。あんなばかな人間たちについてじゃなくってさ。」

約一年後、父と子は、ニューヨークからロサンゼルスまで、車の旅に出る。ヴィゴはヘンリーにルートを選ばせた。この少年が、自分の会いたい友人を全て書き入れたところ、地図はジグザグ線だらけになった。

「3千マイルのはずが、1万4千マイルにもなったんだ」と、ヴィゴは旅の結果を語る。ヘンリーが、メンフィス、シカゴ、ボストン、シアトルに行って欲しい--しかもこの順番で--と頼んだことを思い出しながら。「地図を見て思ったね。構うもんか、やっちまえ。だって、もうあといつ、こんなチャンスがやって来る?って。」

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ヴィゴのヴェニスの自宅近くにある文学アートセンター、ビヨンド・バロック( Beyond Baroque)では、毎週、詩の朗読が公開で行われている。ヴィゴは以前そこで朗読を行っている。元の妻イクシーンも。しかし、冬のこの日の午後、今度は彼らの息子が、初めての朗読を行おうとしている。ヘンリーのママが来ていて、後ろの列に座っている。しかし、父親は来ていない。

午後5時7分。ヘンリーがマイクの所に進み出る。身長185センチ、父親より7.5センチ背が高く、がっしりした体格だ。本来は金髪だが、今は学校の演劇のために、黒く染めている。見かけは父親にあまり似ていない。しかし、朗読を始めると、彼のソフトな声や辛口のユーモアのセンスはヴィゴそっくりである。最初は、国境の必要性に疑問を投げかける詩で、二つ目は、『革命の新たなる産物:ヤンキー・ゴー・ホーム!』という詩だ。ヘンリーが三つ目の詩を読み始めた時、今度は報われぬ恋についての詩だが、ヴィゴは『ヒストリー〜』のプロモーションの仕事から戻ったばかりで、空港から息子の元へ急いで向かっている。

ヘンリーの朗読が終わって20分後、この俳優は縁石のそばに車を止めて外へ出る。途端に、サインを求める人々に囲まれる。その中の一人が彼にこう告げる。「間に合いませんでしたよ。」そして、ヴィゴの目の前にペンを突き付ける。

モーテンセンは、映画のサポートのために文句も言わずに何ヶ月も働き、国内と世界を回ってインタビューを行い、公の場に姿を見せる稀な映画スターとして、ハリウッドでは知られている。特別な報酬もないのに、自分が出演した映画のスペイン語やフランス語の吹き替えも行う。それはファンへのサービス、と彼は言う。「僕には一つの職業倫理がある」と彼は言う。「僕はやると言ったからには、やるんだ。」しかし、時にそれがヘンリーとの生活に割り込んできては、彼の神経をすり減らす。

あの晩ヴェニスで、彼は息子を見つけ、お祝いのディナーに連れて行った。ヘンリーはそこで、父のために個人リサイタルを行った。しかし、何日経っても、ヴィゴはそのことに深く心が痛む。

「自分が間に合わなかったことが、とにかく悔しかったよ。」ある晩、彼は電話で私に言う。またしても『ヒストリー〜』のイベントで向かった、ニューヨークのあるホテルからである。向こうは真夜中過ぎなのに、神経が高ぶっているような声だ。

とにかく自分自身を見失わないでいる勇気を、子供に教えていくのは大変なことだ、と彼は言う。しかも、父親が有名人の場合はさらに大変だ。両親がどんなにその子を守ってやっても、自分らしくあるだけでは十分ではない、というメッセージをその子に伝えなければならないからである。ヘンリーの詩の朗読に押しかけたサイン目当てのファンのことを思い出し、ヴィゴは険しい表情になる。

「あの子の大切な日だったのに」と彼は言う。「あの子のための一日だったのに。」

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デイヴィッド・クローネンバーグは素直に認める。「ヴィゴを誘惑することが僕の狙いだった。」モーテンセンは作品選びにうるさい、監督は事前にそう注意を受けていた。だから、二人が初めてLAのホテル、フォーシーズンズで会った時、クローネンバーグは、この俳優の虚栄心以上のものにアピールしなければならないとわかっていた。彼は、ヴィゴに主演を望む映画、『ヒストリー〜』の政治的背景の議論を始めた。

「ブッシュやイラクについて、また、アメリカはどこへ行くのかとか、アメリカ自体の神話について、僕らは大いに語り合った」とクローネンバーグは回想する。「一人銃を持って立つ男のイメージについて語り合った。彼が攻撃されたら、そこから先、彼がどんなことをしても正当化される。それがどれだけアメリカの価値観の一部であるか、それがこの国の外交政策になった場合にどれだけ恐ろしいことになるか、ということをね。」

クローネンバーグは、モーテンセンに主役をオファーしたが、イエスともノーとも聞かずに帰った。その後、電話が鳴り出した。ヴィゴは、5日連続で、その企画を話し合うために電話をした。

「僕は徐々に気づき始めた」とクローネンバーグは言う。「彼に関する限り、僕らは一緒に映画を作っているんだ、ってね。」

その結果完成した作品は、ゴールデングローブ賞の最優秀ドラマ部門にノミネートされ、国内でも海外でも好成績を挙げている。映画のサポートで一緒にヨーロッパを回っている間、二人の間には、クローネンバーグが「我々のちょっとした巡回興行」と呼ぶものができ上がり、実質それは、相方の口から何が飛び出しても熱心にうなずくこと、という協定になった。マドリッドの記者会見で、クローネンバーグと一緒に仕事ができてどうだったかと聞かれた時、ヴィゴはこの協定の境界線を広げた。「実際、かなりひどいものだよ」と、完全な真顔でヴィゴは答えた。「彼は人を辱め、貶めるのが好きで、敵意に満ち満ちている。時には水を飲むこともあるが、自分の尿を飲むしかない時もある。」監督は厳粛な態度を保った。ヴィゴによれば、このエピソードを事実として掲載した新聞があったそうだ。

その新聞のために言っておくと、モーテンセンは、この手のヘンテコなことを何度もやっている。彼の演技へのアプローチは、ビョーキすれすれのように思われる。『ロード〜』のセットでは、撮影用の衣装を身に着け、しばしば戸外で、何週間も寝泊まりした。戦闘シーンで歯を折った時は、接着剤をくれと言った。車でウサギを轢いた時、それを拾い上げ、あぶり焼きにし、そして食べた。

それは全て基本的なこと、つまり、リアルであることに関係している、と彼は言う。そういう理由もあって、ニューラインシネマのマーケティング部門が、『ヒストリー〜』の当初の宣伝ポスターにある彼の写真を修正した時、ヴィゴは激しく反対した。上唇の上にある傷、17歳の時に酔って有刺鉄線に引っかかった時にできた傷がなくなっていたのだ。皺もなくなっていた。

「あれは有名なヴィゴ論争になったよ。彼は本当に腹を立てていた。」ありのままを描くよう、ポスターが直ちにかきかえられたことを思い出し、クローネンバーグは言う。「彼は今の自分を恐れてはいないんだ。」

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「スターの地位はヴィゴには少し遅れてやってきた」と語るのは、カリフォルニア大学アーヴィン校の歴史の教授で、モーテンセンの良き友人マイク・デイヴィスである。二人は華やかなハリウッドの外で出会った。デイヴィスがパーシヴァルプレスに二冊の子供の本を書いた時である。「十分に認められていながら有名ではない状態が非常に長く続いたことで、彼はそういうことに無力になっているんだ。」

ところが、『ロード〜』以降、ヴィゴファン--その多くは女性--の傾倒の度合いが一段階上がった。デイヴィスにはそれが少し怖くもある。

「一つのタイプがあるようだ。20代後半か30代前半の魅力的な女性が、近づいてきて、まるでスターゲートを発見したようなことを言うんだ。」サンタモニカのある書店での朗読会のことを思い出して、デイヴィスは言う。その時モーテンセンは、「ナサニエル・ウェストの『イナゴの日(The Day of the Locust)』から抜け出したような大群衆のファンに取り囲まれたんだ。ファン道の究極は、神と崇める有名人を殺してむさぼり食うことだと思うので、僕は隠れたかった。彼は全くたじろぎもしなかったよ。」

性格として、ヴィゴは、ウェブサイト--たとえばViggophile.netのような--の良い面を見ることにしている。彼の「キュートなおしり」を話題にし、あるサイトが実際そうなのだが、自らを「ヴィゴのおいしさが全て集まる場所(the home of all things Viggolicious)」と宣言するサイトの、である。一つには、この名声があるからこそ、彼が関心のあることに注目が集まるのだ、と彼は言う。映画作りにも役立つし、自分の本の売り上げの後押しにもなる。今度はそれが、彼が尊敬する作家が出す本への資金提供にも役立つ。稀なケースだが、他では沈黙を求められた考え方に光を当てることもできる。

そういう目的で、彼は自分の新しいCD"Intelligence Failure"をシンディ・シーハンに捧げている。彼女の声は、他の大勢の声(ブッシュ、コンドリーザ・ライス、ディック・チェイニー、もちろんヘンリーの声も含む)と共に継ぎ合わされ、イラク戦争への一つの批判を作り上げている。シーハンはまだそれを聴いていないが、その中に加えられたことは「名誉であり、大変感激している」と彼女は述べている。

12月の中旬、彼女が2003年のクリスマスに息子と『王の帰還』を観た約2年後、シーハンと連絡を取った。「驚きだったわ」と、ヴィゴのキャンプケイシーへの訪問について彼女は言う。「ヴィゴのような有名人はほとんど現れなかった。大部分は普通のアメリカ人だったわ。」

モーテンセンもそうだが、シーハンも、映画スターより普通の人々のサポートの方が重要だと強調する。それでも、この俳優が「『ありがとう。この立派な仕事を続けて下さい』と私に言いに来てくれたこと、それは、私がやめずに続ける大きな励みになった。それは確かよ」と彼女は語る。

それは短い出会いだった。話したのはわずか20分ほど。そしてヴィゴは、その日のうちにカリフォルニアに戻らなければならないから、と言って別れを告げた。シーハンは、彼が言った理由を聞いて唖然としたことを思い出す。「息子を学校に迎えにいかなければならないから、って彼言ったのよ。」

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ヴィゴと私はセックスについて話している。

私は、『ヒストリー〜』でのマリア・ベロとの激しいラブシーンについて尋ねた。夫と妻の口論が、突然、彼らののどかなファームハウスの階段での乱暴で荒々しいセックスに変わるシーンである。レイプだと言う人もいて、モーテンセンもクローネンバーグも辟易する。しかし、1970年代のスリラー『赤い影(Don't Look Now)』でジュリー・クリスティとドナルド・サザランドが見せて以来、これほど複雑で、これほど切迫し、これほどリアルに見える夫婦間のセックスはない。

映画好きの女性に、最もセクシーな映画のシーンは?と尋ねてみなさい。デニス・クエイドがエレン・バーキンを「いかせる」『ビッグ・イージー(The Big Easy)』や、ケビン・コスナーがスーザン・サランドンの足の爪を塗る『さよならゲーム(Bull Durham)』といった、昔の「控えの」作品を難なく挙げた後、1999年の独立系の隠れたヒット作で、すり切れるほど観た『オーバー・ザ・ムーン』をほぼ間違いなく挙げるだろう。その中でモーテンセンは、ダイアン・レインの窮屈な世界を揺るがすヒッピーを演じている。彼が滝の下で彼女を誘惑し、やさしくしかし粘り強く、彼女のためらいを渇望へと変えていくシーンは、それはもうホットである。

『ヒストリー〜』の問題のシーンは肉欲を超えたものだ、とヴィゴは言う。それは、「単に肉体的なことではなく、それ以上のことを描いている。主導権のかけひきを描いているんだ。人間関係はみなそうだ。たとえ、うまくいっている時でも。」

そんなコメントの後は、どうしたってヴィゴのラブライフに話をもっていきたくなる。「僕は個人的なくだらない話はしない」とヴィゴ。「わざわざ何でもしゃべると、とんでもない後悔をすることになるからね。」

私がこの話題に迫れるのは、せいぜいここまでである。

私:女性の話をしなくちゃ。だって、あなたは生きている男性の中で最もセクシーだもの。

彼:じゃぁ、死んだ男には、もっとセクシーなのが大勢いるんだ?

私:ええ。あなたの何倍もセクシーなのがね。それとあなたの女性関係とどんな関係が?

彼:全然ないよ。

もう一度トライする私:あらゆる女性の空想の的になるってどんな感じ?「人によっては、こんな感じかな。『すごいよ!だからこの仕事をやってるようなものさ』って。でも僕にとっては、エキサイティングなことじゃない。誰かが自分を見つめていても、ほとんどの場合、どんな人間かを見てくれているわけじゃない。どこか所有物になってしまうんだ。」

どうしても話題を変えようと、彼は私にPowerBookをよこして、彼の死んだ犬についてのエッセイを読むよう促す。これは、まもなく出版される、彼の言葉と写真を集めた本"Linger"に収められている。この『ブリジットへの手紙』は、昨年の夏、サンフェルナンドバレーの火葬場へ、15歳の犬の凍った死体を届ける物悲しい車中の出来事について語られている。彼は、ブリジットを安楽死させた獣医から連れてきた後、密封した青いプラスチックの袋に入ったブリジットを後部座席に置き、405号線を北へ向かった。彼は泣いていた。突然、ラッシュアワーの交通渋滞でブレーキを踏んだところ、ブリジットが床に投げ出された。速度をゆるめて路肩に車を停め、彼は初めて袋の中を見た。

「お前の首輪ははずしておいた」と彼は書いている。「ヘンリーがそれをブレスレットとして手首に二重に巻いているのを僕は知っていた。」だが、その時彼は気がついた。この犬には首輪がある。

その犬はブリジットではなかった。

私はパソコンの画面から目を上げた。彼は悲しい表情、あるいは少なくとも、深刻な表情をしているのだろうと思った。ところが、滑稽にも、彼はほほえんでいた。「悲しかったよ」と彼は言う。「でも、おかしかったんだ。」

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2004年、「役者の政治観が『指輪』を汚す」という見出しで、保守派の映画評論家マイケル・メドヴェドがUSA Todayの中でヴィゴを攻撃し、「平和主義者の自己満悦」だとして彼を激しく非難した。ヴィゴは、雑誌『タイム』のリチャード・コーリスが、旅の仲間は「イスラム原理主義の狂った一派に今や包囲された西洋民主主義」を象徴するものだと述べ、自分はそれが誤りだと感じたからこそ『ロード〜』の政治的意味について語ったのだと指摘して、自分の立場を弁護した。

ここトム・バーギンズ・タバーンで、私たちは愛国心について話し合う。彼は服の襟に留めたアメリカ国旗のバッジに手を触れる。彼は言う。シーハンに会いに行った時、クロフォードの「ブッシュとブッシュ的なもの全て」に傾倒する数多くの店の一つに立ち寄った。そこで、大きな厚紙に国旗のバッジがたくさん飾られているのが目に留まった。彼は一つ残らず買った。

「この中の一つを誰がつけたっていいじゃないか、って思ったんだ。」わざと驚いた表情で彼は言い、また一つ私にプレゼントをくれた。

保守派が自分たちのものだと主張するアメリカのシンボルを取り戻そうとしているわけ?彼はうなずく。

だが、それから6週間、彼は国旗とその意味について、自分の考えを編集し、建て直すことになる。

「皮肉はさておき」と、彼はある時私に書いている。「アメリカ国民の中で、分析の鋭い人々、あるいは軽い好奇心のある人々をも社会的に無視するため、チェイニー・ブッシュ政権が用いてきた最も有効な手段の一つは、愛国心がないと非難することだった。... 自分は愛国者だと言ったから、愛国者になるのではない。国旗のバッジをつけること自体は、何の意味もないんだ。」

後に、彼は電話でその意味を明らかにする。「肝心なのは、我々がどうあるか、何を言い何を行うかということであって、何を身につけるかということじゃないんだ。」

だが、私のお気に入りの説明は、ボイスメールのかたちでやって来る。

「やあ、ヴィゴだけど。旅先からなんだ。いつものようにね。」私の留守電に彼は言う。疲れているような声だ。「君は『取り戻す』というようなことを言ったよね。国旗を。で、僕はそれを取り戻すというふうには見ていないんだ。国旗はいつでもそこにある。だけど、シンボルとしての使われ方になると、それに賛成か反対ということになる。中間ということはないんだ。僕らは、国とはおそらくこういうものだろうという部分に、食ってかかっているのだろうね。」

彼はため息をつく。「だから君の言う通りだったよ」と話を結ぶ。「だけど、僕は絶対にそんな風には言いたくないんだ。」

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「ビールを飲む時間はある?」とヴィゴが尋ねる。食事も済み、インタビューも済み、居酒屋から出ようとするところだった。バーテンダーに時間を尋ねる。3時45分。ヘンリーが間もなく帰宅する。ビールは時間がかかるだろう。

彼はジェムソン[訳注:アイルランドのウィスキー]を2人分注文する。「無理して空ける必要はないから」とやさしく言って、自分のを飲み干す。

駐車場で、彼は自分のトラック--弟の一人から借りた黒のピックアップトラック--のところで立ち止まり、最後のプレゼントを取り出す。亡くなった消防士を追悼する赤いゴム製のブレスレット。彼はそれを私に手渡し、さよならを言う。

私は彼の車の真後ろで、車の通りに出るのを待っている。すると、彼が飛び降りて、私にウィンドウを下げるよう合図する。ラジオでおもしろいのをやっているからと言い、ラジオをつけるように促す。彼のスピーカーから流れてくる音が聞こえる。それはAMラジオのトーク番組で、がんがん鳴り響いていた。

translated by estel