St. Lawrence University  2003.3.1
ポエトリー・リーディング

Transcript By Topaz   [原文は The House of Telcontar の Forum に掲載]

関係者への感謝の言葉の後、最初に読んだのは “Clear” (“RECENT FORGERIES” “COINCIDENCE of MEMORY” に収録)でしたが、この詩については特にコメントはありませんでした(「特に説明はありません」というコメントはありましたが)。

"Hillside" ("Recent Forgeries" "Coincidence of Memory" に収録)

私たちが人々に対して言ったこと、発言について考えたこと、強く主張したこと、そして時に、過去に言ったことを人々が忘れてくれるんじゃないかと望むこと・・・言葉というのは、ぎこちないものだと思います。本当に感じていることを、ざっと表現しているに過ぎないと。それが、一個人から別の個人へ向けたものであっても、国のリーダーから自国民や世界中の人々に向けたものであっても。勇気を持って、考えていることをそのまま語ることは良いことだと思います。しかし、同時に何か発言する前に、言おうとしている事について少しだけ考える事も必要です。 自分は正直になっているか、思いやりを忘れていないか、私はそう問い掛けることにしています。では、“Hillside” を聞いてください。

"First Light" ("Coincidence of Memory" に収録)

次に読む詩は、ニュージーランド滞在中に書いたものです。NZには、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作の最初の撮影で1年半滞在しました。その後も、ほとんどのスタッフ・キャストは何度かNZを訪れています。実際、数ヶ月のうちには、また行くことになるのですが。NZは美しいことろです。私はそこで、たくさんのことを考え、長距離ドライブにも出かけました。なるべく遠い場所を選んでドライブしたんです。こういう機会はめったにありませんから。本当に美しかった。

この作品は、確か(一気に書き上げたものではなく。滞在中に長期間にわたって)色々な場面で私が考えたことをまとめたものです。例えば一人でドライブしている時に考えたことや、(ロスの)自宅に戻ることについて考えたこと、息子のこと、愛するもののこと、旅の間に見た景色のこと・・・。詩のタイトルは “First Light” です。

"Back to Babylon" ("Poets Against the War" サイトで発表された作品)

最近書いた作品を読もうと思います。サリバン氏(SLU学長)は、学内で行ったマーティン・ルーサー・キングについての講演で素晴らしいスピーチを披露してくれました(学校外にもそのスピーチは広まっているようですが)。その中で彼は、市民に与えられた権利についてある見解を示しました・・・私はこの見解に拍手を贈りたいのですが・・・世界における政府の現在の考え方や行動、また行動しなかったことについても、注意深く見守ること。これが市民としての権利だと彼は考えたのです。このスピーチについて、彼は激しい反論を受けました。私がこのスピーチについて深く考え、理解したところによれば、これは極端な意見でも、攻撃的なものでもなく、良識ある発言です。

中から一つ紹介しましょう。改めて取り上げる価値があるものだと思うので。「決して間違いを犯してはいけない。我々はとても危険な時代を生きているのだから。我々・・・我々というのは、私や皆さん、そしてその他のたくさんの人々を指しているのですが・・・我々は、大統領の設置した政治機構に対して立ち向かうことをしなければ、重大な危機に直面することになる」

これは、大統領が悪人だとか、アメリカ合衆国に反抗するとか、そういった意味ではありません。私の解釈では、彼は話し合うことを求めているんだと思います。もし、人々が現状について議論することさえ恐れてしまったら、それは危険なことだと思うのです。私たちがアメリカ合衆国と呼ぶこの社会は、基本的に素晴らしい精神によって成り立っています。それは、自分たちの生き方について言うべきことを言える、そして特に、どのように、誰によって統治されるのかについて発言できるということです。統治を託した人物が、私たちが持つ、政府が内外で行おうとしていることについて知る権利を故意に無視したり、弱めようとしたら。自分で行動を決めるという権利が否定されたら。それは、とても危険なことです。このようなことを彼は言いたいのだと、そして、私はこういったことを口に出して言うことは健全だと思います。

以上のようなことに関連した詩を書きました。それをこれから読もうと思います。タイトルは “Back to Babylon” です。

私は普段、ポエトリー・リーディングのような場所に、政治的なことは持ち込みません。そして、決して “これを信じろ” とか “あの行動が正しい” などと言うつもりもありません。ただ、今、議論することが、今まで以上に必要になってきていると思うのです。それが反対意見であっても、そうでなくても。そういった議論や疑問を投げかけることが、反逆に等しいという考えがはびこっています。そして、今、それがこの国にとって最も危険な敵となっているのです。この種の危険は、いつでも存在しています。民主主義の思想について、改めて学ぶ必要があるのではないでしょうか。詩と同じように、私はしっかりと見つめ続け、考え続けていこうと思っています。もう少し分かりやすく言うと、人との結びつきということです。例えば、兄弟、姉妹、母親、父親、妻や夫、祖父母・・・こうした人たちとの関係も、ただ生まれてくるものではありません。何もしなければ、人と人との間にハーモニーは生まれない。時には、人とうまくやっていくことについて、意識的に努力する必要があるのです。

合衆国が生まれて間もない頃、ジェームズ・マディソン(第4代アメリカ大統領)がこんなことを言っています・・・

この件については、これで最後にしますがとても興味深い言葉なので紹介します・・・。「人々の自由を阻むものとして、最も恐れられているのは戦争だろう。なぜなら、戦争は自由以外のものを芽生えさせ、育ててしまうから。戦争は軍隊を生み、負債や税金を増大させます。軍隊や負債、税金は、民衆を少数派の支配化に置くための道具なのです。戦争によって、政府が自国を自由に操る力は増し、民衆の力を制圧する方法として、精神を惑わせることまでが加えられてしまうのです」

"Matinee" ("Recent Forgeries" "Coincidence of Memory" に収録)

映画で私を知った人がほとんどだと思います。ここで、映画に関連した作品を読みましょう。時には冗談めいて、時にはシリアスに、俳優として感じたことを映し出したものです。詩や絵画や写真は、皆さんが気に入るかどうか、自分が気に入っているかどうかに関わらず、作る過程も結果も、すべて自分のものです。それとは対照的に、映画の世界では先ほど学長が引用してくれたように(訳注)、自分が青い色を提供しても、それがそのまま反映されるとは限らないのです。でも、私は製作の過程や人との関わりを楽しんでいます。最終的な結果に驚くこともあるんですけどね。

子供の頃、映画を観て感じたことを思い出します・・・これは、大人になってからも同じなのですが・・・スクリーンを観ていると、自然と物語の中に入って行くことができました。思いを巡らせることができるのです。素敵な本を読んで、どこか別の場所にいる自分を想像するのと同じように。生活の中で感じたこと、言いたいことについて、どんどん膨らませていくことだってできる。これは、物語や神話が持つ力です。人は、ただ生きているというだけで、詩の題材になります。詩に描かれるような人生を送りたいかどうかは、人によって違いますけどね。では、“Matinee” を読みましょう。

(訳注:ヴィゴを紹介する時に、学長が雑誌「Premier」に掲載された文章を引用しました。日本版3月号にも掲載された “結局のところ、俺は青しか塗ることができない” で始まる一節です。ちなみに、日本版3月号には “Matinee” も翻訳されて掲載されています。)

"Edit" ("Recent Forgeries" "Coincidence of Memory" に収録)

映画に関するものをもう少し・・・次に読むのは “Edit” という作品です。これは少し前、10年ほど前に書いたもの(訳注:1992年の作品)ですがその頃と状況は変わっていません。自分の気持ちとしては、俳優として当時よりも(撮影したフィルムが編集されることを)だいぶ受け入れることができるようになったし、撮影の終了日に(編集について注文をつけたりせずに)あっさりと立ち去るのがうまくなったとは思いますが。スクリーンに映し出される最終的な形がどうなろうと、それはそれで仕方がないのです。

"Keepsake" ("Recent Forgeries" "Coincidence of Memory" に収録)

今日読む予定ではなかったのですが・・・やはり読もうと思います。この作品は、12年ほど前にその頃まだ赤ちゃんだった息子を思いながら書いたものです。今日は、この作品を私の母に捧げます。グレイス・ライト・・・今日、この場所に来ているのですが・・・彼女に贈ります。

"Chaco" ("Recent Forgeries" "Coincidence of Memory" に収録)

スペイン語で書いたものを読みましょう。スペイン語が理解できる人たちのために。分からない人には・・・訳しましょうか?とても短い詩です。小さい女の子や男の子(女の子については確かじゃないけれど)がよく、こういった形で表現しますよね。想像の世界に入り込んで、巨大な敵に立ち向かったり。どんな時代でも、どこの世界でも、子供たちは同じだと思います。世界のどこに行っても、本能のおもむくままに遊んでいる子供たちから、学ぶことは多いと思います。神話や人類学、社会学、歴史、政治などの講義から学ぶのと同じで。子供のそばに座っている時間があれば、観察してみてください。素晴らしいですよ。まぁ、子供がいる人なら、いやでも見ていなければならないんですけどね。子供を見ていると、自分が子供だった頃、感じていたことを思い出します。未知のものへの恐怖や・・・私が思うに、そんなことは自覚していなかったんだと思いますが・・・死に対する恐怖、もしくは近くに潜んでいるお化けに対する恐怖と、どんなふうにつきあっていたか。この詩のタイトルは “Chaco” といいます。Chacoは、北アルゼンチンの州の名前で、私が子供時代を過ごした場所です。

(訳注:ヴィゴは、スペイン語で “Chaco” を読んだ後、それを英語に訳して披露したとのことです。House of Telcontarさんのコメントページに英訳が掲載されていましたので、紹介しておきますね。)

I shit in the jungle
like the monkeys
with their perfect
yellow teeth
having no fear of any tiger

"Communion" ("Coincidence of Memory" に収録)

ニュージーランドの滞在中に書いた作品を、もう一つ読みます。この本(“COINCIDENCE of MEMORY”)に掲載されている写真は、NZの他世界各地で撮影したものです。この(詩が掲載されているページに掲載されている)死んだ豚の写真は、ニューヨーク北部で撮影しました。では、“Communion” を聞いてください。

"Fossils" ("Coincidence of Memory" に収録)

もう一つ読みますね。これは、'91年か'92年・・・ちょっと待って、たまに、何年の作品か書いてないことがあって・・・そう、'92年の作品です。先ほど読んだ “Back to Babylon” は、お分かりのように今、世界で起こっていることについて自分がどう感じているか、意識的に綴ったものです。この国に生まれた者として、自分が感じている概念、海外の人々や自分たちアメリカ人がどのような危険にさらされているか・・・これは兵士たちに限ったことではありません。恐らく正当性のない行動や計画によって兆発され、行われようとしている破壊行為。これは、私たちを決して安全な方向へは導かないと思います・・・こういった状況から、あの作品は生まれました。

何かを作り上げると・・・詩や絵画、ふとした瞬間に口にした言葉でもそうですが・・・時間が経った後にしか気づかないことがあります。書いた当時に考えていたことが、後になってだんだん大きな意味を持ってくる。これから読む詩は、まさにそういったものです。“COINCIDENCE of MEMORY” (回顧録の部類に入る本ですが)に収録する作品を選んでいた時、この詩をもう一度見直してみました。この作品は、'91年に起こっていたことに深く関係しています。そう、湾岸戦争が始まった年なのです。皆さんがどう考えているかは別として、事実、過去11年にわたってこの戦争は止むことなく続いていました。12年目の今年もまだ続いており、エスカレートしている。この作品は、その戦争に関係しているようには見えないかもしれません。でもある意味、つながっている部分もあるのです。

私はこの詩を、イラクだけではなくアフガニスタンの人々にも捧げたいと思います。私の目には、彼らは本当に正当な理由なしに攻撃されているように見えるのです。不幸なことに、ワールド・トレード・センターで亡くなった方々よりもはるかに多くの人々が命を落としている。私はニューヨーク生まれです。ですからもちろん、他の人々と同じようにWTCやワシントンDC、ペンシルバニアで起こったことに冷静ではいられませんでした。皆さんも、あの事件で亡くなった消防士や警察官を始めとする多くの人々、そしてその家族の顔を見て事件に対して怒りを覚えたでしょう。 問題は、アメリカの主要なメディアでは、アフガニスタンやイラクなどの人々の表情を見ることができないということです。彼らの存在が見えない。顔を見ることもできないし、叫びを聞くこともできないのです。聞こえたとしても、それは微かなものでしかない・・・ぜひ、別のメディアで探してみてください・・・彼らの存在を見せないことで、政府は私たちのお金を使って、簡単に望み通りの行動を起こすことができるのです。私たちの血を犠牲にして。

とにかく、私はこの詩をイラクの人々に捧げたい。そしてまた、すべてのアメリカ国民にも。アメリカ人は第三世界の国々の人たちに比べて明らかに、外見上は裕福で食べ物にも恵まれています。しかし、彼らの生活もアメリカ人の生活も、私の生活も、問題を抱えていることに変わりはないのです。情報不足、誠実な情報公開がなされていないという問題を。ですから、私はこの “Fossils” という作品を、アフガニスタンやイラク、アメリカ合衆国の人々に捧げたいと思います。

translated by chica