St. Lawrence University  2003.2.28
オープニング・レセプション

Transcript By Debi (Viggo Fan Base)

サンディ・ヒンチマン教授によるヴィゴの紹介

多才なモーテンセン氏を紹介したいと思います。本当に緊張していて、今にも平静を失いそうなんですけど、そうなったらここにいる私の夫のルーが代役をつとめます。そんなことが前にもあったので。

それはそうと、皆さんは世の中に知られているヴィゴが好きでここに来ていると思うのですが、既に皆さんが知っていることを繰り返す代わりに、皆さんが知らないことを少し話したいと思います。

その話をするために、ちょっと1979年から1980年に戻ってみたいと思います。当時、ヴィゴは私が教える政治理論の初級クラスを取っていました。その授業は、学生たちの間ではとっても難しくて嫌な授業だと知られていたのです。(ここでサンディはヴィゴがこのクラスでとても優秀だったというようなことを何か言いましたが、よく聞こえませんでした。)ヴィゴはこのクラスでとても成績が良かったのです。それは、賢くも4年生になってからこの授業をとったということもありましたが、政治学とスペイン語の2つを専攻し、海外で勉強する時間をとるなど、彼は他の生徒たちよりも学業に専念していました。「私は教授という職業について間違ってなかった」と思わせるような、ヴィゴはまさにそんな生徒でした。

ともかく、その学期にルーと私はステート・ストリートにヴィクトリア朝の家を買いました。話はつながるから、心配しないでください。古くてしっかりした良い家でしたが、色々とお金と手間をかけて修繕しなければいけませんでした。家のローンは1ヶ月314.61ドルで、いくら夫婦で禁煙して月に50ドルは節約できたといっても、それは私たちにとってはかなりの額でした。だから、ヴィゴが春にどこか住むところを知っているかと聞いてきた時は、私たちにとっても都合が良い話だと思いました。すでにダリルという教育学の大学院生に部屋を貸していましたし、大工作業が好きな私の兄のブラッドは、この家で大工勉強をしようと思ったらしく、白い大きなトラックと一緒に私たちの家に住んでいました。雑多な集まりでしたが、私たちは仲良くやっていました。

今になったので白状しますが、ヴィゴが政治理論の初級クラスを生き抜いた後、政治理論の上級クラスに登録した時はちょっとヒヤヒヤしました。他の生徒や教員たちに彼をひいきしていると思われたくなかったのです。上級クラスの成績は、もうほんの少しでAだったこともあり、いかにもヴィゴをひいきしているみたいでしょ。だけど、最後のプレゼンテーションは、どうやらそういったことがあったみたいです。

それはそうと、ヴィゴは家にいるようないないような、そんな存在だったと言わざるをえませんね。週末をポーカーとビールとレゲエで過ごしていたような私たちと違って、ヴィゴはとっても大人で真面目な生徒でした。いつもキャンパスで食事をとっていたと思います。当時の私の料理の腕を考えると、賢いですね。だけど、彼がいる時は、決まってやることがありました。たとえば、ガールフレンドと出かけたり。本当にガールフレンドに不自由することはなかったですね!それから、デンマーク語でよく電話していましたね。そして、ヴィゴにはよくつるんでいる友達がいました。背が低くて、素晴らしい笑い声の持ち主だったということ以外、その彼のことは覚えていませんが。言うまでもなく我が家は彼らを歓迎しましが、どういうわけか、彼らは納屋で明け方まで話し込んだりすることを好んでました。

今になって思えば、私たちが山のような仕事をヴィゴに押し付けていたので、ヴィゴはいつも家にいなかったのかもしれません。その冬は今年のように寒くて雪が沢山降りました。家の前の道路はカントンでも一番ではないかと思われるくらい長いのです。だから、私たちは間借り人たちに雪かきをさせました。彼らは召使のように、とにかく、雪かき、雪かきの毎日でした。ダリルは車(VW)を持っていたので、雪かきをするのはある意味当然でしたが、可愛そうにヴィゴは腰痛以外には何も得るものはありませんでした。二人とも文句を言わずによく雪かきしてくれました。おそらく「冬が永久に続くなんてことはないだろう」なんて考えながら雪かきしていたのかもしれません。

だけど、やっとのことで春がやってくると、リヴァー・ウィードもやってくるのです。 知らない人のために言っておくと、リヴァー・ウィードはとても繁殖が早い植物で、日本の竹のようだと言う人もいます。以前は装飾用に植えられたもので、一晩で2.5mから3mも育つようです。地下の茎でつながっていて、ぶった切ると、切られた部分が喜んで、そこからまた新しいのが生えてくるのです。だから、リヴァー・ウィードを掘り起こす時は、一番深いところの根っこから掘り起こさないとダメなのです。サウロンとモルドールの手先のように、途中にあるものを全部制圧してしまうのです。我が家の裏庭はその雑草で覆われていました。この話のオチがもう分かったでしょう?ダリルとヴィゴには、雪のかわりに泥を掘る仕事が与えられました。

ともかく、シャベル作業の合間のある時点で、ヴィゴは俳優になりたいと思っていること表明しました。今になって思えば、地元のブラック・ボックス・プロダクションでヴィゴを見かけたし、ヴィゴはとっても芝居が上手でした。あれはヴィゴが書いたお芝居だったと思っていたのだけれど、「あれは納屋にいた友達のだよ」とヴィゴが今教えてくれました。だけど、特にヴィゴのように謙虚で内向的な人にとって、俳優という職業はとっても悪い考えのように私たちには思えました。ハリウッドに行ってもそんな考えは捨てて、どうみてもヴィゴに向いている弁護士になるために法律学校にでも入学するだろうとたかをくくってました。幸いなことに、そんな風に思っていることはヴィゴには伝えませんでした。それか、単にヴィゴは私たちのそんな考えは無視したのでしょう。なぜなら、数年後には『目撃者』に出演したのですから。小さな役でしたが、素晴らしい映画だし、ヴィゴは役者としてしっかりやっているじゃないですか。本当に彼を誇りに思いましたが、もしかしたらまぐれじゃないかと影で心配していました。だけど、その後『マイアミ・ヴァイス』で悪者の役が来て、その後はロシアの潜水艦映画でもっと悪者の役を演じて、その後何本もの映画に出演しました。そして映画に出演するたびに、より大きな役を演じるようになりました。そして今は、素晴らしい『ロード・オブ・ザ・リング』です。個人的に言って、2回続けて楽しく座って見れた唯一の映画です。

ヴィゴが写真や詩を書くなんて、一体誰が思ったでしょう?本当に全くの驚きです。こんな調子では、ヴィゴが次に街に戻ってくる時は、コンサート・ピアニストになってるかもしれませんね。OK、ちょっと現在に戻りましょう。この20年で私たちも、ヴィゴも、沢山のことが変わりました。私たちはお給料が上がったので、ヴィゴたちの後はもう部屋を貸さなくてもよくなりました。息子のブライスは16になりました。彼は生まれてからずっと、ステート・ストリート40番のダリルの部屋を占領しています。皆さん想像できると思いますが、この頃カントン高校の友達の間で彼の株価は上がりっぱなしです。何人かは今日ここに来ています。ヴィゴが使っていた部屋は、徐々にゲスト・ルームになってきているのだけれど、スイッチしようかと考えています。「ヴィゴはここで寝た」なんて看板を掲げるのも良いかもしれません。納屋はいまだにボロボロの状態ですが、大工の腕をあげた兄が、奇跡的にも納屋以外はすべて修繕しました。今では全部の部屋に暖房がついて、屋根も高くし、もう子供用のようなドアや低い天井とはさよならしました。そして、リヴァー・ウィードとの戦いももう少しで勝てそうなところまできています。だけど、雪についてはまだシャベルが待ってるわよ、ヴィゴ。

ともかく、講演するよりも、今晩は皆さんと食事しながら話をしたいというのがヴィゴの希望です。こんなことからも、ヴィゴが有名人としてではなく、長いこと離れていた友人として戻ってきたかということが分かるでしょう。別の部屋に食べ物と飲み物が用意してあります。リラックスして彼の作品を楽しんでください。皆さん、是非ともヴィゴを友人として暖かく迎えてあげてください。

ヴィゴのコメント

サンディと矛盾することをいくつか言うよ。うん、今あの授業のことを思い出したよ。優しいコメントをありがとう。あぁ、多分、草むしりと交換条件にっていう話?(ヒンチマン教授は「今はもっと高くつくわよ」と答えた。)

ここに住めて本当に良かったよ。ここで勉強する人は誰でも、勉強に専念するし、また、そのプレッシャーもあるし、少なくとも以前とすごく変わっていない限り、キャンパスライフについても前向きなんだ。自分たちがいるコミュニティとつながりあう努力をしなきゃいけないと思うよ。

[Debi のコメント]
・・・残念ながら、録音していたテープがここで終わってしまいました。ごめんなさいね。だけど、ヴィゴはこの後そんなに沢山話をしなかったです。

translated by yoyo