New Zealand Listener  2006.3.18 - 24 原文
ヴィゴ・モーテンセン

by フィリップ・マシューズ

俳優、詩人、写真家

2002年の『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のLAプレミアで、ヴィゴ・モーテンセンは、3人のニュージーランドのジャーナリストたちを「キーア・オーラ」[訳注:マオリ語で「ご健康を!」] の完璧な表現で迎えた。かと思うとその後で、その映画を中東におけるブッシュ=チェイニーの輝かしいミッションの比喩として扱っていたアメリカのメディア関係者に一撃をくらわせた。「ヘルム峡谷で包囲されている人々は、むしろ、アフガニスタンやイラクの現場の人々と共通点がある」と彼は述べて、ネオコンとの比較を逆転させた。スクリーン内外での、モーテンセン(47)の幅広い知性には恐れ入る。彼は、自ら経営するパーシヴァルプレスを通じて、詩や写真の本を出版し、環境問題や反戦に関するニュースを比較照合してまとめる。その上さらに演技も行う。彼の新作で、デイヴィッド・クローネンバーグの『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のプロモーションを行っている彼は、シドニーからListenerに次のように語った。

Q: これは『ロード・オブ・ザ・リング』以降まだ二作目の映画ですね。

V: 有名無名を問わず、俳優が持つ唯一の真のパワーは、「ノー・サンキュー」と言えることだ。『ロード〜』のようないい映画に出ると、「ノー・サンキュー」と言う機会も増える。うまくいくからといって、同じことを繰り返すのはおもしろくない。E.M.フォースターという作家を知ってるよね? [訳注:英国の作家で、『眺めのいい部屋』や『インドへの道』などの原作者(1879--1970)] 彼はこう言っている。「エジプトのアレクサンドリアを知る最も良い方法は、ちゃんとした予定も立てず、あてもなく、ただぶらぶら歩き回ることだ」って。僕も物事をそんな風に考えてやっている。

Q: クローネンバーグは巨匠ですが、彼の作品は観る人を二分しますね。

V: いや、彼をよく知ると、彼は両極端の評価を受けることなんて気にしていないと思う。むしろ楽しんでいるんじゃないかな。人間の行動や、人間の相互作用がもたらす結果を忠実に描いているアーティストなら誰でも論争の的になるだろう。人間は奇妙な存在なのに、ほとんどの人は、自分がどれほど変わっているか、どれほど矛盾した存在かを、自分では認めたがらないものだからね。選択の余地も無く、この世界に放り込まれるのは奇妙なものだよ。他の動物と違い、自分には限られた時間しかないことを知り、人間とは実際に苦しみ、病み、死ぬものだと知り、見方によっては、人生はつらいものだと知る。それを正直に扱えば、常に際どいテーマとなるだろう。だが、もし運が良ければ、そういうストーリーを扱いながら、それについてユーモアのセンスもある人と仕事をすることができる。そして、デイヴィッドは間違いなくそういう人だ。... 信じないかもしれないが、彼はとてもおもしろい人なんだ。僕らは毎日ずいぶん笑ったよ。

Q: この映画の撮影中に、ラルフ・ファインズ主演のクローネンバーグ作品『スパイダー』が公開されました。でも、アメリカには来ませんでしたね。

V: どうしてそうなったのかわからないな。ほかの地域とは違ったのだろう。ちょうどこの映画の場合と同じように、クローネンバーグは実にいい評を得ていたし、作品も注目されていた。でも、ごっそり賞を取ったわけじゃないし、結局オスカーの対象にもならなかった。『ヒストリー〜』は、『スパイダー』からおもしろい形で生じた作品だと思う。彼は、いつもしてきたことを引き続き行っている。それは、まるで機械やエンジンのように、人間をばらばらに壊すことだ。ただ、ここでは、体よりも頭脳をばらばらにしているんじゃないかな。むしろ心理の解剖で、その結果は常にやや薄気味悪いものになる。彼がそういう人間だからではなく、我々の方が薄気味悪い存在だから。観客として、そして、一つの対象として。

これは権力についての映画、権力の分配についての映画なんだ。それは、この男[モーテンセン演じる、2人の暴漢を殺す穏和な男トム・ストール]の行為により突如彼に喝采を送るミルブルックの人々でも、この映画を見ている人々でも同じことだ。観客は、クローネンバーグの暴力の描き方のおかげで、深いレベルで「共謀する」ことになる。家と家族または家と仕事を守る場合なら、正当化とまではいかなくとも、少なくとも理解はできる暴力行為の数々の場面を観れば、たとえ平和主義者でも少しは引き込まれる。ここに力ずくの行動をとる人間がいる--我々はまずこう理解する。そして、社会で実際起こっていることと比較することもできる。ハワードやブレアやブッシュが選ばれ続けているのはなぜだろう?行動力があるから。決断力があるから。いわゆる「リーダーシップ」を発揮しているから。リーダーシップとは何か?表面的には、それは、「私はやります。みなさんの安全を守ります。私には強い力があります。気遣う心があります」ということなんだ。

Q: パーシヴァルプレスにはどのぐらい関わっているのですか?

V: ウェブサイトの記事は、ほとんど毎日更新している。旅で何日か費やすこともあるけど、どこにいてもできるからね。ちょっとしたいろんなことも見つかるし。科学や自然について、自分で書くこともあるし、引用することもある。それから、編集作業もある。全ての本について、初めから終わりまで、最後印刷に至るまでやるんだ。

Q: あなたご自身の本の中で、『Miyelo』は、ネイティヴアメリカンのゴーストダンスを記録したものですが、それはどういういきさつだったのでしょう?

V: あの本の中心となっているのは、1890年にウーンデッドニーで起こった事件なんだ。僕はずっとあの事件に興味を持っていた。特に、ラコタ族の歴史には長年興味を持っていた。『ヒダルゴ』(2004)の仕事で、それについてさらに多くのことを学んだし、居留地の人々にも会うことができた。ゴーストダンスを踊っている人々の一連の写真も撮った。その時、こう思ったんだ。「まてよ、ゴーストダンスの歴史を知らない人たちのために、それも加えよう」って。さらに巻末には、このテーマに関するかなり広範囲な参考文献の一覧も付け加えた。あれはいいプロジェクトだったよ。本も人気があるんだ。

Q: それじゃ忙しいんですね?

V: うん。時間が10分あっても、自分でどうしたらいいかわからないことも時々ある。でも、何もしないでいることも好きだよ。機会があるとぶらぶら歩き回ったりしてね。

Q: 今回の映画でこちら[ニュージーランド]に来られないのは残念ですね。

V: そうなんだ。行きたかったよ。・・・聞くのはうれしいし。

Q: 再びキィーウィー[ニュージーランド]訛りをですか?

V: うん。今ここ[シドニー]にいるだろ。昨日着いたんだけど、時々聞こえるんだ。振り返るだろ、するとやっぱりそうなんだ。なつかしいよ。

translated by estel