EWTN: The World Over  2002.12.13

(ビデオは以前 The House of Telcontar が提供していました)

Interview by レイモンド・アロヨ

ヴィゴ・モーテンセンは、フェローシップの中心的存在であるレンジャーのアラゴルンを演じます。

Q: このキャラクターの道徳上の選択と、トールキンの原作にある精神的な要素を考慮するのに、どのくらいの時間を費やしましたか?

そうだね、随分考えたよ。この原作は、自分がこれまで読んだものや、子供の頃読んでもらった本を思い起こさせるからね。それに、トールキンを読んでみると、北欧の文学や、北欧の神話、キリスト教以前の、いわゆる異教の文学や文化に神話、それにケルト神話といったものを思い起こすんだ。トールキンはとっても信心深い人で、敬虔なクリスチャンで、熱心なカソリックだということは、調べて知っていたけど、彼の素晴らしいところは、それをあからさまな形で物語に押し込めなかったところだと思うんだ。それで、この話は単純な物語になっていないし、『旅の仲間』も新しい映画についても、単純な映画になっていないんだ。

それに、登場人物の全員が、たとえ最も勇敢な人でさえ、少し臆病な人であってもリーダーであっても、未経験な者も経験豊かな者も、全員が躊躇したり、自分を疑う瞬間があるんだ。それが、良いチームを作っていると思うし、自分を疑うことを知っていて、そう傲慢でない人の方が良いリーダーになると思うよ。ある人が常に答えを持っているということに対して、不可欠な誠実さ、謙遜さがあると思うんだ。それに、もっと現実に近いよね。誰もすべての答えを常に持っているわけではないから。彼がそのことを強調しているのは興味深いよ。多くの映画では誰かが答えを持っているものだけど、この映画は違うんだ。そういうところが気に入ってるよ。

Q: 1作目では、あなたは指輪に惹かれていましたよね。あなたにとって、指輪は何を表しているのですか?

惹かれたけど、決して指輪には触れなかったし、物語の中で触ることはないんだ。指輪が持つ本当の危険は、それが誰の中にでも潜在的にある悪を象徴していることだと思う。指輪自体が邪悪だとは思わないよ。アラゴルンは、誰よりもそれを知っているんだ。ガンダルフやガラドリエル、エルロンドと同じくらいにね。クリスチャンであろうとなかろうと、他人に目を向ける前に、まず最初に自分自身がいつも注意してきちんとやるものなんだ。投げ・・・るな・・・

Q: “最初に石を投げるな” だね。 (訳注: 聖書からの引用。他人が間違いを犯した時に、真っ先に非難するな、という意味。)

そう。それは重要な要素だと思うんだ。指輪があって、モルドールがあって... モルドールは物語の中で地理的な場所まで持っている。指輪は、僕たちが “地獄” と呼んでいるものを象徴しているんだ。具体的にどこという場所があるわけではなくて、どこにでもあるもので、犠牲者がいるところがその場所なんだ。そして、邪悪な考えや弱い意思を持った瞬間に、誰もが犠牲者になり得るんだよ。社会の共通の利益よりも自分を優先させたり、自分を他の人から切り離して考えた途端にね。個人レベルであろうと、自分の国であろうと、賛成なのか反対なのかという考えには、傲慢さがあるよね。世界全体の経験から自分を切り離していることになるんだ。

translated by yoyo