Uncut DVD  2006.5 - 6
ヴィゴ・モーテンセンがUncut DVDに名声、暴力、クローネンバーグについて語る

by Stephanie Bunbury

Uncut DVD: デイヴィッド・クローネンバーグは、あなたを『ヒストリー・オブ・バイオレンス』に参加させるのに口説かなければならなかったと言っていますが。

Mortensen: 僕には、これは99%の監督がひどい映画にしてしまう脚本に思えた。一見して、宣伝目当ての平凡な映画になるのはいとも簡単だっただろう。腕のいいカメラマンなら、いくらか興味深い暴力が描けただろう。いくらか派手な感情的場面もやれただろうが、せいぜいそこまでだ。でも、今回はデイヴィッド・クローネンバーグだった。だから、なぜこの映画を作ろうとしているのか、彼に聞いてみようと思ったんだ。どんな風な出だしを思い描いているのか、どういう心積もりなのかを知りたかった。きっといい答えが得られるだろうと思って。そして、実際その通りになったよ。

クローネンバーグのやり方のどこが気に入っているんですか?

一定の見方で物事を見るように強要しないという点で、彼はストーリーの語り手としてすぐれた才能があると思う。彼の作品のほとんどは、この映画と出だしが似ている。「何が起こっているんだろう?何も起こっていないじゃないか。これはひどい映画か?いや、デイヴィッド・クローネンバーグだもの。大丈夫にちがいない。でも、あまりいい映画には思えないが」といった感じなんだ。観客がこういうことを自問していると、数分後にはそれを忘れてしまう。映画の中に入り込んでいるから。自分がそこにいて、それを観察していて、その一部になっているから。すると突然、居心地の悪さを感じるんだ。それはまるで、ドアを開けて人を部屋の中に押し込む代わりに、彼がドアを開けて自分から入って行き、人がそれを見て、「彼はそこで何をしているんだろう?」と言う、そんな感じだと思う。彼は、観客が自問するよう促すんだ。時には複雑な問いをね。そして、結局、彼はどんな答えも与えてはくれないんだ。

原作のグラフィック小説は読まれましたか?

最終的には読んだよ。いい作品だが、この映画とはあまり関連性がない。つまり、原作は過激さが売り物のホラー小説なんだ。

これはアメリカの銃文化を批判した作品だと解釈されていますが・・・

それでは単純すぎるよ。明らかに、それよりはるかに普遍的な作品なんだ。人間の行動について描いている。人は皆秘密を持っている。大なり小なり。そして、時に、落ちつかないほど正直にならざるを得ないような、何か思いがけないことが起きることがある。そして、それは直ちに興味深い心理状態となる。これは、スウェーデンの小さな町という設定で、イングマール・ベルイマンが監督してもおかしくない映画だ。これはアメリカについての映画ではない。暴力についての映画でさえない。

では何についての映画なのですか?

権力、主に男性の権力が、人々にどういう影響を与えるかを見るのはおもしろいと思う。自分の食堂で人を殺した人物が、なぜ賞賛されるんだろう?これはアメリカに限った問題ではない。これは、人間の一般的な状態の一部なんだ。「よし、いいぞ。彼はあの悪党どもを殺ったぞ!」と言うのが、人々の最初の反応だ。誰かが力ずくで行動するのを見て、人々はそれに拍手を送る。その方が自分で考えるよりも楽なんだ。

あなたが演じた人物は、誰も知らない過去を持っていたんですね。彼はうまく偽りの生活を送っていたと思いますか?

そこがおもしろい点の一つだ。だけど、実際はもっと複雑だと思う。少なくとも、僕にはそう思えた。だって、彼に2人の子供がいるのは事実なんだよ。他の誰のでもない彼の子供で、彼が子供たちを愛しているのも事実だ。彼は実際にこの女性と出会い、彼女と恋に落ちた。実際にこの家を所有し、請求書の支払いもしている。食堂を経営し、従業員を親切に扱い、彼らの面倒を見、地域の役に立っている。これは全て本当のことだ。だから、全てが嘘だとは言えない。我々自身のいかなる人間関係もそうであるように、もっとずっと複雑なんだ。

『ヒストリー〜』の結末はかなり自由に解釈できますね。あなたの解釈は?

今後どうなるかについて、少し...希望的観測はあるよ。明らかに、一つの選択があるという点が好きなんだ。つまり、ある行動に対してノーと言うことが可能だということ。もちろん、それがうまくいくかどうかの保証はない。トラブルが起こり、それでもそれに関わろうと決意した場合のようにね。それは、相手も自分に関わるだろうという意味ではない。うまく解決するだろうという意味でもない。だけどそれは、少なくとも、誠実な意思表示なんだ。

『ロード・オブ・ザ・リング』三部作のアラゴルン役で、あなたは事実上一夜にしてスターになりました。そのことで、あなたの人生はどう変わりましたか?

そんなこと考えもせずに22年間働いてきた後で、突然状況が変わっているんだ。道を歩いていると、人々が写真を撮りたがる。甥のため妹のためとかで。以前はそれに対処する必要なんか全くなかった。変なものだよ。うれしく思う一方、パブに入って一杯やれたらと思うよ。頭に来る時もある。だけど、ほら、数年も経てばきっと終わるさ...。

特典映像でわかった5つのこと

  1. カットされた「シーン44」で、エド・ハリスがヴィゴ・モーテンセンに撃たれて後ろ向きに吹っ飛んだシーンは、ワン・ショットで撮られた。
     
  2. ヴィゴ・モーテンセンは、魚の形をした貯金箱など、自分の役柄の説明となる様々な民芸品の小物でセットを飾った。モーテンセンが見つけてきたものの一つ、バス(魚)が描かれたTシャツで、セットに「魚の金曜日(Fish Friday)」の習慣ができ上がった。この日には、キャストとクルー全員が魚をテーマにしたTシャツを着た。
     
  3. ジョッシュ・オルソンの脚本には当初セックスシーンはなかったが、クローネンバーグが彼を説得して2つのシーンを書かせた。「ギャングのセックスシーン」と「チアリーダーのセックスシーン」として知られるシーンである。後者は、アメリカの主流映画における「69」の唯一の例であるとされている。しかも、これは夫婦間で行われる。
     
  4. さらにモーテンセンは、正しいフィラデルフィア訛りを習得するため、どんな極端なことでも行った。結局、車で走りながら、フィラデルフィア出身で、マリア・ベロのピートおじさんと話をし、これがテープで8時間にもなった。
     
  5. 映画はインディアナ州ミルブルックの設定だが、屋外のシーンは実際にはトロントのミルブルックで撮影された。クローネンバーグが郵便局にある町のシンボルが気に入ったからである。この映画でも見られる、町のシンボル時計は、この10年間、1時15分を指して止まったままである。 [訳注:2005年10月の時点で1時20分になったようである。]
     
translated by estel