Hoy Sociedad  2006.9.3 原文 | 英訳
今のアラトリステたちを直視できない

『ロード・オブ・ザ・リング』のスターが、最も高額なスペイン映画で、ペレズ・レベルテの生み出した人物に命を吹き込む

By Oskar L. Belategui(バルセロナ)

『アラトリステ』の出演者たちは皆、彼らがフランドルの歩兵連隊でまばたき一つせずに従うであろうヴィゴ・モーテンセンについてのエピソードを一つは持っている。たとえば、エドアルド・ノリエガには、『ロード〜』の王アラゴルンが何週間も歩き回ったレオンの山々からのチョリソーやアルファホール[訳注:アーモンド・クルミ・蜂蜜入りのお菓子]を贈った。ウナクス・ウガルデはある日うっかり、Sugusキャンディーが好きだともらした。部屋に上がって行くと、たくさんのキャンディーで床に彼の名前が描かれていた。

禅の静けさ。それが、このニューヨーク出身の俳優が発するもの。これまでで最も高額なスペイン映画の表看板で、この映画が国際的に興行成績を上げるのに、最も頼りとされる人である。モーテンセンは、けだるさのあるブエノスアイレス訛りのスペイン語を話す。マテ茶を飲み、「心に君を連れて」と書かれた布のブレスレットと、サンロレンソのメダルをつけている。バルセロナでの休む間もないプロモーションで、話題が『アラトリステ』を離れ、多方面にわたるアーティストとしての活動に移ると、彼は喜んだ。彼は5冊の写真集を出版し、絵を描き、詩も書く。

レオンの山で何を見つけたのですか?

たくさんあるよ。おそらく自分ではまだ気づいていないことも含めて。僕は、どの方向に向かうのかも知らずに、直感で自分の役柄を作り出すんだ。アルトゥーロは、その本の中で、アラトリステは旧カスティリアの出身だと述べている。アラトリステの出身はレオン北部だろうか?と尋ねると、全くその通りだ、と彼は言った。まさにその地で、アラトリステのような話し方をし、彼のような生き方をしているように見える人々を見つけたんだ。やや無愛想で、飾り気がない。正面に家紋が埋め込まれたつつましい家々も見た。そこに住んでいた人々は、子供たちをアメリカ大陸での戦いのために、フランドルに送り出したんだ。オリバレスやカルロス5世の汚い仕事をするために。

17世紀のスペインの権力と、あなたの国である今日のアメリカとの間に類似点は見られますか?

それは、現在の帝国について考える余地を与えてくれる。残念なことに、未だに同じことが起こっている。人々を治める立場の人々が、自分たちが悪いことをしている、国の金を使い血を流しているとは認めたがらないんだ。我々は、アラトリステのように、外国で、我々を恐れ嫌う外国の人々と一緒にいる。アラトリステが今イラクにいて、翌日にはその町が地元住民に攻略されると知りつつ、ファルージャに侵攻していると言うこともできる。アメリカ帝国は、スペイン帝国のように、優雅さと憐れみをもって崩壊する代わりに、癇癪を起こした子供のように、周りのものを破壊しながら死ぬ方を選んでいるんだ。

今のアラトリステたちに何と言いますか?

話しかける言葉もないよ。彼らの目を見ることもできない。僕と同じ年で、最初のイラク戦争で軍曹だった兵士たちを知っている。そして、彼らがその争いがばかげていると思っていることも知っている。でも、彼らは仲間のためにそこにいるんだ。

『アラトリステ』の撮影の後では、スペイン人がより理解できますか?

17世紀と変わらず、誇り高い人々だよ。彼らが、この国と映画は地味だと言うなら、それは嘘だよ。昨晩、ゴシック地区を散歩していたんだ。すごい建物!すごい芸術だよ!『アラトリステ』はスペイン映画の新時代をスタートさせたけれど、それは、アメリカのスタイルに従って、高予算の映画が山ほど続いて来ることを意図したものではない。経済的手段が全てではないんだ。君たちの歴史、君たちのアートを生かすべきだ。

アーティストであること

あなたのようなワールドトラベラーが落ち着く場所はどこなのでしょう?

くつろげる場所はたくさんあるよ。僕は子供の頃も、役者としても旅をし、今も旅を楽しんでいる。これまでの長い間で、一つ確実なことがある。それは、他の人と自分を結び付けるものの方が、隔てるものよりも多いということ。お互いを理解することができるはず。自分でもそれを証明したよ。フランドルの戦いを撮影している時、もしかして僕は先祖の一人と戦っているかもしれない、と思うとおもしろかったよ。父の5人の兄弟には、金髪と黒髪と両方いる。僕は両方混じってるんだ。

リドリー・スコット、ブライアン・デ・パルマ、ピーター・ウィアー、ガス・ヴァン・サントといった監督の下で仕事をしましたね。ハリウッドについてどういう認識をお持ちですか?

あまり考えないよ。そこへは少し用心して行くけどね。あまりいいとは思えない映画もたくさん作ったけど、生計をたてる必要があったからね。他のすばらしい俳優たちと比べ、この数年、僕はある程度コンスタントに稼いできた。少し有名になると何でも選べると思われている。唯一のオプションは「ノー」と言うことだと。でも、僕が映画を作りたいと思っても、監督にその気がなければ...

「ノー」と言うオプションを実践していますか?

かなりね。

お友達のデニス・ホッパーがリルケを解釈して、創造がなければ生きることはできないと断言していますが。

僕はそんなふうに考えたことはない。もちろん、そうかもしれないけど。一人でいることに不満な人もいるが、僕にとって、一人の生活は糧となっている。今プロモーション中で、機会が少ないけれど、いつだって、夜抜け出して散歩することができる。僕が一人の時は、何もしないで浜辺に座っている、なんてことはしたくない。世界を観察し、世界とコミュニケートしたいんだ。僕のやり方は、解釈し、再現すること。捕らえるためではなく、それを忘れないために。

自分をアーティストと考えることはうぬぼれだと思いますか?

ノー。誰もが皆、たとえ絵を描いたり映画を作ったりしなくても、アーティスティックに生きることができる。僕にとって、アーティストであるということは、アーティストのように生きること、自分の周囲に対してオープンなままでいることなんだ。物事を観察し、何か再生不可能なもののように受け止めること。それは理解する価値がある。たとえ自分自身への描写のためであっても。アーティストであることは、意識し続けることで、みんながその能力を持っていると思う。子供たちはそれを持っていて、大人になるにつれて、それを失うんだ。

運があなたの人生を導いているのですか?

みんなと同じようにね。何を得たいかということは、全く役に立たないんだ。僕は不平不満を言う。息子が学校に行かなくちゃならない、この本を読み終えなくちゃ、買い物に行かなくちゃ、皿を洗わなくちゃ、って。そういう日常の仕事を省略しなければならない時がある。ちょっと前に、一人の友人が訪ねて来て、食事に行く暇があるかと僕に尋ねた。僕は仕事がたくさんあった。出版社の仕事にずいぶん時間を取られるんだ。もう少しで断るところだったよ。でも、一晩ぐっすり寝なかったからといって、この世の終わりじゃないし。もちろん、ノーと言わなければならない時もある。偶然と運命を信じること。だって、我々の人生を作り上げているのは、奇妙で予測不可能な出来事なのだから。目的地に達するよりも、希望をもって旅をする方が価値があるんだ。

仕事の時、恐れを感じますか?

いつもだよ。恐れがなければナーバスになってしまうだろう。僕のアクセントが、『アラトリステ』の問題になりはしないかとびくびくしていたよ。「映画はいいが、モーテンセンのアクセントがねぇ・・・」と言われながら、残りの日々を生きなければならないだろうって。

なぜ役者をやっているのですか?

忘れることと闘うために。感情と思考の生活は、記憶の認知と大いに関係がある。親戚に記憶障害を持った人がいて、僕は恐いんだ。物事を忘れたくない。物事をよく理解し、それらを僕の記憶の中にずっと留めておきたい。今度、僕の写真集を出す予定なんだ。テヘランに行った時、後ろの部分に"I forget you for ever(私はあなたを永遠に忘れる)"と書かれた観光バスを見た。つづりの間違いで、"forever"がそうなっていた。どうやってお客を集めるんだろう?すてきなキャッチコピーだ。その時気づいたんだ。僕が不安に思っていることー病気の親戚、自分の年、世界で起きていることーは忘れることへの恐れと関係しているってことを。わかる?子供の頃、毎朝目が覚めた時、自分がいつか死ななければならないと思うと、恐いのではなく、腹立たしかったんだ。今は、朝目が覚めると、こう考えるんだ。「さあ、やってみよう。」人生は一度きりなんだ。

translated by estel